最終儀式
ドエスノとの戦いの傷もある程度癒え、喰らった化物の証たる負の温床が体に馴染んだ頃。相川は最後の儀式を始めるべくコトハと最後の打ち合わせをしていた。
「じゃ、今から最高レベルの儀式を行うべく最高神……まぁ現在も通常の世界にいる範囲内という条件付きだけど、最高神の原神を呼んで神前式を行います。」
「……はい。」
何だか非常に愉しそうで元気な相川に対してコトハは既に落ち着かないように白無垢姿に胸を詰まらせながら少し伏し目がちに相川の言葉を聞いていた。
「多分来るのは女神の方の原神。まぁ普通に考えたら増やす方の愛だの恋だのを司るし順当にいけばこうなるだろ。その中でも真ん中の女神だろうな。序列的には一番下が来るはずだがそいつは引き籠りらしいから。」
「……一応確認なんだけど、これって儀式なのよね? そのためだけにわざわざ原神様を招いて大丈夫なのかしら……?」
「あいつらが来なきゃダメだろ。」
儀式、というつもりではあるらしい。そこに落胆……してはいけないと何でもなかったようにコトハは相川のことを見上げた。
「そうよね。ここまで本気だと何だか勘違いしそうだわ……」
「まーそうだろうな。それくらい、本気出してるから。」
そんな軽い口調で告げられる言葉にコトハは複雑な胸中の想いを抱く。しかし、それは許されないことであると即座に掻き消され、何事もなかったかのように相川に問い返した。
「でも、大丈夫なの? 儀式とはいえ本物じゃない式でそんな方々を呼んで……失敗したら私……」
「なに、一般的な奴らがやる儀式のレベルは超えてるから儀式自体には疑いの余地はない。安心しろ……今回はコトハが何かする必要もないし。何が起きても慌てずに粛々としてくれ。いいな?」
複雑な気持ちのまま尋ねた言葉に相川の何らかのサプライズを匂わせる発言。そんなことを言われたら色々考えることになるではないかと思いながら相川のことを睨み……目が合うと逸らしてしまう。
(違う。大丈夫よ、これは儀式だから。落ち着きなさいコトハ・ユノ・メイリダ……自分の【言霊】の能力で、この……この能力……)
「ま、この分なら大丈夫だろうな。寧ろ余裕と言ったところか? さぁ始めよう。【パンディラの婚儀】を。」
コトハが色々と考えている間に相川は仕切りの言葉を発す。その言葉を聞いた相川謹製の機人たち、クワトロシスターズが彼女らの手によって作り上げた式場の鐘を鳴らし、祝詞を読み上げ始める。
四隅より立ち上る光。淡い色合いながらそこにあることをしっかりと訴えかけてくる強き光は式場の中心に集まり、見上げれば首が痛くなるほどの高さを誇る天井にまで届いて収束し、式場前方にある像に当てられる。
「……綺麗ね。」
「ま、君には負けるけどね。」
「⁉」
自分の耳を疑う信じられない台詞をサラッと言った相川にコトハは思わず振り返ろうとして相川の言葉を思い出し、毅然と儀式が行われている場を見る。しかし、内心の混乱は酷い有様だった。
(え? た、確かに彼からもらったドレスは綺麗だし、それを着てちょっと自分でもいいかもって思うくらいの出来だけど、まさか。いや、これ違うから……業務の一環よ。雰囲気づくりなだけ。落ち着け私。)
コトハをこんな状態に陥らせた張本人はこれから起こることに獰猛な笑みを浮かべて展開を待ち望む。そして、それは訪れた。
『……険しき恋路を進み、幾多の困難を乗り越えし恋人に祝福を……』
大人びた、脳髄が蕩けて体が崩れ落ちそうな音が光を照射されていた像から響いて来た。何やらお褒めの言葉をいただいているようだが、相川は浮かべていた笑みを引き攣らせて黙って困る。
(長女じゃね、これ……? え、マジで? 次女何やってんの? これ相手だと対策してないし、この後の展開ヤバいことになるんだけど……)
祝福の言葉なんて聞いていられない。イレギュラーの発生だ。対応処理に忙しくしつつ……相川は口角を上げて、半分くらい諦めの気分で腹を括った。
「やっぱ止めた! 全員撤収!」
「「「「はっ! じゃあ頑張って逃げましょう! 去らば!」」」」
『「は?」』
合図だ、終わる。
相川は一瞬で戦装束を身を纏いコトハを尻目に前に出た。クワトロシスターズは相川より早かった。
