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始まるセカイ chapter1  作者: 黒華
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 紅弥ごめんな。お父さんたちは仕事で遠くに行かなきゃいけないんだ。

 紅弥君なら一人でも大丈夫よね。お母さんたち紅弥君のこと信じてるから。

 さようなら、紅弥。

 さようなら、紅弥君。

 さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら。

 ずーっと、一人だね。死んだ?


 悲鳴が聞こえる。誰の? 俺の声。俺の悲鳴。俺が叫んだのか。

 「桐谷君、大丈夫ですか」

 急に立ったからか目眩がする。頭を押さえながら周囲を見るとニ人が俺を心配そうに見つめていた。冷や汗が全身を濡らしている。息も荒い。

 「どうしたの、変な夢でも見た?」

 「夢、そうか夢か」

 鶴飼が濡らしたタオルを持ってきてくれる。流れる汗を拭きながら息を整える。

 「悪い、変な夢を見てた。子供の頃の、トラウマってやつか」

 「大丈夫、ではないよね。こんな状況だし、怖い夢とか見るのも当然だと思う。鈴元ちゃんも寝れなかったって言ってたし」

 鶴飼が気遣ってくれてるのはわかるが、今はその言葉が入ってこない。さっきの夢に出てきた二人。あれは、あの日の二人だった。影のようになっていて表情はわからなかったが、でもあれは。

 「三人とも、いいニュースだよお!」

 マケトさんがチャンさんの使っていたノートパソコンを持って駆け寄ってくる。

 「またおかしな連中の会話じゃないでしょうね」

 「今回は違うんだなあ。動画共有サイトにアップされていた動画なんだあ」

 ディスプレイ中央の再生プレイヤーには一人の男性が映っている。マケトさんが再生ボタンをクリックする。

 『皆さん初めまして、私は高雄剛と言います。元警察官だったのですが、故障が原因で今は奥さんの実家である八百屋で働いています』

 体格のいい男性は左腕を包帯で吊っていた。故障とはこのことだろうか。画面の外から女性がなにやら声をかける。

 『ああ、俺の身の上話はどうでもいいな。ええと、これを観ている方にお知らせします。本日から上空よりヘリによる救出作戦が行われるようです。情報をくれたのは元同僚の警察官です。今も一緒に行動しています』

 そこまで言うと画面外に手招きする。男性の隣に立ったのは、同じように屈強そうな身体の警察官だった。こちらに向けて敬礼する。

 『早朝、無線に連絡があって、なるべく高い所に避難しろと指示を受けました。救助の規模やどの方面から行われるか等、詳細な情報は入ってきていないのですが、絶対に信用できる情報であることは私、川内和也巡査が約束します』

 二人の男性はこちらに向けて励ましの言葉や、救助が行い易そうな施設を紹介している。

 「どこかの立体駐車場で撮影したものみたいだねえ」

 「私たち以外にも無事な人いたのね、よかった!」

 「やっぱり学校の屋上は広くて救助し易いんですね」

 声や雰囲気から察するにそれなりに人数はいるらしい。女性の声も、幼い子供の声も聞こえる。ふと高雄と言った男性が振り返り遠くを見つめている。そして。

 『奴らだ! 皆車に乗り込め!』

 カメラが運ばれ視界が酷く揺れる。十人以上はいるだろうか、数台の車に乗り込んでいく。後ろで聞き慣れない破裂音のようなもの―銃声だろうか―が聞こえる。カメラが車に乗り込んだところで動画は終了した。

