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始まるセカイ chapter1  作者: 黒華
2/12

 その日は寒さで目が覚めた。閉め忘れていた窓から冷たい空気が入り込んできていた。明日から十月。いい加減夏の余韻は忘れよう。

 枕元のスマホを見て時刻を確認する。アラームを設定した時刻より一時間も早く目が覚めてしまった。二度寝するのもいいが起きれる自信はない。それに身体が冷え切ってしまっていてブランケットに包まって寝るのは難しそうだ。

 ベッドから降り、風に踊るカーテンを開ける。部屋がいっぱいの陽光に照らされる、ということはなく、窓の外は灰色一色だった。どこまでも広がる重たそうな雲は今にも激しい雨を溢しそうだなと思った。

 窓を閉めて着替えと制服を準備する。時間に余裕はあるし、シャワーでも浴びて温まろうと思ったわけだ。朝シャンなんて爽やかそうなことをするのは珍しい。滅多にしないようなことをするとどこかで調子が狂うのだが、このまま冷え切ったままでいる方が体調的な意味で調子を崩しそうだった。

 シャワーからお湯を出すと浴室は瞬く間に白い煙で満たされた。曇った鏡を撫で身体を映す。幾つかの痣が青々と残っていた。

 ――やりあっている最中は気付かないんだよな。痛みだって感じないし、恐怖心もない。一種の興奮状態なんだろうが、我ながら恐ろしいな。

 昨日から今日に変わる頃、小腹が空いたからコンビニに夜食を買いに行った。ついでにチンピラにケンカを売られたから買った。酔っぱらった三人組だった。年上っぽかったし、人数的には俺の方が不利だったのだが、相手は泥酔状態だったのもあって弱かった。空になった酒瓶や石で殴られたのは流石に効いたが。

 相手が立てなくなった辺りで財布から諭吉を数枚拝借して帰った。疲れたのもあって夜食にと買ったカップ麺は食べずにそのまま寝てしまって、今に至る。

 十分に身体を温めて浴室を後にする。着替えながらやかんに水を入れて沸かす。カップ麺は朝食にすることにした。

 カップ麺にお湯を注ぎテレビを点ける。小さなアパートの一室に女子アナの明るい声だけが響く。

 ズルズルと麺を啜る。テレビの中のアナウンサーはさっきまでのニコニコしたお姉さんではなく、ベテラン女子アナに変わっていた。真面目なニュースを真面目に喋っている。

 「本日未明、東浜市西区にて女性の遺体が発見されました。遺体には猛獣に噛まれたような外傷が幾つもあり、警察は連続猟奇殺人事件と同一犯であると見て捜査しています」

 ――これで七人目か。

 ここ数カ月で起こっているこの事件は一貫して被害者が”食い殺される”というものらしい。それ以外に場所や被害者に共通点はないらしく犯行は無差別だとされている。物騒なものだ。

 冷めた白米をカップ麺のスープに入れかきこむ。残り少なかった牛乳をパックで飲み干しゴミ袋に突っ込む。時間にはまだ余裕があったが、少し早めに出ることにした。

 「さむっ」

 玄関の重たいドアを開けると冷たい風が一気に流れ込んできた。

 ――ブレザーどこだっけ・・・。パーカー着て行こう。

 部屋に戻りハンガーから黒のパーカーを取って着る。うちの高校の校則はまるで機能していないのでこういった服装も特に咎められない。

 ノート数冊しか入っていないリュックとゴミ袋を持って外に出る。これだけ冷えた朝は久しぶりだった。今日一日はこの陰鬱な空の下で過ごすことになりそうだ。


 ゴミをアパートの収集場所に置き、ウォークマンで曲を聴きながら歩く。某弾幕ゲーのアレンジ曲をランダム再生し、画面を埋め尽くさんばかりの弾幕を思い返し一人恐怖する。

 ――帰ったら久しぶりにやるか。いい加減ルナティック攻略したいよなー。

 普段は遅刻ギリギリで出るから気付かなかったがけっこう小学生とすれ違う。子供特有の甲高い声で笑いながら走っていく。けっこう寒いはずなのに男子はほとんどが短パンだった。子供ってみんな鈍感なのだろうか。そんなことを考えていると後ろから肩を叩かれた。

