三三.獅子、目覚めるとき
桜井は福岡市内を1人彷徨っていた。彼は隘路北側の山地の稜線上防衛線が崩壊した時に仲間とはぐれ、撤退する車輌隊に乗り遅れて、徒歩で大宰府まで向かう羽目になった。それは彼に限ったことではなく、個人単位でなんとか仲間のところへ行こうと彷徨っている自衛隊員は福岡にも北九州にも一杯いた。しかし敵との遭遇を警戒して狭い路地を前後左右注意しながら進んでいくので、なかなか前へ進めない。
すると桜井は道に出た。そして彼が出てきた建物の間の路地から道を挟んで反対側の家と家の間に隠れて休息をとっている2人の自衛隊員の姿を見つけた。あたりを見回して高麗兵がいないことを確認すると、一気に道を横断した。
「第19普通科連隊、桜井雄一3曹です」
出迎えたのは見覚えのある顔であった。
「おぉ。今宿以来だな。特殊作戦群、黒部幸正1曹だ」
相手は今宿駅前で出会ったサングラスの男であった。
「あの時の!」
「奇遇だな。こんなところで。そっちは仲間とはぐれたのかい?」
そんな風に他愛もない会話をしていると、ジェット機の轟音と爆発音が聞こえてきた。3人が音のした方向を見ると黒煙が上がっていた。
「いってみましょう」
桜井を先頭に黒部、そしてそのバディが駆け出した。
「いま、爆発が起こりました。私の後ろの建物、その向こうに黒煙が上がっています。空爆が行なわれたのでしょうか?」
地元テレビ局のアナウンサーだろうか。テレビカメラの前で目の前の状況を熱心に解説している。
「とにかく現場に向かいたいと思います。いったん中継を終わります」
<吉田さん。気をつけてくださいね。では、北九州有事関連の最新情報をお伝えします>
東京 永田町 首相官邸
国会での日程を終えて官邸に戻った烏丸首相は自分の執務室に篭って電話をかけた。相手は社会民生党の天見智子だ。
「お願いしますよ。与党なんだから政府の足を引っ張るようなマネはよしてください」
<あなたが間違っているのよ。総理>
相手の声からその頑固な意志が読み取れた。烏丸はこの時点ですでに説得は不可能だと悟った。
<総理の椅子を得るために自由民権党と手を結んだのが拙かったのよ。民生党と組んだ方が我々の政策をより実現に近づけられるわ。総理の地位は得られないけど、でもそれは目的ではないわ>
なるほど立派な考え方だ、と烏丸は思った。しかし、その政策は正しいのだろうか?
「今は非常時なんだ。だからみんなが協力して事態に立ち向かわなくてはいけない。分かってくださいよ」
<だから軍国主義化を押し進める自由民権党の手伝いをしろ、と言うの?こういう時だからこそ、私たちが平和主義を守るために戦わなくてはならないのよ。我々はあくまでも外交による解決を目指すわ>
「それがみんなの意志なのか?」
<党の幹部とは話をつけているわ。それが社会民生党の方針よ。あなたもこれ以上、私たちに反抗するというのならそれ相応の処分があるわ。分かっているわね?>
それだけ言うと相手は電話を切ってしまった。彼にはもう社会民生党をまとめることができないのだ。となれば衆院を野党に抑えられたことになる。これからどう動けばいいというのだろうか?
烏丸は無意識にテレビの電源をつけた。どこの局も北九州有事関連のニュースばかり報じていた。
福岡市上空
高麗軍の識別マークをつけた数機のミル8輸送ヘリが低空を飛行している。乗っているのはドン・テヒョン少尉の指揮する旧北朝鮮と旧韓国の特殊部隊要員から選抜された混成チームである。彼らは北九州の占領任務を後続部隊に引き継ぐと福岡占領作戦を支援するためにヘリで飛んできたのである。
テヒョンの指揮する小隊の完全武装の40名は2機のミル8型に分乗して、それぞれの目標を目指していた。テヒョンはコクピットの通信装置の傍に座り、パイロットとともに友軍の無線交信を傍受して戦況を探っていた。
「我々は勝利しているようだな」
「そのようですね少尉」
敵の日本自衛隊は福岡の放棄するつもりらしい。これなら占領は簡単にできそうである。すると無線でテヒョンのヘリが呼び出された。
<白7号ヘリ、白7号ヘリ、応答せよ。応答せよ>
「こちら白7号。どうぞ」
<近くで空軍が敵トラック隊を攻撃した。戦果を確認し残敵を掃討せよ>
指揮官はそう命ずると、詳しい座標を伝えた。
「了解しました。交信終わり」
無線が切れるとパイロットはテヒョンの方を向いた。
「どうします?」
「敵が携帯式ミサイルを持っていたら危険だ。この機から一個分隊を斥候として出す。近くの公園に降りてくれ」
それだけ言うとテヒョンはコクピットを離れ、客室に戻った。
「同志ハン曹長!」
テヒョンが座席に座って任務を待つ兵士達に向かって叫ぶと、一人の下士官が立ち上がった。彼はSDVドラグノフ狙撃銃を持っていた。
「なんでしょうか?同志少尉どの」