 「最後の、大丈夫よね」

 「だ、大丈夫さ! 人数もいたし銃も持っていたみたいだったしねえ」

 俺はパソコンから離れて窓に近づいた。雨は止んではいるが、相変わらず重々しい曇天だ。気温も昨日よりさらに下がった気がする。

 「ねえ、屋上行くんでしょ」

 鶴飼が俺の隣に並ぶ。

 「私たちだけで大丈夫なのかな。武器もないしさ、戦えるのも桐谷しかいないし」

 「珍しく弱気なんだな」

 「そりゃ、目の前であんなの見ちゃったら怖くもなるわよ」

 昨日の光景が頭に浮かぶ。仲間を二人も失った、血の流れる凄惨な光景。怖いはずがないんだ。普通なら。

 「大丈夫だ、もう誰も殺させない。それに、空気感染に関して三人は特に変わったところはないんだろ。だったら俺と同じく人喰い病にはならないのかもしれない」

 俺なりに励ましたつもりだったが、鶴飼は床を見つめたままだ。

 「ここにいたってなにも変わらない。屋上に行けば助かるかもしれないんだ。動かないわけにはいなかないだろ」

 「そうだよね。うん、ごめんね」

 頷き返してはくれたが、その表情はまだ暗い。無理もない。不安で怖くて当たり前なんだ。マケトさんも努めて明るく振る舞ってくれているが、それは俺たちを元気づける為だろう。目の下に濃いくまができていた。昨夜は眠れなかったんだ。

 「今なら雨も止んでいますし、チャンスなんじゃないでしょうか」

 鈴元が拳を胸で前で握る。その表情に弱々しさは感じられない。

 「あっしもそう思うよお。行けるときに一気に行っちゃった方がいいのさ」

 俺も頷く。希望の見えている今がチャンスだ。鶴飼を肘で小突く。どうするんだ、そう視線で訊く。深く息を吐いて、俺に体当たりしてきた。

 「聞かれるまでもないわよ、行くに決まってるじゃない!」

 素直じゃないというか、強がりというか。そんな鶴飼がさっきみたいに弱さを見せてくれたのは信頼の現れなのだろうか。勝手にそう思うことにする。

 「じゃあ、行ってみるか」

 三人と顔を合わせ、廊下への扉を開いた。


 「負傷者の確認は」

 「今のところは大丈夫みたいよ。ただ飲料の入ったバックを置いてきちゃったみたい」

 「かー、何事も上手くはいかないな」

 まだ正午前なのに暗い町。なのにどこの建物にも灯は灯っていない。それもそう、だってこの世界は死んでいるから。

 「パパー、つぎはどこいくのー」

 「んー、そうだなー、羽菜の好きなデパートに行ってみようか」

 三歳らしい女の子が声を上げて喜ぶ。今の状況を普段のお出かけだと思っているの? 窓の外をちゃんと見てみなさいよ。死体しかいないのよ。まあ、子供に行っても無駄か。

 流れていく外の景色は相変わらずの地獄絵図。昨日の十時頃に二人を救出して以来、生きた人間を見ていない。さっき撮った動画も、意味があるのか疑わしい。観ている人なんているの。

 「夕莉ちゃん、気分でも悪いの? 大丈夫?」

 助手席の女性が訊いてくる。それにつられて運転している男性も私を心配する。

 「いえ、大丈夫ですから。お構いなく」

 この高雄夫妻はお人好しだ。昨日異変が起こってから真っ先に人を集めて避難し、それから見つけた生存者も全員仲間に加えている。自分たちが危険に曝されようとお構いなし。正義のヒーローだと言わんばかりに行動している。そのせいで死んだ人も――厳密にはその人のミスだけど――二人ばかりいる。私も途中で拾われたから詳しいことはわからないけれど、この高雄剛も骨折している左腕を噛まれているらしい。身体に不調はないらしいから、今もこのグループのリーダー的な存在になっているけれど、この先どうなるかはわからない。死んだ後に化け物になるかもしれないし、おかしな能力が使えるようになるかもしれない。この私みたいに。

 「もしもし、川内か。ああ、次の目的地だ。なるべく早く燃料は手に入れておきたいよな。そうか、まずいな。わかった、とりあえず向かってみよう」

 「なにかあったの」

 「五号車の一人に不調を訴えてる人がいる。咳が酷いらしい。もしかしたら症状が出始めたのかもしれない」

 夫婦揃って険しい顔をしているのがバックミラーに映っている。こんな大所帯にするから様々な問題を抱えることになる。頭を悩ませるのは自分のことだけでいいと、私は常々思っている。