 「よう、こんな時間に登校だなんて珍しいじゃんか」

 「イレギュラーなことがあった日は決まって良くないことが起こる。今日一日は大人しくしてた方が身の為だぞ」

 「なにそれ、あんたって疫病神がなんかなの?」

 「リア充にからまれたから嫉妬してんだろ」

 「なるほどね~」

 隣に並んだ優真とその彼女の瑠美が顔を合わせて笑う。

 「平穏な日常ってのはいつもと同じように巡るべきなんだよ。その中で普段と違うこと、イレギュラーなことが起こると平穏なサイクルも狂う。そういうものだ」

 「なら俺たちに災難な事が起きたら紅弥のせいってことだな」

 「ちょっとー、朝から不吉な話しないで」

 瑠美が優真の背中を叩く。優真は笑いながら無抵抗に叩かれ続ける。

 ――朝からリア充のイチャイチャを見せつけられる。さっそく災難だな。

 イヤホンの音量を上げても不思議とリア充の声は耳に入ってきた。明日からは早起きなんてしないと心に決めて、灰色の雲を背景に建つ古びた校舎へと向かった。


 そうは言っても学校生活なんて毎日同じことの繰り返しだ。それこそイベントだ行事だって時期にはトラブルがあってもおかしくないが、学園祭が終わって間もない今は学校中が大人しい。

 ――そういえばテストが近いっけか。

 溜息をついて窓の外を眺める。曇天の下で体操着の女子たちが準備運動をしている。これだけ冷えることを予想していなかったのか、ほとんどが半袖に短パン姿だった。寒々しい姿は可哀想だ。だが、太腿や二の腕を披露してくれている点には感謝しなければならない。

 「おい、窓の外見てなにニヤついてんだ」

 「先生俺思うんすよ。ああいう女子の姿を合法的に見ることができるのって今だけでぃっ」

 「三者面談の時にもう一度その話しろよ」

 窓際最前列の奴は教師に出席簿で頭を叩かれ舌を噛んだ。クラスが笑いに包まれる。一瞬心臓が止まったと思った。

 窓際最後尾という最高の席に着いている俺はクラスでも極力目立たないように生きている。地味に、平和に、でも時々の刺激はあり。高校に入ってから二年間俺はそうやって生きてきた。そしてこれからもそのスタンスは変わらない。

 チャイムが鳴り一限目が終わる。教師が出ていく前から教室は賑やかになり教室内を生徒が行き来する。

 ――いつも通りが一番だな。

 背中を伸ばしてから机に突っ伏す。朝早起きしたせいで眠気が襲ってきた。夜のケンカのせいもあって身体が疲れているみたいだ。すぐに意識が遠のいていく。周りの喧騒が曖昧になって遮断されていく。

 「桐谷君、あの~」

 心なしか身体も温まってきたみたいだ。暖房でも入ったのだろうか。

 「えっと、この前の文化祭のアンケートなんですけど、提出期限が過ぎてまして」

 なんだかんだ言って教室って空間は寝るには最適な空間だと思う。程よく温まった室温に薄くなった酸素。それになんと言ってもこの机の高さ。これは寝るなと言う方が酷な話だと俺は思う。

 「き~り~た~に~く~ん! 起きてください~」

 さっきから呼ばれてる気がするが気のせいだろう。俺に用のある奴なんているわけがない。

 「起きろって桐谷!」

 後頭部が衝撃に襲われる。なにか硬い、角ばった物で殴られたみたいだ。

 「いって・・・」

 「鈴元ちゃんが何度も呼んでたでしょ!」

 「別に殴らなくてもいいだろ」

 後頭部を擦りながら身体を起こす。すぐそばに女子が二人立っていた。片手に和英辞書を持ったショトカ女子と、その後ろに隠れている眼鏡三つ編み女子。俺を殴ったのはショトカの女子、たしか鶴飼とか言ったか。

