二〇.防空戦
鳥栖市
数発ずつ、M31ロケット弾を放ったMLRS、M270発射機は黒部らが連絡を断ったので攻撃を中断していた。そしてその間に陣地転換を行なうことにした。高麗軍の大砲にM31ロケット弾並に長射程のものは無かったが、彼らがMLRSを持ち込んでいる可能性もある。そして、高麗軍がM31弾を導入したという話は聞かないが、より射程の長いが命中精度がだいぶ悪いATACMSを装備している。それは特定の車両を狙うような代物ではないが、一応警戒をする必要がある。それに空爆の可能性が無いわけではない。対馬海峡の制空権は依然として高麗側にある。
上空
2機のF-15Kが海上を飛んでいる。レーダーサイトは破壊済みであるし、対馬海峡上空の制空権は高麗側が握っているのでAWACSも近くにいない。であるから、2機のF-15Kは敵の探知や攻撃を気にせず燃料効率の良い高度を飛ぶ事が出来たのである。
やがて陸地が見えてきた。2機は高度を下げた。陸地には、どこに敵の防空部隊が潜んでいるか分からないので、低空飛行をせざるをえなかった。
MLRS部隊のだいたいの位置は海兵隊からの観測結果の報告で分かっている。だが、あくまで“だいたいの位置”であるし、向こうも馬鹿ではないから陣地転換をするであろうから、F-15Kは自らMLRS部隊を探さなくてはならなかった。
F-15KにはパイロットとWSO(兵装士官)の2人が搭乗する。多種多様な兵器を搭載し、様々なミッションに投入されるF-15Kの操作は1人では賄いきれないのである。レーダーの操作は主に後席に座る兵装士官が担当する。先を進むF-15Kの兵装士官は呉楽舜少尉であった。
「レーダー作動」
F-15Kに搭載されている対地対空両用のレーダー、AN/APG-63(v)型が対地モードで起動し、地表を走査する。それで集まったデータは合成され地図ような形で乗員に示される。デジタル画面上には鳥栖周辺の状況が映されていて、兵装士官はその中にM270らしき車両を発見した。
「やったぞ!目標を捕捉した!」
兵装士官が歓喜の声をあげた。高麗軍にとって幸運だったのは、自衛隊のMLRSが陣地転換のために道路を移動していたことだ。近年、航空機の索敵システムは爆発的な進化を遂げているが、それでも隠れた地上目標を発見するのは大変難しい。湾岸戦争では開けた砂漠上での戦いであったにも関わらず多くのイラク地上軍を撃ち洩らしたし、山岳地帯での戦いであったユーゴ内戦におけるセルビア軍とNATO軍の戦いでは、NATO軍は空中から猛爆撃を行なったにも関わらずセルビア軍に大した打撃を与えることができなかった。もしMLRSが厳重な擬装を施して隠れていたなら、もしかしたらF-15Kに捕捉されることは無かったかもしれない。だが、MLRSは移動して陣地を換えることにしたのである。
「攻撃準備」
歓喜に震える兵装士官とは対照的にパイロット、申興守は冷静さを保っていた。彼のF-15Kは目標上空を一旦通り過ぎると、急旋回して攻撃態勢をとった。僚機もそれに続いた。
73式小型トラックを先頭に数両のMLRSが道路上を進んでいた。すると空に爆音が聞こえ、北からF-15らしき機体が飛んでいくのが見えた。
「今のは?」
73式小型トラックの運転手が隣に座る指揮官に尋ねた。
「空自、じゃないな」
先ほどのF-15らしき機体だが、飛ぶ高度が低すぎる。
「軽SAMを準備しろ」
指揮官は後部座席に座る隊員に命じた。
F-15KはMLRSの車列に照準を合わせた。Mk20は無誘導爆弾なので、パイロットが昔ながらに目と腕でそれを行なう。ただクラスター爆弾なのだから、精度の高い照準は不要だ。
「投下!」