 「とりあえずガソリンスタンドに寄って、その後は学校に向かおうと思う。俺たちもずっと町を走り続けるわけにはいかないからな」

 「でぱーとは?」

 「今度のお休みに行こうな。今日は皆でドライブだ」

 今度なんてやってこないのに。優しさって、よく考えるとその中に残酷さを孕んでいることがある。今の場合だと嘘っていうものを。私の隣でキリンのぬいぐるみを愛でているこの子は、それに気付かない。きっと気付く日はやってこない。私たちはこれから先、死者から逃げ回りながら生きていく。その生活に休みなんてないでしょ。

 車が死者を撥ねる。窓の近くを人の身体が流れていった。それに気付かず隣で笑うこの子も、とても残酷な存在に思えた。


 「あいつら、どこに行っちゃったんだろお」

 「茉莉先輩は、奴らは獲物を求めて下に行くって言ってたわよね。その予想が的中したのかしら」

 廊下を歩く俺たちは静か過ぎるその雰囲気に、逆に気持ち悪さを感じていた。

 「それもあるとは思う。でも油断はするなよ。どこに隠れているかわからない。それにただ喰いに来る鈍間だけじゃないこともわかったんだ」

 原因はわからないが感染者の中にも個性のようなものがある。空気感染させる水疱だらけの化け物や、動きの機敏で攻撃的な奴。どいつにしてもヤバいのに変わりはない。

 「それにしても、あんた一人でこれをやったの」

 鶴飼が死者を跨ぎながら言う。俺が昨日殺した奴らだ。非常階段から廊下に十数体の身体が転がっている。

 「普通の鈍間なら問題ない。複数相手だとさすがにきついけど、一対一なら安全だ」

 「でも噛まれたんでしょ」

 「大勢を相手にしたら、さすがに無傷とはいかない」

 と言っても、噛まれた際の痛みなんかはそれほど感じないし、血が結晶になれば鎧のようになってくれる。それにさっき気付いたが、傷がほとんど治っていた。肉を食い千切ろうとしてきた傷だ。かなり深手のはずなのだが、ほとんど痕も残らず治っている。やはり俺の身体はどうかしてしまっている。

 「ああ! 奴らがあ!」

 進行方向の右側、理科準備室から二体現れた。のろのろと俺たちの行く手を遮る。こいつらは普通の奴らしい。なら時間をかけるだけ無駄だ。

 短刀を抜いて突っ込む。手前でスライディングして一体を転ばす。背後に回った俺は立っているもう一体の首を刈る。這い寄ってきた奴の背中に跨り首に刃を突き立てる。

 「す、すげえ」

 マケトさんが目を輝かせる。

 「桐谷君すごいよお、こんな一瞬でスタイリッシュに二体も倒しちゃうなんて!」

 俺の手を握りブンブンと振るう。手汗がひどいな。

 「さっさと進まないと、奴らに囲まれたら危ないですから。それにマケトさんたちが襲われる前にどうにかしないと」

 「ありがとう! ありがとう!」

 「あんたがいれば屋上までは行けそうね」

 「すごい心強いです」

 三人にそう言われ顔を逸らした。恥ずかしいというか、照れるというか、嬉しいんだろうな。今まで孤独で生きてきた俺が、人の為になにかをして感謝されることが。こんな世界にならなきゃ、もしかしたら味わうこともなかったかもしれない。

