いらない王女
ご感想を頂き気づいたのですが、王妃と神様のやり取りで分かりづらい部分がありました。書いた気分で抜けていたようです。その為、会話部分を補足しています。物語の印象が変わってしまったら、すみません。
完結していますが、ちょこちょこ書き加えているので、最初より少し追加されている箇所もあります。たくさんの方に読んで頂けて、感謝しております(*´∀`*)♪♪♪
「無事にお生まれになりました。双子の王女様で御座います」
それは王妃が、「この国を救う運命を持つ」と予言した国の吉兆のはずでした。
この国はここ2、3年の間雨に恵まれず、干ばつの為に作物が碌に育たないことで、民は貧困に喘いでいました。国を背負う王族もまた備蓄を放出して貧しくなり、策を尽くしても破滅へ向かう未来しか見えず……。
周囲を山に囲まれた辺境の国は、他国と国交もなく援助を受けられる術がありませんでした。
王妃は国王に願いました。
「私が神様に仕えることで、この国へ情けを頂きましょう。私が死んだ後、側妃殿に子が生まれたら、大事に育ててください。きっとその子が、道を切り開いてくれるはずです」
「ああ、王妃よ。余はそなたを失いたくない」
「国王さま。このままなら皆が滅びます。その前にこの身を捧げ、活路を見出だしたいのです。……何よりも、貴方に生きて欲しいのです」
「っ、あぁ、分かった。必ず国を守ると誓おう。お前の献身に報いる為に……うっ」
「っ……(泣かないで、愛する人。辛くても生きてください……)」
王妃ローゼリアは信心深く、身に宿るエネルギーが目映い程に清廉されて強大だった為、以前から寿命が尽きた時には、神様の下で働くことを望まれていました。
そこで王妃は国王に相談する前に、神様に苦境を伝え助けを求めていたのです。
「このままでは多くの民が亡くなり、この国は滅亡することでしょう。私が直ちにお仕えすることで、何とかお力を貸して頂けないでしょうか?」
神様は悩みます。
「国は滅びる定めだ。だがローゼリア、国と共にお前が滅びた後、私から(お前に)与えた力で再びこの国は再生を果たせるだろう。寿命を尽きる前に私に仕えると言うことは、愛する者とも別れることになる。それでも良いのか? 辛くはないのか?」
「……辛いです、離れたくありません。ですが私の愛した者達には生き抜いて欲しいのです。国王と同じく国民達にも。私に出来ることは全て行い、万事を尽くしたいのです。どうか、よろしくお願いいたします」
「そうか……。願いはしかと受け止めた。その気持ちを受け入れよう」
「ありがとうございます。これで安心致しました」
その声は、王妃と神官長にしか聞こえません。
もし他の人にも聞こえていれば、止められていたかもしれません。彼女を愛する国王ならきっと。
神官長は、何が正しいのか決められませんでした。
出来ることは王妃の自己犠牲を受け止め、自らも祈り続けることだけでした。
◇◇◇
神殿に祀られている神像の前で、「慎んでお仕えさせて頂きます。国のことをよろしくお願いいたします」と声に出し、床に座して頭を深く下げ祈るローゼリア。
「決意は変わらぬのだな……。では国を救う王女が生まれるまでの間、生き延びることができるように仙桃の欠片を全員に送ろう。
では、行こうぞ。ローザリア」
仙桃とは、天界で栽培される不老長寿の果物。実際の果物とは違い、エネルギーが凝縮した塊とされていました。この世界の仙桃は体調を回復させ、人間ならば1年は食事をせずとも生きていける効果があるのです。
エネルギー体である為、体に触れることで吸収可能なのだそう。
ハッキリと見ることは出来ませんが、民の頭上には今、祝福の仙桃が贈られているのでしょう。
これが真実なら、1年の猶予が国民に与えられたことになるのでした。
「ああ、ローザリアよ……っ、うっ」
祈りの後、脱力した王妃の体は傾げて倒れ、国王ジェイドは泣きながら抱き起こします。血の気の引いた彼女の体から、温かな息吹が消えていきました。
悲しみに暮れるジェイドを他所に、側妃リエットは扇で顔を隠しながらほくそ笑んでいました。
(これでジェイドは、私だけのものになった)
ローゼリアの献身を前に、自分の気持ちしか考えていないリエットはまだ16歳でした。
