第四話 橘 十蔵(前編)
橘三兄弟の養い親である十蔵の事情、前編です。
今日、朝起きたら右手の甲に違和感があった。
ついにきたか!
右手の甲を見てみると、昨日までなかったはずの十字架の周りを縁取ったような形の痣が戻っていた。
「あれから30年か……」
ここ数年、考えないようにしていたことを思い出す。
俺は「橘 十蔵」
180歳の異世界帰りの人間だ。
俺は15歳の時、こちらから見たら異世界に当たる<イムプーベース>に飛ばされた。
俺は下級武士の家の次男として、ひたすら剣術の修行に打ち込んでいた。
元服も済ませていたが、貧乏武士の次男坊、しかも実の親は生まれてすぐに亡くなり、橘家の養子になった俺には継ぐ仕事もなく、剣で身を立てようと考えていた。
山に籠って修行をしている時、右手に十字の痣がいつの間にかできていた。
今のように線で縁取ったような痣ではなく、真っ黒に塗り潰されている痣だった。
少しだけ、何とも言い難い違和感があったが、特に邪魔になるわけでもないため、放っておいて修行に打ち込んだ。
痣に気付いてから一月経った頃、その痣を中心に体全体が宙に引っ張られるような感覚があり、そしていつの間にか周りの景色が変わっていた。
俺はそれまで山にいたはずなのに、草原に立っていた。
それと俺より少し年上の百姓が一人、俺よりも年下の丁稚のような男が一人、そして見たことがないような装束の爺さんが一人、いつの間にかそこにいた。
百姓の男「仁蔵」と丁稚の男「定吉」が慌てまくっていたおかげで、俺は少し冷静になれた。
それに、爺さんが泰然としているのに俺が慌てるところを見せるのも癪だった。
爺さんは「ゴンベー・ササキ」と名乗った。家名がササキなのだそうだ。
爺さんは、一体何が起きたのか全く分かっていない俺と仁蔵と定吉を馬車に乗せて街まで連れて行った。
街に向かう途中、俺だけでなく仁蔵と定吉の右手の甲にも同じ痣があることに驚いた。
爺さんの右手にも痣があったが、内側がほとんど肌色になった痣だった。
爺さんはこの痣を「稀人の紋章」と呼んだ。
それから爺さんにイムプーベースのことを聞いた。
その時は三人とも何を言っているのかさっぱり分からなかったが、イムプーベースは元の世界から零れ落ちた力が集まった世界なのだと言っていた。
イムプーベースの最高神に当たる「ムンドゥス」が、元の世界の日本で生まれながらにして身寄りのない者を選んで「稀人の紋章」を与え、「稀人」にするという話を聞いた。
この稀人が元の世界からイムプーベースに呼び寄せられた時に、その者を通じて元の世界とイムプーベースの間に力の通り道ができて、元の世界から流れてきた力がイムプーベースの維持のために使われる。
力の通り道は稀人が元の世界で持っていた力の量によって広さが異なる。
稀人が死ぬか、時が経って「稀人の紋章」が縁だけ残して肌色に戻るまで、元の世界から力の供給は行われる。
力の供給が足りなければ、ムンドゥスはまた新しい者に「稀人の紋章」を与えるそうだ。
まあ……俺たち3人は外れ籤を引かされたってことだ。
爺さんは60歳くらいに見えたが、126歳だと言っていた。
爺さんは20歳の時にこの世界に呼ばれたそうだ。
稀人になったことの恩恵として、40歳を過ぎれば老化が遅くなること、そして言葉に不自由しないことというのがあるらしい。
力の供給のために何かをする必要はなく、「ただ生き延びればいい」と言われた。
まあ、なるようにしかならない、神隠しに遭ったと思って諦めようってことで俺たち3人は割り切った。
街に向かう途中で、元の世界で見たことがないような化け物が馬車を襲ってきた。
爺さんは御者をしながら、右手をその化け物の方に出して、「何か」をやると、俺の体と同じくらいの大きさの火の玉が爺さんの目の前に現れて、その化け物の方に飛んでいき、化け物を燃やし尽くした。