 「奴らの相手は俺に任せくれ。だから三人は安心していい」

 三人の表情が綻ぶ。信頼されている。頼りにされている。こんな感覚は久しぶりだった。

 「お兄ちゃん、かっこいー」

 「お兄ちゃん、じょうずー」

 屋上へと上がる階段から二人の少女が下りてくる。昨日職員室で会ったゴスロリ少女だ。

 「なにあの子たち」

 「私たち以外にも無事だった人がいたんですね!」

 「うひょ、幼女」

 マケトさんの湿った手を振りほどき三人の前に立つ。

 「君たちは一体何者なんだ。明らかに普通ではないよな」

 俺の問いに、二人の少女はクスクスと笑った。

 「朔夜、おかしいってー」

 「灯、へんだってー」

 「ねえ、あの二人なんなの、知り合い?」

 鶴飼が眉間に皺をつくって顔を寄せてくる。あの二人を見たら誰しもそう思うだろう。あの子たちは異常だと。

 「幼女、幼女、ゴスロリ幼女」

 訂正、一人を除いて。

 「昨日職員室で会ったんだ。まともじゃない。俺たちとはなにか違う」

 二人は階段を下りて歩み寄ってくる。ヒールの高い白と黒のブーツを鳴らしながら、笑いながら歩いてくる。

 「朔夜―サクヤ―」

 「灯―アカリ―」

 俺たちの前まで来ると、なにかのショーを始めるかのようにお辞儀した。俺たちの見つめる前で途端に二人は姿を消した。

 「幼女が消えた!」

 辺りを見回すと二人は俺たちの後ろに立っていた。

 「瞬間移動、ですか」

 「あなたたちなんなの」

 二人はまたクスクスと笑う。俺たちの反応を見て楽しんでいるようだ。

 「お兄ちゃん、それかえしてー」

 「お兄ちゃん、灯のかえしてー」

 二人が手を伸ばす。二人が言っているのは、やはりこの装飾された短刀。

 「やっぱりこれは君たちのなのか」

 「「そうだよー」」

 「どうして君たちみたいな小さい子が、こんな危ない物を持っているんだ」

 二人は顔を合わせてクスクスと笑う。

 「灯はちいさくないよ」

 「朔夜はおおきいんだよ」

 「えー、灯のほーがおおきいよー」

 「えー、朔夜だっておおきいよー」

 なにやら揉めだす二人。俺の混乱は加速し、苛立ちに変わってくる。

 「質問に答えてくれ、君たちは一体なんなんだ」

 二人が真顔で俺を見る。何故かはわからないが、俺は一歩後ずさった。

 「わたしたちに、命令しちゃだめなんだよ」

 「わたしたちに、怒っちゃいけないんだよ」

 その瞬間、俺の背後から何かが迫ってきた。その場で横に跳び避ける。顔を上げると、俺を呆然と見つめる三人。

 「いきなりどうしたんですか」

 「今、何かが後ろから」

 言いかけて思う。何も迫ってなんかきていない。確かに大きな何かが迫ってくる気配はあった。でも実際はなにもない。しかもそれを感じたのは俺だけ。

 気が付くと三人の間に少女がいた。クスクスと笑っている二人の手には細やかな装飾がされた短刀が握られていた。

 ――二人の手に?

 いつの間にか握っていたはずの短刀がなくなっていた。鞘も腰から抜き取られている。

 「かえしてもらったー」

 「わーい、わーい」

 二人が刃を振り回して喜んでいる。三人が散り散りに離れる。

 「お前ら、いったい」

 短刀を握った少女二人が、未だ床に座ったままの俺を見下ろす。

 「お兄ちゃんはね、いいかんじなの」

 「それいがいはね、ぜんぜんだめなの」

 「なんの話をしてるんだ」

 「特にこの人、くさい」

 「一番この人、うざい」

 二人がマケトさんを見る。

 「なんだい、おにいさんに御用かな?」

 「ううん、用なんてない」

 「ううん、意味なんてない」

 嫌な予感が胸に去来する。二人に手を伸ばしたが、手遅れだった。

 「「あなたには、意味なんてない」」

 二本の刃がマケトさんの腹部を貫く。引き抜くと赤い液体が大量に床にぶちまけられた。女子二人の悲鳴が廊下に反響した。


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