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九.防衛出動発動

首相官邸 特別応接室

 高麗駐日大使の次に訪れたのはアメリカ駐日大使のローゼンバーグであった。2人は握手を交わして席についた。


「総理、大変なことになりましたな」

「まったくです。アメリカはどのような対応をなさるのですか?」


 大使は間を置いてから答えた。


「いいですか、総理。現在の東アジアの情勢を鑑みますと、我々としても部隊の展開に慎重にならざるをえません。ですが、アメリカは日本を出来る限り支援することを約束します」

「大使。それでは日米安保条約が…」

「総理。日米安全保障条約において、我々は貴国の為に軍を展開する義務は無いのです。それに米韓相互防衛条約はまだ生きています。高麗は法的には我が国の同盟国なのです。同盟国に対して軍事的な行動を行なうことは重大な決断が必要です」


 高麗は国際社会から半ば孤立している状態とは言え、アメリカは同盟を断絶するに到らなかった。


「ちょっと待ってください。アメリカは日本を見捨てるってことですか?」

「そういうわけではありません。我々は貴国の為に出来る限りのことを行います」


 ローゼンバーグは優しく諭すように言った。だが、最後は力強い口調になった。


「しかし我がアメリカ合衆国は、自国を防衛する意志の無い国に合衆国の軍事力を提供することはありません」





赤坂 アメリカ大使館

 首相官邸から戻ったローゼンバーグを待っていたのは空軍の軍服を着た男だった。


「アトリー将軍。軍の方はどうなっている?」

「現在、即応状態にある陸上戦力は沖縄の海兵隊です。ただ実際に動かせる兵力は第31海兵遠征隊のみで、グアムや本土から増援を受ける必要がありますね。空軍は第5空軍がいつでも行動可能ですが、中国情勢を鑑みますと慎重にならざるをえません。アラスカやハワイに増援を要請しています」


 アトリーと呼ばれた男は空軍の人間だが、日本にある全アメリカ軍への責任を有していた。なぜなら彼、チャールズ・アトリー中将はアメリカ第5空軍の指揮官であると同時に在日米軍の最高司令官だからである。

 在日米軍の中で最大勢力を誇るのは沖縄の海兵隊であるが、元より訓練部隊としての意味合いが強くアメリカ本土の海兵隊師団に比べると小規模であったが、米軍再編のために大きく削減されて現在では1個歩兵大隊を基幹に編制される2000人程の海兵遠征隊が実働可能な唯一の兵力となっている。ただ、それ以上兵力があっても運ぶ船が足りないので合理的と言えば合理的ではあるのだが。


「事前集積の方はどうなっているのかね?」


 事前集積とはアメリカ軍の強大な戦力投射(パワープロジェクション)を支える仕組みの1つである。部隊というのは、兵士と兵器・武器によって構成されるが、兵士について航空機等で迅速に移動させることが可能であるが、戦車や車両などの重い兵器は輸送に手間がかかり結果的に部隊の移動そのものは遅くなってしまう。そこであらかじめ世界各地に兵器を事前に保管しておいて、部隊が移動する時は、その部隊の兵器はその場に残し、兵士だけが移動して各地に保管してある兵器を使って戦う。そうすれば、部隊の移動時間を短縮することができる。これが事前集積の概念である。

 アメリカは世界各地の米軍基地に兵器を保管しているほか、専用の事前集積船を用意して必要に応じて各地に派遣している。


「相模総合補給廠にIBCT(歩兵旅団戦闘団)1個分に、沖縄にSBCT(ストライカー旅団戦闘団)1個分があります。さらにディエゴガルシアからHBCT(重歩兵旅団戦闘団)1個分の装備を積んだ事前集積船が既に出港しています」


 歩兵旅団戦闘団とは主に軽歩兵で編制される戦闘部隊で、戦車など重装備は少ないが、それ故に迅速な部隊展開が可能なのが特徴である。重歩兵旅団戦闘団は戦車や重装甲車で編制され高い打撃力を持つ。そしてストライカー旅団戦闘団は両者の中間に位置する存在で、比較的軽量なストライカー装甲車を装備する。


