一五.防衛線放棄
福岡市西区 昭代橋
強行偵察の結果、高麗軍は地図上の地名では「桜井」となっている地点に布陣していることが分かった。兵力は1個連隊規模と推定された。すぐに特科部隊による砲兵射撃が行なわれたが、予備陣地が十分に用意されておらず本格的な砲兵戦を行うのは難しいようで、射撃はすぐに止んでしまった。射撃の効果は不明であるが、十分に装甲化されている高麗海兵隊に致命的な打撃を与えるのは無理だろう。ただし向こうも補給の問題からか、撃ち返してこなかった。
第4施設大隊の連中が昭代橋を含めた瑞梅寺川に架かる橋のいくつかに爆薬を設置し爆破する準備を完了したが、すぐに爆破するようなことは無かった。これから反撃に転じる可能性があったし、それに橋は国家を支える重要な財産である。むやみに破壊はしたくはない。
桜井をはじめとする前線の第2小銃小隊隊員たちは地面に穴を掘っただけの簡単な壕の中に隠れてひたすら敵を待つことしかできなかった。
「戦車だ!」
高麗軍の方向を監視していた隊員が叫んだ。桜井は顔を塹壕から少し出して様子を伺った。高麗海兵隊のK1A1戦車の姿が確認できた。全部で4両、1個小隊である。それにAAV-7装甲車が1両続いている。AAV-7は水陸両用の大型装甲車両で25人の完全武装した兵士をのせる事ができる。
「強行偵察だな」
古谷はそう判断すると、指揮下の隊員たちを配置に就かせた。
おそらく高麗側は川に沿って防御線が構築されていると予測していたのであろう。一番後ろを進んでいたAAV-7が防衛線の手前700mほどで停止して、車両後部のハッチを開放した。高麗の歩兵たちがAAV-7から飛び降りて、歩道に沿って前進を開始した。
第19普通科連隊第1中隊の対戦車小隊は川の前にあって、昭代橋を通る県道85号線の脇に87式対戦車誘導弾の発射機を配置していた。中隊の保有する対戦車誘導弾の発射機は全部で4門。うち2門を川の西側に配置し、もう2門は対岸に配置している。
照準装置は発射機から独立しているので建物の陰に隠れるようにに設置されていて、その照準は先頭1両のK1A1戦車に向けられている。
「ギリギリまで引きつけろ」
高麗軍の強行偵察部隊がいよいよ昭代橋に接近してきた。
第1中隊に属する軽迫撃砲小隊の81ミリ迫撃砲が放たれて、戦車の周りに炸裂する。対戦車戦をし易くする為に歩兵と戦車を分離させるのが狙いである。そして目論見通りに戦車が突出しつつあった。
「撃てー!」
対戦車小隊の号令とともに2つの発射機から2発、先頭の戦車に目掛けてミサイルが発射される。1発は脇にそれて外れたが、もう1発は見事に命中した。
一方、迫撃砲攻撃に攪乱された高麗歩兵は1個分隊ずつ二手に分かれ、片方は回り道をして迂回攻撃を試みた。南へ廻り橋を川に沿って敷かれた道から攻撃するのである。そうしてもう一方は戦車の後ろでチャンスを窺っている。
自衛隊側も側面からの襲撃を警戒して予備となっていた第4小銃小隊を橋の西岸の南側に配置して防衛線を強化していた。高麗兵は小道を通り川沿いの道に出た。しかし、待ち構えていた1個小隊の集中射撃の前に先へ進むことが出来なかった。
やがて高麗軍の火砲、おそらく迫撃砲、が射撃を開始した。ほぼ垂直に落下してくる砲弾の着弾点は、自衛隊の軽迫撃砲部隊と桜井らの第2小隊陣地に集中していた。
迫撃砲弾の1発が自衛隊の壕の1つに落ちた。砲弾は砲弾なのだから当然、当れば爆発する。壕にいた2人の自衛隊員と共に。桜井はその様子を目撃してしまった。そして今度は桜井と古谷の壕に迫撃砲弾が落下してきた。お終いだ!2人ともそう思ったが、砲弾は爆発しなかった。不発弾であったのだ。煙を吐く不発弾を目の前に古谷と桜井は互いの顔を見合わせた。
迫撃砲の射撃が終わると、戦車と歩兵1個分隊が再び前進を開始した。
桜井は壕から上半身を出し、64式改を構えた。照準用スコープには既に一番先頭を走る高麗兵を捉えていた。すでに小隊長の古谷からは射撃許可は得ている。射程の関係から第1射は彼のものと小隊の中で決めていた。
