五.海戦
護衛艦【いせ】
時間を遡ること約5分前。それはリンク16を通じて【ゆきぐも】から高麗艦隊の海保に対するミサイル攻撃の情報を受けた直後であった。
<ソナー感!>
【いせ】の水測員の声がスピーカー越しに聞こえてきた。
<後方高麗潜水艦より注水音!>
その報告にCICにいる全員が凍りついた。注水音、それは相手が魚雷発射の準備をしていることを表しているからだ。
「対潜戦闘用意!これは実戦では無い!」
艦長の命令に誰も反応しなかった。
「復誦はどうした!」
艦長の怒鳴り声で我に返った副長が復誦し、ようやく艦が動き始めた。だが甲板VLSに装填されているアスロック対潜ミサイルを発射することはできない。ROE(交戦規定)が定められていない現状、自衛隊に先制攻撃は許されない。
その時だった。
「魚雷を探知。方位2−8−1。目標、魚雷を発射しました」
「回避!!」
東京 首相官邸
烏丸首相は5階の執務室に居た。地下の危機管理ルームならT作戦の状況をリアルタイムで知ることができ、数人の閣僚(おもに自民党員)が総理の入室を求めたが、烏丸は拒否して定期的に持ち込まれるペーパーで状況を確認していた。平和主義を標榜する政党のトップとしてのささやかな抵抗であった。
「総理。」
秘書官がドアを開けて入ってきた。
「緊急事態です。下の危機管理ルームに移動を願います」
対馬海峡
【チャンボコ】の放った魚雷は、艦隊の後方を進むDDGグループを襲い掛かった。DDGグループを構成する5隻の護衛艦、【あたご】【ゆうだち】【まきなみ】【さわぎり】【いそゆき】はそれぞれの機関出力を最大にして回避行動を開始したが、至近距離から放たれた魚雷を回避するには無理があった。白鮫魚雷は55ノットの速力で追いかけてくるのだ。
【いそゆき】が最初に犠牲になった。最近の魚雷は直撃させる必要が無い。磁気信管により目標艦の真下に達した時に爆発する。下方からの衝撃による竜骨を破壊された【いそゆき】の船体は真っ二つになってしまった。
【ゆうだち】には2本の魚雷が襲った。1本目は信管が作動せずそのまま艦底をすり抜けてしまったが、2本目は艦首側に針路が逸れて爆発した。【ゆうだち】は艦首を一瞬で吹き飛ばれたが、瞬時に海底へ消えることは無かった。回避行動が実った結果だった。
【まきなみ】を襲った2本の魚雷のうち1本は信管の過敏により【まきなみ】のはるか手前で爆発した。これは試験時に露呈した初期不良の1つで、その後の経済危機の中では十分な改善が施せなかったのだ。しかし先行していた1本を避けられず正常に作動し【いそゆき】と同様の結果となった。
5隻の中でも前の方にいた【さわぎり】と【あたご】にはいくらか回避の為のオプションが残されていた。【さわぎり】を襲った魚雷のうちの1本は先ほどの【まきなみ】を狙った魚雷の1本と同じように信管の過敏を起し手前で爆発。そしてすぐ後ろを進んでいたもう1本の魚雷のハイドロフォンは近距離での爆発音のために【さわぎり】を見失い、急回頭を行なった【さわぎり】を再び捕捉することはできなかった。
【あたご】には対魚雷防御システムが後日装備されていた。それは音響的な欺瞞と妨害による一種のデゴイ装置のようなもので、技術研究本部で開発され【まきぐも】型に初めて搭載されたものである。【あたご】は取り舵で急回頭すると、ただちにそれを使用した。
「魚雷防御システム発射!」
艦側面に設置された発射装置から筒状の物体が射出された。その物体は海面に落下すると適当な深さに自ら潜り、【あたご】のスクリュー音と似た音を発した。
「騙されてくれよ」
【あたご】艦長は艦橋のウイングから魚雷防御システムの落下した海面を双眼鏡で眺めていた。そして次の瞬間、その海面に水柱が立ち爆音が轟いた。
第二護衛隊群は2隻の護衛艦が撃沈され、1隻が戦闘不能の状態となった。それが高麗軍の自衛隊に対する初の戦果となった。
危機管理ルーム
「第二護衛隊群と海上保安庁が攻撃を受けた?」
烏丸は、そのあまりの報告に耳を疑った。
「で、いまはどうしているんだ?」
「海上自衛隊及び海上保安庁には安全圏まで撤退するように指示しました」
答えたのは防衛大臣の中山である。彼は自由民権党の議員の中でもタカ派として知られていた。
「今確かなのはこれだけです。わが国は高麗軍の攻撃を受けました」
竹島沖
海上保安庁への攻撃を終えた高麗艦隊はどこかへ消えた。【ゆきぐも】はそれを確認すると、攻撃を受けた巡視船の救助を開始した。【ゆきぐも】から降ろされた救命ボートに、撃沈された巡視船の乗組員が殺到する。
「思ったより、巡視船の乗員って少ないんですね。」
甲板より、その様子を眺めていた副長が部下に言った。
「巡視船はダメコンを考慮していませんから。」
「3隻か・・・」
現在、水上に見える巡視船は3隻。作戦開始前の半分だけだ。しかも、浮いている巡視船のうち【しきしま】ともう1隻は既に巡視船としての機能を失っており、無傷なのは1隻だけである。
「敵艦隊は撤退してゆきましたが」
「なにか企んでいるんでしょうかね。とにかく早く収容して、この海域を離れないと」
1隻で艦隊を相手することはできない。副長は、そそくさと艦内に消えていった。
【ゆきぐも】の医務室に【だいせん】の航海士は運ばれていた。
「大丈夫だ。お前は助かるぞ。」
医官が、航海士に言った。
「そうか…俺の船はどうなったんだ?」
「残念だが、もう沈んでしまったよ」
「…頼む…仇をとってくれ…【だいせん】の仇を」
医官は、航海士の手を優しく握った。
「あぁ。分かっている。」
北九州港 高麗貨物船【清津32号】
真夜中の埠頭の1つに【清津32号】が停泊したいた。
甲板に並べられたコンテナの一つが船員によって開けられる。コンテナの扉が開き、中に月の光が入り込む。そこには銃火器が並べられていた。船内から野戦服を着た男たちが出てきてコンテナから自分の銃を取っていった。
「諸君・・・いよいよ、時が来た。」
リーダー格の男が宣言した。彼らは精鋭中の精鋭。今回の作戦の為に特別に組織された特殊部隊であった。
「出撃だ!」
部下は全員で300人。彼らは全員、艦内の貨物スペースに集結した。そこで、先ほどのリーダーが、台の上に立った。
「諸君。作戦の概要を説明する。この作戦で重要なのは、速さだ!速力こそ武器なのだ!北九州市をその手に収め、主力部隊を迎え入れる準備をするのだ!キム中尉。君はAチームを連れて、市内の重要施設を制圧するのだ」
つづいて、リーダーは一人の男を指差した。
「ドン少尉。君はBチームを率いて、海峡を封鎖し、本州からのルートを断て」
そして、リーダーは一番奥にいる男に視線を移す。
「そして、リ中尉。Cチームを率いて、この港で主力部隊を迎える準備をしろ・・・作戦開始だ!」
「団結!」
兵士達が一斉に駆けていった。