若くして嫁いだリエットは、秀でた美貌と知性豊かなのジェイドに一目惚れして嫁いで来た、宰相の娘です。
宰相夫妻は、ジェイドには既に妻 (ローゼリア)がいるのだから、諦めるようにと何度も説得しました。
ですが……「許してくれなきゃ、死んじゃうんだから」と半ば脅しのように、首にナイフを当てて泣き続けるのです。その姿はとても憐れに見えました。恋心が制御できないゆえの、子供の癇癪にも思えましたが、遅くに出来た一人娘の行動に胸が潰れる思いをする夫妻。
小さな国には側妃などいらないと、誰もが思っているのに。過去には前例がなく、子が出来なくても養子を迎えるのが慣例でした。
リエット以上に宰相夫妻の方が憔悴していることを知ったジェイドは、「飽きるまで王宮であずかろう。白い結婚ならば、また別の縁ができれば嫁げるから」と言って、無理を引き受けたのでした。宰相はジェイドの親友でしたから、助けてあげたかったのです。
そして災害に見舞われた時。
多くの飢えを救ったのは、国王と王妃が飢饉用に備蓄していたサツマイモやじゃがいもと、それらの種芋や芋つるでした。肥料がない土地で育つ作物は、多くの民に届くことに繋がりました。特につるから実をつけるサツマイモは、じゃがいものように身 (種芋)を残す必要もなかったのです。
それは長く天候に左右される、国の叡知でもありました。氷室などを活用する低温保存技術に精通し、長期的にイモ類を保存できる国はあまり多くないでしょう。
しかし今雨が降ろうとも、荒れた土地を整え直すには、ずいぶんと時間がかかりそうです。
◇◇◇
その後にリエットはジェイドと閨を共にし、美しい双子の王女を出産しました。
姉は輝く金の髪と湖のような碧 (強い青緑色)の瞳を持ち、妹は濡れ羽色の髪と群青の瞳を持っていました。
王女達が生まれてからは、土地は豊かになり天候は安定しました。神様の祝福が消える前には作物の収穫が行え、復興が進んで行くのでした。
リエットは自分の髪色を持つ姉王女ジュリアを可愛がり、妹王女クラヴィアを邪険にしました。
黒髪はローザリアの髪色と同じだったせいか、意識下で嫌悪していたのです。
ローザリアの体は荼毘に伏されましたが、リエットは側妃のままでした。
神官長は、神に仕えた王妃を蔑ろにすることを嫌い、王妃の地位を永遠に与えたままにしたからです。
リエットは表面的には平静を装うものの、陰では自分付きの侍女に物を投げるなどの暴力を振るっていました。
花瓶や本を投げつけられた侍女達は、患部の腕や足が酷く痛み、変色するほどの被害を受けていました。
「あの女は死んだのに、どうして私が側妃のままなのよ。痛みに耐えて子供まで生んだのに、どうして王妃になれないのよ…………」
まだ考えが未熟過ぎるリエットは、ローゼリアもまた命をかけて国を救おうとしたことを忘れていました。
クラヴィアの世話は、生後数ヵ月で儚くなった子を持つ平民が付けられました。彼女の身分では、そんな大役など普通はまわってきません。
クラヴィアに関わりリエットに邪険にされるのを嫌がり、なかなか決まらないことでの臨時の役目のはずでした。けれど後任が決まらず、4歳になるまで彼女が乳母として仕えることになったのです。
ランドリーメイドのリンは、我が子のように愛情を込めてクラヴィアを育てました。クラヴィアにとって、一番幸福な時間でした。
◇◇◇
双子の王女は成長し、7歳になりました。ジュリアは傷を癒す力と天候を回復する力を発現しました。彼女が祈ればどんなに大雨でも雲間が切れて、陽が差し込むのです。
片やクラヴィアは、何も力がないと言われていました。
偶然に顔を合わせても、リエットは嫌みばかりをぶつけます。
「本当に役立たずな子ね。その点ジュリアは優れた力を持っているわ。今日も傷を癒して民を助けたのよ。なんて素晴らしいこと!」
「まあ、お母様。私は持てる力を使っただけですわ。クラヴィアも力があれば、きっと同じことをするでしょう」
「さあ、どうだか。この子は性格も暗いし、何を考えているか分からないもの。ジュリアは明るくて、いてくれるだけでみんなの心が安らぐわ」
「そんなぁ。でもそのお言葉は嬉しいですわ。ありがとうございます、お母様」
「………………失礼致します」
この頃になると、ジュリアも自分と妹の違いに気づいていました。妹は何も出来ないから、仕方がないのだと母親に同調し、クラヴィアを見下していたのです。
