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第四章 フロントエンド

 ――五月。

 神崎は高エネルギー蓄電半導体の拡散製造ラインを見学する為に、相川を連れてCMD社の地方工場に向かった。そして、工場に到着すると二人は保安所で入門申請をして、保安員から臨時のセキュリティカードを受け取った。

「しばらくお待ち下さい」

 保安員が内線電話を掛けると、しばらくして真田が二人を直接出迎えた。

「神崎、遠路はるばる御足労やなあ」

「真田先輩、お世話になります」

「ここは会社やさかい、先輩なんて呼ばんでええで」

 神崎が頭を下げると、真田は胸の前で小さく手を振った。

「じゃあ、真田さんでいいですか」

「それでええよ、で、そっちのベッピンさんは誰や?」

「部下の相川です」

「相川です、よろしくお願いします」

 相川が真田に頭を下げる。

「あれ? 見覚えのある顔やなあ?」

「えっ?」

 二人がお互いの顔を見て首を傾げる。

「分かった、相川教授のお嬢やないか」

「そうや、真田のお兄ちゃんやん」

「ほんまかいな?」

「ほんまや!」

 二人は関西弁で会話すると、お互いの顔を指差した。

「そうか、真田さんも相川と面識があったんですね」

「そうや、相川家には随分とお世話になったさかいな」

「ところで、真理ちゃんは関西弁で話せるの?」

「私、関西弁なんて話せないわよ」

「えっ、今、関西弁で話したじゃないか」

「条件反射ですよ」

「条件反射だって?」

「真田さんの顔を見たら勝手に関西弁が出ちゃった」

「お嬢が小学生の時に俺が教えたったんや、だから体が覚えとるんやろう」

「そやねん、あっ、また関西弁が出ちゃった」

「ははは、面白いやっちゃな。ほな行こか、工場を案内したるわ」

 相川が両手で口を押さえると、真田は笑いながら工場に向かって歩き出した。

 工場の玄関に着くと村上と北堀が出迎えた。

「村上さん、北堀さん、よろしくお願いします。

 神崎が二人と握手を交わす。

「相川です、よろしくお願い致します」

 相川が二人に頭を下げて挨拶をすると、村上は相川の顔をぼうっと見つめた。

 どうやら彼は相川に一目惚れした様だ。

「おい、村上、なにぼうっとしとんね、二人を案内してくれるか」

「あっ、はい、こちらへどうぞ」

 真田が村上に声を掛けると、村上は慌てて玄関のドアを開けた。


 ――来客室

「ここで少しお待ち下さい」

 村上が二人を来客室に案内して部屋から出て行くと、二人は席に鞄を置いて来客室の窓から外の景色を眺めた。

「神崎さん、五月なのに山の上に雪がいっぱいありますよ」

「そうだね、半導体の工場は山の近くによく建設されるんだ」

「なぜですか?」

「ウエハの洗浄工程で水を沢山使うから地下水が必要なんだよ」

「そうか、だから山の近くに工場があるんですね」

 二人が山の景色を眺めていると、来客室のドアが開いて真田と村上がノートPCを抱えて部屋に入って来た。彼らは常に無線LANタイプのノートPCを持って仕事をしている様だ。

「お待たせ、まあ、座ってや」

 真田が右手を上げて二人に声を掛ける。

 二人が席に着くと、続いて北堀がお茶を持って部屋に入って来た。そして、北堀がみんなにお茶を配ると真田は二人に話し掛けた。

「いきなりで申し訳ないんやけど、今から現場に入って欲しいんや。通常の見学はウインドウツアーで窓の外から工程を見るだけなんやけど、君らは特別待遇やさかい情報セキュリティAAAの機密ゾーンまで自由に入ってもええからな」

