一.情勢は甚だ悪し
日本海の上空2万メートルをそれは飛んでいた。白い翼を持つそれは、センサーという名の目で海上を舐めるように監視していた。航空自衛隊初の無人偵察機グローバルホーク。平時の主要任務は、このように日本海上空を飛び、沿岸の監視・警備を行なうことであるが、今回は特別なミッションが与えられていた。
2015年6月21日
東京は新宿、市ヶ谷には一般的に防衛省と呼ばれる施設群がある。
「これが、一週間前、グローバルホークは撮影した、プサンの高麗海軍基地です」
海上自衛隊幕僚監部から派遣されてきた男は、壁に貼られた航空写真の解説を始めた。
防衛省地下にある会議室には、陸海空幕僚長に3自衛隊を束ねる統合幕僚長。統合幕僚部直轄の情報機関である情報本部の本部長。さらに、防衛省内局の背広組に、外務省や警察庁、そして国土交通省とその下部機関である海上保安庁から派遣された者もいる。
「現在、釜山には木浦市に本拠地を置く第3艦隊、それに第7機動戦団の主力が集結しております。第3艦隊は対馬海峡を担当地域とする部隊で、海上自衛隊の地方隊に相当する部隊であるとお考えください。主に沿岸警備用の小型艦艇を保有しており、写真の中には、これとこれと…」
海上自衛隊の男は、指示棒で写真の中に写っている様々な艦艇の中から一部を指し示した。
高麗、すなわち高麗連邦共和国は、韓国と北朝鮮が合併して生まれた国家だ。
全ては2004年、北朝鮮の指導者が中国訪問後の帰路に、中国国境線に接する平安北道で専用列車が突如爆発して吹き飛ばされたことに始まる。
指導者を失った北朝鮮上層部は混乱状態に陥り、いつしか一部の部隊には爆発は米国からの攻撃ではないかという噂が流れるようになった。こうなれば疑心暗鬼は止めなく広がり、北朝鮮軍が臨戦態勢に突入するのにさして時間はかからなかったのである。
そして爆発から2時間後、北朝鮮砲兵部隊がソウルに対して砲撃を行なった。
ソウルは事実上壊滅。在韓米軍と韓国軍の反撃により北朝鮮砲兵部隊はすぐさま殲滅されたが、被害は甚大なものとなった。
さらに米軍による報復攻撃が開始された。北朝鮮軍の中枢は破壊され、事実上北朝鮮は戦争能力を失ったのであった。
国家中枢が崩壊すると、これまで力で抑えられていたものが一気に解放された。北朝鮮軍が各地で中央政府に対して叛旗を翻し、平壌へと競うように進撃していったのである。北朝鮮は内戦に突入し、中国やアメリカ、韓国は難民への対応で手いっぱいとなった。
内戦が終結したのは2008年。アン・ヨンチョル将軍が平壌から他の叛乱軍を追い出し、中国との石油パイプラインを握ってからだ。中国の後ろ盾を得たヨンチョル将軍は他の叛乱軍を討伐し、政府を掌握した。
こうして北朝鮮は中国の勢力圏下に収まろうとする寸前、ヨンチョル将軍は何者かに暗殺され、後継者は米韓への接近を行なった。
かくして2009年8月、韓国は北朝鮮を併合し、高麗連邦共和国が成立した。東アジアから平和を脅かす要素が消滅したと世界に歓迎された。だが高麗を待っていたのは地獄だった。北朝鮮のインフラ整備による多大な経済負担が高麗財政を脅かし、経済も下向きになり、高麗国民はしだいに右傾化した。
2010年代に突入すると、事態はさらに悪化した。北に南の会社の工場が次々と進出していったが、賃金はかなり低く設定されて北朝鮮地域の生活レベルは一向に向上しなかった。南は南で多数の工場や会社が北へ進出していったため、失業率が上がり、経済は悪化するばかりであった。
高麗政府が混乱を防ぐため、38度線で国民の移動を規制し情報も制限された為に南北で分断された高麗国民はお互いを憎しむようにもなり、高麗内政は爆弾を抱えた危険な状況になった。高麗政府は国民の目を海外に向けようと画策し、反日政策をさらに推し進めたのである。
だが対外政策でも問題が生じた。2012年、統一直後に「凍結した」と世界に宣言した北朝鮮の弾道弾開発、さらに核兵器開発を秘密裏に続けていた事が発覚したのだ。これにより高麗は急速に孤立を深めていき、現在に至る。
海上自衛隊の男は、高麗軍の艦艇について詳細な解説をはじめた。男の持つレーザーポインターの先端は、写真の1番上に写っている桟橋に3隻繋がれている砲塔の多い小型艦に向けられた。