何も知らない国民達も美しく癒しの力を持つジュリアを崇め、表舞台に立たないクラヴィアを役立たずだと裏で囁きました。その噂は王家も耳にしましたが、止めるように命令をすることもなく、放置していました。
「ジュリアのことが貶されていなければ、あの子のことなどどうでも良いわ。人員とお金が勿体ないもの。オホホホッ」
側妃がそう言えば、それ以上は誰も動けないのでした。
幼い時から、食事や教育も別で与えられていたクラヴィア。特にジュリアの能力が5歳で発現してからは、二人の立場はさらに明確になったのでした。
ジェイドはローゼリアの亡き後、政務に没頭し、妻子とは殆ど関わりを持ちませんでした。その為、クラヴィアの状況を知らないのです。
家政はリエットが仕切っていた為、離れていては見えません。
ジュリアには綺麗なドレスと宝石で飾り、最高の教育を与えました。使用人達もリエットとジュリアへ忠誠を誓いますが、王妃に嫌われている王女には必要以上に関わりませんでした。
陽当たりが良く庭が見える部屋は当然のようにジュリアが使い、北の端の森の陰りになる場所がクラヴィアが暮らす全てでした。
リエットから、あまり部屋から出るなと命令さていたからです。
「陰気な顔は見たくないの。だってみんなもそう言ってるもの」
母親が口にする言葉には思えませんが、誰も止めることは出来ませんでした。もし庇えば、酷い体罰が待っているからです。
それでもランドリーメイドから乳母になった、リンがいる時はまだマシでした。彼女は嫌々を装いながら、クラヴィアを守っていたからです。
「私はランドリーメイドなのに、乳母なんて荷が重いよ。それでも給金が良いから、頑張ってみるわ」
「リエット様に邪険にされている王女かい? 大変だねえ、あんたも。まあ、望んだ訳じゃないんだ。虐められることもないはずだよ」
「ええ、そう思ってるわ。そうじゃなきゃ、やってられないもの」
リエットの侍女達はそれを報告し、共に笑っていました。
「誰からも、平民女からも愛されない子。可哀想だこと。フフフッ」
(王女で在られる方に……。申し込ありません、クラヴィア様)
子を持つ者は思っていても口に出せず、自分の家族の為に心を殺して仕えるのでした。
身の回りのことが出来るようになると、乳母のリンはクビにされました。退職金を多く渡され、クラヴィアを育てたことを口外せず、遠国に渡り暮らすようにと命令されて。
「リン、どこかに行くの? わたしは?」
「申し訳ありません、クラヴィア様。貴女は連れて行けないのです。許して……下さい。うっ、うっ」
「リン、泣かないで。わたしはここにいるわ」
「(本当は連れて行きたい。でも、無理なのです)わああ、姫様ぁ、ああっ」
「うあああん、さびしいよ。わたし良い子にするから、いつか戻ってきてね」
「ええ。いつか……また、お会いしましょう(遠くから幸せを祈っていますから。お元気でいて下さい)」
「うん、約束。大好きよ、リン」
悲しく別れた二人。
城を後にしたリンは、クラヴィアの今後に胸を痛め、涙が溢れてきます。
クラヴィアも寂しくて、膝を抱えて泣いていました。
ですがその後。
平民と言えど側付きが不在になったことで、食事さえも使用人の余り物を与えられる程度となり、量も少なくクラヴィアは酷く痩せていました。
長年そのような生活が続き、とうとう風邪を拗らせた彼女はベッドから起き上がれなくなりました。
王女と言う身分なのに介護してくれる者もおらず、薬さえ手に入らないのです。
頼れる者もいなかったので、誰にも縋りつくことが出来ません。
もしリエットに願っても、酷い言葉をぶつけられそうで止めました。「死ねば良い」と言われれば、悲しみの海で溺れてしまいそうだったからです。
(わたしはきっと、貰われっ子。側妃様はお母様ではないの。だから頼っても無駄なのよ)
嘘で心を誤魔化し、これ以上惨めにならないように心を守っていたのです。
食事を置いて去って行くメイドは、クラヴィアを見ることもありません。ああ、寝ているのだろうと思うくらいです。クラヴィアも無駄だと思い、助けは求めませんでした。
彼女が出来ることは、窓から見える鬱蒼とした森を眺めることだけ。
