渦虫
昭和初期の日本のイメージに拘ってみました。
カタカナを一切使わないで書き切れるか試してもみました。
おとうさまのお仕事は、特異な天性を持つ扁形動物から、純度の高い油脂を搾り出しては、食の油として手を加え、闇と呼ばれる市に卸す作業なのでした。
まだ定まった呼び名は無いようですが、広く「渦虫」と通り名を持つ、渦虫綱に従属するその水棲動物は、清らかな水路にのみ棲息し、その固体は斬っても斬っても斬り口から、あれよあれよと真新しい固体を、再生する術に長けております。
黒褐色でぬめりぬめりとした、扁平で錘の形のこのものは、甚だしく大きな固体でも、回りは私の親指の、尺は小指の程合いにしか成育せず、四肢も体の節も持たぬまま、ただただのっぺりと構えているのです。
心臓も無い、脊髄も無い、おまけに肛門も無い、と無い無い尽しかと思いきや、三角の頭をちょこんと所有し、中にはきちりと隙間無く脳が納まり、頭の表面には寄り目をする黒目を据えた、楕円の白目がぴたりと張り付いております。
惚け面と申しましょうか、無垢と申しましょうか、滑稽本からひょいと抜け出た、騙されても騙されても疑うことを覚えない、お人が良くて心が清い殿方を思い出させるその瞳は、それはそれは愛しいのです。
水晶体を持たぬ杯の形のその瞳は、いかなる事柄が生じてもその寄り目を離すことはなく、本当に何を思っているのか、皆目も見当が付かないのですが、その容姿にちらりとでも触れた方々は、一人も漏らさず愛玩の情を抱くに相違ありません。
おとうさまはそのような愛くるしい渦虫を、生命力がまだ盛んなままに生け捕り、その固体を脳と胴に腑分けしては、脳の独りきりをとぼとぼと川に戻されることから、「殺生感興の渦虫取り」などと隠れ言を宣う御仁もおりましたが、気に掛けるご様子を微塵とも現さず、せっせとお仕事に精を出しておられました。
一度だけおとうさまに誘われて、お仕事をお助けしたことがあります。
その年から学校の制度に改正が加わり、私は国民学校から呼び名の変わった小学校の、五年生となっていました。
日頃からあまり外に出向くことのなかった私は、最初は煩わしいと憂えたのですが、「たまにお外の風に当たらないと、お体に申し訳が立たないですよ」とのおかあさまの戒めに素直に従ったのです。
それは大須戸能と呼ばれます、薪能の催しまでに残り幾日の、心地の良く晴れ渡った午后のことで、「日和申しの甲斐があった」とおとうさまも、大変にご機嫌がよろしいのです。
お仕事の道具なのでしょうか、大きな笊とお鍋に柄杓を、紐でしっかりと背中に結わえ、お腰には大きい魚籠をぶら提げております。
私はおとうさまに手を曳かれ、お仕事の場である三面川の川縁まで、お唄を歌いながら愉快な気持ちで歩いておりました。
「森の木陰で どんじゃらほい しゃんしゃん手拍子 足拍」ですとか
「みかんの花が 咲いている 思い出の道 丘の道」などと私が歌いますと
「とても上手ですね。大きくなったらお唄歌いになりましょうか」とお褒めの言葉を下さいまして、「では、おとうさんも」と咳を一つしますと
「青い芽を吹く 柳の辻に 花を召しませ 召しませ花を」と、とても伸びやかな声で歌われるのです。
そこかしこで、おとうさまのお唄に喝采を贈るかのように、蝉達が惜しみなく鳴いております。
足下からにょきりと伸びるおとうさまと私の大小の影法師は、麦藁帽子に被われた頭の辺りが、土星の輪郭のようにくっきりと地面に映し出され、「まるで填星の親子なのです」とおとうさまに告げますと、「お星のお名前を沢山知っていますね。では、お星みたいに、くるりくるりと回ってみましょう」と言うや否や、繋いだ手をそろりと放つと、両の手を水平に伸ばし、「くるりくるり」の掛声と供に羽根車よろしく回り出しました。
私も負けないように、おとうさまの掛声に旋律を併せ「くるりくるり」と声を弾ませては、おとうさまと同じ向きに回ってみるのです。