2機のF-15Kがそれぞれ1発ずつ、計2発のクラスター爆弾を投下した。2機はすぐさま針路を北に向けて撤退しようとした。今回の攻撃の目的は、陸上自衛隊を空から脅かしてその行動を制限することである。必要なのは、高麗空軍は九州にある陸上自衛隊部隊を攻撃することができる、という事実を見せつけることなのだから命中させる必要さえなく、ただ目標の上で爆弾を投下するだけで十分なのだ。2機のF-15Kは戦果確認さえしなかった。ここは敵の勢力圏であり、日本には優秀な防空網が存在することを彼らは知っていた。
防空網というのは、大変に広大な概念である。花形は空軍―日本ならば航空自衛隊―の邀撃機ということになるが、勿論それだけというわけではない。敵を探知するレーダーや早期警戒機、そこから適切な判断を行なう管制部隊。さらに地上の各種対空兵器が加わるのである。そして、その一端がMLRS部隊にも配備されていた。
91式携帯地対空誘導弾、愛称はハンドアローだが例によって現場にはまったく浸透しておらず、隊員は主に携SAMと呼ぶのが通例である。このミサイルは1960年代にアメリカのFIM43レッドアイとソ連のSA-7によって確立された携行型地対空ミサイルという分野の最先端に位置するもので、日本の技術力の粋を集めたハイテク兵器なのである。
携行型地対空ミサイル―より専門的な言い方ではMANPADS―という名前からも分かるように、兵士が1人で運搬し操作するもので、外見は長さ150センチほどの筒である。その筒の中にミサイルが収められているのだ。SAM要員の隊員が肩の上に携SAMを構えて攻撃の態勢をとった。敵が接近してくるのが見えた。
「撃て!」
その号令と同時に一筋の光が上空への登っていった。
2機のうち後ろを飛ぶF-15Kの兵装士官が攻撃の効果を確かめるために振り向いたことでそれに気づいた。
「ミサイルだ!来るぞ!」
映画なので、ミサイルロックされるとロックされた戦闘機のコクピット内で警報が鳴って危機をパイロットに知らせる描写があるが、あれはミサイル誘導のためのレーダー波を検知して警報を鳴らすシステムで、自らはなんの電波も発さずF-15Kのターボファンエンジンが放つ高温を追尾する91式携SAMにはなんの反応も示さなかった。
ミサイル接近の報は前方を飛ぶシンのF-15Kにもすぐさま伝えられた。
<レオン2。こちらレオン1。目標は恐らく携行式ミサイルだ。有効範囲はそれほど広くない。高速で離脱するんだ>
僚機にそう指示すると、シンは自機のアフターバーナーを点火した。ジェットエンジンの排気には燃料と結びつかずに残った酸素がまだ多く残っていて、そこへさらに燃料を噴射し点火して推力をかさ上げするのがアフターバーナーである。現在の戦闘機には標準装備となっている。
後に続き僚機もアフターバーナーを点火して急上昇する。
「やった!振り切ったぞ!」
オ・ラクスンは既に追跡してくるミサイルは無くなっているのに気づいた。携行型地対空ミサイルは小型なので射程は短く、それが2機のF-15Kを救ったのである。
一方でMLRS部隊の方が悲惨であった。投下された爆弾母体から子弾が次々と吐き出され、MLRSを襲ったのである。9輌のMLRSのうち、8輌が何らかの損害を受け、うち3輌が後に修理不可として破棄された。攻撃を受けたのは、西部方面特科隊の中でも一部の部隊だけであったが、この攻撃以後は空からの攻撃を警戒して部隊の行動に関して慎重になった。高麗軍の企みは成功したのである。
一方、携SAMから逃れた2機のF-15Kであったが、それは結果的に新たな試練を自らに課すことになった。回避のために高度を上げたことで、自衛隊の防空レーダー網に捉えられてしまったのである。