「まず、この3隻が蔚山級です。旧式のフリゲートで退役間近の艦ですが、後継艦建造がいまだに行なわれていませんので現在でもこのように主力艦隊におかれているのです」
ウルサン級は1980年から1990年代前半にかけて9隻が建造された沿岸用フリゲートで、一時期は韓国海軍の主力を担っていた。北朝鮮の小型砲艦を意識したのか76ミリ砲2基をはじめ各種機関砲など砲填兵装が充実している他、対艦ミサイルを装備し高い対水上戦闘能力を備えている。
レーザーポインターは1つ下の桟橋に繋がれた6隻のウルサン級より一回り小さな艦に向けられた。その艦はウルサン級と同様に砲填兵器が充実しており、小型ウルサン級という外見をしていた。
「こちらが浦項級コルベットです。24隻が建造され、現在は20隻が就役しています。高麗海軍の沿岸警備の主力艦です。既に退役が始まっていて、こちらの…」
海上自衛官の男は今度は隣の桟橋に停泊するウルサン級よりも一回り大きな船体の艦艇にレーザーポイントを向けた。不鮮明な偵察画像でもステルスを意識した洗練された船体を持つ艦であることが認識できた。
「仁川級フリゲートです。高麗海軍の次期主力艦として造られたものですが、財政難の為に配備が進んでおりません。現在、2隻の就役が確認されています」
インチョン級は、かつてはFF-Xと呼ばれ、ポハン級やウルサン級の後継艦として開発された艦で、高度なステルス性を備え韓国国産対艦ミサイルで武装していた。しかし、その配備は順調とは言えなかった。
さらに別の桟橋には大型艦3隻とそれより一回り小さい艦1隻が繋げられていた。海上自衛隊の男は、一回り小さい艦にレーザーポインターを向けた。
「また、これが広開土大王級。KD-1とも言います」
韓国海軍の海軍増強計画第1弾として完成したKD-1は、韓国海軍がはじめて保有した艦対空ミサイル搭載艦であった。対空ミサイルや対艦ミサイル、対潜ヘリなどを装備し、様々な任務に対応できる汎用艦であった。
「韓国海軍はこれらの艦をもって沿岸警備を行う艦隊を編制しています。それに対して第7機動戦団は海上自衛隊の護衛艦隊に相当するもので、特定の担当地域を持たない機動部隊です」
そう言って海上自衛隊の男は大型艦3隻をレーザーポイント囲った。
「3隻で1個戦隊を編制しています。まず、こちらの2隻が忠武公李舜臣。KD-2です。現在の高麗海軍の主力艦で合わせて6隻建造されています。防空ミサイルSM-2を装備しています」
KD-2は韓国海軍が初のミサイル防空艦として完成させた艦で、長射程対空ミサイルSM-2を装備、高麗艦隊の空を守っているのだ。
それからレーザーポイントを最後の1隻に向けた。その艦はイ・スンシン級よりもさらに大きかった。
「そして、これが韓国海軍のイージス艦、KD-3こと世宗大王級です」
セジョン・デ・ワンは弾道弾及び核開発継続が発覚する直前に完成したKD-2に続く防空艦であり、世界最強の艦載防空システム<イージスシステム>を備えている。イージスシステムは大変高価で、高麗海軍の中でもわずか3隻しか存在しない。
「で、現状をどう判断します?」
海上保安庁から派遣された男が、海上自衛隊の男に尋ねた。
「ここ数ヶ月、高麗海軍の動きが活発化しています。現在、我が自衛隊はグローバルホーク無人偵察機及び偵察衛星による監視活動を行なっておりますが、昨日の定期監視時に消えました」
「消えた?」
「第7機動戦団及び第3艦隊のほぼ全力。それに朝鮮半島の東側、日本海を担当する第1艦隊の半分です。駆逐艦、フリゲート、コルベット、それに揚陸艦。そういった艦艇が消えています」
「自衛隊は追跡できないのかね?」
外務省から派遣された男が尋ねると海上自衛隊員は首を横に振った。
「洋上を作戦行動する艦隊を追尾するのは大変難しいのです。衛星は固定目標の監視には優れますが、移動目標となるとよほど運がないと見つけられません。哨戒機も海の広さを考えれば、本当に少数しかないのです」
「高麗の陸軍はどうなっているんだ?」
今度は警察庁から出向してきた官僚が尋ねた。すると情報本部長、真田陸将が立ちあがった。
「陸軍については大規模な動員は確認できません。ただ気になる動きはありません」
「気になる動きとは?」
