壮年期
二十六歳の時に戦争は無交渉のまま惰性で休戦状態となり、それ以降目立った戦いはなかった。軍大学を何事もなく卒業した私は政治の世界へと入った。その後もエリシュカとは職場は違うが会うことは多かった。若い男女が会ってすることなど、そうそうあるわけでもない。暇さえあれば、人目が無ければ、ところかまわず何なりと。
私の入った政治という世界は、野心と金でしか成り立っていない。誰も彼も常に渇望し、富と権力を求め続ける。
それは悪なのだろうか?もちろん自らの富や権力のみを濫用すれば、民衆から非難がなくともいずれ形は崩れていく。それゆえに、手に入れた富や権力を守るためには国を維持する必要がある。それは二律背反と嘘の入り混じった、渾沌とした世界なのだ。
だが逆に考えれば、国はその二つだけでも十分回るということだ。
自分たちのことしか考えていないとその姿勢に民衆は非難をするが、非難されない政府などあってはならない。支持率という調査した者の意図でいともたやすく変わってしまうようなものが狂いなく100%の国家など、民に掌を返される未来が私には見えてしまうのだ。
その世界の者はそれぞれにそれぞれの形で自らの立場を維持しようとする。大局の志は同じでも、節々ではぶつかり合うのは必須である。私はそんな周りを蹴落とし、自らの意にそぐわなかったとしても目上の人間を持ち上げて、やがて立場が入れ替われば潰していき、出世した。
蹴落とそうとするのは誰しも同じだ。献金などは帝政というシステムのおかげで常日頃から一般的であり大した問題ではなかった。では何が一番取りざたになるかと言うと女性問題なのだ。貴族が支配する社会であり、女性を囲うのが当たり前だが、その女性と関係を持っただのなんだのは嫉妬を生み出し大きな問題となる。他を蹴落としたい者がそれに飛びつき利用しようとするのは目に見えていた。色仕掛けをして近づいてきた女性のほとんどはスキャンダルを作りたいだけで、ネタを掴んでやろうという上からの目線がどこかしらにチラつき、私にとっては蹂躙する悦びに欠けるのですべて無視した。思い起こせば私が手を出した女性はチャリントン家の女中とエリシュカだけだった。そして、忘れないでほしいのは、蹴落すためにそういったことをするのは政敵だけではないということだ。ありがたいことにエリシュカも彼女たちも、とても協力的だった。
三十六の時、エリシュカが妊娠した。私の息子をだ。
順番は逆だが、妊娠してから結婚することになった。これでは世間から婚外子と揶揄され、出世に響くのは間違いなかった。案の定、それに目を付けた私を気に入らない者たちが挙って攻撃を始めた。
だが私はそれまでの行いに自ら救われることになったのだ。私が手を出していたのはチャリントン家の若い女中とエリシュカで、それ以外の女性は接点がないのだ。それ故世間の目は私を誠実な男だと見なしていたようだ。そのような中で婚外子ができたというのは意外だと、マイナスの意味合いだけでなく意外性の表現でも大きく盛り上がった。私はエリシュカとの十年以上の関係を認め、公の場でプロポーズを行った。世間の非難の目は一変し、祝福ムードになり純愛物語として語り継がれることになった。それにより市民からの評価をさらに得られ、政治家としての評価も上がった。エリシュカは仕事を辞め、家庭に入ることを選んだ。
しかし、これは逆転劇ではない。もちろん純愛物語でもない。
すべて予定通りなのである。政界に入り十年ほど経ち、出世の速度がどうしても停滞してしまう。テコ入れと言ったところだ。なぜエリシュカの子どもを私がはっきりと認知したのかと言うと、いわゆる『色仕掛け』を一年近くさせなかったからだ。
だが、全て予定通りとはいかないものだ。
チャリントン家の金でのうのうと暮らし、もはや関わることもなくなっていったはずの母は黙ってはいなかった。自分の息子が政治家として出世することに邪魔はしないつもりのようだったが、息子の嫁は同じ女性であり、ライバルでもある。
すでにチャリントンの屋敷からは独立していた私の家をたびたび訪れ、妻をいびり罵り、こき使う。まるでそれらをわざわざするために訪れているようだった。一度それが大事にされ、母の過去の行いも引きずり出されたことがあった。しかし、エリシュカは献身的だった。妻の私が至らないために、とひたすらに頭を下げたのだ。私は母を責めず、そしてエリシュカの味方をもした。このとき、彼女が仕事を辞め家庭に入ることにした理由を知った。私の出世の足かせになることを避けるためだったのだ。それを聞いたとき、私が彼女を妻に選んだ理由に気が付いたのだ。
だが、時同じくして良くない何かが燃え始めたのはこのときかもしれない。責めこそしなかった。だが、燃え上がるそれは母に対する黒く重く、じっくりと物に覆いかぶさる乾留液のような感情だったことを覚えている。
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