ただ何時もの訓練通りに動いただけで、何の感情も無かった。これが訓練の成果なのか、それとも先ほど吹き飛ばされた同僚を見てしまったからか、理由は分からないが、本人も驚くほど冷静に行動することができた。すでに7.62ミリNATO弾が装填済みでいつでも射撃可能である。桜井はゆっくりと引き金を引いた。1発の弾丸が先頭の高麗兵の頭を貫いた。
それと同時に小隊の同僚達が射撃を開始した。2人の高麗兵が倒れた。
勇敢かつ優秀な小隊であったが、戦車が相手では無力だった。残った3両のK1A1戦車が撃破された車両を避けて前進してきたのである。1人の高麗兵の狙撃により対戦車小隊の照準手が射殺され、発射機はK1A1戦車の砲撃で破壊された。対戦車ミサイル(さらに言えば携帯式の対戦車兵器全般)というのは待ち伏せに効果を発揮するものであったが、このように発射機の位置が暴露すれば一方的にやられてしまう代物なのである。
対戦車兵器を片付けたK1A1戦車は標的を前方の第2小隊に定めた。120ミリ戦車砲の隣に備え付けられた同軸機銃が火を噴いた。1人の隊員がその餌食となり、再び壕の中に隠れざるえなかった。この時、古谷は橋の東側へ撤退しようとも考えたが、それだけはできなかった。今、第2小隊が撤退すれば、南側で迂回してきた高麗兵を阻止している第4小隊が孤立してしまう。
そんな中で第4戦車大隊第1中隊に属する1個小隊の10式戦車がようやく姿を現した。本来なら前線の普通科部隊と一緒に配置すべきなのであるが、敵から丸見えなのは許容できなかった。戦車壕を掘る時間もなく、結局は橋の後方で隠れているしかなかった。
戦車小隊の指揮官である氷室3尉は自衛隊で最初に実戦を経験する戦車乗りとなった。
「目標捕捉。前方800、K1A1」
「確認、照準良し」
砲手が答えた。
「弾種、徹甲弾。装填」
10式戦車の場合、前世代の90式と同様に自動装填装置が採用されているので重い砲弾でも瞬時に装填が可能なのである。
「装填。射撃準備良し」
「撃て!」
氷室の号令とともに国産50口径120ミリ砲から徹甲弾、正確にはAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)と呼ばれる細く鋭い砲弾、が放たれた。10式の火器管制装置は日本の最新のテクノロジーを注ぎ込んだだけあって、かなり優秀な代物であった。数秒後には狙いどおりにK1A1の砲塔に命中し、APFSDFは至近距離であったこともあって見事にその装甲を貫いた。
氷室は次の目標を探したが、敵の2号車(実際には1号車は対戦車誘導弾が撃破済みなので3号車)は撃破された戦車の後ろに隠れているので攻撃できなかった。市街地では、同時に精々数両程度までしか戦闘を行なえないので、やりにくい。
すると高麗軍の迫撃砲攻撃が再び始まったが、今度は白煙弾が飛んできた。煙幕を張るという行為は、だいたいのところは撤退支援を意味する。
煙の中、高麗軍の強行偵察部隊は元の陣地に戻っていった。高麗側は参加部隊の半分を失う結果となった。自衛隊側は10名が戦死し、対戦車誘導弾発射機1セットと81ミリ迫撃砲1門を失った。結果だけ見れば自衛隊の勝利である。しかし高麗部隊の目的は防衛線の突破ではなく偵察であり、本格的な作戦の為の下準備に過ぎない。
瑞梅寺川防衛線の放棄を決定した。橋を守っていたのは反攻作戦のためにであるが、敵の攻撃が間近に迫っている一方で自軍(このように表現すると語弊があるが)の反攻作戦が始まる気配がまるでないのでより有利な防衛線に下がるべきである、というわけだ。
第19普通科連隊第1中隊では、情報小隊とともに行動し大損害を被った第1小銃小隊が先遣隊として最初に下がっていった。橋の西側を守っていた第4小隊、次いで第2小隊が東側に下がり、橋が爆破された。そして隊員たちは車両に乗り込み次の陣地に向かった。戦車部隊が殿となった。時刻は7時になろうとしていた。