リンが離れてからは、まともに会話もしていないので、声も出せなくなっていました。
リンがいない今、彼女の心は空っぽでした。
病気になる前のクラヴィアは、いつも森を見ていました。リンが教えてくれたうさぎや鹿、鳥を見ると、長い1日が少しだけ早く終わる気がしました。
今は朦朧として、森もよく見えませんでした。
◇◇◇
とうとう熱で朦朧として力が入らなくなって、命の終わりを感じていました。
(ああ、やっと終わり。楽になれるわ……)
けれどその時、誰かの声が聞こえてきました。誰もいないはずなのに、耳元から男の人の声が。
「お前には癒しと心の安寧、そして安らかな眠りに就ける力を、姉の方には大地の著しい変動を抑え、天候を制御する力を与えていた。
渡す力が大きい為に、わざと二つの体に分けていたのにな。
黒髪は国王の祖母からの遺伝だが、そのせいでこのようなことになったのかもしれん。それにしても惨いことをするものだ。
頑張って生きたお前をこのまま天界に連れて行きたいが、肉体を持って地上に生まれる機会はなかなか巡って来ない。修行と思って、もう少し生きてみなさい。
まずはお前に与えた癒しの力を借りて、病気を治そう。そして心の傷を少し薄くしような。最後に闇の静寂と安堵により、明日に向けて精気を養うよ。与えたものを勝手に使ってすまないね。
私の力を直接注げば、強すぎて消滅しかねないから許しておくれ。
クラヴィア、お前が生き抜くことで救われる者がいる。
ただこの国の民は私の力は半分で十分みたいだし、お前は違う場所に送ろう。
私の眷属である砂漠の船 (ラクダ)と、森の賢者 (オオカミ)を供につけるから、世界を見ておいでね。
旅の果てでリンに会えるようにしたから、頑張ってごらん」
声の主は神様でした。
魂に訴えかけられたことで、意識が朦朧としていても理解することが出来ました。
温かい気持ちに触れたことで、涙が溢れてきました。とめどなく、いつまでも。
漸くクラヴィアは、自分がとても辛かったことに気づけたのです。同時にリンに会えるという希望も見つけました。
そして今度は、女性の声が聞こえてきました。
「クラヴィア様、辛い思いをさせましたね。私は生前、王妃のローゼリアだった者です。今は神様の使いをさせて頂いています。
まさか黒髪だと言うだけで、貴女が邪険にされるとは思っていませんでした。私がリエット様と良い関係を築けなかったせいですね。ごめんなさい。
ずっと民の為と思い祖国を見守ってきましたが、国王のジェイド様は「王女を大事にする」と言う、私が命をかけた約束を破りました。神様が来なければ、貴女は生きていませんでしたから。ですからもう、貴女はこの国を守らずとも良いのです。
貴女はリエット様に、何の力もないと言われましたが、それは違います。貴女はいるだけで民に安らぎを与えていたのです。そして使っていない治癒の能力を無意識でジュリア様に上乗せし、増幅させていたのです。
神官長に貴女の鑑定をさせなかったのは、貴女の方が力が強いと、都合が悪いからです。リエット様は何となく気づいていながら、ジュリア様を優遇したくて貴女を人目から隠していたのでしょう。
神官長も「クラヴィア様の具合が悪いのなら、回復後に致しましょう」とリエット様の言葉を鵜呑みにして、その後も鑑定をしませんでした。彼にとっては国が安定し、ジュリア様の力があれば問題なかったのでしょう。
誰も彼も、貴女を放置しました。だから私も覚悟を決めました。
今度こそ、幸せになれますよ」
ローゼリアはそう言った後、教育をされていないクラヴィアに知識を渡しました。
知識と言ってもそれは、生前のローゼリアの記憶でした。
幼い時から神に仕える前の彼女の記憶。
礼儀作法や(当時の)世界情勢、教養として学んだ全てを。
「私はローゼリア様の命と引き換えに生まれてきたのですね。いらない存在ではなかったのですね」
「ええ、貴女の力はとても尊いわ。出会う人々を助けてあげて。リン様のことも」
「はい。ありがとうございました、ローゼリア様」
優しく頷くローゼリアは、神々しく微笑んでいます。
元気になったクラヴィアは、神の眷属である砂漠の船 (ラクダ)と、森の賢者 (オオカミ)をお供に旅へ出発しました。
