五話 親子
夕刻を報せる鐘が王都に鳴り響く。城の庭で試験に励んでいた生徒達は一斉にその場に倒れこんだ。息が上がり、喋ることもままならない。酸素を求めて息を吸う音だけが共鳴して大きく聞こえた。ルドルフは軽く汗を拭うと涼しい顔で伸びをした。
「ではこれにて実技試験を終了する。怪我をした者、体調が特に優れない者は救護班を呼ぶこと。それ以外の者は半刻後までに試験会場を出ること。では、解散!」
マリアナの言葉に受験生達はほうほうの体で立ち上がる。足を引きずりながら城を去る姿はさながら不死者のようにも見えた。毎年の王都の風物詩でもある。
「2人ともお疲れ様」
レンはシエルとノエルに声をかける。ノエルは変わりなかったが、シエルは疲労が色濃く顔に出ていた。
「レン様。お疲れ様でした。すごかったですね!」
「そうね。あなた何者なの?S級冒険者とあれだけやり合えるなんて」
「へへ。冒険者は僕の夢だからね。3歳の頃からずっと頑張って来たんだ」
「3歳!?ってことは7年も……そりゃあ他の受験生とはレベルが違うはずだわ。いや、それにしたって説明になってないんだけどね」
「もうお姉ちゃん!フラフラなのに大声出しちゃダメだよ」
「むう……妹はお姉ちゃんの心配なんてしなくていいのに!」
シエルは頰を膨らませつつもノエルが肩を貸すと逆らうことなく身を預けた。
「2人は本当に仲が良いんだね。僕兄弟とかいなかったから羨ましいなー」
「レンはひとりっ子なのね。きっととても大切に育てられてきたからそれだけ強いんだわ」
「そうなのかな?まあ、母さんがすごく大事にしてくれたっていうのはよく分かるよ。産まれてすぐ川に流されてた僕を拾って一生懸命育ててくれたんだ」
「あ……ごめんなさいレン様。うちのお姉ちゃんが。気分を害されたのでしたら」
「え?なんで?」
レンはノエルの言葉にきょとんとする。
「だって、幼い頃に捨てられた話なんてとても悲しくて……」
「悲しいのかな?あ、そっか。拾われたってことは誰かに捨てられたってことだもんね。改めて考えると全然気付かなかった」
レンはあっけらかんとそう言い放ち、思案顔になった。それを見た双子は顔を見合わせて首を傾げる。
「なんか、レンって」
「不思議なお方ですね……」
「そうかな?そうかも?」
「……ふふっ」
「……あははっ」
シエルとノエルが笑ったのを見て、レンも笑った。3人はひとしきり笑うと、明日の最終試験に向けて互いを励まし合い解散した。
☆
夕刻:エイリール
ロマーニャは三階の窓から外を眺め、煙管を吹かした。忙しい階下から切り離されたように、ゆったりと時間が流れる。
(明日、か)
明日はレンの最終試験。最終試験の後にすぐ合格通知が言い渡される。
母親という色眼鏡を抜きにしても、レンが合格することは火を見るよりも明らか。明日がレンが冒険者としての一歩を踏み出す瞬間なのだ。血は繋がっていないが、育ての親として感慨深いものを胸に感じ、ロマーニャは黄昏を見据えていた。
「あ、母さん!ただいまー!」
階下から声がする。とても元気で、明るい、聞き慣れた愛しい声。レンの声だ。
「おかえり。今日も楽勝だったかい?」
「どうかな?ルドルフさんとっても強かったから精一杯やったよ!」
「ルドルフぅ?あんなもん寄越したのかい学校は?ったくあのババア少しは加減ってもんを考えないかい……」
「?ねぇ、今からそっちに行くね」
レンは手を振って玄関に入って行った。しばらくして階段を昇る音と共にレンが部屋に入ってきた。緊急の客間などに使われる、普段は使わない空き部屋だ。
「母さん、何かあったの?」
「……どうしてそんなことを訊くんだい?」
「母さん、嫌なこととか悩みごとがあるといつもこの部屋でタバコ吸ってるもん」
ロマーニャは少し気恥ずかしさを感じた。我が子にそんな癖を見抜かれていたことに。
