11
「あーあ、よごしちゃったー」
「あーあ、きたなくしちゃったー」
血の滴る刃を握る二人の少女。クスクスと笑うが、目はまるで人形のように見開かれたままだ。
「そんな! マケトさん!」
「なんなのよ、なんでこんな」
鈴元は倒れたマケトさんに駆け寄り、鶴飼はその場でへたり込んだ。
「お前らなにしてんだよ。なにしたかわかってんのかよ!」
怒りが一気に臨界点に達する。床を蹴り二人に飛び掛かる。
「ばかだなー」
「へただなー」
二人は左右に動き俺の両腕に刃をあてた。血を纏って廊下に転がる。痛みはないに等しいが、両腕に深い傷を負った。
「わー、血がきれーい」
「キラキラしてるねー」
すぐさま血が結晶化していく。両腕は籠手をつけたような状態だ。今は力が入らないが盾くらいにはなる。
「なんでその人を刺したんだよ! なんでだ!」
二人は首を傾げ、顎に指を指して考える素振りを見せる。
「くさかったから?」
「うざかったから?」
この二人が何者だとか、そんなことはもうどうでもよくなっていた。こいつらを殴りたい。こいつらを泣かせたい。こいつらに痛みを与えたい。
「お兄ちゃんは死んだらもったいないよ」
「お兄ちゃんは生きてたほうがおもしろいよ」
「どういう意味だ。なんで俺は殺さない」
刃の血を拭きながら二人が答える。
「「適応したから」」
――適応。
「この世界で生きていい証」
「新しい世界の条件」
「「それが適応、そして進化」」
こいつらがなにを言っているのかわからない。宗教の話か、頭のおかしい連中の戯言か。だったら話すだけ無駄だ。
俺はなんの前触れもなく右手を振るった。結晶化していない血が扇状に跳ぶ。それらはすぐに鋭い結晶になって少女たちに向かう。二人はすぐに反応して動いたが数本は傷を与えることができた。
「お兄ちゃんのチカラ、おもしろいね」
「お兄ちゃんのスキル、べんりだね」
白い肌から流れる血をお互いに舐めとる。口についた血をお互いに舐めあう。唇も舌も、激しいキスのように舐め合い、俺を見る。
「もうちょっと遊びたいなー」
「もうちょっとたのしみたいなー」
鳥肌が立った。こいつらはやばい。俺の中の本能がそう警鐘を鳴らしている。普通じゃない、まともじゃない。
――殺される。
「あー、じゃまものだー」
「あー、つまんないのだー」
二人の視線の先、動く死体の群れがこちらに向かってきていた。
「鶴飼、鈴元、逃げろ!」
屋上への鍵を投げる。泣き顔の鈴元がそれを手にする。
「早く行け! 俺は後から行く!」
鶴飼が鈴元を連れて行く。自らの血に沈んだマケトさんはもうピクリとも動かない。その向こうから死者が大量にやってくる。
「お兄ちゃん、つづきは上でしよ?」
「お兄ちゃん、上でたのしいことしよ?」
二人はもう一度唇を重ね、鈴元たちの後を追った。
「マケトさん、くそっ」
床を殴る。横たわるマケトさんの身体のすぐ向こうまで死者は迫っていた。
「お姉ちゃんたち、おそーい」
「お姉ちゃんたち、じゃまー」
支え合い階段を上っていた鈴元たちに二人が追い付く。
――まずい、二人が。
迫る死者の群れにマケトさんの姿が見えなくなる。その群れの中に血を振るう。数体の動きを止め、倒し、群れの進行を遅らせる。
「あれじゃお兄ちゃん死んじゃう」
「あれじゃお兄ちゃん食べられちゃう」
「「お姉ちゃん、代わりになってあげなよ」」
階段の上に立った二人が短刀を振り上げる。
「やめろおおお!」
短刀は振り下ろされ、鈴元と鶴飼が抱き合ったまま転がり落ちてくる。
「おい、二人とも!」
「美咲ちゃん、しっかりして! いやああ!」
身体を打った衝撃に咳き込みながら、鈴元が鶴飼の身体を抱き起す。その手に赤い液体が流れ、床にポタポタと垂れていく。
「鈴元ちゃん、怪我は、ない?」