出発前にはローゼリアが、3人分の仙桃をリュックへパンパンに詰めていました。仙桃はエネルギーの塊です。リンとしか話したことのないクラヴィアなので、人に馴れるまでは食堂などに入ることが不安だろうと思った配慮でした。
本来なら触れることでエネルギーとなって全吸収される理を神様の力で一部を変換させ、仙桃に触れた時に必要な分だけ吸収できるようにしてくれたのです。
神様からはもう一つ、3人への旅装も贈られました。なんと成長に合わせて、服も変化するらしいのです。
砂漠の船 (ラクダ)と森の賢者 (オオカミ)も人形に変化しましたが、敵が現れると元の姿になれるのだそうです。
闇夜に紛れて、3人は出発しました。
リンがいる場所に向けて。
「さようなら」
クラヴィアは城に向けて挨拶をしました。
もうここに戻ることはないのです。
◇◇◇
リンは遠国で、クラヴィアを案じて暮らしていました。渡されたお金で小さな花屋をして。
毎日ガーベラの鉢に声をかけます。
「クラヴィア様が元気でいますように。ご家族に受け入れて貰えますように」
いつか会えたらと思い、年齢に合った服を毎年作りながら。リンにとっては早くに亡くなった子供もクラヴィアも、自分の大切な家族でした。
リンの夫は遠国に行くことを嫌がり、離縁していました。妻のリンの稼ぎで暮らす夫は、元から彼女のことを愛していませんでした。リンもそれが漸く分かり、彼のことをキッパリと忘れることにしたのです。
穏やかにゆっくり、周囲の人と仲良く暮らす日々。優しい彼女に求婚する者もいましたが、柔らかく断っていました。
「遠くに娘がいますので。彼女が幸せになる話を聞くまでは」と、離縁したことを仄めかしながら。
そして数年後。
クラヴィアと再会した時、二人は嬉し涙を流して抱き合うのでした。
「お母さん、会いたかったよ」
「お帰りなさい。お母さんもよ」
そこには彼女を守ってきた神の眷属である砂漠の船 (ラクダ)と、森の賢者 (オオカミ)もいました。彼らはクラヴィアを気に入り、天界に帰るつもりはないようです。
「良かったなぁ。ううっ、クラヴィアよぉ」
「ええ、ええ。私も泣けちゃたわ」
呑気な感じの美形剣士(人間名)サバクと、麗しの巨乳美女(人間名)オオカは、冒険者登録をしてから近所に住むことになりました。
旅をしながら数多の魔獣と戦った彼らは、その国の周囲にいる害獣など相手にならないくらい強くなりました。人間の姿のままで余裕で戦っています。
魔獣から取れた魔石をポケットに放り込んで、お菓子代わりにかじるのを見ると、「神様の眷属だったわ」と思い出しますが、普段は普通のお兄さんとお姉さんにしか見えません。
クラヴィアにとって、大切な彼らの正体など些細なことで、ラクダとオオカミの姿も愛おしく思っています。
船に乗せられ国を追われたリンは、クラヴィアのいた場所からずいぶんと遠くに送られていた為、何年も何年も過酷な旅は続きました。旅の途中ではラクダ姿のサバクと、オオカミ姿のオオカの背に乗ったり、何日も休まずに砂の道や獣道などを歩くことも。
「ごめんね、サバク。私、重いでしょ?」
「まさか。クラヴィアは羽根のように軽いさ。もっと太らないと、風に飛ばされてしまうぞ」
「フフッ。私の為に二人ともありがとう。こんなに幸せで、夢みたいだよ」
「夢じゃないわよ、クラヴィア。リンに会うんでしょ?」
「うん、すごく会いたい。でももし会えなくても、二人が優しくしてくれたから嬉しいの」
「まあ、クラヴィア。可愛いこと言って」
「そうだぞ、諦めるな。俺達が何とでもしてやるから」
「へへっ、ありがとう…………」
会話の途中で眠ってしまう、クラヴィア。
仙桃がなくなってからは魔物の肉が主な食材となり、必死で食らいつきます。疲れても不満も言わず懸命に歩き続け、助けてあげれば恐縮する始末です。
強かったことで神の眷属になった者達を「魔物と戦って痛かったでしょう。怪我はない? 急ぐ必要はないからゆっくり休んでね」と労るのだから。
当時のクラヴィアは王宮から出たことがなく、強さ重視で選ばれたサバク達も人間界のことをよく知りません(料理のことは微塵も知りません)でした。ローゼリアから知識を貰ったものの、実践するには対人面で苦手意識のあるクラヴィアにはハードルが高すぎたのです。