「はい、ありがとう御座います」

「北堀、二人にセキュリティカードを渡してくれ。それと、クリーンウエアの準備や」

「クリーンウエアの準備は出来ています」

「そうか、ほな、神崎、クリーンルームに早速入ろか、工場の拡散製造工程を見せたるわ」

「了解です」

「北堀がコンシェルジュを務めるさかい、分からん事があったら彼女に何でも聞いてや」

「コンシェルジュって何ですか?」

「フランス語や、日本語で言うたら総合案内役やな」

「分かりました。北堀さん、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「ほんで、技術サポートは村上に担当させるさかい、分からん事があったら村上に聞いてくれたらええわ」

「分かりました。村上さん、よろしくお願いします」

「こちらこそ、御指導よろしくお願い致します」

「ほな行こか」

 真田が席を立つと、北堀が部屋のドアを開けて二人をクリーンルームまで案内した。


 ――クリーンルーム。

 四人が更衣室でクリーンウエアに着替えてエアーシャワー室に入ると、入口のドアが閉まって両サイドの除塵ブロワーから風が吹き出した。

「うわっ!」

 クリーンルーム初体験の相川がエアーシャワーの高圧風に驚く。

 除塵ブロワーの風が止まってしばらくすると、エアーシャワー室の集塵排気が完了して出口のドアが開いた。そして、四人はCMD社のクリーンルームに入室した。

「これは凄い!」

 神崎が首を大きく振ってクリーンルームを見回す。

「このクリーンルームの長さは、百五十メートル以上ありますね?」

「そうやな、正確には百八十メートルや」

「凄く長いですね」

「このクリーンルームは、半導体の前工程を直線で完結させとんね。ほんで、ここはウエハの最終検査を行うPCMプローブ検査工程や。拡散工程のスタートは一番奥やさかい、向こう側から説明しよか」

 ※PCMはプロセスコントロールモジュールの略語。PCMの電極にプローブピン(測定針)をコンタクトさせて電気測定する事で、ウエハの特性変動や欠陥を見極める事が出来る。

 ※拡散工程とはウエハの加工処理工程(半導体組立製造の前工程)で、ウエハプロセスとも呼ばれる。

 四人がクリーンルームの中央通路をゆっくりと歩き始める。

 中央通路の左右には各工程ごとに独立した部屋があり、部屋の入口は全て自動ドアになっている。そして、部屋の中には色々な拡散設備が並んでいる。

「凄いですね、半導体工場ってSF映画みたい」

 相川はクリーンウエアのフードから少しだけ見える可愛い大きな目をキョロキョロさせて周辺を見回した。

 銀色に光る通路はオールステンレス製で、床板には風通し用の小さな丸穴が沢山空けてある。そして、天井にはアンテナの様な物が等間隔で設置されている。

「真田さん、床がパンチングメタル仕様になっていますね。中央通路までダウンフローにしてあるんですか? それに空間電荷型イオナイザーで通路全体を除電していますね」

「ここは通路でもパーティクルと静電気の管理を厳重にやってんね。この通路のクリーンレベルはクラス一〇や」

 ※クラス一〇はクリーンルームの清浄度を表す。アメリカの軍事規格で〇・五ミクロンメートルの塵が一立方フィートの空間に十個未満しか無い超清浄な環境である事を示す。

 ※パーティクルとは微小な塵の事。

(凄いな、これは並の工場じゃないぞ……国内で最大級の半導体工場だ)

 神崎が拡散工程のスケールの大きさに感動する。

 しばらく歩くと、途中から両サイドのアクリルパーテーションがスチールパーティションに変わった。

(天井、床、壁、全てステンレス製だ、ガラス窓も無い、この部屋は何だろう?)