「私は大丈夫です、でも、私のせいで美咲ちゃんが」
「私は、いいの。私が動かなかったら、二人とも斬られてたから」
鶴飼の脚と腕から血が滲んでくる。だが致命傷じゃない。まだ助かる。
「鈴元、肩貸してくれ。鶴飼を上まで運ぶ」
肩を組もうとした俺を、鶴飼は手で払う。
「なにしてんだよ、行くぞ」
「馬鹿じゃないの、そんなことしてたらあんたまで食べられちゃうでしょ」
血の気が引いていく。鶴飼の後ろにはもう、あいつらが迫っている。
「ふざけんな、お前も一緒に行くんだよ。誰も殺させないって言ったろ」
無理やり肩に手を回し階段を上っていく。上に二人の少女の姿はない。
「鈴元、鍵は」
「あの子たちが持っていきました」
あいつら、鈴元たちを餌にして死者の進行を止めようとしたんだ。だから致命傷になるような場所を狙わなかった。
「すぐそこまで来てます! 急がないと!」
踊り場に来る頃には死者も階段を上り始めていた。この数はさすがに相手にできない。いくら痛みを感じなくても、いくら感染しなくても、死ぬことはできてしまう。
「鈴元、お前だけでも先に行け」
「ダメですよそんなの、皆で助かるんです」
「後から絶対に追いつく」
「でも」
俺の身体が突き飛ばされる。踊り場に座り込む鶴飼。お前はなにしてるんだ。
「行って」
「なに言ってんだ。お前も行くんだよ!」
鶴飼が俺を睨む。
「私のせいで二人が死んだら、私酷いやつじゃない。死んでからも後悔するなんて、そんなの、絶対御免だわ」
「お前が死ぬって誰が決めたんだよ、誰も死なせないって言ってんだろ!」
「私が決めたの!」
涙を目に溜めながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「私にも、あんたを救わせて」
昨日の朝、教室でふざけ合った時から今に至るまで。悲しくて辛くて、でも笑い合うこともできた時間。その光景が頭の中を流れていく。
「今まで、生意気言って、ごめんね? 私って、不器用だからさ、つい強くでちゃうんだよね。あ、でも勘違いしないでよね、桐谷だけの為じゃ、ないんだからね」
涙交じりのその声を聞いていると、自然と涙が流れてきた。こんなの卑怯だ。
「ほら、早く行きなさいよ。鈴元ちゃんのことは、任せたわよ」
「ダメですこんなの! 美咲ちゃんも一緒に」
鈴元の腕を引く。
「なにしてるんですか、離してください! 美咲ちゃんもいるんです!」
「あいつの、頼みなんだ。あいつの、願いなんだ」
肩越しに振り返ると、鶴飼は笑っていた。
「鈴元のことは任せてくれ」
笑顔が返ってくる。そんな可愛い顔できるなら、もっと早くに見せてくれよ。
「「ありがとう」」
俺と鶴飼の声が重なった。後には鈴元の悲鳴と、咀嚼音が残った。
「いやあああ! なんでですか、なんで美咲ちゃんが!」
屋上の濡れた地面に鈴元がへたり込む。鉄の重い扉にロックをかける。寒いくらいの風が屋上に吹き荒れる。
「なんで、なんで私を庇ったんですか! なんでこんな、いやです、いやです!」
「鈴元、あいつの気持ちを考えやれ。あいつのおかげで、俺たちは今こうして」
「嘘つき! 桐谷君は嘘つきです! 誰も殺させないって言ったのに、なんで美咲ちゃんを見捨てたんですか!」
拳を強く握る。何も言えない。鈴元の言う通りだ。俺は自分の力に酔っていただけだ。口先だけの嘘つきだ。俺は誰も守れていない。誰一人として救えていない。
「美咲ちゃんは私のことを庇ってくれたんですよ、自分よりも私を優先してくれたんです。そんな人を、どうして見捨てることができるんですか! 結局は自分の命の方が大事なんですか、そうなんですか!」
俺はなにも言わない。
「なにか言ってください! なんで黙っているんですか、桐谷君!」
