邂逅
書きかけだけど連載小説ないと寂しいから投稿しちゃえーの第二弾です!(^-^)
その女王は、無力な少女に過ぎなかった。
非力であまりに頼りなく、統率力も覇気もない。人を信じる無垢な心はあれど、駆け引きや権謀術数と対峙する政治的手腕もない。
国の頂点に立つための資質は致命的。
けれど、たった一つだけ。
少女には、優れた人材を男女問わず惹き付ける、人間的な魅力があった。
さぁ、伝説の幕が上がるーー。
◇ ◆ ◇
海を遠く見下ろす丘には、一面に咲く白百合の香りがむせかえるほどに立ち込めていた。
「うぅ……ひっく、」
鈴を振ったような声が、少女の可憐な唇からこぼれ落ちる。必至に押し込めているそれは――心を引き裂くような嗚咽だった。
手入れの行き届いた手指。腰に届く豪奢な金髪は柔らかく弧を描き、小さな顔には紫色の神秘的な瞳が輝いている。陶器のごとく滑らかな肌はどこまでも白く、瑞々しい唇は果実のように赤い。
ほっそりした体を包む純白のドレスが地面を広がり、まるで彼女自身が百合の花であるようだった。
リリーローゼ・セントーリア王女。
セントーリア王国国王が、愛情を惜しみなく与え続けて育てた娘。
三日前、その父が死んだ。
よってリリーローゼは、ただ一人の王族となってしまった。王位継承権を持つ唯一の存在。
一陣の風が、少女の側を通り過ぎる。
しっとりとした花弁の感触が頬を掠め、同時に上品な百合の香りが強まった。
王城の裏に広がる王領地の森を抜けた先、切り立った崖の程近くに見晴らしのいい丘陵がある。それを父は、『百合の丘』と呼んでいた。
穢れなき白が咲き誇る丘で、リリーローゼは一人泣き暮れていた。
父が好きだったこの場所は、母も生前気に入っていたという。
だからこそ一人娘にリリーローゼと名付けたのだと、父はいつもどこか誇らしげだった。
そんな父も今はもういない。
突然の目眩に倒れ、そのまま還らぬ人となった。
本当は王墓ではなく、両親をこの丘に埋葬してあげたかった。けれど、叶わぬことだ。
せめてと二人の遺品を持ち出し、丘にそびえる楡の木の根本に埋めた。彼らがいつでも大好きだった景色を眺められるように。
「お父様、お母様……」
セントーリア王国の歴史は古い。
千年前、当時クロヴィス大陸を広く支配していたモルダンジア帝国からの独立が国の興りだという。
国土はささやかながら北に険しいヒレーネ山脈を擁し、そこから流れ込む清水が王国を潤している。国民はみな信心深く、どこまでもおおらかだ。
だが、平和なばかりではない。
モルダンジア帝国は戦を繰り返しながら近隣諸国を併呑し、今や北方帝国と呼ばれるまでに勢力を拡大していた。
脅威は既に背後まで迫っている。セントーリア王国が千年前のようにモルダンジアの一部となるのも、時間の問題と言えよう。
先月十六歳になったばかりの少女の双肩に国の命運がかかっているのだから、それは耐えがたい重責だった。国民の命を背負い、騎士を従え迎え撃つなんてできっこない。
それなりに学んできたけれど、それは王女としての教養に過ぎない。
ただの小娘に国を守る力などあるはずなかった。
リリーローゼは絶望に沈んでいた。
その上、父の死を悼む時間さえないなんて。
「ひっ、うぅ……お父様……どうしたらいいのですか? わたくしに王国を支えることなんて、できるはずないわ……」
「ーーそのような言葉を口になさるなんて、一国の王女とは思えない軽挙ですねぇ」
「なっ……どなた!?」
地面に寝転んで泣きじゃくっていたのだ。
誰に指摘されずとも、今の自分がみっともない状態であることは分かる。
気が動転したリリーローゼは、立ち上がった拍子にドレスの裾に足を取られる。
「キャッ……!」
体を支えたのは、男の大きな手だった。
すっぽりと腰を囲う力強い両手。その持ち主の顔が目の前にあって、束の間状況を忘れた。
艶やかな黒髪、整った眉と高く細い鼻梁。