 「起きないあんたが悪いのよ」

 「だからってそんな凶器で殴らなくてもいいだろ。俺が生きてるのが不思議なくらいだ」

 「辞書にそんな殺傷力ないわよ」

 「試してみるか」

 「二人とも、ケンカしないでください」

 鶴飼は腕を組んで一歩下がった。代わりに眼鏡に三つ編みという図書委員っぽい鈴元が俺の前に立った。

 「図書委員の仕事なのか」

 「え、いえ、文化祭ですけど」

 期待を裏切られてしまった。

 「あの、文化祭のアンケートを回収してるんですけど」

 「あれ、出してなかったか」

 「何度か確認したんですけど、桐谷君だけ出ていないみたいなんです」

 「無くしちゃったんじゃないか。誰にでもミスはある。あんまり気にするなよ。じゃあおやすみ」

 「あ、おやす」

 図書委員っぽいけど文化祭委員だった女子、鈴元がおやすみを返してくれていたのに、俺の頭はまた辞書に襲われた。

 「おやすみじゃないでしょ! 鈴元ちゃんも流されちゃだめよ」

 「あ、ごめんなさい」

 頭を擦りながら溜息をつく。

 「鶴飼は俺を何度殺せば気が済むんだ」

 「残念だけどあんたは死んでないわよ。それに用は済んでないでしょ」

 「アンケートは出したよ。いつの間にか無くなってたんだろ」

 「適当なこと言わないで。それに、無くなったのならもう一度書いてもらうわ」

 俺の机にアンケート用紙が置かれる。

 「さっさと書いてよ。時間もったいないから」

 酷い言われようだ。無理もないが。

 「なら鶴飼が書いといてくれよ。それでいいだろ」

 三度俺の頭は辞書の餌食となった。

 「知ってるか、脳の細胞ってのは衝撃で死ぬんだぞ。そうするとボケが早まるらしい」

 「あんたの頭の中に生きてる細胞なんていないと思ってたわ」

 どうやら俺は十七歳にしてボケていたらしい。現実とはいつも残酷だ。

 俺は渋々アンケート用紙に記入した。各項目の五段階評価の三に丸を付ける。要望だの改善点だのは特にないので白紙で渡した。

 「あんたみたいな不真面目な奴がいると、真面目な鈴元ちゃんが可哀想だわ」

 鈴元は仕事ですから、と俺のアンケート用紙をファイルに綴じた。健気に仕事をしている彼女を見ていると俺の良心も少し痛んだ。

 「悪かったよ、鈴元には今度謝罪しよう」

 「は、あたしには?」

 「なにかあったら言ってくれ。その委員会の仕事を手伝うでもいいし、なにかおごってくれでもいいから」

 「そんな、いいですよ」

 鈴元はファイルを脇に挟み、両手をパタパタと振った。

 「ねえ、あたしにはなんかないの」

 「そうでないと俺の気が済まないんだ。だから気にせずなんでも言ってくれ」

 「わ、わかりました。考えておきます」

 「だから! あたしにはなんにもないの!」

 俺の顔面に辞書が投げつけられ、俺は椅子ごと後ろに倒れた。鶴飼は俺に文句を言い続け、鈴元は俺のことを心配して駆け寄ってきてくれた。

 ――幸か不幸かってのはわからないものなんだな。

 他人と関わるのは基本的に面倒だと思うが、たまにはからかって、からかわれて、そんな風に過ごすのも悪くないと、教室の天井を見ながら思った。


 その日の最後の科目は論文だった。進学についての準備ってところか。二年生の後半になっていよいよ進学の為に本腰を入れろってことなのだろう。鈴元をはじめ真面目な連中は一年生の頃からそういった準備はしてきているんだろうが、この学校に通う大半は未だに遊んでいる奴の方が多い。そして大体は推薦で適当な大学に行くのだろう。