「くるりくるり」の合唱は、「もう、いけません」の笑いの混ざった私の悲鳴と供に終りを告げ、よろよろと自由の利かないままに、その場に尻餅をつきそうになった私を、おとうさまはがしりと抱きかかえて下さるのです。
頼もしく堅固で、それでも柔らかく、情深いおとうさまの両の手に支えられた時のぬくみといったら、それはもうお日様よりも暖かいのです。
目の回った私は、遠くに望む以東岳が、しっかりと地に脚をつけて見えるようになるまで、おとうさまのぬくみに包まれては、もう嬉しくて嬉しくて笑いが止まりませんでした。
おとうさまを見上げますと、麦藁帽子の影になってはいるのですが、その眼縁に深い深い皺をお作りになって、とても温和な笑顔を見せて下さっているのを、はっきりと伺うことが出来ました。
あれ程に楽しかったことはありません。常日頃からおとうさまはとても優しく、声を荒げることもなく、私をとても可愛がって下さいましたが、おとうさまと二人で三面川まで歩いたあの道程は、おとうさまとの想い出の中でも、最も愉快で、決して魅力の薄れることがない出来事なのです。
三面川の川縁に到着しますと、おとうさまは背中の荷を解き、初めから川縁に置かれていた、平らに磨き上げられた石の、右に笊を、左にお鍋を配し、「お鍋の中に川の水を汲んできてくれますか。お鍋の半分ほどでいいですよ」と私にお鍋と柄杓を手渡したのです。
言い付けの通りに私が柄杓でもって、川の水を汲んでおりますと、おとうさまはじゃぶじゃぶと川の中州まで迷いもなく進み、仕掛けてあった罠をひょいと水から取り上げては、その筒状の中を覗くこともせず、お腰につけた私の頭よりも大きい魚籠へ、とんとんと中身を流し込むのです。
そこが終われば今度はあそこと、点々とする中州を次へ次へと渡り歩いては、罠の中身を魚籠に集めていきます。
魚籠が一杯になれば、川縁にじゃぶじゃぶと戻られて、竹の薄片で編まれた大きな笊に、魚籠の中身をざぶんと広げます。
そこには水でふやけた落ち葉や、名前の判らぬ小さな水棲動物に混ざって、あの愛しい瞳を持つ渦虫が、所狭しとぬめっていました。
あらかた渦虫が集まりますと、おとうさまは注意深く笊を持ち上げ、川の縁によいこらせと運び、渦虫が流されないようにそうっと笊を川に浸し、足や腰を折り曲げた屈んだ構えのまま、浮き上がって来た落ち葉や塵を丁寧に取り除いた後は、ゆっさゆっさと笊を前後に揺らして、渦虫を綺麗にして差し上げるのです。
屈んだ構え故に、ゆとり無く突き出されたおとうさまの臀部を拝見しますと、懸命にお仕事を為さっている様がひしひしと伝わってきました。
もうこれ位でいいだろうと、笊を川からそうっと持ち上げ、やれやれと窮屈に折り曲げた足や腰を、常日頃と同じ常態に直ぐに伸ばしますと、おとうさまは深く微笑んで、「今日も大漁です。さあさあ、今度はこちらにきておとうさんを手伝って下さい」と私を手招きいたしました。
私がおとうさまの傍らに、同じように川を真向きにしてしゃがみますと、「これが道具です。お怪我をしないように、気を引き締めるのですよ」と小刀を渡されました。
私が笊の中を覗いてみますと、そこには「まったく僕たちは何処にいるのだろう」といった風情で、きょとんとした瞳の渦虫が、それこそ何百匹の単位でもぐもぐと蠢いております。
黒褐色の塊の外面に、白く寄り目をした瞳が無数に点在する有様は、手応えも無く人の手に捕らえられた、間の抜けた百目の物の怪のようで、少しは気味が悪いのですが、やはり愛くるしいお姿なのです。
「このように可愛らしい渦虫を斬り分けてもいいものでしょうか」と私はおとうさまに尋ねますと、「心配はいらないよ。しくじらなければ、こやつらは死なないんだよ。斬った口からにょきりにょきりと真新しい体を生やしてくるのだから」とお答えになり、笊から一匹の渦虫を取り出しました。
おとうさまの大きな右の手の平に乗せられた渦虫は「はてさて、これから何をされるやら。僕はどうすればいいのやら。判らない物は仕様が無い。それなら途方に暮れましょう」と思っているのか、惚けた寄り目のまま、むにゅむにゅと可愛らしく蠢いております。
