守護天使
「しかしルカのクソ野郎、どんな出方する気なのか」
気だるそうに髪を掻き上げ、窓の外を眺めるシュウ。
「だけど彼、北斗センセーを殴って、一週間の停学になったよ」
「なんだって、セクハラケンシロウをか?」
しかしその真優の台詞が愕然とさせた。
「ケンシロウが『なんだこの短いスカートは? 男を惑わすつもりか』とかって新入生の女の子に絡んだらしいよ。だから鳴神くんが殴ったんだって、『か弱きレディーに不埒な真似を』ってね」
今度は太助が言った。
「因果応報だよ、今まで散々、教師の立場を利用して、悪さしてきたんだから。本来なら処分を受けるべきは、あいつなんだから」
「おいらもそう思う。あのセンセー、男子でも気に入らないと殴るしね」
「それも相手次第だよね。強い生徒は無視するから」
二人の会話は弾む一方。
「マリアちゃんもそう思うだろ?」
「私は直接の被害は、うけたことはないですから」
「それは"倶楽部"の面々がいるからだよ。マリアちゃんに手出ししたら、彼らが黙ってないから」
こうしてマリアをも巻き込んで、盛り上がりを見せる。
ケンシロウは、他の生徒からも嫌われていたのは事実だ。女生徒には、おさわり行為や卑猥な台詞を投げ掛ける、といったセクハラ攻撃を繰り出すのだが、男相手となると有無も言わさず暴力をふるう。そんな傲慢な教師だからだ。
「たかだかケンシロウだべ。そんなもん叩き潰しても、自慢にもなんねーべよ」
それでもシュウは覚めた態度だ。
気にすることなくスパゲティーをズルズルと食らい始める。
「ふうーん、だったら私達が、北斗センセーにセクハラされてたら、シュウが助けてくれるのかな?」
「冗談、そんな面倒なこと誰がすっかよ」
シュウは面倒事が大嫌いだ。
ただ存在するだけで、トラブルに巻き込まれるのに、自らそれに歩み寄る必要はない。
そしてそれと同じくらい、女も大嫌いだった。それは彼の生まれ持った宿命に端を発すること。
詳しく言えないが、女がらみのトラブルこそが、この世で一番最悪だと痛感していた。
『愛だ恋だと、現を抜かすのは、腐った男の所業だべ? 愛は男を惑わし、恋は男を束縛する。そんなモンに関わったら、戦士としちゃ致命的だ。このくだらない人間界が、さらに最悪な世界になっちまう』
大きい声では言えないが、それが彼の持論。
「それにケンシロウだって、おめーにはセクハラしねー」
「……ある意味それもセクハラだから」
真優の覚めた視線が痛い。
「マリアちゃんがセクハラされたら、マジで殺しそうなのにね」
「……はぁ?」
そして言葉に詰まる。
確かにその通りだ。
シュウはマリアの危機を、幾度となく解決したことがある。
数ヵ月前に一弥と二人で殴り込んだ、アルタイル襲撃事件も、彼女を助けるために仕出かしたこと。そのことはこの場の誰もが周知の事実。
そこまで訊けば、シュウが彼女に気があるのでは? と疑いたくもなるが、シュウはそれを全否定する。
『あれは金の為であって、マリアを助ける為に動いたんじゃねー。つまり傭兵みたいなもんだ』
そうせざる得ない事情があった。守秘義務があるから、詳しくは言わなかっただけだ。とはいえそれも、シュウの言い訳に過ぎない。
「だけどあれで、鳴神くんも一気に有名人になったよね。あんなにカッコ良いいのに、喧嘩も強い。女の子を守るために、悪党を退治するなんて、まるで映画の中のヒーローだもん」
「それは言えてるよね。彼の周りは女の子ばっかりだったし、新入生からも絶賛だったものね。『まるで白馬に乗った騎士みたい』とか『ルカ様』なんて呼んでいた子もいたぐらい。野蛮なシュウ達とは大違い」
「シュウさんは野蛮ではないですよ。誤解されやすい性格で、素材そのものが生かされているだけです」