その為に人目を避けて、(生前のオオカ達のように)野生動物の行動をなぞっていたようなのです。周囲から見れば猛者冒険者の所業ですが、誰も気づけませんでした。
(※眷属達は、捕らえた生き物から生体エネルギーを吸収しています。顕現した場合は肉体を維持する為に、肉も摂取していました)
そんなこともあり、神の眷属と人間の垣根を越えた信頼は、旅をすることで強く結ばれたのでした。
彼らはもう、クラヴィアが微笑むだけで、心が温かくなるのです。
「俺達のことはいいから、しっかり親孝行してろ」
「本当は寂しいくせに、強がり言って~。たまに話に来てやってね、こいつ格好つけて素直じゃないから」
「何だよ! オオカだってクラヴィアの話ばっかする癖に」
「アホは黙ってなさい。気にしないで良いのよ」
照れて暴れる二人に、微笑みながらクラヴィアは伝える。
「今日の夕飯一緒に食べませんか? お母さんがもう準備してるんです。私は誘いに来たのよ」
「行く、行くよ。リンも良いやつだよな」
「ええ、そうね。クラヴィアもリンも最高よ♪」
「フフッ。私もみんなと食べられて嬉しいな」
「まあ!(可愛い~)」
「そうか!(さすが俺のクラヴィアだぜ!)」
リンはこれまでのことを聞いて、二人にとても感謝していました。クラヴィアを守りここまで連れて来てくれたことも、クラヴィアを大切にしてくれていることにも。
いつの間にかみんなは、家族のように大事な存在になっていたのです。
この地は栄え、クラヴィアは幸せになりました。
◇◇◇
一方リエットの住む国では。
ジュリアは天候を良くすることは可能でしたが、治癒能力は以前より効果がなくなりました。厳密に言うと、かすり傷程度しか治せないのです。
そして夜が訪れず、いつも明るい状態が続きます。
作物はひょろひょろと伸び続け、実りは少なくなりました。その為に夜は毎回、黒い布を被せるしかないのでした。
人々も安眠できず、イライラがつのります。対策として夜は窓を全部塞ぎ、布団をかぶっていました。
けれど外が明るいと思えば、どうしても気が張ってしまうのです。
元々仕事中毒の人は寝なくなり、軒並み体調を崩していきます。
夜に安らげないことが辛くて、国を出ていく者も増えていきました。けれど大きな災害は一度も起きてはいないのでした。
豊かに栄えるはずだった国は、中途半端な発展で終わりを迎えました。少し我慢すれば暮らせる場所になったのです。
異常事態に焦りを見せた神官長は、神に祈り全てを知り得たあと、国王ジェイドに死を覚悟して伝えました。
ジェイドは王命を使いクラヴィアを探しましたが、見つかりませんでした。
神官長に罰は与えられませんでしたが、それが余計に彼を追い詰めることになりました。その後の彼は楽しいと思えることを一切行わず、生涯を清廉潔白に神に仕える道を選びました。
交代で食事を運んでいたメイド達は、クラヴィアがいないことをメイド長に伝えていましたが、メイド長はリエットから放って置いて良いと言われていました。
けれどリエットは証拠を捏造してメイド長に責任を取らせます。むち打ちの刑を与えられた彼女は、その後放逐されました。関わりのあったメイド達も、減給されました。
リエットはそれで安堵しましたが、神官長から話を聞いたジェイドは、許すことなく彼女と離縁しました。
国のパワーバランスの為に、それ以上の罪には問えませんでした。
その後ジェイドはクラヴィアを探す旅に出掛けました。帰らない覚悟の旅を。
「私は後悔していたのだ。国のことより、君の命の方が大事だと気づいたのは、君が亡くなってからだ。私は国王失格だ。あのまま何もせず、共に滅んだ方がマシだと思ってしまったのだから。ただ一つの約束も守れず、駄目な男なのだ」
彼は最後までローゼリアを思い、側妃や子供達のことを案じることはありませんでした。
そのことでリエットが、クラヴィアを虐げることに繋がったかもしれないのに。
ジェイドを愛していたリエットは、離縁後から錯乱して叫び暮らしています。
「いやあ、愛しているの。たとえ構われなくても、傍にいるだけで良かったのに。ジェイドに会わせて、お父様。ねえ、お父様ああああああ!!!」
ジェイドから真実を告げられたジュリアも、心から反省しました。後の祭りです。
姉妹として放って置いた罪悪感か?
比較されて勝った優越感のことか?
力のある者を手放した喪失感か?