「脳はいけないよ。三角の、ここが、こやつらの頭なのです。ここにはわずかながらも、脳が納まっているんだよ。だからこの三角を斬り分けたら、川の流れにそっと返してあげよう。こやつらも脳が見当たらないと、もう真新しく生えてきてはくれないのだから」と仰ると、おとうさまは左の指で優しく渦虫を摩りますと、そのまま二本の指でひょいと持ち上げ、足元の平らな石の上にちょこんと乗せると、きちりと砥がれた小刀を、三角の底辺に一文字に沿え、そのまますぱりとやられたのです。
平らな石の上にぽつんと残された三角の頭は、「あれ、頭だけになりましたか。胴は何処へ」と相変らず寄り目のままにきょとんとしています。
そんな三角を、おとうさまはそっと摘み上げ、ゆっくりと川の流れに戻してさしあげますと、突起の削がれた、黒い金平糖のような三角は、二つの点の真っ黒いまなこを、寄り目をして戯けるいるかのように、きらりと光る水面の下を、ゆるりゆるりと何処へと泳ぎ去り、それはそれは可愛らしいお姿なのでした。
脳から斬りとられた胴には、食した物を同化させるための、手軽な臓物が収まっているのですが、もはや口腔は三角と供に、川の深くに放たれておりますので、臓物としてのお役もすでになく、手持ち無沙汰に大人しくしております。
「いいですか、次が肝要です。この残された胴は躊躇う事無く、このお鍋に放り投げましょう。ずっと摘んでいてはいけないですよ」と仰ると、しんと静まり返った胴を、陶磁器で出来たお鍋に、ほいと投げ入れるのです。
頭を失った渦虫の胴は、ちゃぽんという音と供に、お鍋の底にゆらゆらと沈んでいきます。
笊に集められた完成体は、おとうさまの小刀で頭と胴に斬り分けられ、頭は再び川へ、胴は鍋へとそれぞれの道程を歩むことになるのです。
「命はどうなるのでしょう。同じように二つに分かれるのでしょうか」と私は再びおとうさまに尋ねてみますと「命はあの三角の頭と一緒に川に戻られましたよ。心配は要りません。こやつらは痛みも感じませんから、さあさあ、遠慮無くすぱりと斬り分けて下さい」とお答えになり、私はやっと安心することが出来たのです。
それではと、私もおとうさまから授かった小刀を右の手に、残りの手で笊から渦虫をひょいとつまみ上げると、平らな石の上にちょこんと乗せ、そうっと小刀を三角の底辺に沿えてみました。
「ごめんなさいね」と一言、渦虫に謝罪を入れますと、それでも「あれあれ、どうなることやら」と惚けたままむずむずとしております。
すぱり、とやってみました。
特に余分な力を入れることも無く、渦虫の三角の頭と胴は、無事に綺麗に斬り分けられたのです。
三角の頭をそうっと川に戻して差し上げ、お鍋に投げ入れようと頭を失った胴を指で摘み上げてみました。
「ずっと摘んでいてはいけないよ」とのおとうさまのお言葉を覚えてはいたのですが、ひんやりとして、耳たぶよりも柔らかく、押しては元に戻るという、潰れそうで潰れはしない感触が面白く、しばらくは力を入れたり抜いたりを繰り返していたのです。
するとどうしたことか、頭を失った胴は出し抜けにぬるりと動き始めては、二本の指から逃れ、私の腕の上へ上へと直ぐに昇ろうとするのです。
思いも寄らぬことでしたので、急いで手の甲で払いましたところ、ゆるりゆるりと泳ぎ去る三角の頭のすぐ後ろに落ちてしまったのです。
するとどうでしょう、惚けた瞳で泳ぎ去る三角を追いかけるように、胴も泳ぎ始めたのです。
まるでつれない恋人を追いかけるように、「おおい、待っておくれよ。僕の頭じゃないか」と、胴は自身の頭を追いかけるのですが、頭の方は、「あはは。川に戻れました。嬉しいのです」と、斬り分けられた胴のことなど、既に忘れてしまったかのように、後ろも振り返らずに泳ぎ続けるので、二つの距離は全く縮まりません。
