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始まるセカイ chapter1  作者: 黒華
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 茉莉さんの回し蹴りが感染者の頭を刈る。窓に亀裂が入る程に叩き付けられた感染者は、窓から壁へと血を滴らせながらそのままの姿勢で動かなくなった。次の獲物に立ち向かい顎を的確に蹴り上げる。倒れたところに思い切りバットを振り下ろす。

 「大人しくしてくれ!」

 一度の打撃では足りず、二回、三回とバットで頭を潰す。持ち上げたバットから血が糸を引いた。

 ――潰れた人間の顔。俺が潰した人間の顔。

 「最後です」

 茉莉さんが最後の感染者を蹴り飛ばす。教室側の壁にしな垂れた感染者の頭部に、俺はバットをフルスイングした。うっすら汚れたベージュの壁に鮮やかな紅が映える。

 「さあ、皆さん中へ!」

 茉莉さんが家庭科室の扉に手をかける。がた、がた、と立て付けの悪くなったスライドドアが鳴る。

 「どうしたんすか、早く開けて下さいよ!」

 「完璧に失念していました。誰かが内側から鍵をかけたようです」

 優真の顔が見る見るうちに青ざめていく。

 「じゃあどうするんすか。瑠璃を休ませるって話はどうなるんすか! 危険な思いしてここまできたのに無責任でしょ!」

 茉莉さんを責め立てる。優真にそんなこと言う権利があるとは思えないが、確かに致命的な誤算ではある。

 数秒黙っていた茉莉さんが口を開く。あくまで穏やかに、ゆっくりと。

 「中にいるのが協力的な人間なら開けてくれるはずです。諦めずに呼びかけましょう」

 「そんな悠長なことしてるなら逃げた方がいい! 奴ら来てんだぞ!」

 階段を数体の感染者が登ってきていた。ここは諦めて逃げるべきなのか。全員の視線が茉莉さんへと向かう。

 「仕方ありませんね。ここは諦めて」

 ドアからガシャっと音がした。

 「まったくー、ドアを揺らしてるもんだから鍵がなかなか開けられなかったんだよー」

 そこに立っていた人物を押しのけて、俺たちは開いた教室に流れ込んだ。


 「君たちなんなのさー、人の話も聞かずに押しかけてさー」

 「申し訳ない。しかしすぐそこまで感染者が迫ってきていたので」

 小柄で小太りな男子は困った様子から、すぐに人の好さそうな笑顔で茉莉さんに手を差し出した。

 「困った時はお互い様だもんねー。あっしのことはマケトと呼んでくだされー」

 「僕のことは茉莉で構いません。マケト、というのは本名ですか?」

 「年に二回開催される同人誌の大規模販売会、コミックマーケット通称コミケ。それに欠かさず通ってるからそういうあだ名がついたのさ」

 ドアに椅子やら、なんらかの棒やらでバリケードを構築している男子が説明してくれた。

 「俺はチャンでいいぞ。由来はネットのコミュニティーみたいなものに入り浸っているからだ」

 バリケードが崩れないことを確認すると、度の強そうな眼鏡をかけたチャンは胸を張ってそう説明する。自慢するようなことなのか、とは突っ込まないでおく。

 俺達も各自自己紹介を終え一息つく。

 「でもあっし達以外に無事な人と合流できるなんて思ってもみなかったよー。しかも可愛い女の子までー」

 くるくる回って喜んでいるマケトは女性陣からの冷たい視線には気付いていないようだ。

 「あなた達のような協力的な生存者と出会えたのは嬉しい誤算でした。本当にありがとうございます」

 「そんなかしこまらないでくれよ、調子が狂うだろ。それにこんな状況なんだし当たり前だ」

 チャンが照れたように頭を掻く。

 「二人でここまできたの?」

 鶴飼が訊く。

 「異変に気付いたあとはオタク文化研究会のメンツで動いていたんだ。だが、ここまで辿り着いたのは俺とマケトの二人だけだった」

