ブタは飼い慣らして処分する
だが目の前で繰り広げられる展開は、彼らの想像のはるかに上にあった。
「何故だ、何故貴様が?」
リングの中央、そそりたつ大具足虫。
はーはーと息急き切り、制服の上着に収まりきらず緩んだ腹をゆらゆらと揺さぶる。
そこにいつもの大胆不敵な様子はない。大きな身体がやけに小さく見える。
その様子は血に飢えた獣というより、処分寸前の家畜といったところ。
「残念だったな、オオウンコもらし」
その視線の先には対戦相手の姿があった。
威圧するような鋭い眼光の持ち主。上半身は裸で、その上から制服の詰め襟を羽織っている。手にはぐるぐるとバンテージを巻いていて、血が染み込んで真っ赤に染まっている。
続く争いの激しさを演出するように、短髪にして逆立てた髪の毛から、もうもうと湯気が立ち昇っていた。
「誰がオオウンコもらしだ、かっちゃん。貴様はおらの傘下に入った筈だろ」
困惑したような大具足虫の声。
目の前の対戦相手、かっちゃんは、大具足虫グループの傘下に吸収していた筈だ。
別の中学出身なのだが、大具足虫の強さに感服して、自ら舎弟を従えて大具足虫グループに下った。つまりは手下だと思っていた。
「これは遊びじゃなかったのか?」
だらだらと血の混じった汗を滴らせて、辺りを見回す。
そこには彼が引き連れてきた、大具足虫グループ三十人程の姿がある。今年の一年生の中では最大規模を誇る。
しかしそこにいつもの、王者の風格は微塵も感じられない。
何故ならその実力を示す五人の幹部が、全て叩き潰されていたからだ。
「もちろん遊びさ、遊びでそいつらねじ伏せた。てめーのお気に召さなかったか?」
鼻頭を弾き、意気揚々と言い放つかっちゃん。
五人の幹部を仕留めたのは全て彼の所業だ。遊びと称してリングに引きずり出し、その全てを拳で叩きのめした。
「貴様はおらを裏切るつもりなのか! おら許さんぞ!」
狙いを定めて突進を図る大具足虫。
彼の必殺技は相撲でならした突っ張り。いわゆる"テッポウ"といわれる一撃必殺の荒業。その威力は重戦車の如く、この技で幾多の相手を病院送りにしてきた。
「あめーんだよ」
かっちゃんは両手を手前にかざし、小刻みなステップを繰り出す。
「裏切った訳じゃねー! 最初からてめーの傘下なんざに下っちゃいねーんだよ!」
身を低くしてその懐に飛び込む。
抉るようなブローをそのわき腹に叩き入れた。
「ぐほっ!」
堪らず腰を折る大具足虫。よたよたとリングの反対側に後ずさる。
「最初から、てめーの強さは知ってたさ。俺よかは数段弱いってな。だからあえて処分しなかっただけだ」
右の拳で頬を拭うかっちゃん。
「てめーを処分するには、最高の舞台を用意しようと思ってな、だからてめーを飼い慣らしていた」
バンテージに染み込んだ血がその頬を赤く染め抜く。
「処分って……飼い慣らしてたって……」
その台詞に見えざる恐怖を覚える大具足虫。
確かにかっちゃんの実力は、中学当時から知っていた。市内の覇権を握る為には、立ちはだかるであろう手強い相手だと認識していた。敗北するかも知れないとも認識していた。
だがそれは杞憂に終わった。
かっちゃんの方から傘下に下ると提案してきたから。そのグループを吸収合併すれば、彼らの勢力は益々大きくなる。市内制覇を目論んで、堂々とオーク学園に乗り込める。
少なくとも今までは、そう思っていた。
「それがお前らのやり方か?」
タラコ状の唇から唾液を滴らせて、ガクガクと震えかっちゃんを見据える。
「たりめーだろ、誰がてめーみたいな奴、好き好んで飼育すんだよ! この晴れの舞台で、俺の名をアピールするために飼い慣らしてたんだよ!」
パイプ椅子を利用して大きく飛び上がるかっちゃん。
大具足虫忠太の首は、ここに集う一年生はおろか、他の面々も欲しいところ。それを倒せば己の名を強烈にアピールすることができる。
それが晴れのめでたき日ならば尚更てきめんだ。
「ブタは大きく太らせて、それから処分するのが鉄則だろ? いわばここは、てめーの"屠殺処分場"なんだよ!」
かっちゃんの放つ飛び蹴りが、大具足虫の首筋を捉える。
場に響き渡る大歓声。激しく鳴り響くかっちゃんコール。
彼の蹴りは、大具足虫の脳髄を激しく揺らしていた。
白目を剥いて口から泡を吹き、両腕をだらりと垂らして、仰向けに倒れ込む。体育館内を地響きにも似た衝撃波が貫いた。
『くせぇな、誰か医務室に』『それより替えのパンツ、またウンコもらしたぞ』そして響き渡る、大具足虫グループの悲鳴にも似た叫び。強烈な異臭が辺りに漂い出した。
「すげーな、オオウンコもらしの異名は伊達じゃない」
鼻をつまみ、呆然とその様子を眺める永瀬。
「そうじゃなくて、驚くべきは、大友のかっちゃんだろ、まさにその強さは特Aレベル」
相沢が愕然と呟いた。大具足虫こと、オオウンコもらしはAレベル。普通の学校ならば、確実に覇権を奪える実力を示している。戦国時代なら一国一城の主といったところ。
しかしかっちゃんの格付けは特Aレベル。それは幾多の学校を仕切れる実力をも示す。戦国時代なら、他国への侵略も可能な有力大名クラス。
つまり大具足虫よりかっちゃんの方が数段格上になる。
その点でも、名簿格付けは的確だった。ジャイアントキリングなどではなく、こうなることを暗に示していた。