一先ず実験
動き始めたと言って全く動いていなかった……
「ということで、取り敢えず言霊の範囲についてから調べてみたいと思います。」
コトハは突然現れた男の言う通りに実験室と称する場所に移動し、彼の提案に従うと言う意味を示すために頷いた。言葉にしないのは提案に従うというを言葉に出した場合に、好き勝手される可能性があり、また自身の言霊で止められるとしても気分がいいものではないからだ。
しかし、この部屋に入ってからどうも感情が揺れる。相川の方を見るとこの部屋はどうやら感情を増幅させる効果が働いているらしい。それでも相川が襲ってこないのを見るとやはり相川はそれなりの能力者なのだろう。そんなことを考えていると相川が準備を終えたようで何かを呼び出した。
「じゃあまずは言葉が通じない奴。」
「RKんfgdのwcんvm!」
笑顔で突然現れた男、相川が呼び出したのは謎のスーツに身を包んだ熊だった。しかし、コトハはそんな奇妙な外見は意に介さずに優雅に一礼する。
「こんにちは。」
「あぎゅ、ごあんご、がにらえ……」
「……ほう。」
熊の発声が言語になっていく様子を興味深そうにメモしていく相川。目は様々な色に染まったり文様が浮かんだりしながら目まぐるしく状態を変えている。
「好き、だ! 交尾させろ!」
「嫌よ、目の前から消えて。」
そして向かい合うこと数秒でコトハの魅力に当てられたスーツ姿の熊は理性を崩壊させ裸一貫にネクタイの紳士服の状態になってコトハに襲い掛かり、別の空間へと飛ばされることになる。その一連の流れをくだらなさそうに見送った後、コトハは相川の方を見下すように見た。
「……それで?」
「次は意思疎通が難しい奴。」
「はーい! 今日はアブラゼミとクリーム玄米しよう!」
コトハの言葉と視線を無視して相川がそう言うと次に現れたのはスーツ姿の好青年だ。彼は実に爽やかな笑顔とともに挨拶と思われる何かを吐いた。
「こんにちは……」
「狂乱のネギ!」
「……頭は大丈夫なのかしら?」
「裸・カンパネルラ!」
優雅に一礼してくる青年。背筋も伸びており綺麗なお辞儀なのだが言動不一致の極致ともとれる彼を前に少々扱いに困ったコトハは相川の方を少し盗み見て目が合う。
「どうした?」
「……これで何が分かるのか、疑問に思っただけよ。」
「そんなんだからいつまで経ってもピーナッツはカリフォルニアに巻き込まれるんだよ!」
相川への問いは目の前の青年に遮られた。お嬢様は自らの話を遮られたことが気に入らなかったようで多少嫌悪感を露にしながら彼に命じる。
「……普通に喋りなさい。」
瞬間、相川は肌で強烈な言霊の力が発動するのを感じた。しかし、それはあまりに短い時間での出来事であり、相川がそれを認識した時には術式の作動は終了してしまっている。
「ドルフィンがペンギンを蒸して返り討ちに遭った……?」
(……本人が言霊として意識していないレベルでは矯正不可、と。ただ若干の指向性を与えることには成功してるな……)
負の存在のノリでしかわからないレベルだが、「君は僕に今何かした……?」ともとれるニュアンスの言葉に強制された彼を見て相川は頷きつつその状態を記録する。対するコトハはこの程度の強制ではお気に召さなかったようだ。
「……私にもわかる言語を普通に喋りなさい。」
「奈良漬こそが至高のシャンプーだというのか……」
このやり取りを見て相川はコトハの意識しない言霊に関しては文字通りの意味しか強烈な力は及ぼすことが出来ないということを仮説として得ておく。
「【私が理解できる内容の言葉を、私にわかる文脈で話しなさい】」
「Yes, Mom!」
「……よろしい。」
しかし、そのそのまま続けようとしていた実験もすぐにコトハの能力によって取りやめにされた。どうやら余程気に入らなかったらしい。それはそれとして、相川は内心で言語矯正の手腕に舌を巻いておく。
「凄いね。こいつの言語を矯正するとは……」
「……寧ろあなたがどうやってこれとコミュニケーションを取っていたのか知りたいのだけど?」
「そこはまぁ……負の存在のノリかな。」
「……伝えようという意思がないのにどうやって……」
相川が驚いている以上にコトハの方は相川に呆れているようだった。だが相川にとってはそんな事など慣れているし理解してもらおうとも思っていないどうでもいいことなので捨て置く。
「じゃあ……」
「待ちなさい。」
「あん?」
そして次に移ろうとした相川をコトハは止める。既に意識下では行動に移していた相川だがコトハの言霊の力によってそれは遮られており、術式が動かないため相川もコトハの方を見る。
「今、あなたは何で止められたのか疑問に思ってるみたいね。でも、私の方も今やっていることの理由が分からないからあなたを止めたの。説明をしてちょうだい。」
「あー……今やってることはサンプル採取だな。君の能力の方向性と法則性、そして強度と濃度何かを図ってる状態だねぇ。」
コトハの望み通りではなく、自らの意思で説明しているということを示すためにわざわざ言霊の力を喰い散らかす相川。それを見てコトハの方にも僅かながら対抗心が芽生えた。
(……この能力に面倒な目に遭わされてるとはいえ、通じなかったら通じなかったでイラつくわね……)
自身の能力に絶対的な自信を持っていたコトハは相川がやった所業にわずかながら心を動かされた。その感情の揺らぎを相川が悟って記憶しておく。
「じゃ、理由を話したところで次に行こうか。次はそもそも言語能力がない相手。」
現れたのは精神体のみを持つ存在。言葉ではなく感情での意思疎通を行うそれを呼んだ相川はそれにコトハとのコミュニケーションを図らせる。
「……頭の中に直接語り掛けないで。」
「失礼しました……」
「ふむ? こっちの方が早いか……」
音声化するどころか感情を言語にする能力を持っていなかったそれは一瞬の内に矯正させられた。一連の流れを見て相川は蒟蒻を煮込みながらメモを取る。
「……何してるのよ。」
「さっきも説明しただろうに……」
「さっきはそんな醤油の匂いがするもの作ってなかったでしょう? それ、何に使うのか教えなさい。」
「食べる。それ以外に何がある?」
コトハは相川の周辺に浮いている言霊に、熱々の蒟蒻を口の中にねじ込んで喋れなくしたら言霊ってどうなるんだろうという趣旨の言霊があることを睨みつつその問いに答えるかのように無言で形の良い指でそれを指して少し操作した後に相川の中に入れる。
「ほぉ、いちいち命じなくても指示できるわけか……あ、この程度の温度じゃ俺に熱いと思わせることすら出来ないから。残念だったね?」
「……別に?」
蒸気だけで火傷しそうな温度のままの蒟蒻が相川の口の中に入ったが相川はピリ辛にしたかったんだけどな。程度の文句しか言わずに普通に食べた。
その後、しばらく実験に付き合った後に相川は自身のデバイスにコトハに関するデータが送られてきたのを見て実験を一度終了することにする。そして続きはまた後でとコトハを連れて新たな実験室と豪華な部屋を生み出すとそこに入るように言って自身は外に出た。
「さぁて……こりゃ、色々面倒なことになってるなぁ……」
そして相川はコトハを取り巻く環境に対する感想を漏らし、邪悪な笑みを浮かべた後に何をするか数瞬だけ考えて早速行動に移った。