「高麗陸軍には全部で機械化師団が8個あります。うち3個が旧北朝鮮軍、残り5個が旧韓国軍の師団です。旧北朝鮮軍の師団は軍人の失業対策の為に存在しているようなものですから無視しても構わないのですが、問題は旧韓国軍の師団です」
真田は鞄から資料の束を取り出し、参加者に配った。
「韓国軍の機械化師団は3個の旅団から成りますが、高麗政府は5個師団のうち4個師団から1個旅団ずつ、計4個旅団が参加する海上機動演習を実施すると発表しました」
「では、高麗軍が攻めてくるというのか?!」
警察庁の官僚が目を細めて言った。
「なんとも言えません。実はこうした形式の演習は珍しくないのです。このところの経済危機で韓国の海運業は船を持て余している状態でして、徴用船を使った海上機動を想定した演習をすることで海運業者に仕事を与えているんです。ようするに公共事業の一種ですな」
「結局、どういうことなんだよ!」
警察庁の男が怒鳴った。隣にいた外務省官僚も立ち上がり、警察庁の男を抑えた。
「まぁまぁ。なにしろ自衛隊はな…中国が内乱で覇権争いから脱落した時点でアジア最強の軍隊であると確定した。いま高麗と中国が裏で接近しているという噂も聞くが、それでも日本には到底かなわない。攻め込もうなんてバカはいないだろう」
事実だった。中国では2008年の五輪と万博をなんとか成功させることができたが、2010年には地方の軍隊が軍閥化して、政府軍と内戦を繰り広げていた。中国はその経済力、軍事力を失い、日本が再びアジア一の経済大国へとなった。
「情報本部では高麗軍の行動を示威行為だと捉えています」
真田は外務官僚の言葉に被せて情報本部の見解を述べた。しかし、真田は必ずしもその見解に納得しているわけではなかった。
内乱で力を弱めているとはいえ中国軍はまだ力を保っている。海軍力はほとんど政府軍隷下にあり、海上自衛隊には及ばないものの、東アジアの軍事バランスを動かすだけの影響力をいまだに保っている。決して無視できる存在では無い。そして、イージス艦をはじめとする強力な軍事力を持つ高麗。もし両者がドッキングしたら?真田が憂慮するのはその点だ。しかし彼も組織の人間として組織の下した結論を一存で覆すわけにはいかない。
「だが、T作戦を妨害してくるかもしれんぞ」
そう語るのは海上保安庁の男だ。この会合が開かれた理由となった作戦の主体となるのは彼ら海上保安庁だ。
「自衛隊の方はどこまでバックアップしてくれる?」
海上保安庁の問いに対して海上自衛隊幕僚長が立ちあがった。海幕長は名を笹山と言い、階級は海将で、温和そうな容貌で軍人には見えなかった。
「現在、第2護衛隊群が即応体制に入っており、護衛艦8隻がいつでも出動可能です。それに加え、佐世保、舞鶴、呉の各地方隊から護衛艦をそれぞれ1隻ずつ展開できます。つまり海上自衛隊は11隻の護衛艦を派遣できます」
それを聞いて1人の役人が手を挙げた。彼はT作戦の実行者である海上保安庁を所管する国土交通省の男であった。
「まってくれ。護衛艦隊に護衛艦45隻がある筈だ。なぜ11隻だけなんだ?」
彼は自衛隊の戦力について付け焼刃の知識を披露した。
「ローテーションというものがありまして。確かに海上自衛隊には多数の護衛艦がありますが、修理・点検や訓練の都合により常に実戦に投入できるだけの態勢を整えているのは全体の4分の1から3分の1程度なのです。
現在、佐世保の第2護衛隊群が即応態勢にあります。第1護衛隊群も出撃可能なはずだったのですが、現在、ASEAN諸国海軍や米海軍との合同演習の為、南シナ海へ展開しており、呼び戻しておりますが、日本に戻るにはまだ時間がかかります」
その言葉に各省庁から出向してきた役人はもちろん陸空自衛隊の幹部からもやじが飛んだ。
「なにを考えているんだ、海上自衛隊は!」
「この大事な時に南シナ海に派遣中だと!」
「マジメにやっているのか海自は!」
「訓練でいい成績を出せばいいと言うのか?」
それに対して笹山も反撃を開始した。
「急なことなんだから、仕方がないだろう。南シナ海派遣は正月から決まっていたことなんだぞ。それにこれだって、東南アジアとの関係強化という外交的意味があるんだぞ。中国の内乱が自国に波及することを彼らがどれほど恐れているか、君なら分かるだろう」
そう言うと外務省の男を指さした。
