一二.火力戦
福岡市内
あまりの五月蝿さに目を覚ました萩原里美は、その原因が目覚まし時計では無いことに気づいた。7時にセットしてある時計が1時間も前に鳴り出すわけも無く、音の原因は玄関のドアを叩く何者かと外から聞こえる謎のサイレンだった。
「誰!こんな朝早くに起こすのは?」
目の下を擦りながら玄関へ歩いていって、覗き穴から犯人の姿を確かめた。
「片平さん?」
萩原が慌ててドアを開けると、片平は萩原の肩を掴んだ。
「戦争よ!」
いきなりの一言に寝ぼけたままの萩原の頭脳は次のような結論に行き着いた。
「機動隊とゲバ棒で殴りあうんですか?」
「萩原さん。いったいいつの時代の話をしているの?」
片平は思わず聞き返してしまった。左翼系運動に参加はしているが、そこまで過激では無い。というか今時やらない。
相変わらず寝ぼけたままの萩原は、外から聞こえるサイレンが鳴り止まないことに気づいた。
「このサイレンは何ですか?」
「さぁ」
それは政府が武力攻撃を受ける可能性が高い地域に注意を促すために流すサイレン音だが、それを知る人間は広い福岡でも数えられるほどしかいなかった。しかし、多くの住人はそれが異常事態を告げるものであることは理解できた。
対馬 浅芽湾
高麗軍の攻撃が続く中でも海上保安庁は任務を継続していた。対馬海上保安部には6隻の30メートル型巡視艇を配備していて、全船がT作戦支援のために出撃していた。この種の巡視艇は領海警備を主任務とし、高速性能に優れ12.7ミリ機関砲1門を装備している。
6隻のうち遠方に居た4隻は本土の安全地帯へと向かったが、対馬近辺に居た2隻は監視活動を続けていた。今さら逃げても間に合わないし、海上保安官として目の前の対馬島民を残して逃げるようなマネはできなかった。
「レーダーに感。包囲3-5-0。複数の船舶が接近してくる」
レーダー監視員の報告を受けて、船橋に立つ艇長は首からぶらさげている双眼鏡を手にした。
3隻の船は高麗海軍のものであった。1隻は高麗海軍の旧式コルベットである【浦項】型の21番艦【南原】で、次は機雷敷設艦である【元山】。艦種が示すように本来は機雷を設置することを任務とするが、重武装が施されていて哨戒艦としても使用できる。そしてもう1隻は小型のLCU-1610型揚陸艦であった。
「艦長!前方の小型船舶は日本の警備船(巡視船)のようです」
「よろしい。攻撃を開始せよ」
【南原】の艦橋にて艦長は命じた。海上保安庁と海上自衛隊を区別する必要は無かった。【南原】は76ミリ速射砲2基をはじめとする強力な砲兵装を誇る。近代艦艇としては些か力不足な点もあるが、海上保安庁相手には十分である。
前部甲板の76ミリ速射砲が動いた。僅かに仰角を操作し、続いて轟音とともに2発の砲弾が放たれる。そのうち1発は水面に1つの水柱を建てただけだが、もう1発は巡視船に直撃した。さらに数発、76ミリ砲の射撃が続く。巡視船は完全に叩きのめされたが、高麗軍接近の警報を発して最後の任務を果たした。
福岡市西区 昭代橋
午前6時を回り、防衛線の体裁はなんとか整った。福岡駐屯地から駆けつけた連隊本部付の施設小隊(これは自衛隊用語で一般的な軍隊における工兵部隊を意味する)が道路のアスファルトを剥がして即席の塹壕を掘り、そこへ到着した第19普通科連隊の隊員たちが潜り込む。最前線で警戒をしている情報小隊には、師団司令部直属の第4偵察隊が加わった。中隊規模の師団偵察隊は装備の面で言えば連隊の情報小隊と多くの点で変わらないが、87式偵察警戒車を装備しているという点において異なる。6輪のタイヤ駆動の87式偵察警戒車は25ミリ機関砲1門を有する砲塔を持ち、名前の通り偵察活動に使われる。生産数は僅か100両前後で、師団や旅団の偵察隊には10両以下の少数ずつしか装備されていないが、偵察部隊にとっては頼もしい存在であることに代わりは無い。
また前線で戦う隊員たちを喜ばしたのは戦車の到着だった。玖珠から進出してきた第4戦車大隊の1個中隊14両、どれも最新鋭の10式戦車である。総重量50tと重く(といっても、当時の西側最新鋭戦車の中では最軽量であるが)北海道以外での運用に難があった90式戦車の反省から生まれた10式は、重量はなんと44tに抑えられている。さらに90式には無かった様々なハイテク装備を積載している10式は自衛隊の次世代戦車に相応しいものと言えた。現在、10式戦車は本州以南の旧式な74式戦車に代わって配備が進められ、2015年現在では生産数は40両ほどになっている。
