四二.戦いに向かう者
太平洋 台湾沖
闇夜の中を旗艦であるヘリコプター護衛艦【ひゅうが】を先頭にして第1護衛隊群が単縦陣形で北を目指して進んでいた。晴れていれば綺麗な星空を眺めることもできたであろうが、生憎空は雲に覆われ雨が降り続いていた。
【ひゅうが】艦橋に第1護衛隊群司令の水無月海将補が幕僚長の藤堂1佐を伴って訪れた。そして艦長の相田1佐とともに雨が降り続く海上を眺めていた。
「もうすぐ戦場だというのに指揮官が油を売っていていいのですかな?」
相田の言葉に水無月は苦笑しながら答えた。
「もうすぐ戦場だからだよ。戦闘海域に入れば、ずっとCIC詰めだ。その前に外をじっくり見ておきたい」
「だとすれば生憎の天気ですね」
雨のせいで視界が悪い。
「まぁ、私はこれでも悪くないと思っているんだがね」
「それにしても高麗軍は侮りがたい。第2護衛隊群にあれだけの損害を与えるとは」
「そこでだ、艦長。我々、“広報の1群”の出番だよ。奴らに我々の強さを広報してやるのさ」
水無月の言葉に艦橋にいた全員が笑った。ずっと無表情を保っていた藤堂までも。第1護衛隊群は横須賀に本拠地を置いていて、首都が近いこともありマスコミの取材をよく受けるので“広報の1群”と呼ばれる。そこへ水を指すかのようにCICから報告が入った。
<対水上レーダーに感!>
それに呼応するように艦橋の航海用レーダーを監視していた乗員がレーダー画面の一点を指差した。様々なクラッターの中から素人目で見つけ出すのは困難だが、熟練したレーダー員の目は画面上の影に航行する船舶の姿を見ていた。
相田艦長がCICに繋がる艦内電話の受話器をとった。
「こちらでも捉えた。目視確認する」
見張り員が暗視機能付双眼鏡を片手にレーダー員が指示した方を捜索したが、見つかる気配がない。
「ダメです。雨が激しくて目視確認できません!」
衝突を心配するような距離では無いが、敵性船舶の可能性もある。見過ごすわけにはいかない。
「シーホークに確認させよう」
水無月が相田に向かって言った。シーホークとは海上自衛隊が艦載の対潜ヘリコプターとして配備しているSH-60を示す。第1護衛隊群にはそれに日本独自の改良を施したSH-60Kを配備している。そして今、そのうちの2機が艦隊の先を飛んで、敵の潜水艦を警戒していた。
1機のSH-60Kが【ひゅうが】の捉えた水上目標に進路を向けた。雨粒がキャノピーを叩き視界も悪い。赤外線センサーを通じて何とか海面の状況を確認できる状況だ。すると大型貨物船が緑のかかった画面の中に現われた。
「目標を目視確認。貨物船です」
ある意味、予測通りの結果であった。
「目標はパナマ船籍で台湾の企業が運行する貨物船です。敵性船舶の可能性は低いですね」
「だな」
第1護衛隊郡はこれまでも何回か中立国の民間船舶と遭遇している。
「日本周辺にもウジャウジャいるんでしょうね」
相田が呟いた。
「あぁ。おそらくな。“戦場の霧”というヤツかな」
おそらく戦闘海域周辺には中立国や日本の民間船の姿もあるだろう。しかし、どの段階でそれを高麗軍の軍艦や偽装商船と区別することができるのであろうか?もし民間船を撃沈するようなことになれば日本は外交的に大きなダメージを負うことになる。自衛隊にも批判が集中するであろう。しかし判断を誤れば敵に一方的に攻撃されることにもなりかねない。
そこへ部下が新たな報告をしてきた。
「友軍機が接近中です」
それは海上自衛隊が掃海任務と輸送任務に使用するために導入したアグスタウェストランド製のMCH-101ヘリコプターであった。掃海用器具を下ろせば乗員の他に30人ほどの人員を乗せることが可能な大型ヘリコプターで、南極観測船にも載せられている。
【ひゅうが】の飛行甲板に着陸した2機のMCH-101からは作業着を着た海上自衛隊員が次々と降りてきた。
「これで乗組員たちも楽になるな」
水無月が艦橋からその様子を見て言った。
護衛艦の乗組員の充足率は低い。実際に乗っている乗組員の人数が定員よりずっと少ないのである。なぜそのような状態であるかと言えば、海上自衛隊全体の人員の人数が定員に達していないという事もあるが、多くの乗組員が定期的に海上自衛隊の各種学校に出向しているという事情もある。日進月歩で進歩する軍事技術を体得するため仕方が無いことなのである。そういう場合は予備の乗組員を乗せて欠員を補うのが“普通の国”の海軍の通例なのであろうが、自衛隊には予備など存在しない。
MCH-101で【ひゅうが】に降りたのは、各種学校に出向していた第1護衛隊群の乗組員たちなのである。
「えぇ。これで我々の態勢は万全です」
相田がそう応じた。
北海道 苫小牧港
北海道では星空を拝むことができた。
