二二.政局動く
小宮は立ち上がった。
「自衛隊の防衛出動は戦後初めてのことであるから、十分な審議が必要だ。政府は自衛隊の出動を急いでいるようだが、テレビの報道によれば高麗政府は外交解決を目指しているそうじゃないか。しかも自衛権発動の要件に対する政府見解では「必要最低限の実力行使」となっている。私は相手方が外交解決を求めているのに武力行使を行なうのは必要最低限を越えていると考える。出動ありきの政府のやり方には納得できない。私はこの問題を安全保障委員会に付託することを求める」
それに続いて野党側の議員の野次が飛ぶ。
「手続きをちゃんと踏め!9条を蔑ろにするな!」
「有事に託けて軍国化の準備をするようなマネは許さない!」
「政府は情報を隠すな!」
それに対して与党側―と言っても自由民権党だけだが―も応戦する。
「敵は既に上陸して戦争になってんだぞ!」
「軍隊で侵攻しておいて、外交的解決も何もないだろう!」
「国民の生命を何だと思っているんだ!」
本会議場は大混乱であった。そんな有様を烏丸たちは議長席両側の閣僚席で眺めていた。向かって左側の最も中央寄りの席に座る烏丸は頭を抱え、その隣に座る菅井は議長の方を見た。議長もこの状態にどうすればいいか分からないらしく、こちらを見て目で何かを訴えていた。菅井が首を横に振ると、議長は頷いた。
「内閣総理大臣による自衛隊に対する防衛出動命令並びに北九州有事対処基本方針の委員会の審議を省略するに異議がありましたので、記名投票によりその可否を採決します」
議長がそう宣言すると民生党の議員たちは一斉に拍手をした。そんな様子を見て菅井は一度溜息をついてから隣の烏丸に尋ねた。
「社会民生党の方はちゃんとまとめているんですよね?」
社会民生党は90年代中期に政権党となった時に、それまでの姿勢から一点して自衛隊及び日米安保容認に鞍替えした事から分かるように、それなりに現実感覚を持っている。だが、今は彼らの姿勢次第で政局を動かすことができる状態にある。
「そう信じている」
烏丸は不安げに答えた。
対馬空港
高麗の臨時航空基地と化した対馬空港にシンとラクスンのF-15Kは戻っていた。既に高麗軍によって制圧された壱岐空港まで自衛隊の攻撃を受けた僚機を援護して、無事に着陸するまでを見届けてから対馬に降りたF-15Kの機体は今や整備を受け、燃料・弾薬を補充して何時でも発進できる状態にある。だが、乗員の方はそうもいかなかった。
「で、2人はどうなったんですか?」
ラクスンが飛行隊長に詰め寄っている。戦闘中にさえ見せない必死さに周りの同僚たちも止めることができなかった。
「大変言いにくいのだが、パイロットは助かったよ。重傷を負って本国に移送されたが。だが、WSOは着陸した時には既に死んでいたそうだ」
それを聞くとラクスンはその場に崩れ落ちた。
「畜生!畜生!倭奴め!皆殺しにしてやる!」
ラクスンの相棒であるシンは、その様子を黙って見守っているしかなかった。いや、シンだけではない。その場にいた全員が同僚の死という現実を前にして黙り込んでしまった。そこへ対馬に展開した部隊の指揮官である大佐がやってきた。
「諸君。早速だが仇討ちのチャンスが来たぞ」
衆議院本会議場
衆議院議員480名が投票を終えた。
「投票漏れはありませんか?」
議長が叫んだが、返す者は無かった。
「投票漏れなしと認めます。投票箱閉鎖、開票。議場閉鎖。投票を計算させます」
集まった票の集計が行なわれている頃、烏丸は隣の菅井と話をしていた。
「もし反対多数となったらどうなる?」
「統合幕僚長の話だと、攻勢に出られるタイムリミッドは12時間だそうです。今を逃せば、もう無理ですね」
ようするに烏丸の所属する社会民生党の動向が北九州有事を迅速に処理できるかどうかの鍵を握っているのだ。
とりあえず衆議院が可決したなら、午後の自由民権党が単独で過半数を確保している参院を待たずに基本方針を実行するように烏丸に迫れるだろうと考えた中山ら閣僚であるが、その試みは暗礁に乗り上げたわけだ。
直方市
直方は北九州の南西に位置し、筑豊三都の1つに数えられる都市である。100万都市である北九州に隣接していることもあり、近年は住宅地として発展している。市内には遠賀川が流れていて、その川原の緑地公園には第41普通科連隊戦闘団が分散・擬装して待機していた。第40普通科連隊の救出のために派遣された彼らだが、肝心の第40普通科連隊司令部との連絡が断たれ北九州の状況が不明なうえに、烏丸総理の「現状維持を図り、高麗軍との交戦は避けるべし」という命令があるため、市内への突入に踏み切れなかった。結局、直方の緑地公園に待機し、連隊本部直轄の情報小隊を派遣するに止めている状況である。
戦闘団の司令部は直方市役所及び警察署の駐車場に置かれた。そこで警察や市の職員とテレビを前に情報交換と避難民への対応を進めていた。だが、司令部に詰める大多数の目はテレビに映る国会中継に向けられていた。
「なぁ、連隊長さん。もし国会で否決されたらどうなるんだ?」
