約束の川に溺れる
一 働き者の織姫
ヒメちゃんは洋服屋さんを営んでいます。
小さい頃から可愛い服を着ることが大好きで、いつか世界中のみんなに可愛い服をたくさん紹介したいな、と思っていました。
ヒメちゃんは本当に頑張り屋さんです。
毎日毎日来る日も来る日も、朝も昼も夜も彼女は働きました。
この仕事が好きだからというのも理由の1つにありますが、彼女を突き動かすのはそれだけではありません。
ヒメちゃんには大好きな男の子がいました。
ホシくんというその男の子は、優しくて笑顔が素敵な子でした。
幼い頃いつも一緒に遊んでいた二人は、いつの日か約束したのです。
大人になったらお互いちゃんと仕事をして、一人前になったら結婚しよう。
その約束は、引っ越しという形でホシくんがこの町を去ってしまった後も、ずっとヒメちゃんの心の中に残り続けました。
大人になり、夢であった洋服屋さんで働くようになってからも、ヒメちゃんはホシくんのことを忘れていませんでした。
「何があっても、仕事をしっかりこなそう。真面目に働いて立派になって、そしたら私、ホシくんに会いに行くの」
だからヒメちゃんは働き続けました。
時には体を壊してしまったり、お客さんから嫌なことを言われたり、何度も何度も辛い思いをしました。
だけど、ヒメちゃんは決して働くことをやめませんでした。
働き働き、その日々が何年も何年も続き、そしてヒメちゃんの作った服が世界に認められる日がやってきました。
ヒメちゃんとヒメちゃんの作った服は世間に知れ渡りました。
自分の大好きな可愛い服を自分の手で作り上げ、その服が大勢の人々に可愛いと称され、ヒメちゃんはとても喜びました。
でも、彼女は働くことをやめません。
もっともっと可愛い服をたくさん作ろう。
そうすれば私はもっともっと世界中に知られて、そして一人前になれる。
そのとき私は、ホシくんに会いに行くの!
そしてヒメちゃんは、さらに何年も何年も働き続けました。
時は経ち、世界でヒメちゃんの名前を知らない人はいないと言われるほど、彼女は有名になりました。
そう、ようやく一人前となったのです。
ヒメちゃんは自分の作った服を着て、ホシくんのもとへと向かいます。
ホシくんがこの町を去ってしまってから、ヒメちゃんはホシくんとは一度も会っていません。
何十年ぶりかの再会にヒメちゃんは心躍らせます。
ホシくんの居場所を探し当て、彼女はようやくホシくんを見つけました。
立派な男の人へと成長したホシくんの隣には、見たことのない女の人と小さな男の子がいました。
その男の子は、昔一緒に遊んでいたホシくんの姿にそっくりです。
遠目でホシくんを見つめるヒメちゃんは、彼にかける言葉を見つけることができずにそのままその場を去りました。
そして自分のお店に戻り、彼女は服を着替えます。
お店の中には誰もいません。ヒメちゃん一人です。
脱ぎ終えた服を見つめていると、不意に視界がにじんでいくのを感じました。
ヒメちゃんはおもむろに立ち上がり、仕事用の道具箱の中から裁ちばさみを取り出しました。
そして彼女は。
ジョキ、ジョキ。
自分の作った服にその刃を滑り込ませました。
そのまま大好きな可愛い服を切り刻んでいきます。
ぽたり。
刃の上に落ちた水滴が、頬を悲しみで濡らしたヒメちゃんの顔を映し出します。
漏れ出した嗚咽は誰にも届きません。
窓の外はもう闇が広がっています。
その闇を照らすように、いくつものきらめきが川となり輝いています。
それは、星の綺麗な七夕の日のことでした。
二 追いかける彦星
ホシくんは牧場を経営しています。
彼のおじいちゃんがもともと経営していた牧場を、大人になったホシくんが受け継いだのです。
ホシくんは働き者です。
毎日毎日来る日も来る日も、朝も昼も夜も、彼は働きました。
別にホシくんは頑張り屋さんいうわけではありません。
子供の頃は勉強も家のお手伝いもほとんどしない子供でした。
彼が仕事を頑張るのは、大好きな女の子が頑張り屋さんだからです。
ヒメちゃんというその女の子は、可愛くて笑顔が魅力的な子でした。
幼い頃、頑張り屋さんなヒメちゃんに似合う男の子になるため、ホシくんはヒメちゃんにある約束をしました。
大人になったらお互いちゃんと仕事をして、一人前になったら結婚しよう。
引っ越しでヒメちゃんと離れ離れになってしまった後も、ホシくんはその約束を守ろうと頑張りました。
おじいちゃんの家に引っ越したホシくんは、真面目に家のお手伝いをし、牧場を任されるようになりました。
牧場には何人かの女の人が働いていましたが、それでもホシくんはヒメちゃんだけを想い続けました。
「頑張って頑張って働いて、牧場を大きくしたら、そのときはヒメちゃんを迎えに逝こう」
そう誓って数年が経ったある日、ホシくんはたまたま新聞でヒメちゃんの名前見つけました。
大好きな可愛い服を作って有名になったヒメちゃんを、ホシくんは純粋にすごいと感じました。
それと同時に、焦りを覚えました。
自分との約束を果たし立派になったヒメちゃんは、あまりにも輝きすぎていて自分とは不釣り合いなのではないだろうか。
そんな不安は、ホシくんをますます働かせました。
立派になったヒメちゃんに追いつくため、もっともっと働かなければ。
ホシくんは働き働き、そしてついに倒れてしまいました。
もともと頑張り屋さんではないホシくんです。
長年の頑張りはホシくんを追い詰めてしまったのです。
体を壊し、心をも壊しかけたホシくんを隣で支えたのは、牧場で働く一人の女性でした。
黙ってホシくんの隣にいて微笑んでくれた女性は、彼の心を優しく包み込みました。
ヒメちゃんだけを見つめていたホシくんの瞳に、女性が映るようになりました。
しばらくしてホシくんの体は回復し、今度は焦りに駆られることなく働くようになりました。
そして時には息抜きすることも覚え、ホシくんの日常は働くだけの日々ではなくなりました。
何年かの時を経て、ホシくんと女性は結婚し子供をもうけました。
星をちりばめたかのようにきらきら輝く瞳をもつその子を、ホシくんは可愛がりました。
穏やかな日々が過ぎていく中、ヒメちゃんの名前をニュースや新聞、町中で聞くことが多くなりました。
それでもホシくんの心は今までのように大きく揺らぐことはありません。
妻と息子を守るため、ホシくんは働きます。
それでもこんな日の夜は、ふとヒメちゃんのことを思い出します。
星の川が闇に架かるこんな七夕の夜には、織姫と彦星のようにならないよう追い詰められていたあの日々を思い、ホシくんは静かに涙を流すのです。