そんなお姿を見ていると、やはり斬り分けられた胴にも、命というものが等分されたのではと、再び心配になりまして、「おとうさま、ご覧になって下さい。胴が頭を追いかけているのです。やはり、胴にも命があるのではないでしょうか」と尋ねましたところ、真剣なまなざしで渦虫の斬り分けを行なっていらしたおとうさまは、ふいとお顔を私の指差す方に向けまして、頭と胴の鬼ごっこをご覧になられました。
「ああ、あれですか。大丈夫です。胴の細胞ひとつひとつには、まだ命があった時の記憶が残っているのですよ。あやつはその記憶のままに細胞を動かして泳いでいるのです。さあさあ、あと少しです。どんどんと片付けてしまいましょう」とお答えになったのです。
まるでおとうさまが、夢中になって読んでおられました「幻魔怪奇探偵小説」の中に登場いたします「正木敬之教授」のお言葉のようにも響いたのですが、それでも今度こそは私も安心し、渦虫の斬り分けに熱中したのでした。
おとうさまが死歿したのは、やはり渦虫を集めているまっさかりの出来事でした。
ひとつに集められた渦虫は、一人前の殿方の、心の贓あたりまでの身の丈がある、太くて丸い錻力の缶に満々と蓄えられております。
三日ほどお家にお戻りになられなかったおとうさまを、おかあさまは三面川の川縁まで出迎えたところ、錻力の缶から人の脚が、にょきりと二本、直ぐに伸びているではないですか。
以東岳を背景にしたその光景は、まっすぐ上に昇りきったお日様に、強く激しく照らし出され、くっきりと斬り絵のように斬り取られた、川辺に伸びる二本の真っ黒い脚の影や、辺り一面に転がる大小の灰色の石、遠くに望む以東岳の眩しいばかりの緑、そして忙しなく鳴き続ける蝉達の声や、肌を穏やかに撫でる微風と相まって、まるで抽象芸術家の綿密な見積もりでもって構成された、超現実主義に基づく空間のようであったそうです。
おかあさまは一瞬、甘味で美しい白昼夢に溶け込んでしまったのかと、意識そのものが遠くへ遠くへと離れていく感覚に襲われたそうですが、はっと我に返ると、あれはおとうさまの御御足に相違無いと、やっと勘付かれたそうです。
これは容易ならぬ出来事と、灰色の石に捕らわれながらも、せっせせっせと錻力の缶へと、ご自身の二本の脚を進め、脳の離れた渦虫に半身を埋没させたおとうさまを、力の限りに引き抜こうと、渾身の力を込めたとのこと。
引っ張り出すことは儘ならぬ、然れば錻力の缶もろとも、横に倒してしまいましょうと、よいさよいさと全身を押し付け、ようやくの思いで打ち負かすと、横に倒れた錻力の缶からは、ざざざという音に連れられて、数千、数万の渦虫の胴と供に、おとうさまの総身が、やっとこさ現れたそうです。
おとうさまのお顔や頭に、これでもかとへばりつく渦虫を、おかあさまは急いで払うと、渦虫の臓物の液に侵されたのでしょう、あちらこちらは、人としての色素をなくし、それでも満ち足りたように、にこりと笑っている死に顔を、窺うことが出来たのだそうです。
棺の中にぽつりと納まった、おとうさまのお顔を拝見した時も、とても幸せそうなお顔をしておられました。
臍より上を、脳を斬り取られた渦虫のぬめりとした胴に浸らせたまま、おとうさまは最後に何を思ったのでしょうか。
苦しくはなかったのでしょうか。
怖くはなかったのでしょうか。
何故、あのように幸せそうな死に顔なのでしょうか。
それよりも、何故おとうさまは渦虫で満々となった錻力の缶に、頭から没していったのでしょう。
最初、私はこう思いました。
おとうさまは渦虫に、魅せられたのではないかと。
錻力の缶に満々と蓄えられた、脳を斬り取られた、お役もなく、ただただ静かにぬめりぬめりと照りきらめくだけの渦虫に、おとうさまは、穏やかで変わりのない、普遍の愛しさを持たれたに違いないと。
そんな渦虫の溜まりを覗いているうちに、自身のお顔をその溜まり深くに埋めてみたくなり、あまりの恍惚に、ずぶりずぶりと没していったに違いないと。
おとうさまが、そのような心境に陥ったことを、私は少しも不思議だとは思いません。
何故ならあの夏の日、おとうさまと一緒に三面川で、渦虫の斬り分けをしていた時に、私も似たような欲求に駆られたからなのです。