「え……?」
『痴れ者め……私を謀ったか!』
「そーだよ。【魔式チェインバイン】解除。この通りだ。」
相川はこの儀式が始まる前から儀式を行うためにずっと行使していた偽りの感情の鎖を紡ぎ、恋愛関係を偽装する術式を解除して哄笑を上げた。
「その女を騙して、そいつの能力を奪った上で原神様たちを叩きのめそうと思ってな! ハッ! 先の負の原神の一件じゃしくじったが……その隙に【言霊の姫】が手に入った点じゃ、失敗とも言えんか!」
『想いを踏み躙る卑劣な蛮行……許せんな……!』
状況に追いついていないのはコトハだけだ。狂ったように笑い始める相川とそれを女神の像の姿ながら忌々し気に睨みつける女神は既に臨戦態勢を整えている。
『罰として刑を。』
女神の美しくも凛とした声の直後、光の奔流が天より降り裁きが下る。相川が複雑な文様の浮かぶ眼に変わって妖しい幾何学模様の術式を空に掲げて何かの抵抗をした……のも一瞬のこと。拮抗すらせずに少しだけ光の流れを抑えたかと見えた瞬間に術式は儚く砕け散った。
その刹那の時間に、相川は何とも言えないような苦笑を浮かべてコトハに笑いかけ、直後に光に飲み込まれ、後には姿どころか影も形も……何も残らなかった。
「え……?」
状況に未だ追いついていないコトハは言葉にもなっていない同じ声を漏らすだけだ。どうすればいいのかわからない。ここまで導いてくれた彼が、もういない。
『哀れな女子よ……恋心を踏み躙られ、怪しき術にてその想いに蓋をされているな。いや、今となればそれが救いだったのか……』
声は未だ続いている。この場にいるのはいつの間にかコトハと女神像だけだ。つまり、相川と彼女を繋いでいた者は一切いない。
『せめてもの情け。救いを……我が能力にて貴女のことを支えよう。これより、汝に加護を授ける。現状で備わっている本来の儀式で与えられた分以上の、私の加護を。』
優しい光がコトハを包む。祝福の詞がコトハを癒す。しかし、コトハは何も感じない。ただ圧倒的な虚無感が内心から彼女のことを蝕んでいた。
(あれ……? 儀式、儀式は……?)
『……癒しきれなかったか……いや、しかし貴女は【言霊の姫】だったのか……しかし、ここまで力があろうとは……確かに、彼の者が警戒するのも分かる。』
(どうなってるの……? 彼は……? 儀式が終わったら、私の能力を取るって、私前よりもずっと強くなって……今なら彼のあの程度の言霊使いじゃ、だから、取りに来ないとダメでしょ……?)
外部の声が聞こえない。内部の声が自分を惑わす。天上の声はコトハが壊れたと見て溜息を一つ吐くと自らが消し飛ばしたその敵の首をこの場に呼び戻す。
『確か、これが負の原神を動かしたとかいう戯けだと言っていたな……【言霊の姫】がここにいること、本人の自白からして真実か。首謀者さえ消してしまえば問題はない。これを手土産に戻るとするか……』
(あんなの、どうせ偽物よ……)
虚ろな目ながら、今見たい対象がこの場に出て来たことでコトハに外部を気にする余裕が生まれる。ただ、それは彼女の期待に応える結果ではない。
「嘘よ……」
【言霊】の能力が、事実を突きつけてくる。あの頭は紛れもなく相川の物であると。コトハは、理解を拒否する。そんなコトハの有様を見て女神は気の毒そうな顔をして告げた。
『時が貴女を癒すだろう。だから、自暴自棄にだけはならないでほしい。そうなれば、次は貴女を消さなくてはならなくなる……』
「…………好きにすればいいわ……」
『貴女は強く、賢い方だと信じている。何もしていない貴女にそんな酷い真似は出来ない。』
どの口がそんなことを言うのか。コトハは女神を睨みつけるも彼女は大して敵意を見せることなくそれどころか慈母の表情で慰めた。
『どうか、あんな酷い男のことは忘れて自愛してくれ。申し訳ないが私はこれから式典があるため急いでいるんだ。……それが終わったらこの場に一度だけ戻る。貴女が私に何か用があるのなら、ここに残っていてほしい。では。』
一方的に用件を告げた女神はそう言って相川の頭を持ってこの場から消える。この場から完全に誰もいなくなったのを感じ取ったコトハは、声を上げて泣いた。