直方警察署の署長が第40普通科連隊の連隊長である丹下1佐に尋ねた。
「政治の事は私にはわかりません。しかし、高麗軍に対して受身にならざるをえないでしょうなぁ。場合によってはここからも撤退することになるでしょう」
丹下は淡々と語った。それを聞いた署長はなにも返すことができず、たた胸中で自衛隊撤退後も街に残る覚悟を決めただけであった。
衆議院本会議場
投票結果の集計を終えた事務総長が、議長のところへ駆け寄り、その旨を報告した。
「投票の結果を事務総長から報告させます」
事務総長は議長の前に立つと、投票結果を報告した。
「投票総数480。可とする者は232。否とする者は248」
その報告を聞くと、民生党と社会民生党の議員が一斉に拍手をした。社会民生党は政府から離れ野党に擦り寄った。政局は動いてしまったのである。
「右の結果、自衛隊に対する防衛出動命令及び政府基本方針を安全保障委員会に付託することを議決します」
政府の企みが破綻した瞬間であった。
「続いて日程第二は…」
名古屋市内のあるアパート
その結果に真と辰巳は呆気にとられてしまった。
「なぁ兄貴。いったいどうなるんだ?」
「参院じゃ与党多数だから大丈夫だろうが、衆院がこの様じゃなぁ」
安全保障委員会に付託する以上、今日中に決着をつけるのは難しい。民生党の事だ。政府与党の揚げ足取りに終始して貴重な時間を食いつぶすに違いない。
「だけどさ。兄貴。それじゃあ政治不信が広がる一方じゃないか。民生党にどんな得があるって言うのさ?」
「政治不信が広まれば、組織票が十分に見込める民生党が有利さ」
ともかく結論が出るまで自衛隊は受身の対処しかできない。その貴重な時間を使って高麗軍はより多くの部隊を上陸させることができる。
防衛省中央指揮所
防衛省には国会の状況が逐一報告されているし、テレビだって当然に備わっているので国会中継を見られる。
「困った事になった」
そうぼやいた神谷を皮切りに陸海空自衛隊の幕僚長が話し始めた。
「早期解決の道は潰えたわけです。敵が師団単位の戦力を揚陸しているなら、北海道から第7師団を呼ぶ必要があります」
陸上幕僚長の神谷がもっとも深刻な表情をしている。ここ20年の防衛費削減で最も打撃を受けているのが彼ら陸上自衛隊なのだ。各地に配備されている師団は上陸した部隊の進撃を止めるための張り付け部隊に過ぎず、さらに上陸した部隊を撃破するには強力な起動打撃力を持つ陸上自衛隊唯一の戦車師団である第7師団を九州に動かす必要がある。だが重装備の多い第7師団を北海道から九州に移転するには時間がかかるだろう。
「高麗がさらに別の師団を揚げるつもりなら、米軍の支援が来るまで反撃は不可能ですね」
そして、その懸念は現実のものになるとは、まだ知る由もなかった。
「空自としては高麗の巡航ミサイルに注目しています」
航空幕僚長の斉藤が恐れているのは高麗の巡航ミサイル攻撃であった。かつての北朝鮮がノドンやテポドンをはじめとする弾道ミサイル開発に力を注いでいたが、対して韓国は巡航ミサイルに注目して射程1000kmを超える【玄武】巡航ミサイルやそれの空中発射型である【若鷹】巡航ミサイルなどを装備している。放物線を描いて超高速で落下してくる弾道ミサイルに対して、比較して速度の遅い巡航ミサイルは撃墜することは容易であるがジェットエンジンで超低空を飛行するので発見するのが難しい。いかにして見つけ出すかが巡航ミサイル対処のポイントとなる。
「現在配備中のF-15FXならレーダーとしてAPG-63(v)4を搭載しているから探知、そして迎撃は十分に可能でありますが、あくまで各務ヶ原で試験中の機体です。数も少ないしノウハウも十分じゃない。E-767も十分な巡航ミサイル探知能力がありますが、敵航空機への対処もしなくてはなりませんからなぁ。海上自衛隊にはP-1を改造した巡航ミサイル探知機があるが、あれは使えませんか?」
その問いに笹山海上幕僚長は残念そうな顔で答えた。
「XEP-1Cの事でしたら、こちらも試験中の機体ですからね。空自のF-15FXと組み合わせればそれなりに使えるでしょうが、信頼性に疑問があります」
「よろしい。巡航ミサイル対策については米軍とも相談してみよう。ともかく事態の長期化は避けられない。それを踏まえて作戦計画を検討しなくては」
そう神谷が総括した時に3人のところへ連絡官が走ってきた。
「緊急事態です」
衆議院本会議場
内政に関する各種法案の審議が行なわれている時に、烏丸の秘書官が本会議場に飛び込んできた。彼は烏丸の腕を掴むとそのまま議場の外へ連れ出そうとする。菅井と中山もその後に続いた。野党議員を中心に「逃げるのか!」などと野次が聞こえる中、烏丸は議場を出た。
「いったいどうしたって言うんだ!本会議中に連れ出すなんて、どうかしているぞ!」
烏丸はこの状況に怒りを隠せなかった。だが興奮した秘書官はそれも介さずに報告した。
「福岡の自衛隊に対して高麗軍が大規模な攻撃を仕掛けているそうです!」