細い鎖が付いた銀縁眼鏡の向こうには、静けさを湛えた緑の瞳。
完璧すぎて温度を感じさせないほどの美貌。
けれど何よりリリーローゼを惹き付けたのは、青年の双眸の深い色合いだった。
灰色を帯びた緑の奥の、底知れない暗闇。冷酷という言葉では生温いほどの虚無。
迷い込んだら抜け出せない、深遠のような。
死の淵を覗き込んでしまった錯覚に陥り、背筋を冷たいものが駆け抜ける。
リリーローゼは反射的に体を離していた。
「あ、あ、あなたは一体何者ですか……!?」
王領地を越えなければここにはたどり着けない。
今の王国ではただ一人、リリーローゼ以外踏み入れない場所のはずだった。
森はぐるりと高い壁に囲まれており、唯一の出入り口である門の警備は当然厳重だ。男の登場に混乱するのも無理はなかった。
青年は、つかみ所のない笑みを浮かべた。
「未来から来たと言えば、信じますか?」
「……え?」
「私は三年後からやって来た、あなたの部下です」
つかみ所がない笑みを構成しているのは、嘲りであるような気がした。
けれどリリーローゼは、彼の言葉を受けて隠し通路の存在に思い至っていた。
百合の丘には、王族しか知らない地下通路からも出入りができるのだ。かくいうリリーローゼ自身も、通路を利用してこっそり泣きに来ていた。
賊の侵入を防ぐため、通路は迷路のように入り組んでいる。間違えることなくたどり着けたのなら、誰かが正しい順路を教えたとしか思えない。
彼にそれを教えられる王族は、最早リリーローゼしか残っていなかった。
ーーけれど、わたくしはこの方を知らない……。
つまり彼の言葉は真実なのだろうか。
口元を押さえて驚愕していると、青年が呆れたように嘆息した。
「あなたが知らないだけで、王族の内の誰かが生前に知識を託した可能性もあるでしょうに」
「あぁ、それもそうね」
思いもよらない可能性を示唆され、素直に納得する。彼はますます呆れたようだ。
「……段々セントーリア王国の行く末が不安になってきました。もしや、帝王学もろくに学んでおられないのでは?」
「そ、それは……」
考えていることはそのまま顔に出ているだろうし、彼の言い分をあっさり信じてしまっている。
言い訳のしようもないけれど小馬鹿にされたままではいられず、リリーローゼは何とか抗弁した。
「お、お父様は、優秀な男性を探しておりました。王配となる方に、実権を譲ればいいと」
それゆえ、実務についてはほとんど学んでいない。その上父王が死んでしまったために、結局花婿は探し出されず仕舞いだった。
「なるほど。あなたのお父上は、王配が優秀であれば娘が無能でもいいと考えていたのですね。というかそんな実情は、素性の知れぬ者に明かすべきではありませんよ」
「あ……そうよね」
冷静さを失うと頭が回らず、リリーローゼは恥じ入って俯いた。
青年の言う通り、これでは本当に無能だ。
「ーーおよそ三年後。セントーリア王国は、北方帝国と全面戦争になるでしょう」
「!」
空を切り裂く矢のような声が、リリーローゼの顔を再び上げさせた。眼鏡越しにこちらを射抜く視線は、矢よりも鋭い。
先ほどまでの底知れぬ笑みを消し去った青年は、まるで予言者のように言葉を紡ぐ。
「三年後のあなたの側には、四人の精鋭がおりました。個性はあれど何かしらに特化した彼らは、女王陛下に絶対の忠誠を捧げていた」
今現在、頼る相手にすら困っているというのに。
そんな存在には全く覚えがなく、迫力に圧されたリリーローゼはただコクリと喉を鳴らした。
「彼らがいなければ、王国は抗う術もなく帝国に呑み込まれてしまうでしょう。あなたはすぐにでも、彼ら精鋭を集めるべきです」
「あなたは……一体何者なの?」
出会い頭にぶつけた質問を再び口にすると、彼は口端を上げた。
「ーー私はドゥーガルド。三年後、あなたの部下となる者です」
二人の間を海風が吹き過ぎる。
甘く強すぎる百合の香りに、潮の荒々しさが僅かに混じった。