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第一章 解析依頼書

 縦書き表示での読書をお勧め致します。

 ――新光技術工業社A棟二階技術事務所。

 神崎がPCのモニター画面をぼんやりと眺めている。

 最近、神崎は残業続きで少々お疲れモードの様だ。

「宅配が届いています」

 相川が神崎に声を掛けると、神崎は振り向いて彼女から封筒を受け取った。

「たまには息抜きしないと、ダメなんじゃないですか?」

「そうだな、最近、カスタマーのクレーム処理ばかりで疲れるよ」

「そうでしょう! じゃあ、たまには行きますか?」

「何処へ?」

「ディズニーランド」

 相川がニコッと微笑むと、神崎はガクッと肩を落とした。

「こらっ、お嬢! また仕事の邪魔してるわね!」

「あっ、田町先輩、やばい……」

「早く席にお戻り!」

「はーい」

 田町が相川のデスクに向かって指を差すと、相川は舌をペロッと出して自分のデスクに戻った。

「神崎さん、最近ちょっとお疲れモードっすね。たまには一杯グイッと飲みに行きますか! 仕事ばっかりしてたらオヤジになるっすよ!」

「一杯グイッとか、そうだな、それじゃあ、今日はノー残業デーにするか」

「いいっすね!」

「ああっ! ずるい!」

 相川が席を立って田町の背後から神崎のデスクを覗き込む。

「あら、お譲、聞いてたの?」

「聞いてましたよ! 私も行きますからね!」

「ダメ、ダメ、子供はダメよ」

「私、大人ですからね! ほらっ、胸だって田町先輩に勝ってますから!」

「何言ってんのよ、私も結構なものよ!」

 相川が胸を強調して見せると、田町も相川に負けじと胸を張り出して見せた。

「引き分けかな?」

 神崎が首を振って二人の胸をチラ見する。

「セクハラです!!」

 二人が神崎の顔に指を差して声を上げると、神崎はまたガクッと肩を落とした。


 ――夕方。

 神崎は業務報告書を早めに書き始めた。

「えっと、本日はカッパーの接合評価とペースト材の濡れ性評価と……あれっ? これ、忘れてたな、何だっけ?」

 ふと、デスクの上を見ると、相川から受け取った宅配の封筒が目に入った。封筒をはさみで切ると、中から板チョコみたいな梱包物とA4用紙が出てきた。

(あっ、これは解析依頼書だ。依頼元は……何だって? CMD社? CMD社は強誘電体メモリーの一流製造メーカーだ。なぜ、こんな一流企業が個人宛に解析依頼書を出してくるんだろう?)

 解析依頼書には《チップ構造解析依頼》と書いてあった。

《御依頼主:株式会社キャパシティメモリデバイス》

(間違い無い、これは確かにCMD社だ)

 神崎が宅配の荷札を確かめて、板チョコみたいな梱包物を蛍光灯で透かして見る。

(これは本当に評価サンプルなのか? 半導体チップの評価サンプルをこんな袋に入れて送るなんて、しかも、この宅配は一般便だし、《精密機器取り扱い注意》のシールさえ貼られていない。もしかして、この依頼主は素人か?)

 依頼書には連絡先と依頼者名が記入してあった。依頼者は真田雅人だ。

「これ、本物かな?」

 神崎がユニフォームのポケットからPHSを取り出して、依頼書の連絡先に外線電話を掛ける。

「はい、CMD社開発プロジェクトチームです」

「あっ、もしもし、CMD社様で御座いますか?」

「はい、そうです」

「新光技術工業社の神崎と申しますが、真田雅人様は居られますでしょうか」

「真田チームリーダーですね。少々お待ち下さい」

 電話の保留ボタンが押されて、しばらくしてから再度電話が繋がった。

「神崎様、申し訳御座いません。本日、真田はシンガポールに出張中でして明日帰国致します」

「そうですか、分かりました、それではまた明日以降に電話させて頂きます」

「どうも申し訳御座いません」

「いえいえ、御対応ありがとう御座いました」

(開発プロジェクトのチームリーダーか、一流企業だから部長クラスだな……)