笊の中で、何百匹の単位でもぐもぐと蠢いております渦虫は、三面川の川面に反射する、お日様の光りさながらに、きらりきらりと煌いており、それはそれは平和でのどかで、さすがにお顔とは思いませんでしたが、せめて手の平だけでも、その中に埋めてしまいたいと強烈に思ったものでした。
笊の中の渦虫に対してでさえ、そう思えたのですから、錻力の缶の中で、それこそ何千、何万と蠢いている渦虫を見てしまったら、どうなったことでしょう。
おとうさまは、ほんの少し気を緩めたばかりに、あらがうことも出来ない欲求そのままに、深く深くご自身の身を、渦虫の中に沈めてしまったのではないでしょうか。
それにしても不思議に思えたのは、渦虫がおとうさまのお顔や頭にのみ、きちりとへばりついていたということです。
それも、脳を斬り取られた斬り口を、確りとおとうさまの顔面や、髪の毛を掻き分けて辿り着いた頭皮に、隙間無くくっつけていたとのこと。
へばりつく、というよりも、おとうさまから何かを、吸い出そうとしていたようにも思えるのです。
口や瞼はしっかりと閉じていたのでしょう、そこからは渦虫は見付からなかったそうですが、閉じることの出来ない鼻や耳の穴には、まるで我先にと争ったように、数匹の渦虫が嵌っていたそうです。
幸せそうな死に顔を、数百の渦虫で覆い隠していた、おとうさまのご様子を想像すると、まるで渦虫のみで出来上がった仮面を、嬉々として頭からすっぽりと被っているお姿が浮かんでくるのです。
そんなお姿を思い浮かべていると、はっとあることを思い出しました。
初めて渦虫の斬り分けをしたあの時、私はおとうさまの「ずっと摘んでいてはいけないよ」のお言葉に逆らい、その胴だけとなった渦虫の感触が楽しく、二本の指で弄んでいました。
しばらくすると、その胴だけの渦虫は、私の二本の指の拘束から逃れ、私の腕を上へ上へと直ぐに昇ってきたのです。
上へ上へと昇った先には何があったのでしょう。
そこには私の肘が、肩が、首が、そして顔が、頭があるのです。
もしもあの時、私の腕を這い上がってくる渦虫を、急いで手の甲で払わなければ、渦虫は確実に私の顔や頭に到着したのではないでしょうか。
手で払いのけられた頭を失った渦虫は、その勢いで川に落ち、ゆるりゆるりと泳ぎ去る、少し前まで自分の物であった頭を追いかけ始めました。
渦虫の頭は、そんな少し前まで自分の物であった胴のことなど意に介せず、意気揚揚と泳ぎ去ってしまいましたので、結局は頭は胴に追いつくことも出来ず、やがて川底へと消えていったのです。
「胴にも命があるのではないでしょうか」の私の問いに、おとうさまは「胴の細胞ひとつひとつに、命があった時の記憶が残っているのです」と答えておられました。
つまり「あるのは命ではなく、記憶だけ」ということでしょう。
その時は、私は何の疑問も無く、そのお言葉を受け入れたのですが、果たして記憶だけで細胞のひとつひとつが動くものなのでしょうか。
しかも胴だけとなった渦虫は、何の迷いもなく、自身の頭を泳いで追いかけたのです。
結局は、命も等分されたのではないでしょうか。
あるいは、命は頭に、記憶は胴に、と腑分けされたのかも知れません。
そう考えると、なんとなく辻褄が合うようにも思えるのです。
記憶を無くした頭からすれば、自身の胴のことなど覚えていない訳ですから、いくら後ろから胴が追いかけてきたとしても、ほんの少し前に斬り分けられた自身の胴であることなど、判るはずもないのです。
一方、記憶だけになった胴は、自身の頭が斬り分けられた記憶も、情報としてきちりと残っていたはずですし、まだ頭が付いていた頃の、あるいはまだ命が宿っていたころの記憶も、情報として残っていたはずです。
記憶は脳という容れ物に入っていると、以前に何かの本で読んだことはあるのですが、果たして真実なのでしょうか。
記憶そのものは、体全体の各細胞に蓄積され、脳はただそれら各細胞に信号を送り、各細胞はその信号を受け取った際に、自身の記憶に則して、その場その場で取るべき行動を起こすのではないでしょうか。
