修羅ふたり
エピソード 黒瀬修司
港から汽笛の音が響き渡る。黄砂の影響で霞む空、穏やかに吹き込む風が気持ちいい。
街並みは穏やかだ。水墨画のように霞む高層ビル群、咲き誇る薄紅色の桜が目にも鮮やか。
始まりの四月、通りを行き交うのは真新しい制服やスーツ。誰もが新しい出会いと輝ける未来に心踊らせている。
国道線も一時期の酷いラッシュはなりを潜めていた。
交差点の一番手前で信号待ちしているのは、ピカピカのアウディ。その運転手が着込むのは真新しいスーツ。これから入社式に臨む新入社員らしい。
「ママ、この車やっぱりいいよ。帰ったらお礼のハグしなきゃ」
この車は最愛なるママに買ってもらったようだ。
おそらく金持ちのボンボン、しかもマザコン。これから起こる様々な出来事より、ママへのハグが恋しいのだろう。
街中に甲高い排気音が響き渡る。現れたのは一台のバイク、古めかしい赤いカワサキ750RS。アウディの横まで来ると並んで信号待ちする。
乗り込むのは二人の少年だった。着込む制服からして高校生らしい。
運転手は黒いフルフェイスを被る少年。風よけの下からのぞくのは、茶色い髪と澄んだ瞳。おそらくはヤンキーだろうが、どことなく上品さも兼ね備えている。
後方シートに乗り込むのは、銀色の半帽とゴーグルをつけた少年。何故か左手で鉄パイプを握り、肩に担いでいる。
バリバリと硬そうな黒髪だ。ゴーグル越しにも感じられる、威圧しそうな眼光の鋭さ。おそらくは下品な性格なのだろう。
「かったるいな」
気だるそうに担いだ鉄パイプを揺らす黒髪。その先っちょで、新車にキズでもつけそうな恐れがある。
「マジだぜまったく。運悪く魔の信号につかまっちまったな」
頷く茶髪。
その視線が捉えるのは途切れることなく続く車の群れ。ここはいつでも大渋滞の場所だ。あと数分間は、信号は変わらないだろう。
不意に黒髪の視線が、運転手に注がれた。
はっとなり視線をそらす。
ヤンキーは苦手だ、特にこの辺の連中にはろくな噂を聞かない。彼も少し前までこの辺の高校に通っていたから知っている。
だが黒髪は少しも動じない。アウディのウィンドウに映り込む自分を見て、飛び跳ねた後ろの癖毛を手で直している。
アウディは真っ黒なスモークが施されている、外からだと中の様子は見えないのだろう。
そう思ってため息をついた。
よく見れば間抜けなツラだ、誰も見てないと思って、ひとりで百面相している。
「シュウ」
だがその茶髪の声ではっとなる。
「ああ、ヤバイな」
そして振り返り言った。さっきまでと違う真剣な表情。
運転手も何事かとバックミラーに視線をやる。
かすかに響き渡るエキゾースト。ひしめく車の陰から一台のバイクが現れる。白いボディに黒のツートンカラー。
『こぞー共、今日こそお縄を頂戴しろ!』
スピーカー越しに響く甲高い叫び。神奈川県警 第一交通機動隊の白バイだった。
「交機のおっさんだ。行くぞ一弥!」
黒髪が言った。
「応よ、シュウ!」
同時に茶髪がスロットルを全開にする。巧みなバイク捌きだ。
白煙を挙げて、ウイリー状態に持ち上がった前輪を、体重を掛けて制御する。
エンジン性能を全て出しきって、なに食わぬ顔で走り去る。
後方の黒髪も余裕の笑み。余裕過ぎて掴んだ手を放して『グギャ』と路面に転げ落ちる。
『しっかりしろ、シュウ』『クソ馬鹿一弥、急に発進すんな』ぶつくさいいながらも、追っ手を掻い潜り疾駆していく。
「なんだったんだあの連中」
その後ろ姿を、愕然と眺める運転手。幸いなのは新車にキズを付けられなかったことか。
だがあの二人にとって問題はここからだ。
勇んで飛び出たはいいが、その眼前に広がるのは壁のように連なる車の群れ。
そのまま左折して、流れに乗る方法もあるだろう。だが二人にはその気はないようだ。ただ真っ直ぐを見て、そのままぶっ込んでいく。
「がはは、あの馬鹿共が」
白バイ隊員は、アウディの側まで辿り着いていた。
その下品な口調と、サングラスの下のひげ面には見覚えがある。工藤という自称交機のエース。
だがそれは嘘っぱちだと誰もが知っている。本当はただのスピード狂にして、取り締まりの亡者。
彼の母親が一時停止無視して、免許取り消しまで追い込まれたことを覚えている。
思うに交機のジョーカーといったところか。出会っただけで最悪だ。
あの二人もそれを知っているから必死に逃げているのだろう。
「嘘だろ……」
「死ぬぞ……」
そんな二人の視線に、信じられぬ光景が飛び込む。
交差する右側の車線から、大きな物体が飛んでくるのだ。それは大型ダンプ。縁石に乗り上げたように、前輪タイヤがバーストしている。
ブレーキを踏もうと、それは制御不能。真っ白い白煙と耳をつんざく響きと共に、その体躯を激しく揺さぶる。
「逃げろてめーら!」
工藤が叫ぶが、その勢いは衰えない。
数台の車を巻き込んで、少年達目掛けて襲い掛かる。その距離わずか数センチ。
「ふざけんな!」
怒号が響いた。
叫んだのは黒髪の少年。ダンプの後輪に右のキックをぶち込み、その態勢を整える。
あろうことか……いや偶然だろうが、ダンプの進行方向が変わった。
激しい金属音を撒き散らし、対向車線に突入して大破した。
それにより道は開ける。ダンプが対向車線に突っ込んだせいで、対向車の侵入を防いだからだ。
「ナイス、シュウ」
茶髪が言った。
バイクを低く踊らせて、残骸と化した車体の間をすり抜けていく。
「グギャ」
再度響く黒髪の悲鳴。その額に、飛散した何かがぶつかったようだ。
仰け反った頭をゆっくり戻す。
それから察するに、ぶつかったのは大したものではないようだ。
ぶつかった物体は、くるくると弧を描いて飛んでくる。アウディのフロントガラスを叩き壊し、助手席シートに突き刺さる。
それにはゾッとした。
先の尖った金属片だ。普通なら、こんなものが当たったら、大怪我は必至だ。
一方の工藤は茫然とした様子。
「流石は元ナイトオペラリーダー。及び魔王シュウ」
それでもその口元に浮かぶのは笑み。
「それ以上、てめーらの好きにはさせんぞ!」
白バイを疾駆させて、黄砂煙る街並みに消えていった。
戸惑いつつ、その様子を眺める運転手。
ナイトオペラという名には聞き覚えがあった。
この近辺を統べる武装チームだ。内部のリーダー争いで、熾烈な抗争を繰り広げているらしい。
一方の"魔王"という名称にも、聞き覚えがある。
確か悪のカリスマ、街一番の悪党だと聞いている。
とはいえ昔の話だ。いま現在は死んだとされているから。