第六章 新プロセス
――翌日、二人は新幹線に乗って出張先から帰社すると、窓ガラスに《半導体製造工法開発チーム》と印刷された技術事務所のドアを開けて職場に入った。
半導体製造工法開発チームは、事務棟二階の技術事務所に新設されたばかりの新しいチームだ。神崎のデスクは窓側の管理職エリアにあって、隣には解析技術課の中村課長が肩を並べている。
「神崎、お疲れ様、CMD社の製造ラインはどうだったかね」
「いや、CMD社の半導体工場は凄かったですよ、壮大なスケールでした」
「そうか、また、後でゆっくりと話を聞かせてくれ」
「はい、分かりました」
中村課長が神崎の肩を右手でポンと軽く叩くと、神崎はデスクの横に鞄を置いて席に着いた。
「ふぅ、疲れた」
神崎が小さく息を吐いてデスクPCのスイッチを入れると、今度は石川が神崎に声を掛けた。
「神崎さん、お疲れ様です、CMD社への初出張はどうでしたか?」
「いや、凄い規模の工場でね、大変だったよ。」
「そうですか、私もCMD社の工場に出張してみたいです」
「石川君もこれから嫌と言う程CMD社の工場へ出張してもらう事になるよ」
「神崎さん、私は海外駐在していましたから国内出張なんてへっちゃらですよ、何でも指示して下さい」
「そうかい、それじゃあ、早速なんだけど石川君はマスタープランの作成に取り掛かってくれるかい。マスタープランの作成に必要な情報は工法開発チームの技術サーバーに全て揃っているから、試行錯誤しながら草案を練り初めて欲しいんだ。ただし、この情報は全て情報セキュリティAAA級だから情報の取り扱いにはじゅうぶん注意して、作成した資料には全て厳秘表示を入れる事。そして、資料をメール添付する際は全て暗号化して送信する様に」
「はい、了解です」
神崎が石川に業務指示を出すと、石川は席に戻って早速作業を始めた。
「ああ、真理ちゃん、帰社早々に申し訳ないんだけど、午後三時から出張報告会議なんだ。準備してくれるかい」
「はい、了解です」
石川の隣席で相川がPCのモニター画面を見ながら神崎に返事をする。
神崎はデスクPCが立ち上がると、直ぐにメールのチェックを始めた。
「うわっ、メールが二百件も届いているじゃないか、こんなの毎日処理するのか、管理職って大変だな」
「大変でしょう」
「ああ、大変……えっ?」
神崎がPCのモニター画面から目を離して前を見ると、田町が資料を抱えて前の席に座った。
「あれっ、田町、何してんの? お前の席は隣のエリアだろう」
「えへへ、今日からここっすよ」
「嘘、聞いてないけど」
「いいの、いいの、社長は了解済みだから」
「マジで?」
「マジ、マジ、マジっすよ」
田町は神崎の顔を見てニコッと笑った。
「中村課長、いいんですか? 田町が勝手に席を移動してますよ」
神崎が振り向いて中村課長に尋ねる。
「ははは、神崎、田町は治外法権だよ」
「ええっ?」
「俺の手には負えないし、社長の指示が出ているんだ、神崎のサポートをよろしく頼むってな。それに彼女は技術管理係の業務を兼ねるから問題無いよ」
「そんな――」
「と、言う事でね! 神崎チームリーダー!」
田町は神崎の眼前でVサインを出して、嬉しそうに右手を振った。
「はぁ~田町姉妹恐るべし」
神崎が頭を抱えてぼやく。
「んっ、姉?」
「いや、何でもないよ、たまちゃん、がんばってね。はははー」
田町が首を捻って目を細めると、神崎はニコッと笑ってごまかした。
「あっ、そうだ! こらっ、お嬢! あんた内緒で神崎さんと二人で旅行に行ったわね!」
「ええっ、旅行? 出張ですよ、田町先輩」
「お黙り! ダメよ! 出張に行く時は事前にちゃんと報告しなさい! 今度は私も行くからね!」
田町は相川を叱ると、振り向いて神崎の顔を横目で睨んだ。
「あっちゃー」
「『あっちゃー』って、何っすか!」
「了解です。姫様!」
「それでよろしい」
神崎が椅子から立ち上がって田町に敬礼をすると、彼女は顔に満面の笑みを浮かべて神崎に敬礼を返した。
――三ヶ月後。
神崎と石川が新光技術工業社の評価室でブラックウエハの技術解析をしている。
「石川君、調子はどうだい」
「それが、どうも調子良く行かないんですよ、カーボンナノチューブの一部が上手く加工形成出来なくて……」
神崎が石川に話し掛けると、石川はTEMのモニター画面を見ながら神崎に答えた。
※TEMは断面透過電子顕微鏡の事。
「神崎さん、これを見て下さい」
「あっ、ほんと、カーボンナノチューブの一部が切れているね」
石川がTEMの観察倍率を上げてモニター画面の表示画像を拡大すると、神崎はモニター画面に顔を近づけて不良箇所を指差した。
「設計ではこの部分をカタツムリの様な形状に加工形成しないといけないんですが、現状の製造工法では何回トライしても上手く加工形成出来ません」
「カタツムリ……えっ、カタツムリ? もしかしてネジの先端の様な形状かい?」
「そうです。その様な形状です」
石川の言葉を聞くと、神崎はハッとして、あの事件の事を思い出した。
(そうだ、あの時と同じだ。これはネジの先端形状によく似ているし、あの工法の応用で出来るかもしれない)
神崎は頭の中で製造工法のイメージを描いた。
「よし、出来た。この工法で試作してみよう」
「えっ、出来たって、何がですか?」
「製造工法だよ」
「神崎さん、マジですか?」
「マジだ、たぶん、これは一発形成で出来ると思うよ、石川君、技術事務所で作戦を練ろう」
