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突然空から美少女が舞い降りてきたり、気付くと見知らぬファンタジーの世界にいたり、はたまた偶然ロボットのパイロットになったり、そんなありえない世界を描いた作品は数多く存在する。様々なジャンルを、様々な媒体で、人の数ほどに表現されていく。妄想や理想、夢がこの世界には溢れている。だが、人はどうして妄想するのだろうか。俺が思うに、それは普遍的な日常という世界に生きているから、飽きてしまった結果なんだと思う。要するに刺激が欲しいわけだ。それに、現実では叶うはずのないことを、作品の中で叶える。そういう意味もあるんじゃないか。
――俺だったら普通にハーレムなラブコメを所望するな。
しかしだ、仮にその妄想と理想を詰め込んだ作品が現実になったとしたらどう思うだろう。その作者は、その作品の愛好者は、はたして喜ぶのだろうか。俺だったら、いくら好きな作品が現実になったとしても喜ぶことはないだろう。逆に絶望すらするんじゃないだろうか。なぜなら、空から美少女が舞い降りてきてしまった時点で、いつもの世界は壊れてしまうのだから。いくら夢見た世界でも、それは夢でなければならないんだ。夢は現実を破壊する。
――よりによって、こんな世界になるなんて。
「もういやあああ!」
「しっかりしろ! とにかく安全な場所へ」
「安全な場所ってどこだよ!」
「言い争ってる場合じゃないだろ!」
俺たち六人は校舎内を走り回り、空いている教室を片っ端から見て回っていた。けれども、どこにだってお食事中の連中がいた。楽しく会話をするわけでもなく、ただひたすらに人の身体を貪る連中。味の感想を求めても返事は返ってこないだろう。
「あいつらこっちくるぞ!」
進行方向から三人が向かってきていた。典型的な”ゾンビ”の特徴を再現した彼らは、ハリウッドの技術力でも敵わないだろう。その再現度はまさに本物だった。
――本物、なんだよな。
「ちくしょう、そこどけよ!」
男子の一人が金属バット片手に突っ込んでいく。高く振り上げたバットを頭に振り下ろし、すかさず次の奴にバットを振り抜こうとする。しかし両腕を掴まれたそいつは床に押し倒され、悲鳴をあげながら喰われはじめた。
「もう、いや。なんなのこれ」
「逃げるぞ」
「おい、桂木はどうなるんだよ」
優真の胸元を男子が掴む。
「あいつを見殺しにするのかよ」
「もう、助からねえよ」
男子は優真を殴り飛ばし、掃除用具の入ったロッカーからモップを取り出した。
「桂木は俺たちが逃げられるように立ち向かっていったんだぞ。それなのに、お前らは簡単に見捨てやがって」
男子はロッカーを思い切り殴り、喰われている桂木の元に向かった。
「優真大丈夫?」
「ああ、平気だ」
「とにかく逃げようよ。ここにいたら俺も喰われちゃう!」
ヒステリックになっている男子は待ちきれられずに反対側の廊下を走って行った。
モップ片手に立ち向かっていった男子の叫び声が聞こえてきた。残された俺達三人はその声から目を背け、反対側の廊下に進んだ。
「どうしてこんなことになっちゃったの」
「瑠璃、今は身を隠せる場所を探そう。考えるのはそれからだ」
階段で一旦休憩することにした俺達。優真と瑠璃は階段の一段目に座り、俺は防火扉の前に腰を下ろした。視界の隅に入るカップルは俺の存在なんて気にせずに抱き合っている。
――映画だったら、次に死ぬのって俺だよな。
そんなことを他人事のように考えながら、あちこちから聞こえる悲鳴を聞き流していた。その中に雰囲気の違う音が混じっている。
――下の階から人の声。会話しているのか?
女子と男子がいるようだ。
「優真、下の階に人がいるみたいだ。少し様子を見てくる」
「マジか、俺も」
「お前らはここにいてくれ。一人で大丈夫だ」
優真は浮かしかけた腰を下ろして、気を付けろとだけ言った。
踊り場に一人倒れている女子生徒がいるが、とっくに息はしていないだろう。万が一の為に音を立てないように一段一段慎重に降りていく。会話は聞こえなくなったが、もう行ってしまったのか。
踊り場から段差に足を下ろした直後、左腕が後ろに引かれた。寝ていた女子生徒だ。手を振り払おうとした勢いでバランスを崩した俺は階段を転げ落ちた。
「がはっ、げほっ」
背中を床に叩き付ける。肺から全ての酸素が吐き出され激しく咳き込む。苦しさと痛みで立つこができない。その間にも女子生徒のゾンビは階段を下りてきていた。
――早く立て! 逃げろ!