「あはは、素材が良くても、味付けがダメじゃね」
戸惑うシュウだが、話題は既にケンシロウにはなかった。ルカの話題で盛り上がっている。
その会話通り、ルカの知名度は一気に跳ね上がっていた。
特に女達の多くはその魅力に取り付かれつつあった。学園に巣食う暴力教師を退治した腕っぷしと、入学式での神がかった幻想的な姿が、それを可能にしていた。
荒廃した世界に、神々しく舞い降りて、正義の秩序の下に、颯爽と悪魔を退治する守護天使、それにも似た尊敬の念がそこにはあった。
「誰が野蛮だ」
その様子にボソリと呟くシュウ。
フォークを皿に置いて、コーラのストローに口をつける。喧嘩の後の乾いた喉に、炭酸の刺激が染み渡る。
その視線が捉えるのは、笑顔で会話する三人の姿。いつも通りの見飽きたとさえ感じる光景、どこにでもありそうなごく普通の光景だ。しかしだからこそ、感じるものもある。
「野蛮な騎士だっているだろうよ」
同じく一弥も呟く。コーヒーをひと口啜り、窓の外に視線を向ける。
コーヒーカップを介して暖かい感触が伝わり、安らぎの感情を与えてくれる。
多くを語らずとも、彼は知っている。
面倒なことが嫌いで、女嫌いなシュウだが、その奥底に秘めた志では誰にも負けないものがあると。
今回のナイトオペラ襲撃の真相も、実はそこにあるのだろうと。
少なくとも一弥はそう思っている。『この笑顔が永遠であるように。けして破られないように』そんな思いを秘めていたから。
「それで、あいつはいったい何者で、どんな関係なんだよ? 鳴神だからルカなのか。……悪夢ってなんだよ?」
やがて腕を組んで訊ねた。
人気を博す転校生には興味はなかった。興味があるのは、その転校生とシュウの関係だけだ。
シュウがぴくりと身動きを止めた、その表情が真顔を帯びる。
他の三人もそれには興味があるようだ、全ての視線が注がれる。
「まぁ、ルカってのが、奴の呼び名なのは違いない。俺様とは、昔から因縁がある奴なんだ。……ムカつくんだよ、あのすかした態度が。自分の地位を利用してハッタリかます、中身はスカスカのくせして、女に現を抜かす。そんな馬鹿でナルシストで自己チューなとこが大嫌いなんだ、だからいつでも喧嘩になった。見るだけで身の毛がよだつ、それが悪夢って意味さ」
シュウの答えは大雑把で掴み所のないものだ。
それでも過去を思い出すような神妙さが窺える。そこに嘘偽りはないだろう。
「そうか。了解した」
こくりと頷く一弥、それ以上訊ねることはしなかった。
人にとって運命とか宿命とは特別なものだ。それが良いことであれ悪いことであれ、それぞれに思惑を秘めている。それを深く追求するのは無粋だと感じた。
「マリアちゃんも、あの彼を知っているって言ってたよね?」
今度は真優がマリアに訊ねた。
「知っていると言っても、知り合いという程ではないですよ」
慌てて答えるマリア。
場の視線が彼女に注がれる。
「私の父と交流があるのです。あの方の実家、鳴神グループは、父の経営する会社と様々な取引をしているから」
マリアの父親は、ミカドグループという財閥系大企業の社長だ。
銀行業から商事業、鉄工業から建築業まで扱う大企業。日本全国を、そのグループが牽引している、日本国そのものといっても過言ではないだろう。
「鳴神グループの話題なら、おいらも訊いたよ。センセー達の話じゃ、その権力を使って急遽このガッコーに転校してきたんだって」
「あたしもそれ訊いた。今日の騒ぎだって、北斗センセーが『退学にしろ』って息巻いていたのに、結局一週間の停学で済んだしね」
ガヤガヤと言い放つ太助と真優。
ルカの父親も複数の会社を経営していた。
