その絶望の果てに
そのほんの一瞬で、アレンは様々な事を考えていた。孤児院の事、マユミの事、そして自分自身の事。
今、アレンはただならぬ力に翻弄され動いてる形で、意思はあるのだが、体が本能に忠実に動いている、そんな感覚だった。
その中でアレンは孤児院の皆を思い出していた。らさソウスケにマユミに数々の子供達。
どれも皆、殺されてはいけない子供達だった。そんな事あってはならない人達だった。
心に傷を抱えていて、人間不信の子供、ろくに食事を取らせて貰えず栄養失調にかかっていた子供、暴力を受けていた子供、中には自身の力で逃げてきた子供なんてのもいる。
皆、苦しい思いをこれまでしてきて、ここから先に幸ある未来が待ってる筈だった。
それをこいつは、いとも簡単に消し去ったのだ。こいつだけは許せない。
自分が例え罪を犯しても、こいつだけは始末しておかなければならない。
だから自分は今剣を振るっている。そう言い聞かせた。
けれどそれは無意味なものだった。
「は〜いすと〜っぷ」
子供っぽい切り口で遮ってきた少女がいた。その娘が来た瞬間、アレンの動きは止まった。
まるで全身縄でガチガチに固められているようなその感覚がアレンを襲い、思わずその少女を見る。
青いパッツンの髪のボブカットヘアーの少女。黒い三角帽子を被ったその子はホークとアレンの間に割り込むようにそこにいた。
「なんだてめぇは?どっから沸いてきた?」
「沸いてきたとは失礼な人ですね〜私は貴方の命を救ってあげたんですよ?分かってます?」
彼女は不服そうに目を吊り上げてホークを睨む。全く怖くはないが。
「誰も頼んでねぇよカスが。つーか邪魔だ退け勝負の邪魔すんな」
「いや、勝負ってもう決着ついてるじゃないですか?」
アレンが剣を振り上げ、ホークは微動だにしなかった。確かにそれは周知の事だ。だが、ホークは首を縦には振らない。
「どちらかが死んだ時決着つくんだよ。女には分かんねーだろーからさっさと…ぐっ…ぐはっ!!」
急に体がくの字に曲がり、吐血する。それを見てやれやれと彼女は掌をヒラヒラと動かす。
それがどことなく幼稚に感じるのは、この子の雰囲気の所為なのだろう。
「こっちの空気吸い過ぎですよ?自業自得って奴です」
「もう今更どうでもいいさ。こっちでこんな爽快な刺激に会えたんだからな」
「…まあ、いいです。どちらにしろ私はここの戦いを止めに来たんですから。運命を正すためにね」
怪しげな会話に彼女はそのままクスッと笑みを零す。
「取り敢えずホーク、貴方はもうこのまま冥界に帰って下さい。これ以上の滞在は本当に死に関わるので」
「あぁもう何なんだよてめぇは!!体が動けたらぶっ殺してやるのによぉ!!」
「まだ、戦っていたいでしょう?冥界で、アレンと対峙したいでしょう?だからここは退いて下さい」
予言めいた言葉に、ホークは眉を潜める。
「…あぁ分かった。もう分かった興が削がれたからもういい。この縛りを解け」
「…分かりました」
そう言うと、ホークは急に動けるようになり、ますますこの女に違和感を覚える。
詠唱も無しに縛る魔法など聞いたことはない。
「気味が悪い奴だな。お前は一体何だ?」
「何だとは失礼ですね命の恩人に対して。まあ思って無いんでしょうけど。とにかく貴方に話すことは無いのでさっさと…帰って下さい!」
突然の次元の歪み、ホークの目の前に急に現れた奇妙な黒い穴は、とてつも無い引力を放ち無理矢理にホークを引き込んでいく。
「なぁ!また戦えるんだろうなぁ!!」
「えぇ、約束しますよ。アレンという男が死ななければの話ですけど」
「そうか…なら楽しみにしてると伝えとけ」
そう言ってホークは穴に吸い込まれていった。そこがどこに繋がっているのかは彼女しか知らない事だ。
そして、ここには彼女とアレンの二人になった。
未だにアレンは何も喋らない。というより何も聞こえてないように見える。
「さて…と」
刹那__アレンを縛っていた何かが解けた。
「アレン、貴方が殺したい人は消えました。どうしますか?腹いせに私を殺しますか?」
「ナゼ…ナゼ…ナゼ…ナゼニガシタ!!!」
アレンの憤怒は彼女に飛び火して、アレンは彼女を睨みつける。その瞳の奥の黒さは計り知れない。
「う〜ん…逃がさなければならなかったから、ですかね。こちらにも少し事情がありまして」
「フザケルナ!!俺は…オレハ!!ド、どうすれば…!!」
アレンの黒い何かが消えては覆い、消えては覆い、自我が戻りつつある事を示している。
「殺してどうするんですか?この孤児院は消滅し、身寄りもいない。それでホークを殺して貴方はそれからどうしますか?