いくら焦っても身体は言うことをきかない。声を出そうにも空気だけが漏れて音にならない。
「紅弥、おい!」
踊り場に優真が立つ。気付いてくれたのは有難いが、残念ながら女子生徒は既に俺の身体に覆いかぶさっていた。
――見せ場らしいところもなく死ぬのかよ。やっぱりこういうときは単独行動するもんじゃないな。
目の前で引き裂けそうなほどに口が開かれる。抵抗しつつも目を閉じる。
――やっぱりホラゲーもグロゲーもゲームの中だけに限るな。
刹那、空気を切るような音がした。一泊置いて俺の身体にかかっていた体重がなくなった。おそるおそる目を開けると、女子生徒は俺の隣に寝ていた。頭に鉄の棒を刺して。
「紅弥大丈夫か!」
すかさず優真と瑠璃が駆け寄ってくる。咳き込みながら片手を挙げて応える。
「誰が助けてくれたんだ」
「僕です」
歩み寄ってきたのは眼鏡の男子生徒だった。手には弓が握られている。
「間に合って良かったですね。あの子が教えてくれなかったら、今頃あなたはその女子生徒の餌食になっていました」
「あの子?」
眼鏡男子の後ろに着いてきたのは、今朝話した鈴元と鶴飼だった。
「桐谷君、無事でよかったです」
「鈴元が助けを呼んでくれたのか」
こくりと頷く鈴元。
「ありがとう。助かったよ」
「いえ、本当に無事でよかったです。お兄ちゃんもありがとう」
鈴元は眼鏡男子に頭を下げた。
――お兄ちゃん?
「舞衣ちゃんってお兄ちゃんいたんだね」
瑠璃が二人を見比べながら問う。
「はい、兄の茉莉です」
「よろしく。舞衣の兄、茉莉といいます。いつも妹がお世話になっています」
軽く頭を下げる鈴元兄の茉莉。礼儀正しいところは兄妹そっくりだ。
「茉莉先輩、この桐谷って奴には頭下げる必要ないですからね。こいつは何事にも不真面目で仕事ばっかり増やす問題児ですから」
片手に金属バットを持った鶴飼が不機嫌そうに言う。俺はどうしてここまで嫌われているのだろう。
「なんにせよ見過ごすわけにはいかなかったですから。それに役に立ちそうな仲間は多い方がいいでしょう」
「そうっすね、鈴元先輩よろしくお願いします」
優真が右手を差し出す。鈴元兄は「茉莉でいいですよ、苗字だと妹と被ってしまいます」と優真の手を握った。
「茉莉さん助かりました。本当にありがとうございます」
「気にしないで下さい。それよりも一ヵ所に留まり続けるのは危険です。移動しながら話しましょう」
階段の上から呻き声が近づいてきていた。
俺たちは茉莉さんを先頭に歩き出した。
「茉莉さんは弓道部の部長だったのか。それなら弓を持ってるのも納得だな」
「ちなみに私も弓道部なのよ、これでも中々の腕前なんだから」
鶴飼が胸を張って見せる。
――お前には鈍器の方がお似合いだけどな。
「あの、俺達どこに向かってるんです?」
「わたしもう疲れちゃった」
瑠璃は優真に手を引かれてやっと歩いている状態のようだ。
「最終目的地は屋上です。そこで籠城すればいいかと考えているのですが、ただ鍵がかかっているはずなので職員室に取りに行かねばなりません」
職員室は一階にある。今俺たちがいるのは三階だから一度降りなければならない。そしてそこからまた屋上へ。中々骨が折れそうだ。
後ろを歩く優真と瑠璃の様子を窺う。優真は苦しそうな表情で俯きながらついてきていた。
「大丈夫か優真」
「ああ、俺は大丈夫なんだけどよ。瑠璃をどっかで休ませてやりたいんだ」
「先ほどから体調が優れないようですね。彼女はどうかされたんですか」
「大したことじゃないんです。ただ疲れちまったみたいで」
茉莉さんが立ち止り振り返る。
「わかりました。こんな状況では心身ともに疲弊するのも当然ですし、計画を変更しましょう。今日のところは家庭科室でやり過ごします」
家庭科室や専門科目の教室は四階にまとまっている。そしてその上が屋上だ。
「さっき様子も見ましたもんね。あそこなら食べるものもあるし、火も水も使えるし」
鶴飼が補足する。
「家庭科室に行った後、動けるメンバーで職員室から鍵を入手します。その流れでいいでしょうか」
「お兄ちゃん、やっぱり今日中に職員室に行かなきゃダメなの?」
「あいつら――ここでは仮に人喰い病の感染者としておきましょう――は文字通り人を狙っています。しかし校舎内の人間は時間と共に少なくなっていくでしょう。そうなった場合感染者はどこに向かうと思いますか」
「生きている人を探して、外に?」
「その通りです。したがって時間が経てば経つほど下の階は危険になります」
「感染者がみんな外に出る、なんてことはないんでしょうか」
「流石にその可能性は低いでしょう。仮にそうだとしても時間がかかるでしょう」
あくまで僕の推測ですが、と鶴飼に説明する。