それに加え、第4師団の師団砲兵部隊である第4特科連隊も久留米から駆けつけたらしく、防衛線にFO(前進観測班)が姿を現した。FOの仕事は、前線からずっと後方に展開している特科連隊主力に、前線部隊の要請や射撃に必要な各種情報を伝えることで、前線部隊と砲兵を結ぶ命綱と言える。予断ながら自衛隊は貧弱な兵力を補うために火力を重視しており、砲兵部隊である特科連隊は大変充実していた。歩兵部隊である普通科連隊よりも特科連隊の方が人員が多いという事実がそれを表している。だがそれも過去の話で、近年では大砲を大幅に減らされ弱体化が急速に進んでいるのが現状である。
ともかくとして一応、防衛線は整った。
桜井は橋の西側、ようするに敵側の塹壕の中で朝食を摂っていた。缶詰型の戦闘糧食1型のバリエーションの1つ、鶏飯である。自衛隊の糧食はかつてカンボジアPKO時に参加国間で行われた糧食コンテストで優勝した事例が示すように本来は美味いのであるが、暖めずに食べているのでとても食えたものではない。桜井は無理やり飯を口に押し込んだ。
その時、遠くから爆音が聞こえてきた。高麗軍の上陸した海岸の方だ。
「戦闘ですか?」
桜井は隣で塹壕か顔を出して様子を伺っている古谷に尋ねた。
「そのようだ。斥候の連中が…」
古谷が返答はそこで途切れた。すぐ後ろから爆音が聞こえ、2人とも思わず耳を手で塞いだからだ。
「迫撃砲だ。重迫中隊の連中だな?」
古谷は橋の向こう側に陣取っている筈の重迫撃砲中隊の姿を想像した。爆音は恐らく120ミリ重迫撃砲RTのものであろう。迫撃砲は普通科連隊直属の支援火器として配備されている小型の大砲である。特科連隊が保有する大型の榴弾砲に比べると、射程や精度の面で劣るが使い勝手が良く、歩兵に密着した支援を行う兵器として隊員たちから頼りにされている。なお自衛隊では120ミリ重迫撃砲RTの他、81ミリ軽迫撃砲L16を配備している。
「見てください!発煙弾です」
桜井は塹壕から顔を出して、弾道を追っていた。田園地帯のその向こう、山に囲まれた集落、桑原の一帯に着弾し、爆発の代わりに白い煙が発生していた。
その様子に何かを感じたのか古谷は通信手の持つ通信機の受話器を取った。中隊の指揮所からの指示を聞くと受話器を元に戻し、89式小銃を手に持った。
「食事を終わりだ。銃を取れ!斥候の連中が戻ってくる。収容の準備だ」
桜井もカンメシをその場に置くと、64式狙撃銃を構えた。
白煙に紛れて情報小隊と第1小銃小隊、第4偵察隊の面々が昭代橋に向かっていた。偵察用オートバイを先頭に、高機動車や軽装甲機動車、73式小型トラックのような車が続く。殿は1両の87式警戒偵察車が務めているようで、砲塔を後ろに向けて25ミリ機関砲を乱射している。
「おかしいですね。RCVが1両しか見えませんが」
桜井が呟いた。RCVとは87式警戒偵察車の事である。陸上自衛隊の正式な愛称はブラックアイだが、やはり誰も使っていない。偵察隊は3個小隊に分かれて、複数の方向から偵察を行っており、桜井らの正面からは警戒偵察車2両を中核とする1個小隊が連隊の情報小隊や第1小銃小隊とともに偵察を行っている。
「確かにな」
古谷はそれだけしか言わなかった。桜井ももう1両のRCVの運命を想像することを止めた。
重迫撃砲中隊が再び射撃を行い、何発もの砲弾が白煙に飲み込まれていく。先ほどのように撤退援護の為に煙幕を張ることを目的とする白煙弾では無く実弾を使用した効力射らしく、着弾時の爆音は耳を貫く強烈なものであった。その震動が肌に伝わってくる。桜井は迫撃砲の着弾点には高麗軍が居て、砲弾で吹き飛ばされているのだろうか、と考えて、そういう目には遭いたくないな、と考えた。しかし、その機会はすぐに訪れることになった。
ヒュルヒュルという音が聞こえてきた。古谷が立ち上がり、何かを確かめると叫んだ。
「敵の砲撃だ!伏せろ!」
桜井は慌てて伏せて、塹壕の中に隠れた。
