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俺たちの生きる世界はちっぽけで、代わり映えのしないものだ。同じ景色、同じ音、同じ匂い、毎日毎日同じ世界に囲まれて生きていく。それは明日も、明後日も、その先も、変わらない。
だが、今となってはその”変わらない世界”は”変わらないはずだった世界”と言うしかない。何故なら、変わってしまったから。
「なに突っ立ってんだよ、お前も行くぞ!」
右腕を力任せに引かれる。全ての感覚が遠い。脳の周りに薄い膜が張っているかのような、そんな感覚。
俺は今どこにいるんだ。俺の腕を引いているこいつは誰だ。なにもかもが曖昧でわからない。どうして俺たちは必死になって校内を走り回っているんだ。どうしてあちこちから悲鳴が聞こえるんだ。どうして、人が人を食べているんだ。
「紅弥! どうしちまったんだよ、しっかりしろ!」
肩が強く揺さぶられる。正面には九月も終わるというのに汗だくになっている男がいた。俺の足が動かなくなっていることに今さら気付いた。
「いつまで寝ぼけてんだよ! こうなりゃ力ずくで起こして」
振り上げられた拳を掴んで下ろさせる。
「わるい優真。少し混乱してた」
「ったく、心配させんじゃねえよ。行くぞ」
優真を先頭に数人が廊下を走っていく。
――混乱は今でもしている。いや、混乱するなって方が無理な話だ。
俺の知っていた世界は、いつの間にか俺の知らない世界に侵食されていたようだ。変わらないと思っていた世界は、いとも簡単に壊れてしまった。