1-3 南奏多
俺が通うこの東若葉高校は現在、旧校舎が工事で立ち入り禁止になっていて、新校舎にたどり着くためにはグラウンドとその旧校舎をぐるりと迂回しなければならない。という不便を全校生徒が毎日のように強いられていた。
この工事は俺が入学する前から始まり、残念ながら俺達の卒業まで続くらしく、寝起きでまだ重い体にも関わらず、駅を出てすぐの長い坂を上って、さらにこの遠回りをさせられる俺らの代は不本意ながらとても健康的だと言える。
よって、校門を抜けた後もしばらく歩かされることになるのだが、さらに俺は校舎までのその長い道程の間、常に背後を警戒するのが日課となってしまっている。
もちろん、それは俺だけに言えることで全校生徒が毎日しなければならないというわけではない。
しかし、そんないつの間にか身に着いた習慣を今日に限ってはすっかり怠っていた。
いつもよりも登校時間を早くずらしているからという、それだけの理由だが、その油断が原因で、うるさい足音と共に近づいてくるその気配に気付くのに一瞬遅れ、見事にその全体重をこの身に受けることになった。
ドサッ!
何者かが俺の背中におぶさってきた。
「おはよう!!」
俺の耳元で元気な声が響く。
顔は見えずとも声の主が俺の幼なじみの南奏多だとすぐに分かった。相変わらず朝から元気なやつだ。
こいつは、毎朝登校時に俺にこうやっておぶさってきては、校舎までの距離を楽しようとするのだ。
もう随分と古い付き合いにはなるが、いい加減そろそろ自分達は高校生だということを自覚してほしいものだ。
こんなところを誰か知り合いに見られでもしたらまた朝からいじられてしまう。
幸いまだこの時間は登校する生徒も少ないし、知り合いも周囲にはいなさそうではあるが、どこに知り合いの知り合いが潜んでいるかわかったものではない。
速やかに奏多を降ろそう。
というか、何故奏多はこの状況を恥ずかしいと思わないのだろうか。高校生にもなって付き合っているわけでもない男女がおんぶしているのは世間一般から見て少しずれているのではないのか。それとも、俺がただ奏多を意識し過ぎていているだけなのか。
そう思うと、それはそれで奏多に負けたような気がしてしまい、素直に降りてくれと言うとからかわれるような気がしてそれはそれでシャクでならない。
この状況を誰かに見られるのが単に恥ずかしいだけであって、奏多を意識しているわけでは断じて無いのだが、どうにかして自然な流れで奏多にうまいこと降りてもらうことにしよう。
とりあえず俺は意識してないように見せるため、奏多をおぶったまま気にせず歩き続けた。
「...あぁ、おはよう..」
そして、奏多とは対照的に元気のない返事をした。奏多が心配になって降りてくれるかもしれないと思ったし、そもそも朝から急に人がのしかかってきて、元気に「おはよう」などと言える人などこの世にいない。
しかし、奏多はそれでもお構いなしに俺に全体重を預け続けていた。
「今日はいつもよりも余裕の登校ですな!」
「いやそんなに余裕はないかな?」
「そうじゃなくて!時間的な余裕だよ」
「あーそっちの意味ね。そう言うお前も今日は早いな..」
「ね!! あはは。」
一体何が可笑しいのだろうか。
自分が乗っている人の気持ちなど気にもせず、まるでオープンカーを乗り回しているかのように上機嫌に笑っている。
「今日も元気だな」
「ね、朝から元気だね」
会話が噛み合ってないと思うのは俺だけか?
もしかして、俺が今日避けなかったのは、いつもと違っておぶれるほど元気だからと的外れな解釈でもしているのだろうか。
「いや。もう限界だよ。ほら、ただお前が俺に掴まってるだけだぞ。な?」
そう言って俺は両手を広げて見せた。
確かにどう見てもただ奏多が俺に掴まっているだけだった。
「本当だね。」
と奏多は嬉しそうに言うと、さらに俺の体の上部へと登ってさらには足を巻き付けてきた。
違う、そうじゃない。
俺はふと『北風と太陽』という寓話を思い出した。
とある旅人の上着を『北風』と『太陽』のどちらが脱がせられるかを競うという話だが、それとはまったく違う状況に陥っているのではないか。
俺は別に『北風』のように直接「降りろ」と強要したり、無理やり降ろそうとしたわけではない。むしろ『太陽』のようになるべく穏便に降りるように促したつもりだったのだが、どうやら昔話が必ずしも当てはまることはないようだ。
というか、さっきよりも体の密着度が増して恥ずかしいとか恥ずかしくないとか考えている場合ではなくなってきていた。
いくら幼なじみとはいえ、これで意識するなというのが無理な話だ。
もう手段を選べなくなった。もう俺の負けで構わない。
俺は『北風』に徹することを決めた。
「すまん、やっぱり降りてくれ」
そう言って俺は足を止めた。
「え~、どうしたの急に?」
と、奏多はとぼけたように言った。おそらく俺の後ろでニヤニヤしていることだろう。
「、、、流石に、高校生にもなってこんなことするのは、、、恥ずかしい」
俺は敗北を認め、正直に今の自分の気持ちを奏多に訴えた。
「あ、、、うん、そうだよね」
俺が正直に言ったことが意外だったのか、奏多は少し戸惑いながら言った。
そして、すっと肩の重みが取れるのを感じた。
奏多が背中から降りたのだ。
「えへへ、確かにそうだね。」
奏多はそれだけ言うと、そのまま顔も見せずに校舎の方へ行ってしまった。
やっと降りてくれたのは嬉しいのだが、寂しそうに走り去っていく奏多の背中を見て、俺は素直に喜べないでいた。