古びた本屋
「ところでタマキ、街を見なくてもいいのか? 今日はそれを目的にここに来たと思ったが?」
クリフが口の端を少しあげながら言う。
「ついでに言うと、ここが街の中心街だ」
「本当だ! 一気に賑やかなところまで来たね。話に集中し過ぎて気づかなかった!」
真ん中に噴水がある広場の周りには、異国風の雑貨小物や軽食を売る出店が多く立ち並び、買い物や雑談をする人々で賑わっている。
十字に走る通りには吊り看板がいくつか見える。
出店だけではなく、店舗もたくさんあるようだ。
異世界のお店にはどんなものがあるのだろか。
好奇心で体がうずうずとしてきた。
「タマキはどこに行ってみたい?」
「うーん、すべてのお店を回ってみたいけど、そうする時間もなければ体力もないし……。あ、そうだ! 本屋さんはある? こっちの本屋さんにはどんな本があるのか気になってたんだよね!」
「もちろん。そこの角を曲がってすぐそこにあるから、行ってみよう」
クリフが指を差す方向にはパンの絵が描かれた看板が見え、そのすぐ横から路地が続いている。
パン屋の前を通り過ぎると、焼き立てパンの香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
ガラス越しに見えたパンはバゲットなどのハード系のシンプルなものばかりだった。
思わず店内に入りたくなる強い衝動に駆られたが、気持ちを本屋に切り替え、小道の先へ進んだ。
*
本屋はそこから少し歩いた先にあった。
中古本のみを扱っているような、少し古びた感じの店構えをしている。
店内に入ると、古い本と埃っぽい匂いがぶわっと広がった。
本はカテゴリごとに分けられているが、大雑把な上、至るところに本が山積みにされている。
そして、一番低い山の上には、やたらと貫禄のある猫がどっしりと座っていた。
猫は私たちが入って来るなり、こちらを凝視した。
肝心の店主はというと、奥のカウンターで本の山に隠れながら居眠りしている。
くたびれた山吹色のローブが、本の隙間からちらっと見えた。
実は、この猫が店の主人と言われても驚かないかもしれない。
こういう雰囲気は嫌いな人はいるかもしれないが、私はむしろ大好物だ。
時間が許せば何時間でも居座れそうな気がする。
「店主に挨拶したかったが、わざわざ起こすのは悪いし、あとで様子を見て声を掛けよう。タマキは興味のあるところを自由に見てきていいよ」
クリフが私の耳元で囁いた。
「あ、そうそう。はい、これ」
そう言ってクリフが手渡してきたのは、茶色い皮の巾着袋だった。
「セハリスが君に渡すようにって。自分で自由に使えるお金も少しぐらいあったほうがいいだろう、とのことだ」
「えっ! こんなの貰えないよ! お店に来ても何も買うつもりはなかったのに」
今のところ、部屋に用意してもらっている本で事足りているので、ここで本を買う気は全くなかった。
どんなものが売っているのか、単純に興味があっただけなのだが……。
「引け目を感じるほどの額ではないはずだから、遠慮しなくても大丈夫だ。ここの本なら、数冊買って少し余る程度だろう。それに、タマキに受け取って貰えなかったら私が困るのだけどな……」
クリフが遠い目をしている。
セハリスさんにチクチク文句でも言われるのだろうか……。
日頃から、ただでさえ心労の多そうな立場に就いていることを考えると、ここは素直にありがたく受け取っておくほうがいいのかもしれない。
「わかった。じゃあ遠慮なく頂くね。良ければ、セハリスさんに会ったときにお礼を伝えておいてもらえるかな? 私のほうでも会えたらお礼は言うけど、次にいつ会えるかわからないし……」
「もちろんだ。では、お互い見たいところを回ろうか。しばらくしたら様子を見に行くよ。店内は広くないし、迷うことはないだろう」
「うん、わかった。それじゃあ、またあとでね」
私は早速異世界本屋探索を開始した。
数十分見て回って気付いたことは、置かれている本のジャンルがフィクションとノンフィクション小説、あとは学術書が大半だということだ。
漫画や画集など絵が描かれた本は、子供向けの絵本以外に見当たらない。
しかし、学術書を数冊適当に取り、パラパラと捲ってみると、理論の説明に図が使われているものは多い。
この国の一般層の人たちは絵よりも文字を好む傾向にあるのか、それとも芸術や娯楽のために絵を描こうと思う人がいなかったのか。
売られている本を見るだけでこの国のことが少しずつわかっていくのは、新しい分野の知識を少しずつ吸収していくのと同じでとても面白かった。
それにしても、奥に行けば行くほど乱雑具合が酷い。
一番奥はもはや倉庫のような状態だった。
どんな本が置かれているかすらわからない山の中をわざわざ探る必要はない。
元の場所に引き返そうとしたとき、その中に宝石に反射する光のように何かが一瞬だけ煌めくのが目に入った。
しゃがんでよく見ると、ぶ厚い本の表紙に描かれた何かの模様だった。
円の中をツタ模様がぐるりと一周しているだけのシンプルな模様だが、虹色のインクで描かれている。
輝いているように見えたのはそのせいかもしれない。
ただの目の錯覚の可能性もあるが、インクはまるで意思でもあるかのように常に動いている。
まるで、その奥に別の空間があるかのように底が見えない。
表紙や背表紙には著者名やタイトルは記載されていない。
文字が擦れているわけでもないため、元から意図してこうして作られたようだ。
なんとなく開いてはいけないような気がしたが、ここまで来ると好奇心のほうが勝る。
私はおそるおそるその本を開いた。
何も起こらない。
だが、ページを捲り、気づいた。
これはリズモア語ではない。
図解があるわけでもなく、理解できない文字が並んでいるだけだった。
それでも、文字自体に不思議と何か惹きつけられるようなものを感じた。
(これは貰ったお小遣いの範囲で買える本だろうか……? 店主さんに聞いてみよう)
本をカウンターへ持っていくため、くるりと後ろを振り向いたとき──
突如として視界に入ってきたのは、店に入ったときにいたあの貫禄のある猫だった。
灰色に縞模様の大きな体に、くりりとした青い目。
いつ来たのかはわからないが、高く積まれた本の上にどっしりと座り、私を鋭い瞳で見下ろしている。
(……なんでこんなに睨まれてるんだろう? 私、気づかないうちに何かしちゃったかな……?)
穴が開きそうなほど見つめられ、冷や汗が出てくる。
黙ってそばを通り過ぎるのも気が引けたため、声を掛けてみることにした。
「こんにちは、猫さん。こっちのほうに何か用があるのかな? 邪魔していたみたいでごめんね」
思わず苦笑いになってしまった。
しかし、これで問題ないだろう。
ゆっくりと通り過ぎてクリフと合流しよ──
「我にそのように話すとは、頭が高いぞ。小娘」
大きな体に似つかないキーキー声で猫は言った。




