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第五章 世界システム

 ――来客室のドアをノックする音が聞こえて、北堀と真田が私服姿で部屋に入って来た。

「神崎、社長が来たさかい、接客場所を変えるで」

「あっ、はい分かりました」

 神崎と相川が鞄を持って部屋から出ると、通路で北堀が神崎に声を掛けた。

「接客場所までタクシーで移動します」

「えっ、北堀さん、会議室じゃないんですか?」

「いえ、違います、これから近くの料亭に行きます」

 玄関に出ると、タクシーの運転手が四人を出迎えた。

「運転手さん、板橋町の鴨井までお願いします」

 北堀が助手席で運転手に行き先を告げると、運転手は頷いてタクシーを静かに発進させた。そして、タクシーは国道を二十分程走って隣町の料亭の前で止まった。


 ――料亭鴨井。

「ほな入ろか、社長がお待ちや」

 真田が《鴨井》と書かれた料亭の暖簾をくぐって店の中に入る。

「神崎さん、これって接待ですよね」

「ああ、社長さんの接待じゃあ断れないな」

「緊張しますね」

「これも社会勉強さ」

 真田に続いて三人が料亭の暖簾をくぐると、和服姿の女将が出迎えて部屋まで案内してくれた。

 靴を脱いで古い建屋の長い廊下を歩いて行くと、途中に渡り廊下があって小さな橋が架けてあった。橋の下には小川が流れていて、色鮮やかな錦鯉が優雅に泳いでいる。年季の入った古い建屋の中は改装されていて洒落た作りにしてあった。

「こちらのお部屋です」

 客間に辿り着くと、部屋の前で女将が右手を差し出した。

「社長、失礼します」

「おっ、真田、来たか、まあ入りや」

「神崎、お嬢、北堀、入れ入れ」

「失礼します」

 真田が右手を上げて手招くと、三人は挨拶をして部屋の中に入った。

 部屋の中に入ると、社長の水野勝利が上座で腕を組んで座っていた。水野社長は白髪混じりの頭髪で、顔には精気があって体格はがっしりとしている。年齢は五十代前半位だろうか、大企業の社長としてはかなり若い方だろう。

「社長、彼が新光技術工業社の神崎君です。横のベッピンさんは神崎の部下の相川さんですわ」

 神崎と相川が水野社長に頭を下げると、彼は立ち上がって二人に頭を下げ返した。

「社長」

「んっ?」

 真田が水野社長の耳元で何かひそひそと囁くと、彼は振り向いて相川の顔をチラッと見た。

「まあ、みんな座ってくれ」

 水野社長が右手を縦に小さく振ると、みんなは腰を下ろして席に着いた。

「今日は私の奢りや、遠慮なくやってや、接待やないさかいな」

「えっ?」

「今日は有志の食事会と言うこっちゃ、神崎さん、あんたの会社も基本的に接待は禁止されとるやろう」

「ええ、まあそうですが」

「と、言う事で、真田、北堀、ビールの栓を抜いてくれ、乾杯しょうか」

「はい、社長」

 真田が乾杯の音頭を取ると直ぐに宴会が始まった。


 水野社長は気さくな人で結構お喋り好きだった。彼の話は趣味や人生の失敗談が多く、時折、夜の武勇伝を語ったりして、冗談でみんなを笑わせた。


「僕はね、物作りは人ありきやと思うんや、物を作る前に人を作らんとあかん」

「それは松下幸之助さんの教えですね」

「おっ、君は若いのによう知ってんな、なかなか偉いな」

「いえ、うちの社長も松下幸之助さんの話をよくしますので、自然に覚えています」

「ははは、そうか、あんたとこの加納社長も偉いな、ええ社員を持ってはるわ」

「とんでもない、恐縮です」

 神崎は右手を左右に小さく振って水野社長に答えた。

「実はな、今回の仕事の協業候補は大企業で何社もあったんや、けどな、真田が新光技術工業社を推薦したさかい、君とこに決まったんや」

「そうだったんですか」

「正直、うちの真田は天才技術者やと、僕は勝手に思っているんやけどな」

「ええ、その通りですね」

「その真田が天才と呼ぶ、神崎と言う男に一度会って見たかったんや」

「えっ?」

 神崎が水野社長の言葉に驚いて固まる。

「今回の事業開発はうちも社運を賭けているんや、特に製造工法の確立が成否の鍵やな。もし、このチャージデバイスの量産に失敗したら、うちの会社は間違いなく倒産やで。これはハイリスク・ハイリターンの大博打や。しかし、残念やけど、この製造工法を確立出来る技術者がCMD社にはおらんね。この真田でも四苦八苦している位やさかいな、神崎さん頼むで、力を貸してや」

 水野社長はそう言うと、神崎に頭を深く下げた。

「水野社長、頭を上げて下さい。力を貸すなんてとんでもありません。弊社もかなりの技術指導を頂かないと、製造工法の確立は無理です。今日、御社のウエハ製造工程を見せて頂いて強く実感しました。CMD社のウエハ製造工程は、最先端の装置ばかりです。これの技術確立が出来るかどうかは、私も正直なところ自信がありません」