「この部屋がブラックウエハの拡散製造工程や」

「ガラス窓がありませんね?」

「そうや、情報セキュリティAAAのシークレット工程やさかい、うちの会社の技術社員でも数人しか入れへんね」

「へぇー、じゃあ、我々は超エリート社員ですね」

「ああ、その通りや、我々は神に選ばれし者やで」

 真田は頷いて神崎にそう答えた。


 ――ブラックウエハ拡散工程。

 部屋の中は想像以上に広く、銀色に鈍く光るオールステンレス製の大型拡散設備がじゅうぶんなスペースを取って整然と配置されている。

 設備のロードポートにはポッドを次工程へ運ぶ為のホイストが全エリアに配置してあり、ポッドは天井に設置されたOHT(天井走行式無人搬送機構)で高速搬送されている。次工程に辿り着いたポッドは再びホイストで設備のロードポートに降りてくる。

 設備の外から見えるのはロードポートのみで、設備の内部は全く見えないが設備は稼働中でパイロットランプがグリーンに点灯していて、ウエハの生産はCIM(全自動生産管理システム)でコントロールされている様だ。

 クリーンルームの側壁にはウエハを化学処理する為のガスコントロールボックスがずらりと並んでいて、金属の細長いガス配管が規則正しくベント(曲げ加工)されて各設備と繋がっている。

 ※ロードポートは製品投入部の事。

 ※ポッドはカバー付ウエハカセットの事。(ウエハを環境保護する為の無塵容器)

 ※ホイストは吊り下げ式昇降装置の事。


 神崎は周辺を見回してオペレーターを探したが、オペレーターの姿は見当たらなかった。

「ほな、神崎、拡散製造工程の説明を始めよか、ここから村上が説明するさかいな」

「了解です。村上さん、よろしくお願いします」

「それでは、ここから私が説明させて頂きます。まずは拡散製造工程全体のフローを説明します」

 村上が壁に設置された大型の平面パネルに拡散製造工程のフローを表示させる。

「通常、シリコン半導体のウエハー処理は、大きく分けて基板工程と配線工程の二つから成ります。ブラックウエハの拡散製造工程もそこは同じです。まず基板工程ですが、ウエハの洗浄から始めて、酸化膜形成、CVD、フォトリソ、エッチング、イオン注入、アニール、CMP、寸法検査になります。そして、次に配線工程は、洗浄、CVD、スパッタリング、CMP、フォトリソ、エッチング、寸法検査、アニールになります。又、工程の一部で、同じ処理を何回か繰り返します。ブラックウエハとシリコンウエハの拡散製造工法が大きく異なるのはCVD工程です。弊社ではプラズマCVDを使用してカーバイド膜を成長させると同時にブラックボックス技術を駆使して膜上にカーボンナノチューブを形成します。また、上層レイヤーにイリジュウムを反応させて――etc――」

 村上はCVD工程のフローを拡大して拡散製造工程の説明を続けた。

 ※CVD工程とは、ガスを化学反応させてウエハ上に薄膜を成長させる工程。

「神崎さんは、この説明の意味が分かるの?」

「ああ、俺はよく分かるよ、村上さんはとても丁寧に説明しているからね」

「私は全く分かりませんけど……」

「真理ちゃん、後で詳しく教えてあげるよ」

 相川が肩を竦めて首を傾げると、神崎は相川の肩をポンと軽く叩いた。

「えっ、相川さん、私の説明が分かりませんか?」

「ああ、村上さん、いいんですよ、相川は初心者ですから」

 村上がパネルから目を離して振り向くと、神崎は右手を上げて村上に返答した。

「そうですか? 神崎さん、もっと分かり易く、初心者向けに説明しましょうか?」

「いえ、大丈夫ですよ、私が後で相川に教えますから村上さんは気にしないで説明を続けて下さい」

「はい、それでは説明を続けます。カーバイド膜の成長は表面反応律速が重要で――etc――、じゃあ、拡散工程の説明はこれ位にして、実際の拡散装置を見て行きましょう」

 村上がパネルの表示を元に戻して、実際の拡散装置を見ながら各工程の詳細説明を始めると、神崎はクリーンノートに装置の構造とプロセス条件を正確に記録した。

「そうか、ブラックウエハは強誘電体メモリーの応用で、カーバイドを反応させるCVD工程だけが異なるんだ、酸化炭素と鉄の還元反応で得た発電セルの電気エネルギーを積層強誘電体に分割チャージする構造なのか……」