 「なんか、ごめんなさい」

 鶴飼が頭を下げる。しかしこの二人も三年生なのに鶴飼のタメ口はいいのか。

 「まあ、なんにせよ仲間が増えたのはいいことだ。それを喜ぼう」

 チャンが無理に明るく振る舞う。マケトも笑顔で頷いている。本当に良い奴らだな。

 あの、と鈴元が控えめに手を挙げた。

 「このいい匂いはなんなのでしょうか」

 「そうだったー、そうだったー」

 マケトがどすんどすんと飛び跳ね――多分スキップなのだろう――ながら調理台の鍋とフライパンに近づく。

 「味噌田楽だよー。この教室にあったもので作ってたのさー」

 俺達も調理台を囲む。

 「へー、材料あったんだ」

 「これ調理実習で豚汁作ったときに残った材料じゃないかな」

 女子二人が話す。

 「これ以外の食材はどのようなものがありましたか?」

 「いやー残念ながらあと残っているのは調味料くらいなんだよー」

 マケトがガックリと肩を落とす。

 「さすがにお肉とか生物は置いておけないよねー」

 「そうですね、ですがないよりは何倍もマシです。気温も大分下がってきましたから、温かい食べ物は有難い」

 「そうだねー、あっし特製の味噌田楽ご堪能あれー」

 マケトが全員分取り分けてくれる。味噌の甘く香ばしい匂いが食欲をそそる。

 「優真、瑠璃、お前たちも来いよ」

 椅子に座って寄り添っている二人に声をかける。

 「わりい、今は食欲ねえんだ」

 「んなこと言ってたら後でもたなくなるぞ」

 「俺たちのことは気にしないでくれ、頼む」

 二人は抱き合って目を瞑った。

 「なんなのあいつら、さっきから好き勝手ばっかりしてさ」

 鶴飼がこんにゃくに噛り付きながら愚痴る。確かにこんな状況とはいえ勝手過ぎるとは思う。お互いが大事なのは分かるが、それ以外のことが全く目に入っていないようだ。

 「リア充は爆発しろー」

 「やめろマケト、縁起でもない」

 腕を十字にクロスさせ光線でも出すかのようにして念じるマケト。その頭にチャンのチョップが入る。

 「瑠璃ちゃん大丈夫でしょうか? 体調が悪いみたいですけど」

 「あんな自分勝手は放っといていいのよ。どうせ、こんな危機的状況だけど二人の愛の力があればー、みたいなことかんがえてるんでしょ」

 田楽を食べ終えた鶴飼が机の上であぐらをかく。すかさずマケトの視線が向かうがそれより先にチャンのツッコミが入ったのは素晴らしいの一言だった。

 「あの二人はそっとしておきましょう。変に刺激するとかえって仲間割れの原因になりかねません」

 全員が頷く。

 「さて、小休止も挟んだことですし職員室に向かいましょう」

 茉莉さんの言葉にオタ研の二人が固まる。

 「なにを言ってるんだ、また外に行く気なのか」

 「そうだよー、外にはあいつらがいるんだよー」

 「僕達は元々屋上に向かう予定だったのです。そこで救助を待とうと考えていました。今日のところは一先ずここで過ごすことにしましたが、ですが屋上に出る為の鍵は確保しておかねばなりません」

 「そんな、危険すぎる。第一救助が来る保障なんてあるのか」

 「わかりません。しかし時間が経てば経つ程救助は見込めなくなるでしょう」

 久々の沈黙が訪れる。

 窓の外、空は相変わらず厚い雲に覆われていた。暗いはずの街は、しかしオレンジ色に照らされていた。沈みゆく夕日が照らしているのではない。街そのものが燃えているんだ。火災があちこちで起きているらしい。黒い雲は街の炎に焼かれたようだ。

 「そういえばチャン、さっきのスレはどうなったんだー?」

 ふと思い出したようにマケトが訊く。それを受けたチャンは小走りに黒板側の教室の隅に向かった。

 「スレ?」

 鈴元が首を傾げる。

 「不特定多数の人間が一つの事柄に対して意見を述べたり、意見交換したり、そしてそのやり取りを自由に閲覧出来たり、そういったネットでのコミュニティーのようなものだよー」