「なんでもいいっすよ。とにかく瑠璃を安全な場所へ」
「皆さんもそれでいいですか」
全員が頷きまた歩きはじめる。
「それにしてもあんた良く生きてたわね。てっきり教室で食べられちゃってると思ったわ」
「危うくそうなりかけたけどな。優真が連れ出してくれたんだ」
「なるほどね。いつもは一人でいるけど、いざって時は一人じゃなにもできないってことね」
「平和なら一人でも十分なんだよ」
「ふーん、寂しい奴ね」
「気楽でいいんだよ」
――一人で寂しく生きるか、一人で気楽に生きるか、その二つを天秤にかけたら気楽に生きる方が勝ったんだ。それに、俺の場合は孤独の寂しさに慣れ過ぎているのかもしれない。
「ここで待っていて下さい。上の様子を見てきます」
階段付近に着くと茉莉さんは階段を上って行った。
「優真、もう疲れたよ~」
瑠璃が優真に抱き付く。優真も困り顔ではあるが満更でもなさそうだ。
――時と場所を考えろよ。
その様子を見て鶴飼は呆れ顔、鈴元は顔を赤くして明後日の方向を向いた。
暫く沈黙する。さっきとは一変して不気味なほどに静かだった。俺達以外の人間はどうなったのだろう。校外に脱出したのだろうか、それともどこかに隠れているのだろうか。なんにせよこの状況での沈黙は不安を煽るようだ。気晴らしに鈴元に話しかけてみることにする。
「あのさ、お兄さんってすごいよな。弓もすごいし頭もキレるし」
鈴元は照れたように微笑んだ。
「張り切っちゃってるんですよね、多分」
「張り切ってる?」
「はい。自分の力が生かせるってことが嬉しいんだと思います」
「こんな状況ですごいな。まさに人間の鏡だな」
「どっかの誰かさんとは違ってね」
これは無視する。
「きっと普段できないことができるのが楽しいんだと思います」
――楽しい?
「兄は本当に真面目な人なので必要のある事、正しい事だけをやってきました。だから今みたいに、変な言い方になっちゃいますけど、自由になれたのが楽しいんじゃないでしょうか」
「なるほど、わからなくはない」
「でも、それってちょっとヤバくない?」
鶴飼が偶然にも俺の気持ちを代弁してくれる。
「ほら、大きな地震とか津波とかの被害を受けた被災地って、強盗とか空き巣とかの被害がすごいって言うじゃない? 警察も機能しないだろうし、避難生活でストレス溜まるんだろうしさ。確かに自由かもしれなけど、茉莉先輩ももしかしたら」
「鶴飼」
実の妹の前で言い過ぎだ、俺の視線で察して鶴飼はすぐに謝罪した。
「いえ、いいんです。兄は昔から少し変わったところがありましたし」
「変わったところってのは?」
「ちょっと言いづらいんですけど」
「遅くなってすまない。一気に行けば突破できると思う。来てくれ」
話の続きが気になったが、とりあえず俺たちは四階に向かった。
「皆さんもご存知の通り、家庭科室はこの廊下の中間にあります。そしてそこに辿り着くまでに感染者は三人います。僕は矢を全て使い切ってしまったので、あとは強行突破するしかありません」
茉莉さんの使っていた矢は家庭科室で入手した鉄の串だったらしい。
「突破って、あいつらに立ち向かうんですか。瑠璃がいるのにそんな危険なことできませんよ!」
「彼女たちには後ろからついてきてもらうだけです。感染者を排除するのは僕たちの役目です」
優真と瑠璃は手を固く繋いでいる。この手を離すつもりなんてない、と強く訴えているかのようだ。
「茉莉さんは、ケンカできるんですか」
「幼少の頃に空手はやっていました。今は弓道一本なので、心得がある程度ですが」
俺の問いに困惑気味に答える茉莉さん。
「なら、俺達だけで挑んでみましょう」
「腕に自信があるのですか?」
「なければこんな提案しませんよ。それに、感染者ってのはみんな動きがゆっくりじゃないですか。大勢を相手にしたら勝ち目はないけど、三人くらいならなんとかなるんじゃないですかね」
茉莉さんがくすりと微笑む。
「わかりました。挑戦するとしましょう」
「私も戦います!こいつに任せるのは不安過ぎます!」
「鶴飼はもしもの時の為に備えていて下さい。前衛は僕と桐谷君でいきます」
鶴飼は以外にも素直に引き下がった。その手からバットを拝借する。
「暫く借りる」
「借りたものは返してよね」
鶴飼がにっと笑う。
「お兄ちゃんも、桐谷君もお気を付けて」
茉莉さんの横に並ぶ。ふと横顔を見ると、うっすらと笑っているようだ。
「随分と楽しそうじゃないですか」
「不謹慎なのは重々承知しています。ですが、こんな経験滅多にできませんからね、少し心が躍ってしまうのです」
「その気持ち、わからなくはないですよ」
――これが一時的なものなら、な。
「ではいきましょう。感染者を排除します」
それが、この世界での初めての挑戦だった。