 神崎は早々にブラックウエハの基本構造を理解して拡散プロセス技術を習得した。


 ――約二時間が経過して、村上の拡散製造工程説明が終わった。

「以上で、ブラックウエハ拡散製造工程の説明は終了です」

「村上さん、ありがとう御座いました」

「神崎さん、何か質問はありますか?」

「一件、質問があります。全体の工程能力から考えて、現状の拡散製造ラインはCVD装置の数が圧倒的に足らない様ですが、その理由は何ですか?」

「それは俺が説明するわ、神崎、CVD工程は拡散製造プロセスがまだ未完成なんや、実はこの工程の技術確立が出来てへんね」

「カーボンナノチューブが上手く形成出来ないんですね」

「その通りや、それは村上が説明しなかったのによく分かったな」

「いえ、分かっていません、勘です」

「勘でも、そう感じたのなら大したもんや。実はそこを神崎に分析して欲しいんや」

 真田は神崎の肩をポンポンと軽く叩いた。


 ――更衣室。

 工程見学が終わってクリーンルームを出ると、四人は更衣室で一斉にクリーンウエアを脱ぎ始めた。

「ふぅ、生き返った――」

 相川が大きく深呼吸をして胸を膨らませると、真田は振り向いて彼女の胸をじっと見つめた。

「お嬢、胸が大きくなったな」

「えっ?」

 相川が両手をクロスして自分の胸を隠す。

「真田さん、セクハラやん、レッドカード一枚で退場や」

「お嬢、イエローカード一枚にしてくれ」

「分かった、ほな、大サービスでエロカード一枚にしたるわ、三枚で退場やしな」

 相川が関西弁で真田に冗談を言うと、神崎はクスクスと笑った。

「あっ、神崎さん、何を笑っているんですか?」

「真理ちゃんの関西弁は上手過ぎる、可笑しくて」

 神崎は横を向いて笑いを堪えた。


 ――来客室。

 部屋に戻ると、北堀が冷えた麦茶を用意してくれた。

「神崎さん、社長が来工しますので、しばらく部屋でお待ち下さい」

「えっ、御社の水野社長が来工されるのですか?」

「ええ、社長は大阪の本社から移動してもう直ぐこちらに到着します」

「…………?」

「神崎さんに会いに来られます」

「えっ、そうなんですか?」

「そうなんですよ、社長が到着するまでゆっくり休憩して下さい」

 北堀は神崎にそう言うと、一礼して来客室から出て行った。

「あれっ、もう、こんな時間だわ」

 相川は麦茶を飲みながら壁の時計を見ると、席を離れて窓の外の景色を眺めた。

 窓の外は日が傾いて、夕日が西の山に隠れようとしている。

「クリーンルームに入ると、時間の感覚が狂うんだよ」

 神崎も席を離れて相川の隣で窓の外の景色を一緒に眺めた。

「あっ、流れ星! ほらっ、神崎さん! あそこ!」

 相川が西の空を指差して神崎に話し掛ける。

 神崎が振り向いて西の空を眺めると、キラキラと光る物体が確かに飛んでいた。

「あれっ、飛行機かな? いや違うな、高度が高い、あれは人工衛星だ!」

「えっ、人工衛星って見えるの?」

「ああ、稀に見えるんだよ、人工衛星が見られるなんてラッキーだね」

「へぇー、人口衛星って見えるんだ。知らなかったわ……あっ、消えた!」

 人工衛星は直ぐに見えなくなったが、二人は夕焼けで茜色に染まった山の風景をしばらく眺めた。

 ふと、神崎が山の裾野に視線を移すと、円形の大きな敷地が見えた。

 直径は三キロメートル位だろうか、敷地の周囲には高い壁があって人は中に入れない様だ。その高い壁にはCMD社のロゴが塗装されていて、敷地の中は芝生になっている。

「この工場をまだ拡張する気なのかな、CMD社ってほんと凄い会社だよな」

「そうね、うちの会社と偉い違いだわ」

 二人は部屋の窓から見えるCMD社の広大な敷地の風景を眺めて感嘆した。

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