それは高麗海兵隊のK55自走砲の射撃だった。K55はアメリカ軍が開発したM109A2自走砲の韓国版で、155ミリ榴弾砲を装備している。照準はむちゃくちゃで直撃弾は無かったものの、自衛隊が受けた被害は甚大であった。田んぼに次々と命中する155ミリ榴弾の起こす爆風によって数両の73式小型トラックが煽られ横転した。さらに砲弾の破片が飛び散り、装甲化されていない車両に乗る隊員たちに襲い掛かる。高機動車や73式小型トラックに屋根代わりに張られている幌程度では簡単に貫かれ、致命傷を負わせるのだ。
ある隊員は車の座席から動けなくなっていた。首に破片が刺さり、手で傷口を押さえているが出血が止まる気配は無かった。意識が朦朧とする中でその隊員は視界の中に吹き飛ばされたらしい稲が空中を舞う姿を捉えた。その姿は幻想的ですらもあり、その隊員は思わず見とれてしまった。そしてそのまま意識が途絶した。
桜井たちが陣取る塹壕のすぐ横の小学校にも数発の砲弾が落下した。いくらかの設備を破壊し、植えられた木をなぎ倒す。
塹壕の中で伏せている桜井の上に焼け焦げた木々の破片やら葉っぱやらが降り注いだ。熱された破片は野戦服越しでも熱かったが、それは桜井の意識を現実に戻す効果もあった。彼にとって(というより全ての自衛官にとって)初めての砲撃により彼の神経は半ば麻痺状態であったのだ。
「砲撃が止んだ?」
爆音が聞こえなくなっていた。顔を塹壕から出すと、斥候部隊の惨状を目で見ることができた。水田には小さなクレーターがいくつも出来ていて、路上には横転した車両やら血を流して倒れている様子の隊員やらと一目見ただけで友軍が大きな被害が出ていることが分かる。無事であった隊員はけがをしている隊員を担ぎ、無事な車両は走行不能になった車両を避けて進み、防衛線まで下がろうとしている。無事だった車両はRCVをはじめとして少数だけだった。遠目から見て無事に見える車両も、破片をタイヤに受けて走行不能になっているのだろう。
またヒュルヒュルヒュルという音が聞こえてきた。それも不思議なことに味方の側から。着弾点は見えなかったが、爆音が山の向こうから聞こえてきた。
桜井は知らなかったが、先ほど斥候部隊を攻撃したK55自走砲部隊に対して第4特科連隊が対砲兵射撃を行ったのである。対砲兵レーダーによりK55自走砲の弾道を観測して、布陣していると思われる大まかな位置を割り出し、そこへ自衛隊の主力火砲であるFH-70型155ミリ牽引式榴弾砲を撃ちこんだのである。第19普通科連隊の背後に布陣しているのは第1大隊(1個普通科連隊に対して特科1個大隊ずつが支援を行うことになっている)で、3個中隊計15門が前線から10kmほど離れた室見川河畔一帯に分かれて配置されていた。
ある1門のFH-70は計7発の砲弾を発射した。射撃が終わると、その砲を担当する隊員たち(FH-70は運用に1門あたり8名の人員が必要だがこの砲には6人しかいない)が慌しく動き始めた。擬装用ネットを外し、反動を抑えるための脚を片付け、弾薬を輸送用トラックに戻す。さらに1人の隊員が砲に備えられている座席に座った。するとFH-70が動いた。FH-70は牽引式榴弾砲であるが補助動力装置を備え、短時間・短距離なら自走することができるのである。これにより迅速な展開・撤収が可能であるという触れ込みなのだが、自走砲に対してはやはり分が悪い。
現在の砲兵戦では、対砲兵レーダーにより砲兵陣地の位置はすぐさま暴露され、次の瞬間にはお返しの射撃が降り注いでくることになる。幸い高麗軍は対砲兵レーダーの数が十分で無く、すぐさま応射が行えないようであるが、それほど時間は無いはずだ。敵の対砲兵射撃に対抗するには、迅速な移動が不可欠だ。牽引式の砲では、その点がどうしても不利だが、陸上自衛隊の予算では全部隊に十分な自走砲を配備することは不可能だ。
FH-70がトラックの後ろに繋がると、すぐさま砲兵陣地を後にした。次の陣地はすでに決められているが、予備の砲兵陣地は今のところそれだけだ。準備がまだ十分に進んでいないのである。
そして高麗砲兵の砲弾が先ほどまでFH-70の居た陣地に落ちた。
余談ながらFH-70の陸自における正式な愛称は「サンダーストーン」である。もちろん、誰も使っていない。