 マケトが説明してくれる。鈴元と鶴飼が感心したように頷いている。

 「これ見てくれよ!」

 チャンがノートパソコンを机の上に置きディスプレイを向けてくる。

 「え、エッチな写真が動いてます!」

 アダルトな広告に顔を真っ赤にする鈴元。そっちじゃねえよ、とはチャンが突っ込んでくれた。

 「こっちのやり取りを見てくれ」

 『ドアがガンガン叩かれてる。俺ももうおしまいだ』

 『連れがどんどん衰弱していってる! どうすればいいのか教えてくれ!』

 『こういう時は焦らずに慎重に行動するんだ。まずは武器を用意するんだ。できるだけリーチのある方がいいな』

 『知ったような口きいてんじゃねえよカス』

 『初代バイオプレイなう。おまえらもやろうぜ』

 そのやり取りの、いや、やり取りなんかにはなっていない記事は、まさに混迷を極めていた。大体が現実逃避の為にくだらないことを書き。それ以外は恐怖を訴えている。

 「こんなの見せてなんなのよ」

 鶴飼が怯えた鈴元を抱きしめる。

 「すまん、ここの会話だ」

 画面をスクロールさせてその会話が指さされる。

 『警察の友達と連絡がとれた。あいつの話だと学校の校庭とか屋上に救助隊が来るらしい』

 『それマジかよ』

 『どうせデマだろ』

 『信じる信じないはお前らの勝手だ。そういう奴らはあいつらに喰われて仲間になるか、餓死するかするんだな』

 その後もスレは続いていたが、IDを見る限りその情報をもたらした奴のコメントはそれが最後らしい。

 「これ、信じられるの?」

 鶴飼が不安気に言う。確かにネットの情報を鵜呑みにするのは危険な場合がある。疑ってかかった方がいいのは間違いない。

 「でも希望的な情報だろ。これが本当だったら俺たちはラッキーだ」

 チャンとマケトがハイタッチを交わす。

 「僕の推測とも被っていますね。なんにせよ、学校外の状況がわからない以上ここで救助を待つのが得策でしょう」

 矢の代わりになる鉄串を集めてきた茉莉さんが弓を握る。

 「校庭で救助を待つのは無謀過ぎますから、やはり屋上でしょうね」

 俺は頷いて立てかけておいたバットを握った。

 「さすがに救助隊もここまで来てはくれないかー」

 マケトが溜息交じりにそう言う。

 「警察や消防、自衛隊がどのように動いているか分かりませんからね。ネットで調べられないのですか?」

 「そういう情報は全然ダメだ」

 「ダメ、とは」

 「検索にすらヒットしないんだよ。代わりに出てくるのは街の様子の画像とか奴らのグロ画像。あとはわけわからん宗教のサイトだ」

 世界が混乱している。これじゃ情報ツールも役に立たない。

 「仕方がありません。僕達は僕達なりに考え生き抜きましょう。まずは屋上への鍵を入手することです」

 茉莉さんがドアに近づく。

 「待ってくれ、俺も行く」

 チャンが立ち上がる。その細い腕は振るえているようだが。

 「戦力が多い事に越したことはありません。ですが、いいのですか? 分かっているのとは思いますが、危険ですよ」

 「わかってる。でも何もしないわけにはいかないだろ。ここで出会えた仲間なんだ。協力させてくれ」

 茉莉さんと視線が合う。俺は小さく頷いた。

 「わかりました。チャンさんにも協力してもらいましょう。なにか武器になるような物はありますか」

 「チャンこれを持ってってくれー」

 マケトが長い棒のような物を渡した。窓の近くに取り付けられていた落下防止の鉄パイプ。それを外してここにあった包丁を取り付けたものだ。

 「あいつらに近づかなくても済むだろー。あっしに感謝しろー」

 「マケト、ありがとう」

 「絶対に一緒に助かるんだからなー」

 「では、生きましょうか」

 マケトとチャンがバリケードをどかしていく。茉莉さんが念のために弓を構える。

 「桐谷、あんたもちゃんと帰ってきなさいよ」

 「言われなくてもそのつもりだ。他に行く当てもないしな」

 「気を付けて下さいね」

 「ああ、大丈夫だ。だから安心して田楽食べながら待っててくれ」

 鈴元、鶴飼と笑みを交わす。

 ――心配されるって、嬉しいな。

 「大丈夫っぽいよー」

 教室の外をマケトが確認する。

 廊下に出た俺たちの後ろで鍵のかかる音がした。

 廊下はさっきよりもずっと暗く、冷たくなっていた。

 

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