 神崎は水野社長より頭を深く下げて正直な気持ちを伝えた。

「ははは、君はなかなか正直者やな、気に入ったわ」

「そうでしょう、水野社長、でも彼は天才ですからね、頼まれた仕事はきっちりとやり遂げますよ」

「真田先輩、勘弁してくださいよ」

「まあ、そう言わんと頑張ってくれるか、それにもう契約は決まったんやさかい、やるしかないで」

「まあ、それはそうなんですが……」

 神崎は返事に困って頭を掻きながら少しうつむいた。

「それとな、これから御社と共同開発を始めるにあたって、言うとかなあかん事があるんや」

「はい、何でしょうか?」

「これから話す事は弊社情報セキュリティAAAの企業秘密やさかい内密に頼むで」

 水野社長はそう言うと、相川の方に振り向いた。

「偶然やけど、相川さんにも関係があるんや」

「えっ、私にも?」

 相川が右手の人差し指を自分の顔に向ける。

「神崎さん、この前、真田が契約執行で御社を訪ねた時にウエハの設計に関する質問があったやろう」

「ええ、弊社の島開発本部長が質問しました」

「実はな、ブラックウエハの基本設計はCMD社でやってないんや」

「何ですって? じゃあ、ブラックウエハの基本設計は何処の会社がしたんですか?」

「ある天才科学者が個人で設計したんや」

「ある天才科学者? まさか……」

 神崎が振り向いて相川の顔を見る。

「君のお父さんじゃないのか?」

「私の父?」

 相川が神崎の顔を見てきょとんとする。

「実はそうなんや、うちのブラックウエハは相川教授が設計した物なんや」

「えっ、それじゃあ、新和開発社のブラックウエハと同じ物なんですか?」

「いや、それは違う。新和開発社のブラックウエハとは構造が全く異なるんや」

 水野社長が神崎の質問に答えると、真田が横から話に加わった。

「うちのブラックウエハは俺が大学を卒業する時に相川教授から預かった物なんや」

「ええっ?」

「相川教授は『お前に宿題をやる』と言って、ブラックウエハを俺に預けたんや」

「相川教授は、なぜ、真田先輩にブラックウエハを預けたんですか?」

「そこや、神崎、相川教授は壮大な研究目標を持ってはったんや」

「もしかして、ニコラテスラの世界システムですか? あれは冗談だと思ってましたけどね」

 ※ニコラテスラはエジソンと並んで二十世紀を代表する偉大な天才発明家。回転磁界を考案し、交流送電の基礎を築いた人物の事。交流モーター、蛍光灯、テスラコイル等、発明多数。

 ※世界システムとは、テスラが考えた電力無線送電システムの事。コロラドスプリングス研究所の実験はあまりにも有名である。

「それや、世界システムや、つまり電力無線送電システムや」

「でも、私が大学を卒業する年に相川教授はスーパーコンピューターの研究をされていましたよ」

「それは、当時、国と企業から大学に共同プロジェクトの開発依頼があったさかいや」

「そうだったんですか」

「相川教授は個人的に三つの研究を同時にしてはったんや、まあ、スーパーコンピューターの研究を含むと、四つの研究やけどな。その内容は、一つ目がマイクロ波による電力無線送電システム、二つ目が電力無線受電システム、三つ目が電力蓄電システムや。相川教授はブラックウエハの技術を組み合せて、宇宙で発電した電力をマイクロ波で地球に効率良く送ろうと考えていたんや。そやけど、多忙な人やったさかい、全部の研究を同時にやるのは無理や。それで俺が三つ目の電力蓄電システムの研究を任されたと言うわけやね」

 真田はテーブルに肘をつくと、人差し指を小さく振って神崎に話し掛けた。

「神崎さん、宇宙からのマイクロ波電力送受電システムはCMD社が既に完成させて実用化実験に入っているんや。そして、超電導スーパーコンピューターは新和開発社がほぼ完成させとる。残りは電力蓄電システムだけや。これが完成すると人類は宇宙から無限のエネルギーを手に入れる事になるんや。夢の様な話やろう」

「ええ、まるで、SF小説みたいな話ですね!」

 神崎が真田と水野社長の話を聞いて感嘆する。

「相川さん、あんたのお父さんが亡くなったのは残念やったな、ほんまに惜しい人やった、今、生きてはったら今世紀最大の科学者になってはったと思うわ」

 水野社長はそう言うと、相川の顔をじっと見つめた。

「水野社長は私の父とどういう関係だったのですか?」

「相川真一は大学時代のライバルや。まあ、ライバル言うても仲は良かったけどな」

「えっ、そうなんだ」

「君のお父さんは大学院に進んで教授になったんやけど、僕は親が社長やったさかい跡継ぎで就職したんや。ほんまは僕も大学教授になって色々と研究したかったんやけど、それは出来んかった。相川君が羨ましかったわ。そやけど、大学を卒業してからも君のお父さんとは親交があって、大学の研究の事業化で常に協力関係にあったんや」

「私の父が大変お世話になっていたんですね。水野社長ありがとう御座います」

「いやいや大変お世話になったのは私の方や、君のお父さんの研究でどれ程の利益を得た事か計り知れん。うちの会社にとってもあんたのお父さんは恩人やし、礼を言わなあかんのはこっちの方や」

 相川が水野社長に頭を下げると、水野社長は相川に深々と頭を下げ返した。

「相川さん、これは縁やな、お互い頑張ってお父さんの夢やったこの事業を完成させよか」

「はい、喜んで」

 相川がニコッと微笑んで水野社長を見つめると、水野社長は神崎と相川の手を取って握手を交わした。

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