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第七章 電磁バリア

 ――二ヶ月後。

 神崎の考案したCVD装置がCMD社のクリーンルームに搬入された。CVD装置はCMD社の生産技術部設備開発チームが使用する設備保全エリアの片隅に設置されている。

「何じゃこれ、フグみたいな形しとんな、このCVD装置は“お茶の水博士”が作ったんか?」

 真田は顔をしかめてCVD装置の外装を眺めた。

 CVD装置の外装は保護カバーが無く、ステンレス製のチャンバー(反応器)が剥き出しの状態で、不規則にU字ベント加工された細長いガス配管がフグの針の様に何本も突き出している。

「古いSF小説の挿絵に出てきそうな、昭和の匂いが漂う装置デザインですね」

 北堀が真田に話し掛ける。

「この装置デザインはあかんで、もうちょっと何とかならんのかいな、ほんまセンスないわ……」

 真田がそう言うと、北堀は横を向いてクスクスと笑った。


 ――翌日。

 半導体製造工法開発チームのメンバーは全員出張して、CMD社のクリーンルームに入室した。

 CVD装置の周辺には計測機器がずらりと並べられていて、ガス配管や電気配線が複雑に引き回してある。そして、生産技術部の作業員が忙しそうに設備原動の接続確認を行っている。

「ガス配管よし! 電気配線よし!」

 深淵が設備の原動配管と電気配線を指差呼称しながら丁寧にチェックする。

「神崎さん、設備原動のチェックが完了しました」

「それじゃあ、深淵さん、実験を開始しましょう」

 神崎が実験開始の合図を出すと、深淵は周辺機器のスイッチを先に入れて、最後にCVD装置のメインスイッチを入れた。すると、拡散型真空ポンプが動作してCVD装置が動き始めた。

「石川君、サンプルウエハをチャンバーにセットしてくれるかい」

「了解です」

 石川はチャンバーを手動モードでオープンすると、サンプルウエハを一スライスだけチャンバーにセットしてCVD装置の操作スイッチを入れた。そして、チャンバー内の空気が拡散真空ポンプで抜かれて高真空状態になると、ガスの置換作業を始めた。

 計測機器のメーター針がゆっくりと振れて、ガスの濃度調整が自動的に行われる。

「ガス濃度OK、超指向性回転磁界モードオン、プラズマ電源オン」

 石川がプラズマ電源のスイッチを入れると、計測機器のメーター針が一瞬だけ激しく揺れ動いたが、しばらくするとメーター針は定位置で安定して止まった。

「CVD装置は正常稼動しました。カーバイド膜成長スタートします」

「よし、成功だ。十五分でカーバイド膜が出来上がるぞ」

 神崎がストップウォッチのスタートボタンを押して処理時間を確認する。

「神崎、超指向性回転磁界って何や?」

「ナノオーダーの指向性を持った微小回転磁界の事です。これはウエハステージに組み込まれたナノニードルにパルス電圧をかけて局部的な電界を作る技術です。ナノニードルの先端に発生する電界をパルス信号で制御して回転させると、ウエハの表面に微小な回転磁界が発生するんです」

 ※ナノニードルとはナノオーダーで形成された電極針の事。

 ※一ナノ=千分の一ミクロン=百万分の一ミリ

「ほう、そうなんや」

「超指向性回転磁界の影響で、チャンバー内の混合ガスがウエハ表面で局部的に渦を巻きます。そして、その部分のカーバイド膜だけがネジの様な形で形成されるんです」

「ほんまかいな、そんなん出来るんか?」

「ええ、これは新和開発社のブラックウエハ製造工程で既に実現されている技術なんですよ」

「凄い技術やな、相川教授が特許をとってるんか?」

「いえ、特許は相川教授も新和開発社も出願していません。完全なブラックボックス技術です」

「へぇー、それは驚きやな」

 真田が神崎の説明を聞いて感嘆する。

「ねえねえ、お嬢、この装置、へんな形してるわね」

「そうですね、田町先輩、ハリセンボンみたいですね」

 彼女達もCVD装置の外装デザインがダサいと思っている様だ。

「あれっ、深淵さん、これ何っすか?」

 田町が床に転がっているケーブルを手に持って深淵に見せる。

「あっ、高圧ケーブルが抜けてる! 田町さん! そのケーブルは危険だから触っちゃダメだよ!」

「えっ!」

 深淵が指を差して田町に注意すると、田町は慌ててケーブルから手を離した。すると、ケーブルが床に垂れて接続部のコネクタがCVD装置の本体に接触した。そして、バシッと放電音が鳴ってCVD装置が停止した。

