遅い
負の原神、ドエスノとの戦闘が終了して1週間が経過した夜。
相川はようやく意識が戻り……そのまま目を覚まさずに死ぬべきだと考えた。いや、死にたい。死ぬべきでもあるがそれよりも死にたくて仕方がない。記憶は……若干曖昧だが、己が仕出かしたことは朧気な記憶でもなかったことにしたい。
(……ダメだろこれ。生命的に生きていても存在的に死んでるよ。ダメだろこれ。)
【全ての欲を取り込む】という無茶な能力に【あらゆる願望を操作する】という壊れた能力。例えそれが相川の肉体から来る本質の能力であったとしてもそれらを何の準備もなく、殆ど死にかけの状態で使い過ぎたせいで自分の領域が侵され、自我が拡散し、過去の自分が何を考えていたのかということも薄れている相川。色々言い訳は付くが、それでもやらかしたことはダメだ。このまま目を覚まさずに死に行きたい……そう思い、意識を再び沈める。
ただ、相川が何を考えていても相川の応急手当のような何かによって死こそ免れたものの自身の躰もボロボロで死にかけていたのにもかかわらずこの1週間ずっと看病していた彼女は誤魔化せなかった。
「……起きたぁ……っ! あっ、でも……大丈夫? ……じゃないよね……目も開けられない位に疲れてるの……? 何か考えて……?」
(瑠璃か……あー無理。)
目を開けずとも、その甘く人の脳を蕩かすような声でわかる。ついでに匂い、彼女の持つ熱も至近距離にあり、そこに彼女がいるとありありと訴えかけていた。そんな彼女は相川の顔を覗き込んでいるようで髪の毛が顔に触れていた。
「……起きるの迷ってるだけなの?」
優しい声音。聞くだけで男の本能を揺さぶるかのような美声。無駄に本能に働きかけてくるその声は相川が思い出したくなかった記憶を呼び覚まし、絶望に追いやる。
(いいや。このまま死のう……)
「それはダメ。そんなことしようとするならボク、何するかわかんないよ……?」
人前で多大な恥辱を味わわせ、挙句セクハラ三昧までした張本人であるというのに瑠璃は気にしていないどころか気遣い、心配している。瑠璃は本当にいいやつだな……そう思い、ふと相川は気付いた。
(何故思考との会話が成り立っているのか……一応、精神介入を防ぐために思考を読めないようにしてあるはずだが……こいつの精神感応能力は負の原神を超えてるとでも……?)
「仁とボクの仲だから出来てるだけ。ボク、寧ろ他の人の考えとか読み取れないよ? というよりさ、いい加減起きて? 大丈夫なんだよね?」
瑠璃の弁には色々言いたいことはあったが、相川の状態は大丈夫ではない。しかし、無理すれば起きられる範囲でありこの程度の無理であれば日常茶飯事のレベルでもある。相川は起きるか起きないか少し考えた後にまず体が動くかどうかを確認することにした。
(……ふむ。まぁ、動きはするな……痛いけど。久し振りに痛いっていう痛みだなぁ……)
「痛いなら無理しないで?」
ナチュラルに相川の思考と会話する瑠璃。至近距離にいるのに手足の微妙な動きすらをも察知し、相川が何をしようとしているのか理解すると少しだけ離れて見守る。そんな中で相川も動くことを決めた。
「ぁ、んっんん……ふー……無理するなと言われると動きたくなるな。」
声も出ると分かったところで目を開き、上体を起こす相川。その姿を見て感極まった瑠璃は涙目になって目元を拭い、それでも止まらずに泣きじゃくり始めた。
「よかったよぉ……ぅぅ……」
「……んー……まぁ……ありがとう? そんなことよりそっちは大丈夫?」
「ボクより仁だよ……そんなことじゃないよ、無理しないでね? 痛いんでしょ? まだ寝てていいよ?」
(……まぁ普通なら下手に動き回らず金と権力だけ持ったまま一生寝て養分となれこのゴミとか思ってるんだろうな。とか考えるところだが、流石にあれだけ頑張ってくれた瑠璃……何か恥ずかしいなこれ。)
今回の戦闘は今すぐ憤死したいくらいに気に入らない自分の状態だけではなく瑠璃の覚悟も見てしまったという非常に見たくないものを幾つも見た。心配する瑠璃の姿を見てその記憶を呼び覚ました相川はそのまま無言になる。
「……? どうしたの?」
「いや、色々……んー、今から死ぬほど自意識過剰かもしれないこと訊くけどいい?」
「え? うん。何?」
一応、予防線を張っておく相川。目を覚ます少し前まで致命的な黒歴史をやっていたため、あまり精神状態が良くないのだ。ついでに多分に笑い話で済ませてほしいという願望と、仮にこの話題が進んだとしてもこの入りなんだからある程度察して引いてほしいという希望が入っている。
「……瑠璃ってさ、本気なわけ?」
「何が?」
「……言い方が悪かったか。瑠璃、前から俺のこと好きって言ってるよね? それは今でも本気で言ってるわけ?」
「勿論だけど……?」
何を至極当たり前のことを訊いているんだろうかこの人は。わざわざ相川が精神状態を読もうとせずともそんな感情がありありと読み取れる答え方とやっぱり怪我が酷いのだろうかという思わしげな視線。事ここに及んで相川は気付いた。
(……えぇ……こいつ、本気でそう思ってたわけ……?)
遅い。遅過ぎる。
「それは、友人的な感覚を超えてるか……?」
「そうに決まってるけど……あっ!」
相川の質問に瑠璃はあることを思い出し、気付いた。戦闘中、相川が変なことになってヤリたいと言っていた時に瑠璃は後でならいつでもいいと答えた件だ。これの確認のために、テンションが下がった今の相川は質問しているのではないかと判断した瑠璃は心配していた状態から安堵に移っていた思考を一気に沸騰させる。
「も、勿論! 世界で一人だけのボクの旦那さんになってほしいと思って、好きで、その……」
言いたいことはいっぱいある。色んなシミュレーションをしたはずだ。なのに、どうして言葉が上手く出てこないのだろうか。いや、こんな時のシミュレートもした。こういう時は、言葉より行動で表すべきなのだ。
目の前の相川はまだ混乱しているようで……何で混乱しているのか分からないが、一先ず拒絶する気はなさそうだ。ならば、瑠璃が取る行動は……
「痛ったぁ……何?」
「あっ、ごめん! ……その、違うの!」
相川に抱き着き、心音を聞いてもらうという名目で胸を当て、後は流れで……そう思った瑠璃の第一歩でそれは失敗した。しかし、それはそうとこんな状態でシテも大丈夫なのだろうか。襲い掛かりたい衝動を殺して優しく抱き着いたはずなのに痛がっていては……
「瑠璃?」
「あ……」
二人の距離が、近い。言葉で示せない現状を打破するために取った行動。今までは無意識でも嬉しい以外の感情を持たなかったこの距離。それが、緊張する。
(どうしよ……本当に、このまま……)
普段は警戒心を露に一定の距離を保っていた相川と突然の接近によってもたらされた長き静寂。心地よさにこのまま身を委ね全てを任せたいという想いが瑠璃を包み、支配する。
互いの熱が感じられるその距離で瑠璃は相川の状態を気遣い、止めた方がいいのではないかと思いながら……しかしその状態でも求められているということに隠し切れない悦びを覚える瑠璃。彼女は無言で相川を潤んだ瞳で見上げ、そして縋るような表情で――――
「疲れてるなら寝ろよ。【ウラガイホーマ】」
「ぁ、ちが……」
全部ぶち壊されて強制的に眠らされた。