暫くの静寂。鈴元の三つ編みもめちゃくちゃなって解けた頃、静かに、しかし重く、俺は語りだす。
「俺はこんな世界になるまで自分の生きる意味なんかわからない人間だった。毎日だらだら生きて、なんとなく学校行って、ゲームして、喧嘩して、そんなクズみたいな人間だった。でも、世界がこんなふうになって、鈴元たちと出会って、俺は少しだけ変われたと思うんだ」
水溜りを踏み、鈴元に歩み寄る。片膝を突き目線を合わせる。
「誰かの為になにかして、感謝されたり頼りにされたり、そんなのすっげー久しぶりだった。嬉しかったよ。生きてていいんだって思えた。自分の生きる意味がわかったような気がした。いや、俺の生きる意味を手に入れられた気がした。だから、生きる意味をくれた鶴飼たちを失ったのは、死ぬほど悲しいよ、苦しいよ」
「なら、どうして助けてあげなかったんですか」
「それが、あいつの選択だったんだ」
夜、二人で話したことを思い出す。
「俺は、あいつの選択に従った。それが正しかったのか、間違いだったのか、今となってはもう確かめることはできない」
鈴元はまた声を上げて泣き出した。自らの論じたことだ。兄である茉莉さんも選んだ、自己犠牲という選択。それを、俺も鈴元も否定することはできない。
――正しくもないし、間違ってもいない。
俺たちは生きていく中で、そんな選択を永遠と繰り返さなければならないのだろう。こんな理不尽な物語、どこを探してもきっと見つからない。こんなに苦しみながら生きなきゃならないのは、言い方を変えれば、生きている責任なんだろう。逃れることのできない、生きる者の運命。
「美咲ちゃんの選択は、正しかったのでしょうか、それとも間違っていたのでしょうか」
「どちらでもない。そうだろ? 鶴飼を助けようとして三人が無事にここまでこれる可能性もあったし、俺たち全員あの場で喰われていた可能性もあった。誰にもわからないし、もうどうすることもできないんだ」
「桐谷君、私悔しいです。こんな酷い選択ばかりさせるこの世界が憎いです」
強く頷き立ち上がる。
「だから、生きるんだ。復讐する為にな」
屋上の中央にその二人は佇んでいた。仲間を傷つけた刃を握り、風に黄金と白銀の二房の髪をそれぞれなびかせている。
「ケンカはおわった、お兄ちゃん?」
「もう待ちくたびれちゃった、お兄ちゃん」
「待たせたな、相手してやるよ」
鈴元が俺の手を握る。首を振り、やめてくれと訴えている。
「あいつらは俺を殺さない。理由はわからないが、生かしていたいらしい。だから鈴元は離れていてくれ、いいな」
「絶対に死なないで下さい」
握られていた手が離れる。室外機の置かれている一画に駆けていく。
「楽しもうね、お兄ちゃん」
「いっぱい遊ぼう、お兄ちゃん」
身体の痛みはもうない。両腕も動く。あとは俺次第。
「血をきれーな結晶にしちゃうんだよねー」
「どんなふうに遊んでくれるのかたのしみー」
「「ブラッド・クリスタルだね」」
自らの血を結晶に変えるチカラ―ブラッド・クリスタル―。
――なら、これなら。
腕の結晶化を一部解き、血を滴らせる。重力に従い落ちるタイミングで手首を振り結晶化する。握った紅い結晶は鋭利な刃物―ブラッド・ナイフ―。二人には気付かれていない。隙を突いてこれで仕留める。
「じゃー、そろそろ始めよっか」
「ねー、そろそろあそぼっか」
強い風が吹き抜ける。重々しい灰色の雲が流されていく。あちこちにある水溜りに波紋が広がる。
鼓動が加速していく。目が冴えていく。さっきは恐怖心を感じたが今は不思議となんともない。どうやら俺の身体は怒りに支配されてしまったらしい。しかもそれは動物的な本能だけではなく、人間としての理性も兼ね備えた完璧な怒りだった。
――俺は、こいつらを殺そうとしている。
「始めよう、俺の復讐を」