神崎は石川の肩をポンと軽く叩くと、彼を誘ってクリーンルームの出口に向かった。そして、技術事務所に戻ると、神崎はデスクの固定電話で真田に電話を掛けた。
「はい、CMD社です」
受話器から女性の声が聞こえる。
相手先で電話を受けたのは北堀の様だ。
「もしもし、北堀さん、神崎です。真田さんは、いらっしゃいますか」
「あっ、神崎さん、いますよ、ちょっとお待ち下さい」
北堀が固定電話の保留ボタンを押して、真田のPHSに電話を転送する。
「はい、真田です」
「神崎です」
「ああ、神崎か」
「真田さん、一件お願いがあるんですけど」
「おお、何や」
「評価用の製造装置を一台作りたいんです」
「何の製造装置や」
「CVD装置です」
「それやったら、うちの製造装置を使ってもええぞ」
「いえ、ちょっと特殊な実験をしたいので、設備改造が必要になります」
「そうか、それやったら中古でええか」
「ええ、中古でいいですけど、そちらに遊休設備はありますか」
「たぶん、あると思うけどな……ちょっと待てよ、調べたるわ」
真田が北堀に遊休設備の在庫を尋ねる。
「神崎、有休設備が二台あるし、好きな様に改造してええぞ。改造仕様を提示してくれたら、うちの方で設備業者に発注したるわ」
「そうですか、改造仕様はまた後で考えますが、二千万円程度の研究費用が掛かると思います。研究費の予算は大丈夫でしょうか」
「予算なんて気にするな、俺が社長決裁するさかい大丈夫や、なんぼでも使え、安いもんや」
「ありがとう御座います」
「神崎、何かいいアイデアが出たんか?」
「ええ、プラズマCVD工程の問題を一気に解決出来そうです」
「えっ、どんなんや?」
「三種類の金属系混合ガスと回転磁界を利用したナノチューブ膜の加工形成方法を考えたんです」
「それは凄いやないか、金属系混合ガスを磁化して回転させながらナノチューブ膜を成長させるわけやな」
「ええ、その様な製造工法でカーボンナノコイルを一発形成しようと思います。それじゃあ、設備の改造仕様が決まったら、また連絡します」
「ああ、期待してるで、がんばりや!」
「はい、がんばります!」
神崎は電話を切ると、席を立ってチームメンバーを呼び集めた。
現在、半導体製造工法開発チームは神崎を含めて五名のメンバーで構成されている。プロセス開発担当は石川智樹、解析データー管理担当は相川真理、評価進行管理担当は田町由香里、そして新たに設備設計開発担当として設備技術課から深淵進がチームに加わっている。深淵は島開発本部長が推薦した人物で生産技術のスペシャリストだ。年齢は三十五歳。深淵は社長がベンチャー企業を立ち上げた時に島開発本部長と共に第一線で活躍した凄腕エンジニアである。本来であれば部長職についてもおかしくない程の人物だが、彼は設備作りが好きな性格で、あえて出世せずに技師という立場で仕事をしている。その豊富な実務経験とエキセントリックな人柄を神崎は気に入っていた。
※エキセントリックとは、風変わりな事。
――第一技術会議室。
相川が会議室のデスクPCを立ち上げてネットワーク回線に接続している。
「それでは会議を始めます。本日の議題はプラズマCVD工程の改善です。資料を映してくれ」
「了解っす」
神崎が田町に資料の表示を指示すると、彼女はプロジェクターのリモコンを操作してスクリーンにデスクPCの画面を表示した。
「石川君、資料の説明を頼む」
「はい、了解です」
神崎が石川に資料の説明を依頼すると、石川はレーザーポインターを右手に持って資料の説明を始めた。
「それでは資料の説明を始めます。まず始めに――etc――、現在、プラズマCVD工程の歩留は約十三パーセントですが、その十三パーセントの良品も部分的に動作するだけの欠陥品で、実は完全良品ではありません。ですので、厳密に言うと、実際の歩留は〇パーセントになります。それは、この部分のカーボンナノチューブが上手く加工形成されない事が原因です。プロセス条件を何度も見直しましたが、現在の製造工法で完全良品を作ることは不可能と考えます」
「この部分について、製造工法の改善案を私の方から説明します」
石川が会議資料の説明を終えて席に着くと、神崎は設備の機構図とプロセス条件を手書きで電子黒板に書き込んだ。
「石川君の言う通り、現在の製造工法で完全良品を作るのは不可能です。そこで、設備を改造して新規の製造工法を作ります。改造を施した設備はこの様な機構で、新規の製造工法は三種類の金属系混合ガスを磁化させながら膜を成長させてカーボンナノコイルを作ります。プロセス条件は――etc――」
みんながポカンと口を開いて放心状態で神崎の説明を聞く。
「凄いな、これ、いつの間に考案したんですか」
「いや、つい先程、思い付いたんだよ」
神崎が石川に返答すると、石川は無言で両手を上げて天井を見上げた。
「神崎さん、設備改造の納期はどれ位ですか?」
深淵が右手を上げて神崎に尋ねる。
「そうですね、二ヶ月位で何とかならないでしょうか?」
「それはちょっと厳しいな、通常、設備の設計組立は最低でも三ヶ月程度掛かりますからね」
深淵は椅子から立ち上がって電子黒板の前で腕を組むと、顎を撫でながらしばらく考え込んだ。
「深淵さん、何とかなりそうですか?」
「よし、神崎さんの為なら設備の設計組立を二ヶ月で何とかしましょう!」
神崎が少し不安げに深淵に尋ねると、彼は気合を入れて神崎に答えた。