ジュリアさえ、何れなのか判断できていませんでした。
「あの子は力を持っていたのね。それも私よりも強大な力を。それなのに私はあの子を見下して、乳母がいなくて寂しいのを知っていたのに声もかけなかった。
……こんなことになるまで、忘れていたのだもの。困ってから縋りたいと思うなんて、最悪に醜いわね」
失笑したものの、不安で押し潰されそうになりました。
この国を継ぐのは、ジュリアしかいません。どんなに罪深くても、逃げることは許されないのです。
国民は真実を知りませんが、いつか知られたら…………その時はどうなることか?
ジュリアはここで生きて行く。
もう両親も妹もいない、伏魔殿で一人。
◇◇◇
その後…………。
若くして女王になったジュリアは、一切の贅沢を止めて懸命に働きました。これまで政務を担っていた国王が去ったことで、全ての責任が彼女にのしかかります。
資金に余裕のある側近(重鎮)達から、国を捨てて逃げたことで、負担はさらに増すばかりです。
「私が逃げれば民は暮らせない。後悔しないように動かなければ」
「ジュリアよ、すまない。まだ成人前のお前に、何と惨いことか。私達も協力するから、少し眠りなさい」
「うっ、酷い隈が……。ああぁ、リエットを甘やかしたせいで、孫のお前が責め苦を負うことになるなんて。罰せられるのは親である私達なのに……。謝って済むことではないわ」
「言わないで、お祖母様。私だって、妹を見捨てたのだもの。お母様を止めずに、いい気になって……。だから今度は間違えたくないの」
「ううっ(お前にそんなことを言わせて、ごめんなぁ)……私に出来ることは、何でもしよう」
「ぐすっ。私もするわ。一緒に頑張りましょう」
祖父母となる宰相夫妻も彼女に味方し、財産を放出して国の支援に取り組みます。皮肉なことに、今まで国王の側近をしていた者達が去ったことで、彼女の傍に宰相夫人が寄り添い、宰相も昼夜話し合うことが可能になったのです。
夜が来ないのはこの国だけだったので、国と山の境に多くの人が泊まれる建物を作り、定期的に数十人ずつ休息を取れるようにしたのです。
農作物の黒布をかける作業も、国から人を派遣してまわりました。その費用は女王の装飾品やドレス代から捻出されました。
作業を手伝う王宮の者達も最初は不満ばかり言いましたが、次第に必要性を理解していくのでした。これが国にとって、どれだけ大切なことかを。食料を作ることと守ることが、自分達の糧になっていることも。
国民は天候の異変(夜がなくなったことなど)に不満を抱いていましたが、少しずつ状況を受け止めていきました。
「国の役人達も、泥だらけで作業をしているんだ。仕方ない、俺達もやるしかないな」
「ああ。少しだけ様子を見てやろう」
「偉いやつは逃げたのに、あいつらは国を捨てずに頑張っているのだから」
それは偏に、ジュリアや王宮の者達の意識が変わったからなのでしょう。
ジュリアが最初に変わらなければ、この国からは人が離れ続け、僅かのうちに崩壊したはずです。
何年も何年も夜がない世界を、彼らは力を合わせて生きていました。
天界から見守っていたローゼリアは、神様に願いました。「故国に夜を戻しても良いでしょうか」と。弱音を吐かず頑張っているジュリアへ、力を貸したいと思えたのです。
神様はクラヴィアの惨状を知った時、弱者を虐待したり無関心を当然とする者に呆れ果てていました。滅亡する運命から生き延びられた、幸福を無下にする人間達に。
だからこそクラヴィアに力を持たせたまま、この国から送り出したのですから。
「信じるのかい? ローゼリア。また裏切られるかもしれないのに」
「そうかもしれません。でも、今のあの子ならと思えるのです」
「そうか……ではやってみると良い。お前の力で夜を戻した後は、数百年は別の惑星で任務に就いて貰う。次に戻るまでは何も出来なくなるが、それで良いなら」
「ええ、構いません。信じて託します」
「分かったよ。好きにしなさい」
神様の許可を得て、ジュリアの国には夜が戻りました。けれど変わらず力を合わせ、みんなで頑張っているようです。
「神様、ありがとうございます。これで国民も救われます。うっ……私は許されたのでしょうか?」
自分を戒め、泣くことも我慢していたジュリアから涙が溢れます。
今の彼女には、たくさんの協力者が出来ました。そのうちの一人が、彼女にハンカチを渡します。
「きっと、ジュリア様の取り組みが認められたのですね。これからも努力を続けましょう。私がお支えしますから」
「ありがとうございます。頼りにしていますね、ケインズ」
「勿論です。私の忠誠は、永遠に貴女に捧げます。愛する人よ」
手の甲に口づけを落とす彼は、ジュリアを優しく見つめました。もう若者とは呼べない二人は、苦楽を共に国を支えてきました。祝い事など出来ないと、結婚もせぬまま。
そろそろ、幸せになっても良い頃でしょうか?
