三二.混乱
福岡県 京都郡苅田町 二橋交差点
北九州から鹿児島を結ぶ東九州の大動脈である国道10号線と国道201号がぶつかる交差点は、北から南下してくる避難民とそれを統制すべく検問をしている警察、さらに築城から派遣された第41普通科連隊の一個小隊が混ざって大変な混乱状態であった。
「来るんじゃなかったかなぁ」
第41連隊第4中隊第3小隊の指揮官である3尉は目の前の状況に参っていた。彼らがここを訪れている目的は避難誘導の支援と北九州で壊滅した第40普通科連隊の生き残りの回収、そして情報収集であるがどれも行なえそうにない。3尉は部下たちが警官と一緒に右往左往している時に呑気にも通信士とともに煙草を手に一服していた。そこへ年配の警官がやってきた。
「小隊長さん。ちょっと来てくれませんか?」
3尉が案内されたのは近くの中学校で、その校庭に小型トラック、中型トラック、高機動車、軽装甲機動車といった様々な自衛隊車輌が停まっていた。その部隊の指揮官らしき男が3尉に気づいて近寄ってきた。
「我々は第40普通科連隊第2中隊だ。私は中隊長の中田3佐。そちらは?」
3尉は自分の所属と地位を述べると、次に状況を説明した。
「直方の連隊主力が1個小隊と接触したのをはじめ、個別に北九州を脱出してきた多数の隊員を収容しております。しかし合わせても100名ほどですね。中隊単位で生き残っているの貴方がただけでしょう」
「そうか」
「連隊本部に報告します」
3尉はその場を去ろうとして中田に背を向けたが、中田の次の言葉に動けなくなってしまった。
「なぁ、3尉。俺は正しかったのだろうか?守るべき一般市民を見捨てて逃げてきたんだ。これで良かったんだろうか?」
3尉は少しの沈黙の後、中田の方に振り向いた。
「分かりません。でも貴方がたはまだ戦えます。一緒に戦えます」
「そうだな。一緒に奴らを追っ払おう」
防衛省 中央指揮所
北九州に続いて福岡の失陥が確定したことで、中央指揮所の空気は一段と重くなっていた。2つの都市が敵に奪われ、100万を超す一般市民が敵中に取り残されることになったのだ。
指揮所の入り口に近い手前側に指揮官用のスペースがある。戦況を報じる巨大なディスプレイを見下ろすその席は、統合幕僚長や陸海空各幕僚長、それに防衛庁長官、必要なら総理大臣も交えて作戦指導を行なうことになっている。今は統合幕僚長とその他の三幕僚長が集まっていた。
「本当に申し訳ない。完全な敗北だ」
陸幕長の剣持が立ち上がり他の幕僚長達の前で頭を下げていた。
「やめてくださいよ。剣持さん。これは前から当然に予想された事態です。今の自衛隊の戦力なら仕方ない結果です。あなたの責任じゃありませんよ」
斉藤空幕長が剣持を慰めている。
「今はこれからのことを考えるべきでしょう。陸上自衛隊の戦力の集中はどうなんですか?」
「問題はその点だ」
神谷統幕長が指摘した。
「北九州有事が発生してから半日以上経つが、いまだに高麗コマンド部隊のゲリラ活動の兆候が見出せない。どう考える?真田くん」
出入口のドアの傍に立って黙って様子を伺っていた情報本部長の真田陸将は4人のもとに歩み寄った。
「内調や外務省の情報部門から得た情報や戦況を鑑みますに、高麗軍の目的は保障占領ということになります。つまり上陸した高麗軍の引き上げの対価として我が国から外交的譲歩を得る、ということです。そして事態が長期化すれば政府はそれを受け入れざるをえないでしょう。
問題は相手の要求です。つまるところ、自国の経済の苦境を打開するための支援を求めている。つまり日本側の経済が良好であることが高麗にとっても必要になります」
「つまり、高麗軍は日本に必要以上のダメージを与えないためにコマンド部隊の投入を控えていると?」
「その通りです。笹山海幕長。つまり高麗軍はこの戦争を局地紛争に抑えておきたいのです。全面戦争になれば日本という国家全体が戦時体制に突入しますし、アメリカの介入も確実になりますしね」
「ということは、九州以外の地域から戦力を引き抜いて集中することは可能ということになるな」
剣持は安堵の笑みを浮かべた。
「しかし、あくまで推測に過ぎません。要求が通らないと考えて自暴自棄な行動にでる可能性も捨てきれません」
それを聞いて斉藤が溜息をついた。
「出撃して帰投したら基地が無くなっている、なんてのはやめてくださいよね」
「敵が事態の長期化を狙っているのなら、敵の補給を断つというのはどうだろう。いや、ダメだ」