「お前の寂しがりが感染っちまったのかもねえ。おいで、レン」
「うん!」
ロマーニャが手を伸ばすと、レンはぴょこんと跳ねるようにその手の中に収まった。レンの清らかな白い髪に指を通す。ロマーニャが優しく頭を撫でると、レンは目を細めて母の胸に身体を預けた。そんなレンの姿が愛しくて、我が手を離れていくのが惜しくて、ロマーニャの瞳は次第に潤い始める。
「いなくなるのか。そうか、そうか。もうすぐお前は外の世界に旅立っちまうのか。あんなにちっぽけだったガキがさ。こんなに大きくなっちまって」
「うん。明日の最終試験に受かって、学校の寮に入って、それからそれから、冒険者に必要なことをたーくさん勉強して……」
「ははっ。これじゃあ昨日とまるっきり逆だね。私が寂しがって、お前が前を向いた話ばかりして」
「うん。今でもちょっと寂しくなるけど、会おうと思えばいつでも会えるもん。お休みの時は帰ってくるし、またお店も手伝うよ」
「馬鹿だねえ。余計な気を回すんじゃないよ。エイリールはヒヨっ子1人の手なんか借りる必要ないのさ。お前はやりたいことだけ考えな」
「そっか……じゃあ、母さん」
レンが改まった声色で言うので、ロマーニャは向き直った。
「今まで僕を育ててくれてありがとう。僕、やるよ。たくさん頑張ってきっとすごい冒険者になって、母さんが胸を張りたくなるような自慢の息子になるよ」
「……ッ」
ロマーニャはレンを強く抱き締めた。まるで最後の別れのような言葉を言うレンに、我慢が利かなくなる。鼻の奥からツンとした刺激が広がった。
「死ぬんじゃないよ!絶対にだ!これだけは何があっても守るんだ!いいかい!?死んでも生きといで!」
涙を堪えることはできなかった。震える唇をきゅっと結んでも、嗚咽を止められない。言葉と共に、レンとの思い出が脳裏を駆け巡った。
「お前は私の可愛い息子。血なんか繋がってなくたって、汚れた娼婦が拾った子だって、邪神に魅入られた子だって、関係ない!勉強もできて、強くて優しくて格好いいどこに出しても恥ずかしくない自慢の息子だ。レン・フリート!」
「うん……うん!」
レンも母の腕で泣いた。ありったけ注がれる母の愛を目一杯抱き止める。
「ごめんねぇ。泣き虫なお母さんでごめんねぇ」
「あはは。じゃあ僕の泣き虫も母さん譲りだ」
「ちゃんと食べるんだよ。お金と友達は大事にするんだよ。なんでも困ったら大人に頼るんだよ」
「えへへ。分かってる。ずっと聞いてきたもん。今まで、ずっと……」
親子の大きな別れを邪魔する者は誰もいなかった。
☆
散々泣き明かしたロマーニャは、泣き疲れて眠ってしまった。ヒナがそれに気付いてロマーニャを寝室までそっと運んだ。レンは涙で濡れた顔を洗い、屋根に飛び乗って夜空を見上げた。
「捨てられた、か」
ノエルの言葉を思い出し、物思いに耽る。
自分を産んだ両親は、何故自分を捨てたのだろうか。右手で首筋を撫でた。
レンの首筋には痣がある。太陽を象ったような黒い痣。教会の神父が言うには、邪神に魅入られた者の証らしい。そうした痣を持つ者は少なくないらしいが、レン程複雑で形のはっきりした痣を持つ者は歴史に名を残す者ばかりだった。良くも悪くも。
産みの親はこの痣を見て気味悪がって捨てたのだろうか。
疑問には思ったが、恨みや怒りは全く無い。何処の誰とも知れぬ人間を恨む気になれなかった。それどころか、ロマーニャという最高の母親に巡り会わせてくれたことを感謝したいくらいだった。
「邪神様かあ。できれば僕が世の中にとって良いことをする手助けをしてくれるといいんだけどなあ」
レンはそう呟いて、大きな月の輪郭を目でなぞる。大きな月の周りに、無数の星が光り輝いている。そんないつも通りの当たり前な夜空に、今日はなんだかため息が出る程見惚れてしまうレンであった。
しばらくしてヒナの呼ぶ声が聞こえてきたので、レンは部屋に戻ることにした。