「任務だ」
福岡市内
荻原は横転して車から自衛隊員の手に助けられて抜け出した。地面に足をつけたことに一息ついてからあたりを見回すと惨状になっていた。5輌の自衛隊トラックは全て破壊されていて、周辺には負傷した自衛隊員や巻き込まれた人々が横になって呻き声をあげていた。そんな中で難を逃れた数名の自衛隊員と人々が協力して救助活動を行っている。
そして人々の中から友人たちの姿を見つけた。青野は手に傷を負っていて、美緒が心配をしていた。
「その手、大丈夫なの?」
「痛むけど、それほど大変な傷じゃないよ」
この2人は大丈夫のようだ。一方、知世は道端にうずくまって肩を震わせていた。
「大丈夫?」
声をかけると知世は首を横に振った。荻原は彼女の隣に腰を下ろした。
「もう大丈夫だよ。戦闘機はどっかいったみたいだから」
その向こうで片平が自衛隊員を詰っている。
「そもそもあなたたちがこんなところに居るからこんなことになるのよ」
対する自衛隊員はなにも言い返せず黙り込んでしまった。
そこへ衛星中継車から延長コードがギリギリのところなカメラを持ったテレビの取材班も現われた。
「ご覧ください。空爆のために自動車が炎上しております。周りの建物のガラスはほとんが割れており、爆発の威力を物語っています」
吉田アナウンサーは横転した車から人を助け出そうとしている自衛隊員の姿を見つけた。
「自衛隊が被害を受けた車からドライバーを助け出そうとしています」
カメラマンがその様子を捉えるべくカメラをズームさせる。するとその時、自衛隊員と助けられた男が血飛沫をあげて倒れた。さらに回りにいた群集が次々と撃たれ倒れていく。
カメラを通してそれを目撃し事態を悟ったカメラマンは顔が即座に青ざめて脚がブルブルと震えだした。
「どうしたの?」
背後で起きていることに気づかないアナウンサーがその様子を心配してカメラマンに声をかけたが、それが最期の言葉となった。次の瞬間、アナウンサーの身体を何発かの銃弾が貫通して口から血を吐いて倒れてしまったからだ。
カメラマンも咄嗟に逃げようとしたが叶わなかった。彼もまた敵の銃撃に狙われたからである。そしてその様子は全国に放映された。
首相官邸
カメラマンが撃たれて倒れたらしく、テレビはなぜか銃撃音をBGMに曇つつある九州の空を映していた。やがて中継が切れて東京のスタジオの映像に変わった。
<えぇ、どうやら現地でアクシデントがあったようです。詳しいことが分かり次第、お伝えします>
状況は明らかである。自衛隊と一般市民が銃撃された。相手は高麗兵に違いない。
「これが現実か?九州ではこのような事が起きているのか?」
テレビで流されたのはあまりにも残酷な現実であった。高麗に占領された全域でこのような事態が起きているのだろうか?避難命令は出されたが短時間に大都市に住む全員が逃げられるわけがない。ここに入ってくる多くの情報から察するに、むしろ多くの人々が取り残されていると考えるべきだろう。今、多くの市民が危険な状態にあるのだ。
考えれば当然の事じゃないか。九州は戦争という極限状態の中にあるのだ。悲劇が一般市民に襲い掛かることだってある。いや、現実に何の罪もない一般市民が高麗兵に襲われ何人もの尊い命が奪われてしまったではないか!
なぜ、それを今までこういう事態が起こりうる事を考えていなかったんだ?今まで、旧日本軍や米軍による戦争犯罪や市民の虐殺について残虐さをさんざん訴えてきたのは我々ではないか。だが高麗が日本の一般市民を虐殺する可能性を思いつかなかった。
これが平和ボケって奴なのか?
いまは戦争が起きているんだぞ!
果たして外交で解決という手段でいいのか?あの映像の中に居た人々のように不当に生命が奪われようとしている人々がいるというのに。武力を駆使してでも日本を、日本人を守るべきではないのか?
「我ながら、どういう思考をしているんだ」
気づくのが遅すぎた。そもそも国家の役割とは国民の生命と財産を守ることにある。交渉のためにと称して国民の命が奪われる様を見過ごすようなことはあってはならない。自国を侵略されたら武力をもってこれに抵抗するのは国家として当然のことじゃないか。だが今の日本はそれに躊躇している。この日本は国家ですらないというのだろうか?国家の最高指導者として私はなにをすべきなのか?決まっている。日本がやるべき事は一つだ。
「そうだ。この事態を解決できるのは自衛隊だけだ」
烏丸は電話に手をのばした。かける相手は決まっている。
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・28話を訂正。国会議事堂が舞台なのに、なぜか官邸に戻ったことになっていたので
・あらすじ紹介を少し変更
(改訂 2012/3/23)
登場人物の名前を変更