おまけ
【武術大世】に送り付けられた瑠璃は上機嫌で実家に帰って来た。非常に久し振りの実家だが、瑠璃の実家である遊神家は代々人外染みたレベルで非常に長命なため、死んでいるということはないだろう。
「……死んでたら死んでたで別にいいんだけど。墓前に報告でもいいでしょ。」
そして瑠璃からすれば別に父親が生きていようが死んでいようが気にしていない。5歳の娘に八つ当たりしてネグレクトをし、妹と門下生を可愛がる代わりに自分を放置するような奴に懐く訳がないのだ。
「ただいま……」
「瑠璃! お前何処に行っ……」
帰って来るなり自分の言い分も聞かずに怒鳴りつけられるのか。変わってないなぁ……そう思いながら瑠璃はあまり顔を見たくないと顔を下に向けて彼女の父親、遊神一の言葉を待つ。
が……来ない。不思議に思った瑠璃は相手の言葉を待たずして顔を上げた。
「……ん?」
「るぅぅぅううりぃいぃいい!」
「……何?」
「お前可愛いなぁ! 可愛い!」
「は?」
不機嫌さを隠そうともせずに瑠璃は一のことを睨む。しかし、一瞬見ただけですぐに分かった。こいつは今、正気じゃない。
「お父さん、心配したんだぞぉ⁉ どこか行くときはちゃんと言ってからにしなさい!」
「……今更どの口が……」
心配などされたことがない。全部、瑠璃が弱いのが悪いという扱いしか受けた記憶がない。その分のしわ寄せで相川に迷惑をかけた自覚はある。
しかし、そんな瑠璃の思考を勝手に読み取ったのかは知らないが一は急に号泣しながら瑠璃の方にその分厚い手を置いて涙ながらに語った。
「ごめんなぁ、父さん。お前にどう接したらいいのか分からんでなぁ……一遍、酷いこと言ったのはもう戻せないし、武術の伝承に親子間の余計な情を入れるのは出来んで……」
「いや、それはいいから……何なの?」
急な態度の軟化に瑠璃は困りながらもまぁいるならいるで用件だけ伝えれば後はどうでもいいかと比較的どうでもよくなさそうなことを流す瑠璃。そして、思うだけではなくそのまま言った。
「んんっ、ごめん。それより、ちょっと言いたいことが……」
「何だ? 久し振りに父さんと一緒に風呂にでも入るか?」
「何なの? 本気で嫌だ……そうじゃなくてボク、今から結婚する「誰とだ?」」
急に程度が硬化し、戦闘モードに入った一。瑠璃は本気になった一を見て本能的に何故だか不明だが神と化した今の自分でも勝てないと悟る。だが、本能が警鐘を鳴らしたくらいで瑠璃は相川との結婚を諦めるような乙女ではない。
毅然と、断言する。
「仁と。」
「あんの穀潰しがぁっ! 儂の可愛い可愛い瑠璃に何しやがったぁっ!」
「なんだなんだ……?」
怒髪天を衝く一。あまりの叫び声にいつもの説教とは何か違うのかと家の奥から門下生が現れ、そちらに一が気を盗られた一瞬に瑠璃はその場から逃げ出した。
「何なの⁉ びっくりしたんだけど!」
一応、言うだけは言ったから大丈夫だろうと思いながら逃げきれないとどうなるのだろうと思いつつ全力で逃走する瑠璃。そんな彼女に少し暗めのトーンの美声がかけられる。
「……それは瑠璃が神氣をコントロールできてないからよ……」
「⁉ えーと? シャルルさんだっけ?」
「待てぇぇえええぇぇぇ! るぅぅううりぃいぃい!」
一が全力で瑠璃のことを追いかけてくる中で瑠璃の隣を相川が派遣したシャルルが並走する。しかし、彼女は呆れたように笑った。
「何であなたに猫被る必要があるのよ……この世界にいる間は神氣が殆ど使えないから上書きが消えてるし普通のクロエでいいわ。さて、さっさと逃げるわよ。」
「え? クロエちゃん? 本物?」
「……武術小学校で新築祝いの夜に「わかった! 大丈夫だから……何で今更そういうこと言うの⁉」わかってもらうためだけど?」
