四一.戦いつづける者
雑餉隈駅前
桜井は周りに隊員たちが後始末をしている中で自分の射殺した高麗兵の死体を見下ろして立ち尽くしていた。
「どうした。撤収だぞ」
その姿に気づいた黒部が言葉をかけたが、どうも桜井の様子がおかしい。すっかり黙り込んでいて表情も幾分暗い。目には後悔の念が窺える。
「いや。自分が殺した死体をじっくり眺める機会ってなかったもので」
「その機会とやらも終わりだ。行くぞ」
黒部は待機している高機動車に乗るように促した。
福岡駐屯地の放棄も決まったので高機動車は一路、大宰府防衛線を目指して突き進んでいる。そのうち再び雨が降り始めた。桜井らの乗る高機動車は幌をつけていなかったので乗っている者はみな雨に晒されてしまう。
「なぁ一体どうしたんだ?」
桜井の相変わらず様子に黒部は堪らず尋ねた。しかし雨のため、耳の傍でしゃべらないと聞こえない。
「黒部1曹。森の中で里美に言われたんですよ。人殺しの顔だって。考えてみれば、自分は随分と簡単に人を撃てるなぁと思いまして」
「立派な兵士になった証拠だ」
だが黒部の励ましにも無反応だ。
「俺は人殺しのために自衛隊に入ったんじゃない」
その様子を見て黒部が溜息をついた。
「なぁ桜井3曹。じゃあなんで入隊したんだ?」
それを聞いた桜井は入隊まで経緯を話し始めた。2008年の東海大地震の時にボランティアとして現地に向かった事、その場で死にかけた事、そして災害出動していた自衛官に助けられて代わりに自衛官が死んだ事。
「ずっと誰かの為に役に立ちたいと思ってた。でも役に立てなかった。だから自衛隊に入ったんです。自衛隊でなら役に立てるようになると」
「青臭い理由だな」
「確かに…」
黒部は桜井が笑ったように見えた。たぶん自嘲の笑みだろうと黒部は思った。
「分かりやすく誰かの役に立ちたいって言うなら、ボランティアの方がずっと機会が多いと思うけどな」
「いや。実はその時ですね」
桜井が被災地で目撃した護憲NGO団体の様子を説明した。
「なるほど。そういう連中と同じように思われる事が嫌だったわけだ。本当に青臭い奴だ」
2人は大きな声で笑った。その様子にさすがに周りの隊員も気づき、状況が分からず怪訝な顔をした。
「まぁいいさ。基本的にそんなもんだ。ご立派な理由で入隊してくると、それだけ現実とのギャップに苦しむ」
また耳元でのヒソヒソ話に戻った。
「みんな、そんなもんなんですか?」
「ご立派な理由で入隊してきた奴はな。どうでもいい理由で入隊した奴だって一杯居るさ。原隊に戻ったら聞いてみるといい。とにかくだ。あんまり思いつめるなってことさ。人を殺しちまったって?後悔なら後で十分できるさ。だから今は自分の仕事をやり遂げることだけを考えろ」
「考えろったって…」
桜井の心はまだ定まらない。
「いいか3曹。だから言っているだろう?お前は自衛隊に居る目的がデカくて抽象的すぎるんだ。人々の役に立ちたい?国を守りたい?世界に貢献したい?そういうのはもっと上の連中が考えていればいいことだ。国だの世界だの、兵隊が考えるにはデカすぎる。だから実像が見えずに悩む事になる。だからもっと具体的な目標を見つけるんだ」
「具体的な目標…」
桜井が思い浮かべたのは荻原の顔であった。
「だが、例のガールフレンドはダメだぞ」
考えている横から黒部に全否定され桜井は苦い顔をした。
「全てお見通しですか?」
「だいたい予想がつくよ。だけどガールフレンドはダメ。敵地に取り残されているならともかく、俺達の手で安全地帯まで逃がしたんだ。そいつの事を考えていたら後ろのことばっかり考えて目の前の敵に集中できないものさ」
「そういうものですかね」
「そりゃ辛いだろうさ。置いてきた恋人やら家族やら忘れちまえってのはさ。だが、俺達はそれが仕事だ。だから忘れるんだ」
「それじゃあ、なにを目的にしろって言うんですか?」
桜井が大声を上げて車内に居る者の視線が再び2人に集中した。
「まぁ落ち着けよ」
突然の叫びに苛立っている周りの隊員たちに目を配りつつ黒部は桜井の肩を叩き宥めた。
「お前はレンジャー資格者だ。みんながお前を頼っている」
「だから何だって言うんですか?」
「ここは戦場だ。敵味方に分かれ、生死を賭けて争いを繰り広げる地獄だよ。そこで最後に頼れるのは何だ?国家か?正義か?違う。隣で戦っている仲間だ。そいつらはお前を信じているからこそ、思う存分に戦えるんだ。誰かの役に立ちたいと思うんなら、まず隣で戦っている奴の役に立つことを考えろ。俺が言えるのはそれだけだ」