「人を指さすな。まぁ、急だったのは事実だが」
確かに急な話だった。
T(竹島)作戦。高麗に不法占拠されたままの竹島を奪還する作戦だ。
アメリカを始めとする西側先進国は弾道弾・核問題の平和的解決を望んだが、高麗は一切の交渉を拒絶した。そこで高麗を交渉の場に引きずり出すべく国連安保理で決議1262が採択された。それは要約すれば“高麗の国際関係正常化のために必要な行動を認める”というもので、それに従って様々な圧力を与えられた。
T作戦もその一環であった。紛争係争地に実力行使に出るというのは国際連合という組織の理念を捻じ曲げるものでもあるし、安保理決議1262によって正当化するにも強引な解釈が必要であったが、結局は実行されることになった。背景にはアメリカの後押しもある。
その作戦とは海上保安庁による竹島への強制執行だ。竹島警備隊や住人を“不法占拠者”として取り押さえて島を奪還する。高麗が抗議してきたら“では、国連の法廷で諸問題と一緒に解決しよう”と返事をするわけだ。
対馬上空
真夏の太陽の下、雲ひとつない空を航空自衛隊主力要撃機F-15Jは飛んでいた。翼の下には赤外線追尾式ミサイルAAM-3を抱え、バルカン砲には20ミリ弾がたっぷり装填されている。
航空自衛隊のイーグルドライバー、野々宮3等空佐は憂鬱な気分だった。これで8空(第8航空団)は今月9度目のスクランブルだ。相手は高麗空軍。領空を侵犯することもたびたびあり、今回もそうで、今月3度目の領空侵犯だった。
「見えた。やっぱりKF-16だ。間違いない高麗空軍機だ」
野々宮は、目視でKF-16戦闘機と高麗空軍の国籍識別マーク―旧韓国空軍のそれと同一である―を確認した。KF-16は米国が開発したF-16戦闘機の韓国版で、米国から輸入した部品を韓国国内で組み立てたものである。機数は2機。編隊飛行で南下している。翼の下に何かを吊るしている。AAMの類か?気になったが手順通りに進めることにした。証拠及び研究資料用の写真を撮影し、無線で警告を行なう。
「こちら航空自衛隊。前方を飛ぶ高麗空軍機に告ぐ。貴官は日本領空を侵犯している。ただちに退去するか、こちらの指示に従え!」
英語と韓国語で呼びかけたが相手に反応は無い。
「ちっ。こちらアロー1。管制室。高麗空軍機は警告に応じない。威嚇射撃の許可を!」
こういう時の対応はしっかり定められており、返事は瞬時に返ってきた。
<こちら管制室。アロー1。威嚇射撃を許可する。慎重にやれよ>
「ラジャ」
野々宮は返事をすると、FCSを起動した。
「サリー、援護しろ!」
サリーはともにスクランブルしてきた僚機のTACネームだ。航空自衛隊のパイロットには部隊のコールサインとは別に個人を識別する愛称がつけられる。それがTACネームで、野々宮の場合、アーニーだ。
選択した武器はM61、20ミリバルカン砲だ。そして照準を高麗空軍機のすぐ横を掠めるようにあわせる。今だ!
「アロー1。フォックス3! 」
野々宮が発射ボタンを押すと同時に、機体側面の装備されたM61から毎分6000発のスピードで20ミリ弾が空中に放たれる。時間にして1秒ちょっとのことであるが、高麗空軍のパイロットへの威嚇には十分だった。
F‐16は突然、急旋回し、高麗本土へ向かって飛んでいったのである。野々宮と僚機は日本と高麗の防空識別圏の境界まで追尾して、その後、築城基地に向け旋回した。
<アーニー、さっきのF-16…>
「あぁ、確認した。翼の下には兵装を吊るしていた。最初はAAMかと思ったが、いや、あれは対地攻撃用の装備だ」
驚くべきことでは無かった。実際、侵入してくる高麗空軍機が実戦用の装備をしている事は決して少なくは無かった。
<また、いつもの脅しでしょうかね?>
サリーの声は冷静そのものだった。高麗の核開発発覚後の最初に武装戦闘機が侵入した際は撃墜も検討されたが、その時、高麗機は慌てふためく自衛隊を嘲笑うかのように領空侵犯直後に旋回し、機首を朝鮮半島に向けた。
それ以来、武装した高麗機が侵入しても騒がなくなった。どうせ脅しだ。倒れそうな国はいつもそうやって強がるものだ。
だが、野々宮は自衛隊のそういう態度が不安でならなかった。。
(2013/2/7)
内容を改訂。設定変更や現実の韓国海軍の動向を反映させました。