儀式開始
「買い物も終わったことだし、早速始めますか。まずは【インパリオン】から。」
「……全体的に説明を求めたいのだけど?」
「言われなくとも。瑠璃、ちょっと手伝って。」
「はーい!」
町から離れた人気のない場所。瑠璃やコトハ、それからるぅねを狙って少しだけ人が尾けてきたりもしていたがその殆どを混乱状態にして地面に打ち捨てた相川はるぅねに何か指示を出してから左腕に黒い璧を嵌めると瑠璃に先に一言告げる。
「瑠璃、今からお前は後方に吹き飛ばされる。全力で俺に飛びついてこい。抱き留めてやるから。」
「おっけー!」
「じゃあ……模擬儀式を始めようか。【インパリオンの矛盾劇】、『エル・ロワン・リベロ』!」
「にゃぁああぁぁあぁっ!」
恐ろしい勢いで飛び掛かった瑠璃だが一瞬で逆方向に飛ばされた。遥か彼方まで飛んで行ったのを見て相川はしばらく笑った後、コトハに告げる。
「あー面白……」
「は?」
これを私にもやらせるつもりか? そういう意味を込めて相川を睨みつけるコトハ。しかし相川は至って真面目にコトハに告げた。
「まぁ、【インパリオン】は術者と行為者の間に好意があるとこんな感じになるだけで俺相手だと大抵の存在は微塵も動かないから大丈夫。俺は知的生命体は大体嫌いだし、知的生命体は俺のことが大嫌いだから。ま、瑠璃さんはちょっと変わった子だから仕方ないけどね。」
「微塵も動かない? そんな無意味な儀式に何の意味があるのかしら?」
疑問を呈すコトハ。儀式は余程のことがない限りその難易度によって効果が左右される。コトハの能力は非常に強いため、無意味な儀式では大して……そう思うのも仕方ないだろうが、相川は告げる。
「まーそう言いたいのもわかるけどそもそもこの儀式って術者が命を懸けても平気と思っている状態じゃないと始まらないからね。そこまでの関係がないと儀式をする奴もいないのに、対象がおかしいだけ。」
軽く言われた言葉に混乱するコトハ。会って間もない、しかも微塵も好意を持っていないと分かっている癖に命を懸けるか。加えて、彼自身は彼女に対して好意がないと来たものだ。
(頭おかしいんじゃないかしら……?)
言葉に出すとそれは強制のものになるから言わないが、コトハはかなり訝しんだ。それはさておき、相川は儀式を始めるために術式を告げる。するとコトハは後ろに引っ張られる感覚がした。これでは歩くことさえ困難だ。
「……結構、キツいのだけど……」
「まぁ、一応最高等儀式だからねぇ……好きでも嫌いでもない状態でも世界から追放される程度には強い力が働くよ。てっきり君は用済みになったら俺を殺そうとする程度には俺のこと嫌ってると思ってたが……」
「お望みならそうしてあげましょうか? どうせそんなことを言うとは思ってないのだから言うんでしょうけど……それで、何でそれをあの子に? どう考えてもあの子……」
実体験と彼女と相川の話によれば先に掛けられた瑠璃には恐ろしいほど効いているはずだ。コトハが少し心配して瑠璃の気配を探ると彼女は割と近くにいた。
「う、うぅ……いたい……」
結構なダメージを受けているようだ。しかし彼女はしっかりと前を見据え、進む。思わずコトハの方も心配してしまうような有様で瑠璃に駆け寄った。
「あ、あなた大丈夫だったの?」
「抱き着く、もん……この程度で、負けて、られない……!」
燃える闘志を宿して一歩一歩進む瑠璃。相川はそれを興味深そうに見るだけで特に動いたりはせずにその場に立っている。
「相川、術を止めてあげなさい。」
こんな酷い真似をするなんて許せないと相川の方を睨むがその肩に瑠璃が手をかけ、待ったをかける。
「ダメだよ……そんなことしたら抱き留めてくれる約束もなしにされる……ボクはぎゅってされたい……」
「えぇ……? そこまでして……?」