2機のF-15Kに対処したのは西部方面隊の陸上自衛隊部隊の防空を担当する陸上自衛隊第3高射特科群の03式中距離地対空誘導弾システムであった。中SAMとして知られる03式は陸上自衛隊の保有する中でも最新鋭の対空ミサイルで、日本のミサイル技術の集大成とも言える存在であった。射程を除けば、アメリカ製のパトリオット地対空ミサイルを上回る性能を持つと噂される程である。先に登場した91式携SAMが歩兵の携行するための小型ミサイルなのに対して03式は複数の大型車両にレーダーやら発射機やらを分散して搭載している大型のシステムで、より広範囲、高高度の敵を迎撃する任務を帯びていた。03式中SAMの際立った特徴として挙げられるのは垂直発射方式を採用したことにある。海上自衛隊は【こんごう】型護衛艦以来、垂直発射方式を採用しているが、陸上自衛隊では03式中SAMが初めての採用となる。
従来型の発射方式が発射機ごと敵に向けて発射してミサイルが直接に敵めがけて飛んでいくのに対して、垂直発射方式は一度真上に発射して上空でミサイル自身が軌道修正し目標へ向かうものである。その程度の違いにどれほどの意味があるのか、と考える方もおられると思うが、実は大きな違いなのだ。従来型ミサイルの場合、敵を撃つには発射機をまず敵に向ける必要がある。垂直発射方式なら発射機を上に向けておけば、ミサイル自身が自ら針路を修正するのだから、どの方向から敵が来ても瞬時に対応できるのである。さらに従来型の場合、敵に直接向かっていくのだから、ある程度開けた場所じゃなければ使うことができない。そのような場所では敵の反撃を受ける可能性が高まる。一方、垂直発射方式の場合、発射されたミサイルは真上に飛んでいくのだから前後左右を建物や森に囲まれているような場所でも使うことができ、敵の反撃を受ける可能性も抑えることができるのだ。ただレーダーは開けた場所に設置しなければならないが。
データリンクによって各地に設置された移動式対空レーダーの情報を受け取り、F-15Kの存在を捉えると、03式中SAMのオペレーターは照準用レーダーを作動させた。IFF(敵味方識別信号)に反応なし、空自の飛行機は飛んでいないことは予め報告されている。そして危険空域内にわざわざ飛び込んでくる民間機もいない。敵であることは明らかであった。
「目標捕捉。照準良し」
オペレーターからの報告を受けると指揮官は攻撃を決断した。
「撃ち方はじめ!」
指揮所から少し離れた森の中に隠された発射機から4発のミサイルが発射された。2機のF-15Kに対してそれぞれ2発ずつである。
上空を飛ぶF-15Kのコクピット内に警報音が鳴り響いた。幸いなことに高麗空軍は度重なる電子偵察の結果、陸上自衛隊の03式中SAMのレーダーが使う周波数を知る事ができたので、そのデータをF-15Kの警報装置に組み込むことができた。
「退避!」
シンは愛機を急降下させた。後席ではラクスンが電子装置を操作して電子妨害を試みている。だが最新鋭の技術が組み込まれた03式中SAMにどれほどの効果があるかは未知数であった。
03式中SAMには高度なECCM能力が付与されている。ECCMは対電子妨害手段などと日本語に訳されているが、簡単に言えば敵の妨害に影響を受けない能力ということになる。F-15Kは妨害電波を発し、03式中SAMの誘導を遮断しようと試みたが効果はなかった。
2機のF-15Kは急降下して、やり過ごそうとした。03式中SAMには終末誘導は自らに搭載されたレーダーを使うが、ミサイルに搭載可能なレーダーシステムは小型にならざるえないので途中まで地上のレーダーによって誘導しなくてはならない。基本的には。だから、急降下して地平線の彼方へと姿を消そうとしたのである。そしてその試みは一応、成功した。
「敵の射撃レーダーが途絶えた。助かったぞ」
ラクスンはそれに安堵しているようだったが、シンは警戒を弛めなかった。
「まだまだ分からんぞ。日本軍のことだ。どんな小細工を施しているか」
その後、シンは僚機と連絡を取ってその無事を確認した。一方、ラクスンは電子警戒装置が別の追跡者の存在を警告しているのに気づいた。
・第4話で護衛艦【いそゆき】が【まつゆき】になっていたので修正
・次回から政治話が始まります