「情勢に関わらず九州での反攻作戦開始には2週間が必要です」





首相官邸 執務室

 高麗大使とアメリカ大使との会談は短いものであったが烏丸総理を疲れ果てさせるには十分だった。


「あぁ、なんて時に総理大臣になってしまったんだ」


 そこへ閣僚たちが集まってきた。


「総理。アメリカ大使との会見はどうですか?」


 いの一番にそう尋ねたのは防衛大臣の中山であった。


「向こうもどう動くか、方針が定まっていないようだ。だが1つだけ明言したよ」

「と言いますと?」

「日本が決意しないのなら、アメリカは動かない。自分たちだけが血を流すつもりは無いというわけだ」


 それを聞いて古橋が割って入ってきた。


「やはり自衛隊を出動させるべきではありません。これはアメリカへの従属から抜け出すチャンスですよ。ここで武力に頼らず平和的に事態を解決してこそ日本は平和立国として自立した国家だと世界から認められるのですよ」


 社会民生党の中でも特に左よりの人間として知られる古橋は、今でも平和解決路線を捨てる気は無いようだ。


「まだそんな事を言っているのか!」


 その態度は中山を怒らせた。


「いいかげんに目を覚ませ!日本は侵略を受けているんだ。平和などすでに無い。だいたい何がアメリカからの自立だ!ここで戦わなくては高麗に従属することになるだけだ」


 さらに続けようとする中山を菅井が制した。


「今更に仲間内で喧嘩しても仕方ないだろう。

 総理。私はやはり自衛隊は出動させるべきだと思います。武力解決を採るにしろ平和的解決を採るにしてもね。我々もやる時にはやる。交渉が決裂しても、いつでも武力行使ができる。という姿勢を見せる必要があります」


 だが、烏丸はまだ迷っているようだった。止めが必要である。


「それに今、何らかの手を打たないと、民間人の犠牲者が出た場合に総理の責任ということになりますよ」


 政治家は責任という言葉にとにかく弱い生き物であった。


「よろしい。これ以上の被害を出さないために自衛隊に出動を命令しよう。だが、あくまでも現状維持が任務だ。外交的解決を果たすまでは、出来る限り戦闘は控えて欲しい」





福岡市西区 昭代橋

 空はすっかり明るくなり東の地平線から太陽の姿が現れ始めていた。

 桜井たち第19普通科連隊第1中隊は、瑞梅寺川に架かる昭代橋を押さえた。桜井の属し古谷率いる第2小隊は橋の西側を固め、第3小隊はさらに南にある別の大きな橋を確保している。第4小隊は昭代端の東側で予備となり、第1小隊は情報小隊を援護すべく西進し、桑原という集落に布陣した。

 布陣と言っても訓練名目で出動している手前、本格的な陣地構築ができる訳も無く、道路の両側に車を停め、交通の邪魔にならないように配慮した消極的なものであるが。

 古谷は73式小型トラックに小隊陸曹と無線手と一緒に詰めていた。無線手は中隊の無線を傍受しその動きを探っていた。そこへ師団本部から入電があった。


<第4師団隷下の全部隊に伝達する。午前4時45分に内閣総理大臣より侵入した高麗軍に対する自衛隊の防衛出動が命令された。繰り返す。防衛出動が命じられた。各部隊は上級司令部の指示に基き防衛行動を実施せよ。以後は高麗部隊を捕捉次第、発砲を許可する。以上、交信終わり>


 それに続いたのは連隊本部からの通信だった。


<第19連隊各部隊に告ぐ。聞いての通りだ。さしあたっては、事前に説明した通りに甲線に防衛線を敷く。延滞行動を実施し、最終防衛線は丙線とする。事前の運用計画に基き展開せよ。繰り返す、運用計画に基き展開せよ。以上、交信終わり>


 どちらの通信も一方的に終わった。古谷は現場の隊員に対するこの態度に多少、不満を感じた。こちら側が疑問点を質問し、運用の細部を詰めるような事があってもいいだろうに、と。しかし、すでに展開済みの第1中隊が電波発信をするわけにはいかない。逆探知装置でこちらの防衛線の位置が暴露してしまう。