 神崎はPHSのボタンを押して電話を切ると、評価サンプルを手に取って眺めた。

(この評価サンプルの梱包を開けてみよう……)

「田町、評価室に入って来るよ」

「えっ、神崎さん、もうすぐ終業時間っすよ!」

「ああ、分かってる、ちょっとだけな」

 神崎は田町に声を掛けて評価室に向かうと、更衣室で手洗いをして導電性のゴム手袋をはめた。そして、クリーンウエアに着替えてからエアーシャワー室を通り抜けてクリーンルームに入った。


 ――評価室。

「あれっ、これは防湿梱包だ。シリカゲル入りの真空パックか、これは素人じゃないな……」

 神崎がカッターナイフで梱包の中身のアルミパックを切ると、プシューと音がしてサンプルの封が破れた。アルミパックの中には黒色の帯電防止ケースが入っている。ケースの蓋を開けてみると、銀色に光るICチップが入っていた。チップの表面には品種名と製造ロット番号がレーザーマークで刻印されている。

「これはCSPだ」

 ※CSPはチップサイズパッケージの略語。

 神崎はアースバンドを手首にはめて、静電気拡散性の真空ピンセットでCSPを吸い上げると、チップの裏面を見てあっと驚いた。チップの裏面が真っ黒な炭素皮膜で覆われていたからだ。

 ※静電気拡散性とは、十万オームから百億オーム程度の抵抗値を持つ材料の事。半導体チップは静電気に弱い為、取り扱い時はESD(静電破壊)対策された工具を使用する。

(ブラックチップ? なんだか“やばそうなサンプル”だな。取りあえず保管しておくか……)

 神崎は首を捻って顔をしかめると、評価サンプルをケースに戻してケースの蓋をそっと閉じた。


 ――技術事務所。

 神崎が技術事務所に戻ってデスクの上を片付け始めると、電子音が鳴って神崎のPHSに着信が入った。

「あれっ? 田町じゃん」

 神崎がPHSのモニター画面を確認して振り返る。

 田町が事務所の固定電話で神崎に電話を掛けている様だ。

「もしもし?」

「神崎さん、外線電話が入っています。PHSに転送していいっすか」

「ああ、いいよ、転送してくれ」

 田町が固定電話の保留ボタンを解除して静かに受話器を置く。

「お待たせ致しました、解析技術課、神崎です」

「もしもし、神崎か、真田や」

「えっ、真田様? もしかして、CMD社の真田様ですか?」

「そや、CMD社の真田や」

(んっ? こいつ初対面なのに随分と馴れ慣れしい奴だな……)

「神崎、俺や、俺!」

「俺って?」

(俺俺詐欺か?)

 神崎が目を細める。

「そうか思い出せへんか、そりゃそうやな、七年振りやからな」

「はぁ?」

「半導体研究サークルの真田と言うたら思い出すやろ」

(半導体研究サークルの真田……真田雅人……)

「あっ、もしかして、真田先輩ですか?」

「そや、神崎、やっと思い出してくれたな」

「えっ、本当ですか?」

「ははは、ほんまやがな、本人が言うとんねんさかい」

「マジですか……」


 大学時代、神崎は有志で作った半導体研究サークルに所属していて、真田はその半導体研究サークルの先輩だった。彼は半導体組立工法の研究者で接合技術のスペシャリストだ。


「ところで神崎、例の評価サンプルはもう確認したか?」

「ええ、たった今、評価サンプルの外観を確認したところです。真田先輩、あれは特殊なCSPですね」

「そや、超スペシャルなCSPやで、チップは多層構造で特殊バンプ接合や」

 ※バンプ接合とはICチップの金属電極上に金属ボールを形成して電極接合する技術の事。この技術を利用するとチップの上に別のチップを積み重ねる事が出来る。

「えっ、多層チップ? あの薄さでマルチチップですか?」

「そや、凄いやろ、神崎、これは他メーカーには絶対に真似出来ん技術やで」

「真田先輩、なぜそんなに凄いICを私に直接送ったんですか?」

「そや、そこやねん、神崎、うちの会社は一流企業やけどな、お前みたいに味のある天才がおらんね」

「…………?」

「明日、仕事の都合でシンガポールから日本に帰国するさかい、正式にお前の会社に依頼を出すわ、ほな頼むで神崎」

「あの、真田先輩、もしもし――」

(まいったな、真田先輩の特別依頼か、これは断れないな……)