斬り分けられた自身の頭のすぐ後ろに、ぽちゃりと振り落とされた胴は、その頭から僅かながらに発信された信号を、辛うじて受信したがために、「自分の頭だ」という記憶とともに「それそれ追いつけ」という自身の記憶に忠実に行動したのではないでしょうか。
頭を失った渦虫にとって、それはその時に取るべき行動だったのだと想像出来るのです。
そこまで思いを巡らすと、私はぞっとしました。
あの三面川の川縁で、渦虫が私の腕を上へ上へと直ぐに昇ってくるまさにその時、私は胴だけになった渦虫に対して、抱いた感情をありありと思い出したからです。
「ああ、なんて愛しいのかしら」と。
私から発信された「愛しい」という信号を、その胴だけの渦虫は確りと受信し、その場で取るべき行動、つまり「そこに僕の頭がある」と誤解したがために、私の頭に目掛けて昇ってきたのではないかと。
いえ、本当に欲しかったのは、頭、ではなく、私の「脳」ではないかと。
人の脳には、まだまだ未知の領域が限りなく存在している、と聞いております。
渦虫という水棲動物の生態も、まだまだ詳しくは解明されていないのでしょう。
なにしろ「定まった呼び名」すら、まだ与えられていないのですから。
何も解明されていない、人の脳と、渦虫。
その間には、一体どんな摩訶不思議な出来事が起きても、それは決して不思議ではないと、そう思えるのです。
おとうさまは、渦虫に魅せられ、こう思ったのではないでしょうか。
「ああ、なんて愛しいのだろう」と。
錻力の缶の中の数千、数万の渦虫は、いえ、数億、数十億の各細胞の記憶たちは、そんなおとうさまからの信号を受信し、そこに自身の頭、いえ、自身の「脳」があるのだと、誤解したのではないでしょうか。
おとうさまが渦虫に魅せられただけでは無く、渦虫がおとうさまに魅せられたのです。
と言うよりも、おとうさまの「脳」に魅せられたのです。
そして、おとうさまと渦虫は、相思相愛のままに、お互いに強く引き寄せ合い、やがておとうさまは錻力の缶の中に、ずぶりずぶりと没していったのではないでしょうか。
渦虫は、ただひたすらに、おとうさまの脳を求めて、我先にとお顔や頭、耳や鼻の穴に、その頭を斬り分けられた丸い斬り口を向けたのではないでしょうか。
もしかしたら、数匹の渦虫は、おとうさまの脳にと、やっとこさに辿り着いているのかも知れません。
おとうさまの死体を腑分けしてみれば、おとうさまの脳から、渦虫が発見される可能性もあるのではないかと、そんな思いがあります。
そして、あの幸せそうな死に顔。
あれはおとうさまの笑顔ではなく、やっと自分の脳を見つけることが出来たと誤解した、胴のみの渦虫が生み出す、安堵感から来る笑顔ではなかったのでしょうか。
お上の方は「何故あのような体の構えで、事切れたのかは、甚だ不可思議ではあるが、外部から受けた傷らしき物もなく、目撃談も伝えられてこないのであれば、哀れ極まりない事故であったと始末するしか、致し方がないのです」と説明されておりました。
事故ということですので、どうやらおとうさまの腑分けは、行なわれないようです。
ご近所の方は「殺生感興の渦虫取り」などと隠れ言を宣われていたおとうさまですから、悲痛そうなお顔のままに「あれは、ほれ、あれだよ、渦虫の仕返し、呪いに違いない。因果応報って奴だ。諦めなさい」と、慰めにもならないお言葉を掛けておりました。
そのような説明やお言葉を掛けられても、おかあさまは、ただただ訳も判らず、慟哭しておられます。
私はそんなおかあさまを、啜り泣き労わりながらも、決して事故や呪いではないと確信出来るのです。
勿論、真相の程はきっとおとうさまにしか判らないのでしょう。
あるいは、渦虫にしか。
いずれにしても、渦虫のあの、愛嬌のある惚けた瞳と、おとうさまの苦しい様を一切表してはいない、幸せそうな死に顔が、奇妙に被ってきて、私の脳裏から決して離れてはくれないのです。