なるほど、瑠璃が変わっているというのは本当のことなのだろう。ここまで酷い目に遭わされておきながら抱きしめられるために必死で頑張っているのだ。尤も、【言霊】的にはそれ以降も妄想しているらしいが。
(……変わっているというより、「変」ね。)
そんな瑠璃のことをコトハはそう断じた。それは兎も角として自身の儀式に関してもクリアしなければならないと力を込めて動き始める。
「……そう言えば、これに対して【言霊】を使うと何か問題はあるのかしら?」
「あー……まぁ面倒なことにはなるかな。使ってみたらわかると思うけど。」
「その説明を求めているのよ。」
「使ったら警告音が鳴って今後の儀式における能力の使用制限回数が表示される。基本的にこの後の方が大変だからあんまりお勧めしない。」
コトハは難しい顔をする。そもそも、何をすればいいのかは聞いたが何をすべきでないのか、またこれからどうなるのかなどその他の情報を一切聞いていないのだ。相川に対する不信感が芽生えるがその横で一生懸命頑張っている瑠璃の姿と【言霊】からしてこちらを騙そうとしているわけではないということだけはわかる。
「も、ちょっと……でぇっ!」
「……まだまだじゃない?」
少し頑張ろうと思ったところで瑠璃の声によって我に返るコトハ。しかしまだかなり距離が……そう思ったその時だった。瑠璃は一気に駆け、相川の腹部に特攻を仕掛けた。
「ぐっふ……お、おめでと瑠璃さん……」
(……いきなり恨みを晴らしたのかと……)
腹部に決して生物の衝突する音ではない重い音が響いたが、相川は最初こそ少し苦しそうな顔をしたがすぐに持ち直し、瑠璃の方は喜び勇んでめいいっぱい抱き着いている。
「瑠璃さんちょっと静かにしてね。ということで、不可能ではないことは理解できたと思う。少なくともこの世界で唯一俺のことを嫌っていない瑠璃さんが出来たんだから君にもできるよ。」
「嫌ってないじゃないよね? 大好きって言ってるよね?」
「……まぁそんな感じだ。ここまでくっつく必要はないから、頑張ってね。」
超至近距離にいる瑠璃の発言を聞き流して相川はるぅねが準備していた何かの調合を開始した。瑠璃は離れるつもりはないようで、相川も特にそれを咎めることもなくただ邪魔だから後ろに移動するように言っておんぶの状態で行動を開始した。
(……あの状態で後ろ向いているけど、当人に、具体的には璧を持っている術者に触れなければ儀式は成功じゃないのよね……? 瑠璃に触ったところで儀式はどうなるのかしら……)
邪魔。頑張ったのはいいが、瑠璃は儀式の邪魔になっている。しかしそのことを差し引いてもコトハには少し思うところがあった。
(でも、舐められたものよね? この程度!)
【言霊】を使うまでもない。コトハは能力を使うことこそないが、身に纏う神氣を全開にして一気に相川に向けて駆けだした。
「おっと?」
「何で避けるのよ!」
「あぁ、いやごめん。つい。」
反射的に避けた相川だが、コトハを認識してからはきちんとタッチを受ける。最初の儀式を簡単に終えたコトハは少しだけ得意げに相川に告げた。
「術者、能力寄りだからと言って侮られてもらっては困るわね。これでも私、最強の一角よ?」
誇らしげな顔をするコトハに相川は褒めてほしいんだろうなぁ……と見て取り、望み通り褒めてやる。しかし、その態度を至近距離で見ていた瑠璃はすぐに相川の考えていることが分かった。
(凄いと思ってないよね……ただ単に、術がそんなに効いてないだけ。自分はコトハさんは能力を自慢してるけど本当は深層心理で忌み嫌ってるだけって思ってる……)
しかし、今に始まったことではない。半分諦めつつもコトハが相川に必要以上に迫らないように殊更仲良しアピールを行い、牽制するだけで瑠璃は一先ずは許可が下りている間は相川を自由にしようと思うのだった。