笹山は自分の意見の間違いに気づいて頭を掻いた。
「油と食べ物なんて今日びの日本ならどこにでもあるんだよなぁ」
軍隊が必要とする補給物資は主に弾薬、食糧、燃料である。そして後者2つは現在の日本でなら容易に大量に徴発可能なのである。現地調達で十分に戦力を維持できるのだ。あとは弾薬であるが、これは敵との戦闘によって消耗するものである。結局のところ、地上軍が十分な戦力を用いて交戦しなくてならないのだ。
「こうなったら奴らが無茶をしない可能性にかけるしかない。剣持君。九州に展開する部隊はどうする?」
「はい、統幕長。今現在、増援に向かっているのは中央即応集団だけです。即応連隊がすでに熊本空港まで進出し、まもなく第1空挺団が出発します。その後ですが、まず対象となるのは第12旅団と第14旅団ですね」
第12旅団は北関東から北陸にかけて駐屯する部隊で、戦車部隊を持たず代わりにヘリコプターによる機動能力を高めた空中機動旅団ということになっている。第14旅団は四国の部隊で九州、中国、関西方面の事変に対する予備部隊として性格づけられる部隊である。
「第7師団に南転の準備をさせろ」
師団規模の正規軍が上陸した以上、それを撃滅できるのは陸上自衛隊唯一の戦車師団である第7師団だけである。
「ただちに命令します」
悲壮な面持ちの統幕長と陸幕長。そこへ妙に上機嫌な男が現われた。
「自衛艦隊司令官です。海幕長、報告があります」
主力の機動作戦部隊である護衛艦隊、潜水艦隊、航空集団、それに地方警備を担当する地方隊の全てを統括する自衛艦隊司令官の富田海将。海上自衛隊の実質的な総司令官とも言える人間である。
「電話でも良かったんですが、直接報告した方が良いかと思いまして。
第2護衛隊群の残存艦隊ですが、どうにか危険範囲を脱出したようです。損傷艦もどうやら無事に曳航できたようで。被害は最小限に抑えられました。実は良かったです。大変素晴らしい」
そこまで言って冨田は自分が指揮所内で浮いていることに気づいた。
「失礼」
みんながすっかり黙り込んでしまった。
福岡市内
既に16時を過ぎたが、荻原たちは福岡の市街から抜け出すことが出来なかった。自衛隊の部隊移動のために主要道に交通規制が敷かれ避難民が溢れて道が混んでいたのだ。そこから逃れようと青野がなんども回り道をしたことも拍車をかけた。
「畜生、なんとかならないかな?この有様」
青野が愚痴っていると、助手席の美緒から突っ込みが入った。
「あんたが“近道する”とか言って、どんどんはまり込むから悪いんでしょう?」
すると彼らの目の前に自衛隊の大型トラックの縦隊が割り込んできた。
そのトラック群は福岡防衛線で隘路の北の山地を守っていた第2施設群の1個小隊で人員輸送の2輌と工兵器材を運ぶ3輌から成っていた。彼らは撤退途中で道から外れてしまい、高麗軍の逆探知を避けるために無線封鎖をしていたこともあって市内を彷徨っていたのだ。
「なんだ、自衛隊か。なんでこんなところにいるんだ?」
青野の言葉に敏感に反応したのは市民運動家である片平であった。
「逃げているのよ。市民を置き去りにして、自分だけ助かろうとね。見なさい。歴史が証明しているわ。彼らが守るのは体制であって、国民じゃないのよ。私達を時間稼ぎのための駒くらいにしか思ってないのよね、きっと」
片平の言葉に車内の空気が重くなる。しかも悲しいことに一般市民を置き去りに自衛隊が戦場から逃げているのは事実なのである。
するとヘリコプターのローター音が聞こえてきた。
高麗海兵隊のMD500ヘリは市内の様子を偵察するために飛んでいた。彼らは海兵隊本隊の市内突入に先立ち空軍部隊とともに残敵を掃討することを任務としていた。
「前方に日本陸軍のトラックを発見。どうやら工兵部隊のようだ」
<よくやったぞ。その連中は撃滅した方がいいだろう。ただちに飛行隊を派遣する>
上空では2機のF-15Kが飛んでいた。そのうち1機はシンとラクスンの機体である。すると壱岐の空軍前線指揮所から攻撃目標が指示された。
「俺らがいく。援護しろ」
シンは僚機に指示すると、目標へ針路を向けた。ラクスンが目標の座標を確かめ、モニター上に写るレーダー走査によるデジタルマップと見比べて目標を探した。そして赤外線画像で目標らしいトラック群を見つけた。
「よし、見つけた。あれだ」
「よくやったぞ、ラクスン。レーザー誘導爆弾用意」
「誘導装置作動。レーザー照射開始」
「投下!」
1発の500ポンド爆弾が福岡市内で炸裂した。