「各班長を集めてくれ」


 古谷からそう命じられた小隊陸曹はすぐに車から外に出た。陸上自衛隊普通科連隊の小銃小隊は小隊長、小隊陸曹、通信手から成る小隊本部とそれぞれ10人の隊員が配置された3つの小銃班から編制される。定員は33名となるが、慢性的な人員不足に苦しむ陸上自衛隊の例に漏れず、第2小隊も古谷らを含め25人の隊員しか居ない。

 小隊陸曹は各小銃班の指揮官を集めると、また73式小型トラックに戻ってきた。2人が陸曹長で1人は1等陸曹だった。古谷は73式から降りると、指揮官たちに向かって小声で言った。


「防衛出動命令が出た。当面は現状維持で、具体的な行動は連隊主力の部隊展開を待ってからだが。だが、以降は高麗軍を確認次第、発砲しても構わない。以上だ」


 言い終えると、そのまま指揮官たちは元の位置に戻っていった。古谷はそれを確認すると、背後の橋に目を向けた。この橋が架かる瑞梅寺川が第1防衛線<甲線>である。ちなみに<丙線>は長垂山と叶岳を結ぶ山岳地帯で、それが高麗軍の福岡市街への侵入を防ぐ最後のラインとなる。2つのライン間の距離は5km弱。短すぎる、と古谷は思った。連隊が揃い次第、ただちに反攻に転じれば、揚陸作業中で態勢の整っていない高麗軍を蹴散らすことができるかもしれないが、こちらが受身に回れば、わずか1個連隊の戦力では容易く突破される。海上機動で高麗軍が背後に上陸して包囲される可能性もある。どちらにしろ、古谷には喜ばしくない想定であった。それでも数年前までに比べれば、まだ比較的マシだと言えた。第19普通科連隊はかつてコア部隊だったのだから。

 コア部隊とは、防衛予算削減に伴い次々と現役隊員を減らされる陸上自衛隊がとった苦肉の策で、即応予備自衛官という予備役によって編制される部隊のことである。即応予備自衛官は、予備自衛官という言葉の頭に即応の2文字が付け加えられているが、実態は訓練日数が年20日から30日に増やされている程度で十分な錬度があるとは言いがたい。第19普通科連隊は数年前に高麗や中国の情勢の悪化への対応としてコア部隊から一般部隊に戻されたが、もしコア部隊のままであったらここまで素早い行動はできなかったであろう。




首相官邸 記者会見室

 時計は午前5時を指していた。

 官邸1階の記者会見室には、民放やNHKなどの報道陣の首相担当である総理番達がその時を待っていた。官邸記者会見室の会見台バックのカーテンはワインレッドのものであり、それは総理大臣が会見を行なう事を示している。そこへ総理大臣が入ってきて、一斉にフラッシュが焚かれた。


「皆さんもご存知であると思いますが、竹島への強制捜査を行なっている海上保安庁及び、その支援の為に行動していた自衛艦が高麗軍の攻撃により重大な被害を受け、さらに高麗軍の上陸部隊が我が国へ侵攻しています。

 これは、我が国の主権に対する重大な侵害であり、また国民の生命・財産を守る為に早急に事態を解決する必要があり、考えうるあらゆる対策を実行する事を決定いたしました。

 その為、内閣総理大臣の私の権限により自衛隊に対し防衛出動を命じました。これは憲法9条下で自衛権の行使に必要な要件であります、我が国の主権に対する急迫不正の侵害である事、他に適当な手段が無い事、必要最低限度の武力行使にとどめる事。を十分満たすものであると確信しております。

 今後、九州北部における高麗軍の侵攻を<北九州有事>と呼称し、陸海空自衛隊及び関係機関がその総力結集し、出来る限り早期に解決することを国民の皆様にお約束します」


 総理はそう言うと一礼した。そして、また一斉にフラッシュが焚かれる。

 報道陣は全員、信じられないといった表情であった。他国から侵略を受ければ自衛隊が防衛出動を行なうのは当然の事であるし、彼らもそれは理解したつもりでいたが、やはり平和ボケの日本人には日本が戦争状態に突入したという事実を受け止められないらしい。

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