 電話の切断音が聞こえて真田の通話が切れると、神崎は天井を見上げた。


 ――しばらくして。

 終業のチャイムが鳴って定時帰宅の社員が帰り始めると、神崎もデスクの上を片付けて帰り支度を始めた。

「神崎さん、社門の前で待っていますね」

「ああ、分かった、俺も直ぐに行くよ」

「神崎君、本日の業務は終了かい」

 神崎が相川に右手を上げて椅子から立ち上がると、背後から中村課長の声が聞こえた。

「ええ、ちょっと息抜きに行こうかと思いまして」

「少しだけ待ってくれないかね、君に紹介したい男がいてね」

「はっ? 誰ですか?」

「まあいいから、少し待ってろ」

 中村課長は神崎に返答すると、隣の部屋に入り、一人の男を連れて居室に戻って来た。

「紹介するよ、上海新光技術工業有限公司の石川君だ」

「あれっ、石川君じゃないか」

「お久しぶりです、神崎さん!」

「何だ、神崎は石川君を知っているのかね?」

「ええ、知っています。彼は同期入社で新入社員研修の時に一年間一緒でした」

「そうだったのか、君と同期入社か、でも歳が違うよな?」

「ええ、石川君は高専卒ですから、私より二歳年下なんです」

「ああ、そう言う事か」

 中村課長は頷くと、封筒から書類を取り出して神崎に渡した。

「何ですか? これ?」

「まあ、自分で確認してみろよ」

「あっ、これは!」

 神崎が書類を受け取って内容を確認すると、役付け昇格の人事通知だった。

「神崎君、おめでとう。君は五月一日付けで主任技師に昇格だ」

「課長、ありがとう御座います」

「礼はいい、君の仕事の実績が認められたんだ」

 中村課長が嬉しそうに微笑んで神崎の肩を叩く。

「君は主任技師になるんだから、部下を持つ事になるぞ、詳しくは後日連絡するが、君の部下は三名の予定で、内二名は既に決まっているんだ」

「誰ですか?」

「石川君と相川君だ」

「えっ、石川君が私の部下になるんですか? 真理ちゃんも?」

「そうだ、五月から正式に君の部下になるからな」

「神崎主任、よろしくお願いします」

「いや、石川君、こちらこそ、よろしく頼むよ」

 石川が神崎に頭を下げると、神崎は胸の前で右手を振って石川に頭を下げ返した。


 ――神崎が保安所のキーボックスにセキュリティカードをかざして社門を出ると、二人が門の前で待っていた。

「ごめん、ごめん、お待たせ」

「神崎さん、ちょっと遅かったっすね」

「中村課長に捕まっちゃってね。遅れついでにもうちょっと待ってくれない?」

「中村課長も来るとか?」

「いや、中村課長は来ないんだけどさ、もう一人うちの社員が来るんだ」

「誰っすか?」

「石川君」

「石川君?」

 田町と相川が振り向いて顔を見合わせると、神崎は右手で石川を指差した。

「神崎さん、お待たせしました」

 石川は会社の保安所に臨時のセキュリティカードを返却して社門を出ると、神崎に声を掛けて田町と相川に頭を下げた。

「紹介するよ、同僚の田町と相川だ」

 神崎が右手を上げて、二人を紹介する。

「神崎さん、二人とも凄い美人ですね」

「ははは、石川君、お世辞が上手いね」

「お世辞じゃないですよ、マジですよ!」

 神崎が笑いながら石川に話し掛けると、石川は真顔で神崎に小さく手を振った。

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