幼少期
「戦争?そんなの起きるわけないわよ?アッハハハ」
私の母親はそれが口癖なのかと思った。
来る日も来る日もそれを繰り返して言っていたので、物心ついたばかりの私は理解できずとも耳に言葉を残していた。足を組み笑いながらそう言った母の姿の最も古い記憶は七歳の時だった。
だが、母の言ったことはおおよそ反対のことが起きる。それから十四年後にエルフは人間と大きな戦争を起こすことになるのだ。
さて、我がメレデント家が帝国貴族のステータスであり、取引と駆け引きの場である社交界を追い出されたのは私が六歳の時だ。
あの時のことはよく覚えている。母は様々なものを投げつけられて泣き出したかと思うと、社交の場であったとある屋敷の庭園からまるで逃げだすように帰ったのだ。突然母に手を引っ張られた私には何が何だか全く分からなかった。しかし、唯一分かったことは、煌びやかな大人たちが集まり、サンドウィッチやらオリーブやらを摘まみながらトランプをしているその場がただの遊び場ではないと理解した日だった。
何故そこから母が追い出されたのか、それを私は聞くことはなかった。
メレデント家当主のヴィーテク・メレデントの妻エヴェリーナは、その名を当主よりも響かせていた。なぜならそのわがまま奔放ぶりが過ぎたからだ。ウェストル地方の中堅貴族でしかないはずだが首都のグラントルアにまで響き渡るほど有名だった。ウェストルの小さな漁村で男たちを囲い爛れた日々を過ごしていたり、他の弱小貴族の男を弄んだりしていたのはもはや噂ではなく、まぎれもない事実だった。それゆえ妙な噂もあった。どうやら私はヴィーテクの子どもではないという話だ。しかし、私自身それは本当なのではないかと子ども心ながら薄々感じていた。父ヴィーテクはもともとウェストル地方の出ではなく、ノザニア出身の貴族であり先々代で都落ちしたので出身地はウェストル地方ではないのだ。エルフは遺伝傾向を強く出すので父と子は非常に似る。しかし、私の眉はシャープであるのに対して、父親はノザニアン特有のウェーブ髪なのだ。(ウェストリアンのシャープな眉は田舎者の証だった)成長するにつれそれは顕著になっていったが、それと相反するように疑問ではなくなり、いつしか父親は誰か別の人だと思うようになっていった。それに対して父親は何も言うことはなかったし、私自身も何も言うことはなかった。妻が奔放なあまり諦めてしまい放任してしまったようだった。
社交界を追われて以降、完全に別居状態で暮らし続け、いつのまにやら父親は死んでいた。そのころには私も十を超えていたので、動物などの死を通してある程度の死生観をすでに理解していた。だが、人の死と言うものを見たのはそれが初めてだった。何年かぶりに見た父はすでに死体であった。しかし、私や母のようにコロコロとした肉付きはしておらず、まるで枯れ枝のようにやせ細ったそれを見たときはショックを受けたのはよく覚えている。そのときすでに残されていた資産は空に等しかったので、最低限の葬儀すら行うことはできなかった。整備された墓地に埋めることもできず、結局多くの死体と一緒くたに葬ることになった。腐敗し目が染みるほどの悪臭を放つ死体の上にさらに覆いかぶせるように放り込まれる父の姿はあまりにも惨めで、私はこの国の中でどこまでものし上がろうと決心したのはこの時なのは間違いない。
そのとき自らの中に燃えあがった炎は一つではなかった。もう一つ、石の中で燃えるマグマのような感情があった。それは父への怒りだ。会うことはなかった父は見えを張ったのか、自分を貧困に落としていたが最後の最後まで私と母に裕福な暮らしをさせていたようだ。それが私には理解できなかった。なぜ自分の命を賭してまで家族を優先させていたのか。それに私は本当の子どもでもない。奔放な母親がどこの誰とも知らぬ男と交わってできた私を嫡男として育てたのか。理解できないほど哀れで、それに憤慨していたのは覚えている。
母は世間の男性から見ればとても美しいそうだ。どれだけ奔放で妙な噂が流れようとも、男が絶えることはなかった。住んでいた邸宅、このときはまだ大きな家だった、には夜な夜な顔も知らぬ男が出入りし、嬌声を屋敷に一晩中響かせていた。私は慣れていたが、のちに軍大学で知り合ったマゼルソンと言う男にそれはおかしい、自分なら発狂する、と指摘され初めてその異常性に気が付いたのだ。
かつて母が社交界を追われた理由は奔放なふるまいを咎められたからであると知ったのは、思春期を迎えた頃だった。ただ奔放なだけならまだしも、その行いをすべて男たちに庇わせるという、トラブルメーカーだったと遅ればせながら理解したのだ。社交界の品位を下げるとみなされて追い出されるのも無理はないと思った。しかし、母はそれを持て余していた美貌を他の貴族の女たちからの嫉妬のせいとして気に留める様子もなく、社交界から不当な扱いを受けた被害者だと言っていた。もちろんそれもあったのは事実だろう。
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