「あっちゃー!」

「しまった! 高圧ケーブルが装置に接触したみたいだ!」

 田町が頭を抱えると、深淵は慌ててCVD装置の点検を始めた。

「何やってんだよ!」

「済みません……」

 神崎が真剣に怒ると、田町は半泣き顔で神崎に謝った。

 その時、CVD装置から妙な唸り音が聞こえ始めた。

「この低周波音は何だ? 装置の電源は切れているはずだぞ」

 深淵が目を細めて異音の発生源を探す。

「何だか変だな、視界が歪んでいる様な気がするんだけど」

「ほんまや、確かに視界が歪んどるな」

 神崎と真田が空間の歪に気付くと、装置の周辺にいる生産技術作業員も騒ぎ始めた。

「どうかされましたか?」

 隣のエリアで設備の調整作業を行っていた生産技術作業員が実験エリアに近付くと、突然、彼の金属製調整工具がバシッと衝撃音を立てて吹っ飛んだ。

「危険やから近付くな!」

 真田が右手を上げて生産技術作業員に注意する。

「神崎さん、これを見て下さい」

 深淵がCVD装置のガスを手動排気してチャンバーの蓋を開けてみると、チャンバーの内部でブラックウエハが青白い閃光を放っていた。

「うわっ、何だこれ! ブラックウエハが光ってるじゃないか!」

「装置に漏電した高電圧をブラックウエハが蓄電した様です」

「高電圧って何ボルトなんですか?」

「三万ボルトです! 床のグランドラインが吹っ飛んでいますから、我々も三万ボルトに帯電していますよ」

「えっ、何だって! 三万ボルト! それは大変だ!」

 ※グランドラインとはアース線の事。設備や施設が漏電した場合はグランドラインに電流が流れる。

「皆さん、このエリアは高圧帯電しています! 危険ですから絶対に動かないで下さい!」

 神崎は振り向いて関係者に注意を促した。

「真田さん、どうしましょう? 我々はこのエリアから出られなくなりましたよ」

「床のグランドラインが吹っ飛んでこのエリア全体がフローティングしたさかい、高圧帯電しても感電せずに助かったんやな」

 ※フローティングとはグランドラインを切り離した状態の事。

「ええ、近くに別のグランドラインがあったら放電して全員即死だったと思いますよ」

「ブラックウエハは物凄い蓄電容量があるさかいな、三万ボルトの高圧電流を一気に放電させたら大変な事になるで」

 真田は腕を組んでしばらく考え込んだ。

「よし、静電気拡散材でトンネルを作ろう。その中を通り抜けてこのエリアから脱出するんや」

「それは名案です。えーと、スローリークの抵抗率は……たぶん十ギガオーム位必要ですね」

 ※オームは電気抵抗の単位。十ギガオーム=百億オーム

 ※一ギガ=十億 一メガ=百万 一キロ=千

 ※静電気拡散材とは単位面積あたり、十万から百億オームの電気抵抗を持つ材料の事。

 ※スローリークとは高電圧に帯電した物体に高抵抗の電気材料を接触させて電荷をゆっくりと逃がす方法。半導体組立工場は静電気破壊(ESD)を防止する為に、床に静電気拡散材を設置している。

「おーい、大丈夫か?」

 真田が隣のエリアで腰を抜かしている生産技術作業員に声を掛ける。

「ええ、大丈夫ですけど、右手が少し痺れています。真田さん、これは何ですか?」

「この設備の周辺に高電圧の電磁バリアが発生しているんや」

「どうしたらいいんですか?」

「高圧帯電をスローリークする必要があるさかい、隣の棟の施設技術部に行って静電気拡散性マットをいっぱい取って来てくれ。それでトンネルを作って欲しいんや、それと、送風式の大型イオナイザーが必要や」

 ※イオナイザーはプラスイオンとマイナスイオンを空間に放出して帯電物の電荷を中和させる機器。

「分かりました、必要物資を調達して応援を呼んで来ます!」

 生産技術作業員はクリーンルームから出ると、急いで施設技術部に向かった。


 ――一時間後。

 生産技術部の作業員は施設技術部が用意してくれた静電気拡散性マットで、簡易式の静電気拡散トンネルを組み立てた。そして、静電気拡散トンネルは高圧帯電エリアに挿入されて、イオナイザーのイオン風がトンネル内に送風された。

「皆さん、静電気拡散トンネルの中をゆっくり通って、イオン風で体を除電しながら高圧帯電エリアから出て下さい!」

 神崎と真田は生産技術部の作業員を先に避難させてから、最後に静電気拡散トンネルを通り抜けた。

「ブラックウエハはとんでもない性能を持っていますね」

「ほんまやな、ブラックウエハが電磁バリアを発生するなんて夢にも思わへんかったわ」

 二人はトンネルの出口で振り返って、光り輝くCVD装置を見つめた。


 ――それから二時間後。

 ブラックウエハが輝きを失って全エネルギーを静電拡散材に放出すると、真田は生産技術部と施設技術部の作業員に礼を言って現場の片付けを指示した。

「本日の実験はこれで中止にしよか。俺もさすがに疲れたわ」

「そうですね、カーバイド膜の成長実験は明日にしましょう」

「神崎、来客室でゆっくり休憩してくれ、俺も片付けたら直ぐに行くさかい」

「はい、了解です」

「北堀、新光のメンバーにお茶入れたってくれ」

「…………」

「あれっ? おい、北堀、聞いてるか?」

「はーい、分かりました」

 真田が振り向いて北堀の姿を探すと、CVD装置の裏側から北堀の声が聞こえた。

 彼女は現場の後片付けをまだ手伝っている様だ。

「神崎、資料や実験材料はそのまま置いといてくれてええで、実験はまた明日やるさかいな」

「はい、真田さん、それでは、お言葉に甘えまして先に退出させて頂きます」

 神崎は先に部下をクリーンルームから退出させると、出口で振り返って真田に頭を下げた。

 ふと、実験現場の方に視線を向けると、CVD装置の近傍に北堀の姿が見えた。

 彼女は分厚い資料ホルダーとウエハケースを両脇に抱えている。

「北堀さん、手伝いましょうか?」

 神崎が北堀に声を掛けると、彼女はハッとした表情で神崎を見つめた。

「いえ、結構です、先に退出して下さい。私はもう少し現場を片付けてから退出しますので」

「そうですか、それじゃお先に……」

 神崎は北堀の表情に少し違和感を感じたが、あまり気にせずにクリーンルームから退出した。

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