港に自衛隊の唯一の機甲師団である第7師団の先遣隊が集まっていた。第71戦車連隊から派遣された2個戦車中隊で増強された第7偵察隊である。総勢60輌近い各種車輌から成る部隊は4隻の民間フェリーに乗り込み九州を目指す手筈であった。
「どうした?なぜ乗り込めない。日付が変わる前に出発したいのだが」
指揮官である第7偵察隊隊長の2佐はご機嫌斜めのご様子だ。有事法制にもとづき徴用されたフェリーにこれから乗り込むことになる筈なのだが、いつまで経っても乗り込めない。すると船員の一団と交渉をしていた第7師団長の大原陸将が2佐のところへやって来た。
「いったい何があったのですか?」
「それが、労働組合がうるさくてな。戦争には協力できないと…」
これだから日本は…。2佐は溜息をついた。しかしながら大原の方は船員たちの考えも理解できた。彼らが船員になったのは戦争に参加するためではないのであるから。太平洋戦争中の悲しい出来事も考えれば拒否するのも致し方ない。
2佐もそれを察したようだ。
「海自の連中、今度は守ってくれるんでしょうね?」
「してもらわなくては困るよ。そのために奴らは金をジャブジャブ使って、こっちが苦労する羽目になったのだからな」
80年代末から90年代にかけて陸上自衛隊には様々な新型兵器の配備が開始されたが、その配備状況はどれも芳しくなかった。冷戦終結という時代の流れもあるが、海空自衛隊の軍拡のために犠牲になったのが大きいだろう。F-15J戦闘機、AWACS、イージス艦。そういった高価な兵器を導入するために陸上自衛隊の装備購入予算が削られたのだ。そしてそれらの配備が終わり陸上自衛隊に再び予算配分がなされるだろうという時になると政府は財政再建のためと称して防衛費の削減を開始したのである。その結果が陸上自衛隊の現状である。挙句の果てに海に沈められたのではやっていられない。
大原は真っ暗ななにもかも飲み込んでしまいそうな海を見つめていた。もしかしたら九州で敵と戦うまえにあの海の中に引きずり込まれるのかもしれない、と思った。
「九州に送り届けてもらわなくては困る」
高麗軍はすでに橋頭堡を確保している。頑固に守る敵軍を追払うには強力な衝撃力を有する装甲部隊の投入は不可欠だ。そして日本にはそれは第7師団しか存在しない。
熊本空港
増援第1陣の中央即応連隊に続く第2陣は第1空挺団であった。パラシュート降下で敵の後方に降り立ち遊撃作戦を行なう空挺部隊には精鋭部隊が充てられるのが通例で、第1空挺団も世界の例に漏れず陸自有数の精鋭部隊として知られている。
空挺団は普通科3個大隊編制で、そのうち即応待機中であった第2大隊が第一陣として出発し、昼頃に熊本の大地に降り立った。そして夕方になって大隊が集結を完了した頃に新たな任務が与えられたが、それは空挺隊員達が待ち望んでいたものではなかった。
「山岸1尉。どうなってるんでしょうね?俺たちに陣地防御をしろって。これじゃあまるでバルジの戦いの101空挺じゃないですか?」
陸曹の1人が中隊長に愚痴った。精鋭部隊と言っても、その実態はただの軽歩兵で映画に登場する特殊部隊のようなスーパーマンでは無い。敵正規軍と正面から激突した場合は、輸送の都合により火力で劣る分、むしろ不利である。空挺部隊の強みは空中移動の機動力を生かし敵の弱点を突くことで、陣地に篭もって攻めてくる敵を正面から待ち受けるなどまるでお門違いなのだ。陸曹が例にだした“バルジの戦い”は第二次大戦中の1944年末にドイツ軍が西部戦線で反攻作戦を行なってアメリカを中心とする連合国軍と激突した戦いで、アメリカ軍は兵力不足のために空挺部隊を要衝バストーニュの守りに配備せざるをえなかった。そしてドイツ軍の猛攻撃を受けて厳しい戦いを強いられたのである。
「あぁあ。この前のドラマを見て、あんな戦いには絶対に巻き込まれたくない!と思ったんですけどね」
「じゃあお前は足を吹っ飛ばされて退場する奴の役だな」
「うちの衛生隊員はドラマに出てた奴みたいに砲撃の中を走り回れるかね?」
隊員達はこの前にみんなで鑑賞したアメリカの戦争ドラマをネタにして盛り上がっていた。少しでも緊張を和らげるため、これから彼らを待つ困難の姿を少しでも捉えるため。だが山岸には別の懸念があった。
「俺たちがバストーニュの再現をするのはしかたないとして、誰が第3軍を演じるんだろうな」
バルジの戦いではドイツ軍に包囲された第101空挺師団を強力な機甲部隊である第3軍が突破して救助した。しかし自衛隊に第3軍のような強力な予備戦力は存在するのだろうか?
国会の審議が進まず政治が停滞したまま、2日目は西普連の殿部隊が高麗の偵察部隊と交戦した程度で大した戦闘も起こらなかった。そして2日目が過ぎた。
(改訂 2012/3/23)
内容を一部変更