桜井はそれを聞くと黙り込んで、小隊の仲間達のことを考えた。だが結論となるような考えは浮かばなかった。
「ところで1曹。あなたはどうして自衛隊に」
聞かれた黒部の方はなぜか目を伏せた。
「“ブラックホークダウン”だよ」
「えっ?」
「だから“ブラックホークダウン”だ。昔、そう言う映画があったんだよ。俺は憧れたんだ。あの映画に出てくる特殊部隊の隊員みたいに互いに命を預けられる連中、そういう連中の中に入りたかったんだ」
黒部の声は若干自嘲を含んでいた。
「だから俺は自衛隊に入って特種作戦群に志願した。俺もとんだ青臭い奴だったって訳だ」
2人はまた大笑いした。さすがに周りの人間は我慢できなかった。
「おい。静かにしないか」
北九州市内 コンビニ
夕陽が西に沈む頃であったが雲のために空は灰色だった。平坂2曹は雨の中、足を引き摺って市内を彷徨い、そして目の前にあったコンビニに無意識のうちに入り込んでいた。原隊の第40普通科連隊が壊滅して1人戦地に取り残されてからすでに24時間以上も何も口にしていない。
電気はまだ通じているらしく自動ドアは平坂に反応して動いた。そのまま倒れこむように店内に入ると、奥の調理パンやら弁当やらが並んでいるスペースを目指した。
「お客さん、大丈夫?」
カウンターに立っていた店長が平坂の疲れ果てた様子を見て声をかけた。平坂はその時までその男の存在に気づかなかった。
「避難していなかったのか?」
「雇われ店長ならともかく、ここ僕の店だもん」
平坂は棚に並ぶ食べ物と店長の顔を見比べてから平坂は出口に向かった。彼は今、財布を持っていなかった。
「ツケでいいよ」
背後からの声に平坂は振り向いた。
「後で払ってくれればいいよ」
「払える保障はありませんよ?」
「信じてあげる」
店長はニンマリ笑った。それを見た平坂は食品の棚から調理パンを取ると出口に向かった。
「ビニール傘ならあるけど」
「自分は兵士ですから」
平坂は店を出た。食事を手に入れた事以上に生きる明確な理由が出来た事が嬉しかった。
前原市 韓国海兵隊師団司令部
韓国海兵隊は大宰府に防衛線を構えた自衛隊との睨み合いを到着した陸軍部隊に任せると、福岡西側に主力を置いて自衛隊の第16普通科連隊戦闘団への守りとなっていた。司令部では福岡西側の防衛計画を練るとともに、増援として送り込まれて上陸を開始した第5海兵連隊への対応で大忙しであった。
本国から再び来航した6隻の揚陸艦―他に1隻あるが、それは海ノ中道でその戦歴を終えている―から第5海兵連隊と1個戦車中隊が上陸した。既に上陸した第1海兵連隊とあわせて、それが今回の作戦に投入された高麗海兵隊の戦力の全てである。これ以降、揚陸艦部隊は主に陸軍部隊や物資の輸送を担うことになる。
「自衛隊に撃破された戦車ですが、うち5輌がここで修理可能だそうです。あと他に12輌、本国に戻して再生する必要があります。残りはもう直せません。ですから我々が自由に使える戦車は増援の1個中隊とあわせて19輌となります」
九州の地形図が広げられた机の前に座り部下の報告を聞いてチェ・ミンギは溜息を吐いた。報告はさらに続く。
「陸軍部隊が福岡と北九州の要所を完全に占拠しました。福岡空港と北九州空港も確保し、我が空軍部隊が利用できるようになりました。作戦は順調に進んでいますよ。師団長」
師団長は“順調”だと言った部下の顔を見た。声の調子は“励ます”というより本音を言っているように聞こえた。
「順調だと思うかね?」
「違うのですか?」
ミンギはまた溜息をついて、それから立ち上がった。
「なるほど。確かに我々は作戦の第一段階における全ての目標を達成した。しかし、その代償は大きい。第1海兵連隊は多大な損害を出し、上陸した2個戦車中隊は全滅した」
ミンギは机の地図上の大宰府に指を指した。
「なるほど。自衛隊は敗れ撤退した。だが我々に多くの傷を残した。見事な遅滞作戦だ。陸上自衛隊は強敵だよ。これは厳しい戦いになる」
「しかし、その前に政府の方が屈服する筈です。そういう計画でしょ?」
「それはあくまでも楽観論だよ。補給の問題もある。今は自衛隊側が立て直しをしているところだから補給は続いている。だが自衛隊が反撃に転じたら手元の物資で戦うしかなくなるぞ。これは本当に厳しい戦いになる」
チェ・ミンギと同様の考えの者は複数居たが、本国の戦争指導者には1人も居なかった。
・39話、40話の誤字を修正しました
(改訂 2012/3/23)
内容を一部変更