瑠璃の黒歴史を引っ張り出されかけて瑠璃は叫ぶ。その声に反応した一が何やら動きを見せようとしたところに……後ろから黒い影が伸びて一の後頭部を直撃した。それでも瑠璃の方にしか興味を示さない一に対して何度も何度も、殺意を込めて執拗に攻撃を続ける影。
「今がチャンス!」
その状況に一のことを心配するでもなく追撃を掛ける瑠璃。当然の様にシャルル……もとい、クロエも一に対して猛攻を仕掛け、瑠璃を囮に使いつつ数分後に何とか気絶させることに成功した。
「……ふぅ。お疲れ様です、ノアさん。」
一のことなど微塵も心配せずに重労働を終えた清々しい笑みでクロエは影、彼女の同僚であり、同じく相川に派遣されたノアに声をかける。しかし、彼女はそれに端的に応じるだけで満面の笑みを以て瑠璃の方を向いた。
「うふふ……お疲れ様です。さて、それより瑠璃さん……? ざまぁみろですわ。」
「何が?」
この後、何よりも先にノアが伝えたかった事、結婚に関する契約がこの時点で履行不可能であるということを告げられた瑠璃は怒りのあまり荒れ狂ってこの世界にある【扉】の向こうの世界を幾つも破壊して回ることになる。
その結果、彼女の名は売れて遠く離れてほとぼりが冷めるのを待っている相川の下にも瑠璃の二つ名である【精錬された美】が届くようになるのだった。
遠い遠い、ある例外者が個人的な終焉を迎えることになるその日。
会場は既に華やか過ぎて普通の世界であれば崩壊しかねない程の神氣が幸せそうに漂っていた。壇上に上がっているのは本日、結婚式を挙げる美少女たちだ。
(ふふ……ようやくここまで来たわ……余計なものも大量に入ってるけど……)
その中でコトハは幸せそうに笑っていた。周囲も楽しそうで……誰もがみな自分が主役であり後は添え物以下、いやそれ未満という感情を隠すことなく周囲に示して威圧している。
(……一番進んでるのはやっぱり瑠璃ね……でも、今の時点で引き摺り落とすにはちょっと周囲を抑えられなくなるからダメとして……一番落とせそうなのは……)
笑顔の裏で自分が一番になるための謀略を画策するコトハ。結婚さえしてしまえば後はこっちのものだ。特に、婚姻書の基になっている【契誓約書】を作った自分からすれば周囲の契約などやろうと思えば一瞬で無に帰せる。
「うふふふ……」
『それでは新郎の入場です!』
コトハが闇討ちするかどうするか考えていると式が始まった。自分もだが、周囲も威圧を一瞬で決してさもか弱い乙女が幸せですというオーラを出している状態だったという雰囲気に変わる。
そして入場してきた新郎だが、流石の例外者でもどうやら今回は流石に結婚式に相応しい無難で普通な格好になって化粧もつけて来てくれたようだ。少々、決め過ぎな気もするがまぁ自分の夫だからということで誇らしく思う以外のことは特にない。
いや、あった。
(チッ……何か変なのを魅了して……司会進行の癖に何をやってるのか……)
内心で舌打ち。新郎の本気の姿を見て騒がしくなり、自分の夫に色目を使う小娘が……相手も神であり、自分よりも古き存在だが気に入らないのでこんな感じの扱いだ。【災厄の忌み人】と共に歩む時間の中でお姫様だったコトハは随分とやさぐれていた。
(……しかもまぁ図々しいこと……)
自分の結婚式が遅々として進まないことに苛立つコトハは仕返しについて考える。だが、不意にちびっこの叫び声によって我に返ることになった。
「ダメ!」
「え?」
「ありがとうございます。これで私も……正妻だぁ!」
「……何こいつ。え? 割とマジで誰?」
気付けば、愛しの夫との結婚式の中に知らない女が混じり込んでやがった。いや、無理矢理紛れ込んだのだ。あれだけ苦労した自分たちを差し置いて。信じられない。
(……決めたわ。)
そしてコトハは新婚早々決めた。まず、最初に脱落させるのはあの女だ……と。
【例外者】、【災厄の忌み人】を取り巻く後宮の中では非常に良い香りの甘い毒がどろどろとした空気となって渦を巻き、誰もが退屈しないような新たな日常を約束していた。