俺たち3人はこの爺さんも神様だったのかと、震え上がったが、後でそれは魔術という技術で、俺たちも使えるものだと聞いてまた驚いた。
街につくと、俺たちとも爺さんとも違う装束の男が2人、門の前で爺さんに向かって頭を下げた。
爺さんは街の領主の相談役をやっていて、その街でそれなりに顔のようだった。
それから俺たち3人は爺さんの家で世話になり、教師をつけられてこの世界についての知識を教え込まれた。
ある程度、俺たちが知識を身に付けると、身の振り方について聞かれた。
元々百姓をやっていた仁蔵はまた農業に携わることを望み、爺さんが領有していた土地の一部を与えられた。
商家で丁稚をやっていた定吉は、爺さんの傍で役人をやることになった。
……そして俺は、気ままに旅をしたいと望んだ。
俺は冒険者ギルドに登録し、経験を積んでから旅に出た。
この冒険者ギルドは「ペレグリーナーティオ」という神が頂点に立って管理している組織で、どの国に対しても中立でどの国にでも支部が存在するという、旅をしながら金を得るにはもってこいの組織だった。
旅を続けて、幾つもの国を跨いで、俺が25歳になった時。
惚れた女ができた。
ちょいとしくじって怪我をしている時に助けてもらったっていう、まあベタな理由だが、本気で惚れた。
16歳だったそいつと連れ合いになって、街で家を購入して、子供も、孫も、曾孫もできた。
俺と連れ合いになったそいつは、61歳で死んでしまった。
連れ合いの死を機に、俺は家族に別れを告げてまた旅に出ることにした。
まず旅の目的として、最初に俺を世話してくれた爺さんと、一緒にこの世界に来た仁蔵と定吉に会おうと思った。
爺さんがいた街はかなり変わっていた。
そして、爺さんも、仁蔵も、定吉も、みんな既に死んでいたことを知った。
政変で、爺さんが相談役をやっていた領主が殺され、その相談役だった爺さんも、付き合いがあった仁蔵も定吉も殺されたということだった。
それだけなら仇でもとってやって終わりというところだが、既に領主の子が仇を取って、また安定した政治を行っているということだった。
それからひたすら旅をしながら、鍛えに鍛えまくって、いつからか「武神」なんて呼ばれるようになっていた。
140歳になったころ、「稀人の紋章」は縁だけを残して肌色に戻っていた。
それから10年かけて、俺はこの世界に呼び寄せた張本人である最高神ムンドゥスの居場所を見つけた。
俺はムンドゥスに、また「稀人の紋章」を誰かに与えるのかと聞いた。
ムンドゥスはまた後30年後には呼び出すことになるだろうと答えた。
……俺はムンドゥスをぶん殴った。
俺はゴンベー爺さん、仁蔵、定吉を思い出しながら、また巻き込むのかと吠えた。
ムンドゥスは攻撃を届かせた俺に驚きながらも、イムプーベースの維持のために必要なのだと弁解した。
俺は、この世界に残した家族のことと、また呼び出される元の世界の者のことを考えた。
イムプーベースのために力の供給は必要。
力の供給量は元の世界での力の量によって増減する。
力の供給を安定させるには元の世界の者が生き延びねばならない。
……ならば、イムプーベースに来る前に元の世界の者を鍛えればいいと考えた。
その考えをムンドゥスに告げると、ムンドゥスは「稀人の紋章」が力の供給の役目を果たし終えている俺なら元の世界に戻すことができると言った。
ならとっとと俺を元の世界に戻せ、と俺はムンドゥスに要求した。
ムンドゥスは少し躊躇しながら、稀人は俺なら感じ取ることができること、但し、「稀人の紋章」が発現するまでに稀人であることを告げると力の道が歪む恐れがあるので止めてほしい、その時期がくるまで俺の「稀人の紋章」は封印させてほしい、と言ってきた。
俺は即座にうなずいた。
そして、俺は元の世界に戻ってきた。
後編に続きます~