 俺はと言うと、特に考えはなかった。今はまだ実感なんてないし、第一にやりたいことがない。強いて言えばゲームか、そうでなかったら刺激があればいい。

 ――まるで犯罪者になりそうだな。

 担任は用事があると言って出て行った。案の定論文なんてそっちのけでおしゃべりする奴がほとんどだ。

 俺はまた窓の外の生徒を眺めた。男女混合で陸上をやっている。真面目にタイムを計る奴もいれば、一度だけタイムを取って後は遊んでしまう奴がいた。

 ――こんな寒い日に外で体育なんて、災難だよな。

 移動教室こそあったが幸い体育はなかった。良くないことが起こる、だなんて言ったがどちらかと言えば平和な日だった。いつもと違ったのは女子二人と話したことぐらいか。

 なんとなく鈴元の姿を探してみた。彼女は最前列の教卓の前に座っていた。俺なら不登校になるかもしれない席で、鈴元は熱心にシャーペンを走らせていた。

 ――周りには不真面目な連中ばっかりなのに、あそこまで自分を律することができるってすごいよな。まるで誰かさんみたいだ。

 小学生の頃の俺も、あんな風に何事にも真面目に取り組む女の子を見ていた。その女の子とは特殊な繋がりもあって近しい関係だった。何事にも真面目過ぎた彼女をからかう男子もいたが、そういう奴らは俺が無理やりにでも謝らせていた。俺自身真面目なわけじゃなかった。でも彼女の真面目にやっていることを馬鹿にされるのは腹が立った。

 ふと黒板の上の時計が目に入った。あと十分もしないで今日の授業は終わるようだ。これだけぼんやりと過ごすなんて自分のことながら呆れてしまった。

 少し早いが帰りの準備をしてリュックを机の上に置く。

 残りの時間はまた女子でも眺めようと窓の外を見る。

 ――もう終わったのか?

 グラウンドに生徒の姿はなかった。体育教師の姿もない。確かに天気こそ悪いが雨が降っているわけでもないし、単に早めに切り上げたのだろうか。いや、だとしたらグラウンドにハードルや高跳びのマットやらバーやらが残っているのはおかしい。放課後陸上部が使うにしろグラウンド全体を使うことはまずない。野球部やサッカー部との兼ね合いもあるだろうし。

 ――外でなにかあったのか。

 「おい、大丈夫か!」

 クラスの注意が声の元に集まる。

 「しっかりしろよ、おい!」

 「誰か、先生呼んできてよ!」

 「その前に救急車だろ! 泡吐いてんだぞ!」

 教室内の空気が一転して凍り付く。

 男子の一人が突然苦しみだして倒れたらしい。今は泡を吹きながら痙攣している。

 授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。それと同時に教室前の扉が開く。

 「先生、三島が倒れたんです!」

 「早く救急車呼んで下さい!」

 何故か教室内には沈黙が生まれた。教室中の視線は担任に向けれられいるのだが、担任はぴくりとも動かず、動いたと思った瞬間、首から真っ赤なものを噴きだした。

 宙を色鮮やかな紅が舞う。背景の黒板とのコントラストがその毒々しいまでの紅をより一層際立てている。

 ――俺は、なにを見ているんだ? 

 数秒の沈黙の後、教室は一気に悲鳴で溢れた。黒板がみるみるうちに赤く染まっていく。生徒たちは流れるようにして教室の後ろに動いた。

 ――なんだ、なにが起こってる。

 担任の身体は力を失い教卓にぶつかってから倒れた。代わりに立っていたのは、顔を赤く濡らした他の教師だった。開け放たれた扉から教師と生徒が入ってくる。共通しているのはそいつら全員が白目を剥き、呻き声をあげながら歩いてくることだった。

 何人かの生徒は後ろの扉から外に出て行った。

 何人かの生徒は動けないまま、入ってきた教師や生徒に”食べられ”始めた。

 ――俺は悪い夢でも見ているのか? 朝早起きをした辺りから夢だったんじゃないか? 今朝の通学路でリア充に絡まれたのも夢じゃないのか? 休み時間に女子二人とからかい合ったのも夢なんじゃないのか?

 「紅弥! なにやってんだよ逃げるぞ!」

 俺の腕が強く引かれる。痛い程に。

 どうやら、良くないことは本当に起こってしまったらしい。


 

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