鳴神財団、という東日本では知らぬ者のいない大企業。
今回ルカが転入の手続きをしたのは、一週間前のこと。それ故教師達も困惑したらしい。
それでも円滑に進め、処分を最小なものにしたのも、その特権を用いたことは察しがつく。それはつまり裏金、それだけオーク学園経営陣は賄賂に弱い……
「けっ、それだけの裏工作をするなんて、飛んでもねー経歴を"乗っ取った"って訳だ。ムカつくけど、あのクソ野郎らしいイカれた経歴だ」
それを察して呆れたように喉を鳴らすシュウ。
彼の中にあるルカのビジョンは、ナルシストで自己チューでワガママで、ムダに贅沢三昧なブルジョアの姿、つまり金持ちのボンボンだ。
庶民の底辺に属するシュウが言うことではないが、ルカにはそれがお似合いだと思った。
「確かにイカれてるな。あの財団そのものが、戦後裏社会を影から操ってきた一族だから」
その一弥の台詞も事実だ。
鳴神財団自体、ある意味それで名を馳せている。
「とにかくやろーには気を付けろよ。ああ見えてかなりドスケベだ、その意味じゃケンシロウなんかカワイイもんだ。気にいらない男には鉄拳制裁、女なんか軽く弄んでハイさようなら。下手すればソープに売られかねない」
シュウの毒舌は止まらない。
真偽のほどは知らないが、淡々とルカの悪口を吐き続ける。
一方でその台詞を、女達は戸惑いと共に聞き入っている。
マリアに至っては目をパチパチとしばかせ、紅潮して視線を向けている。
その様子には流石のシュウも、言い過ぎたと感じる。
「……まっ、少しばかり大袈裟だったな。一応あのクソも、女の前では紳士だから」
同じく紅潮して投げ掛ける。
勢いに任せて馬鹿げたキーワードを口走ったなと、少しばかり反省した。
「そうですよね。そんな風には見えなかったから」
ほっと胸を撫で下ろすマリア。
「あの方とお会いしたのは初めてですが、何故か、懐かしい匂いを感じたから」
その台詞がなにを意味するのかは理解出来ない。多分マリア自身が理解してなかっただろう。
それでもその表情はどこか懐かしそうなもの。現実も時間をも超越した、崇高なる思いが感じ取れた。
そしてそれが、シュウの戸惑いを押し上げていたのも事実。女嫌いという、彼の持論が崩れつつあるのを感じていた。
もちろんそれは、恋愛という感情を、受け入れたから、思った気持ちではない。それこそが女の持つ魔力だと実感していた。
か弱い生き物を演じて、男を惑わし、いざとなると男以上の逞しさを見せる。それが女が持つ魔力、つまり種も仕掛けもあるマジック。
その考えを裏付けるように、マリアは多くの生徒を魅了している。
学園内にはマリアファン倶楽部なるものまで存在していた。
倶楽部といっても、部活動のようなクラブ活動している訳ではない。ただ存在するだけ。マリアを影から応援して、高みに押し上げようとする馬鹿げた集団だ。
その規模は学園でも最大を誇る。下手なヤンキーさえも恐れる存在だ。
シュウはそれに目をつけられていた。
その理由は、マリアと少しだけ仲がいいから。何故か倶楽部の面々はそう感じている。
シュウに言わせれば、完全なる逆恨みだ。だからこれ以上マリアと仲良くなって、見当違いに恨まれるのはゴメンだと思っていた。
しかもそんなシュウの思惑など、学園内では無きにも等しいだろう。
何故ならファン倶楽部の面々は、『シュウ憎し。卑猥な手段でマリア様を貶めた』の感情で一致団結していたから。
まさに聖戦前夜、そんな空気が支配していたから。
この世界からすれば、個人の思惑など、一粒の水滴に過ぎない。
大河に滴り落ちて太洋に流れ着けば、一様に同じだから。
所詮、人の意思など、なんの意味も持たないのだから。