自分もそのまま死にますか?誰も知らないこの世界で生き続けますか?この孤児院を見続けますか?思い続けますか?何も分からず何も知らずにこの今を受け入れますか?」
怒涛の質問に、初めてアレンの黒い何かが完全に引っ込み始めた。瞳には憎しみが消え、困惑が露わになっている。
「俺は…俺は…どうすれば…いい?」
「答えを人に求めるのは簡単ですが、貴方は私の言葉を完全に信じますか?何もかも鵜呑みにするんですか?」
「それは…頼るのがお前しか…」
「まだ決めつけるのは早いです。まだ、始まったばかりなんですから。貴方の人生は今、殻を突き破ったばかりです。狭い世界に生きていた貴方はこれからこの世界を見る事が出来るのです。
広く、悪と善が入り混じったこの世界で、見つけ出して下さい。貴方が何者で、何なのかを」
その言葉を鵜呑みにするのも、駄目なのだろうか。アレンはふと、周りを見渡した。
周りを深い森に囲まれているこの場所は遠くの場所まで見る事は出来ない。
でも、そこは近いようでとても遠い場所のような気がした。手が届きそうで届かなかったこの世界は今、広がった。
「なぁ…お前は一体何者何だ?どうして俺を助けたりしたんだ?」
「助ける、なんて大層な事はしたつもりはありませんが、自己紹介はまだでしたね」
彼女は名乗った。
「天より命を受けました時の魔本を所持する者、名をレム=アーランドと言います。以後、宜しくお願いします」
ぺこりと三角帽子を抑えながら頭を下げ、彼女もといレムは、そう自己紹介をした。
「…あ、アレンです。こちらこそ…宜しく?」
慣れてない自己紹介で、たじろぎながらするアレンに、レムはクスリと笑う。
その仕草は今まで思わなかったが、可愛さがある。歳は多分、ソウスケと同じくらいなんだろう。
「ファミリーネームは無いのですか?無ければ今作った方がいいですよ?今後不便ですので」
「あ、あぁ…んじゃあ…アレン=アウストラでいいや。俺の名前はアレン=アウストラ」
アウストラ__これはここ孤児院の正式名称だ。正面の上に札が掛かっているのだが、ボロボロなので住んでる子供達も知らない事が多い。
「なるほど。いい名前ですね」
先程から良く笑うレムに、アレンは少し見惚れてしまった。けれど首を振り、もう一度向き直る。
「それより、お前の…レ、レムの名前は分かったが、素性が全然分からないんだが…時の魔本って何だ?」
「あぁ…これですよこれ」
そう言ってマントの内側からスッと黒い経典のような分厚い本を取り出した。
「これはちょっと特殊な本なので中は見せれませんが、この魔本を管理する者と考えて貰って結構ですよ」
「はぁ…なるほど?」
何というか、不思議な少女だ。結局分かったのは変な本を持っていて名前がレム=アーランドという事だけだ。
「それより、これから貴方は何をしますか?」
不意な問いかけに、アレンは言葉を噤む。あまり考えないようにしていた事だ。
出来るならこのまま中身の無い話をしていたかったが、そうは問屋が卸さないらしい。
「そう…だなぁ。まあ、知りたいのはやっぱり何でこの孤児院が…無くならなければならなかったのかって事は知りたい」
「後は?」
「後は…やっぱり…自分の事だ」
アレンも気付いている。先程の自分が何か違ったものに支配されておかしくなっていた事に。
怒りで頭がおかしくなった、というレベルではない何か。それが何なのか知りたい。
「なら…街に行って情報収集すると良いんじゃないですか?ギルドとかもありますし」
「どうやって相談すれば良いんだ?こんなの」
「他にももしかすると同じ症状に掛かっている人がいるかもしれませんし、そういう人を探してみるのもありです」
「そ、そうなのか?」
「そうですよ」
何だか言いくるめられた気がするが、ここはレムに従ってみるしかない。結局鵜呑みにしてる訳だが仕方ない。
「なら、行きますか?」
「あぁ…でもその前にやる事がある」
アレンは目線をふと変えた。そこには静かに横たわるマユミの姿があった。
「こんな姿をずっと晒して置くわけにいかないしな」
彼女をそっと持ち上げた。軽い。重さがあるのかと疑うほどだ。
「なぁ…頼みがある」
「はい?いいですよ」
こうして二人は作業を始めた。そして__それは完成した。
少し土が上に盛られ、その後ろに木々で作られた十字を立てる。そしてその手前に偶然にも火の粉が掛かっていなかった桜の枝を一つ添えて、墓は完成した。
「なぁ、そっちは…ってうぉ!?」
一つの墓を完成させている内に、レムはなんと孤児院にいた全員の墓を作り上げていた。おまけに木で作られた柵もついている。
「速すぎねぇか!?」
「魔法を使えばお墓なんて簡単ですよ?」
「なんか情緒がねぇなぁ…」
何はともあれ、墓は完成した。
「じゃあ俺は行くよ」
「はい。頑張って下さい」
「レムはこれからどうするんだ?」
「私はまあ、色々です」
濁した言葉に、アレンはふと笑う。
「ありがとな」
「いえいえ」
交わした言葉は少ないが、アレンはレムを信頼した。こいつは良い奴なのかもしれない、と。
「んじゃあな」
「はい」
こうしてアレンは森に入っていった。
それを見ながらふと、レムは寂しそうに森を見つめる。それが一体何なのか、ここに知る者はいない。