心当たりのある人物
「本当に、何だったんだろう……?」
妖精に連れて行かれてからそれほど時間は経っていないはずだが、まるで数時間もあの空間にいたような、そんな気がする。
緊張していて強張っていた体の緊張が少しずつ解けていくのがわかった。
……と、同時にお腹も空いてきた。
(またお昼ご飯を逃してしまったかな?)
現在の時間が気になる。
とりあえず部屋に戻ることにした。
***
部屋に戻って気付いた。
朝出たときよりも明らかにきれいになっている。
確か、シーツは乱れたままで、昨日着た衣類や使ったタオル類はその辺にまとめて転がっていたはず。
(もしかすると、洗濯するために回収してくれたのかな……?)
そのとき、コンコン、とノックの音がした。
(もしかしてあの給仕服の子かな?)
扉を開けると、やはりノックの主はあの女の子だった。
「シーツと部屋の掃除、ありがとうございました」
ジェスチャーを交えながら、感謝の気持ちを伝える。
意図が通じたのか、女の子はニコッと笑って首を振った。
そして、後ろにあるカートを指差す。
美味しそうな軽食が載っていた。
(今日こそは人に聞きながらでもなんとか注文しようと思っていたのに、なんだか申し訳ないな……)
とはいえ、結構歩いたせいか、お腹はペコペコだ。
ここはありがたく頂くことにした。
*
食事が終わり時計を見ると、針は右下のスペースにちょうど入ったばかりだった。
それぞれの位置が何時を示すのか、そもそも1日何時間なのかはわからない。
しかし、朝起きたときはちょうど真上を指していたことから考えると、結構な時間が経ってしまったのかもしれない。
窓から外を見れば、太陽は真上から少し下の位置にあった。
ということは、やはりお昼の時間を過ぎてしまったのだろう。
給仕服の女の子は、この前 クリフォードさんがしてくれたように、ご飯を取りに行ってくれたのかもしれない。
(今晩はちゃんと食堂に食べに行こう)
そう決意し、私は午後の勉強に取り組むことにした。
***
コンコン──。
ページを捲る音だけが聞こえていた私の部屋に、ノックの音が響く。
(誰だろう? また給仕服の子が来たのかな? まだ夕食の時間には少しあると思うけど……)
外から入る日差しはまだ明るい。
扉を開けて出迎えると、そこにいたのは、白いローブを着る初老の男性だった。
ツタ模様は金色だ。
「こんにちは、タマキさん」
そう言いながら男性は紳士らしく丁寧に頭を下げる。
(うーん、自分の名前が聞こえたから、今のは挨拶の言葉かな?)
この男性は何故かとても大袈裟な発音でゆっくりと話してくれるので、一つ一つの音が聞き取りやすい。
私も軽くお辞儀をし、男性の真似をしてゆっくりと挨拶の言葉を言ってみる。
すると、男性は「ブラボー!」とでも言うかのように、頷きながら手を叩いた。
(なんだかすごく感じのいい人だな、このおじいさん)
思わずクスッと笑うと、男性も笑みを浮かべた。
「私はラ・スです」
自分を指差しながら名前を説明する男性。
私が『ラス』と呟くと、男性は満足げに再度頷いた。
「私はセハリス坊ちゃんに頼まれ、あなたに言葉を教えるために来ました。今日はもうあまり時間もありませんから、挨拶がてら少しだけ勉強を手伝うために来ました」
男性は一生懸命、伝えたいことを身振り手振りで説明する。
一単語ごとにジェスチャーを交えるので、見る人によっては大袈裟すぎると思うかもしれないが、私にはそれがとてもありがたかった。
(セハリスさんに頼まれて言葉の勉強を手伝いに来た、かな? ……ということは、あのときセハリスさんが言っていた“心当たりのある人物”はこの人か)
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
意図が通じるか通じないかは分からない。
それでもお礼を言葉にし、私は頭を下げた。
*
「早速ですが、絵本に書かれている文字の発音が知りたいのです」
二人で作業机の前に座ったあと、ジェスチャーを交えながら私は言った。
ラスさんは絵本をペラペラと捲り、笑顔で頷く。
とりあえずは一番最初に読んだ絵本の始めのページから音読してもらい、忘れないよう聞き取った発音を絵本にメモしていく。
推測できなかった単語の意味も身振りでなんとか教えてもらい、絵本の理解度が格段に向上した。
10ページほどの絵本全ての発音が書き取れたあとは音読をし、実際の発音と異なっていた際には訂正してもらった。
(ふう、文字量が少ないとはいえ、この作業を10ページは大変だな。それでも、すごく有意義な時間だった!)
「ありがとう、ラス」
覚えたてのリズモア語を早速使ってみる。
「いえいえ、どういたしまして」
親指を立ててニカっと笑うラスさんを尻目に、「どういたしまして」の発音を私は紙に走り書きするのだった。
*
「そういえばタマキ、そろそろ夕食の時間ですが、食堂に行きますか?」
(もうそんな時間?集中しすぎて気付かなかった)
時計を見れば、針は真下の少し右のあたりを指している。
(昨日は意識して見てなかったからわからなかったけど、4つのスペースはそれぞれ6時間程度で移動するみたいね。……って、おっと、ラスさんに早く返事しなきゃ)
私はすぐさま「はい」とリズモア語で答えた。
自分も一緒に行ってもいいか、というラスさんのお誘いを快諾し、私たちは部屋を出て食堂に向かった。