前国王は消息不明のまま。
前側妃は今も良くならず、療養したままです。
「……私はジェイドに愛されなかった……愛されていたのはローゼリア……ローゼリアは死んだのに……どうしてなの?……私が悪いの?……じゃあなんで子供を作ったの?……それもローゼリアの為?……私は道具だったの?……それなら別れて欲しかった……私は道具なんかじゃないの……両親に愛されていたのよ……それなのに……私はジェイドに愛されなかった…………………………」
もう焦点も合わず、ジュリアのことも分からないのです。愛してくれた両親のことも。酷く痩せた体で、涙と苦しみの沼から這い上がれない、生き地獄をさ迷ったままで……。
◇◇◇
それからも時は流れ………………。
城を後にした直後は、僅かながらの贖罪の気持ちを抱えていたジェイド。けれど心の奥底では旅の果てで、自身が朽ちてゆくのを望んでいました。
「私達を救う為に、きっとたくさんの未練を呑み込んで自己を捧げた君。生かされた命を、自ら捨てることだけは許されない。ならば私も、なすべきことをしようではないか………………」
いくら綺麗な言葉を並べてたとしても、全てが言い訳でした。
クラヴィアへ謝罪して共に帰ることを口実に、全ての責務をジュリアに押し付けて逃げ出したのですから。
今も彼が優先するのはローゼリアで、彼女が希望を託した子供であるクラヴィアが、虐待された末に国を捨てたと言う認識でした。家族に目を向けず放置していたにも拘わらず、父親である自分が謝罪すれば聞き入れてくれると考えているのです。
「私は虐げていない。知らなかった。知っていたら止めた」
本気でそんな風に思っていました。
憐れんだり悔しく思っても目を逸らし、口に出せぬ者は多くいました。いくら助けたくても、宰相の娘で側妃のリエットに逆らえば、どんな報復が彼女から向けられることか。何もしなくても、彼女から八つ当たりをされる使用人達が大勢いたのですから。
それでもジェイドへ「クラヴィア様に目を向けて下さい」と、言葉を濁しながら訴える側近もいました。誰が耳にしているか分からない為、さすがに王族(側妃)への不敬な指摘(虐待行為)を言葉には出来ませんでしたが。
けれどジェイドは言うのです。
「クラヴィアのことは王妃に任せてある。あの子は体が弱く、部屋で臥せっているのだろう? 私は私で、国の復興に力を注ごう」と煩わしげに。
そうなれば、危険な思いをしてまでクラヴィアのことを伝えようとする者は、数を減らします。良識のある少数の忠臣達は、それでも苦言を呈しました。分かっていたことですが、ジェイドは「厳しく指導しただけだろう? まさか実の子にそんなことをする訳がない。ジュリアはいつも笑っているだろう?」と、訴えを聞き流します。
最悪の予想通り、忠臣達はその後降格したり国を追われたりと、リエットの機嫌で罰せられたのでした。
いなくなった忠臣達の代わりに役職に就いたのは、日和見を決めている者ばかり。彼は頼みの綱である忠臣達の言葉を聞かなかったことで、自ら切り捨てるようなことになったのです。
ジェイドの政務はますます増加し、多忙さで食事さえ別になったリエットは苛立ちを増していくのでした。
これで彼に責任がないとは、到底言えません。
そんな彼も、旅をすることで次第に現実を知ることになるのです。
山で囲まれた国で育ったジェイドは、大森林に巣食う魔獣を幾度となく討伐していました。剣技の腕はそこそこですが、力強い護衛に守られて大した怪我を負うこともなく。
ただ魔獣の解体は家臣が行い、城では傅かれた暮らしを送っていました。政務を行うことは当然でしたが、下処理をしてくれる部下も多く流れはスムーズです。
優秀な部下や王妃と共に備蓄食の研究も行い、国はいつまでも安泰だと思っていました。そんな時に大災害が起こったのです。
愛する王妃と引き換えに、国は徐々に復興に向かうものの、以前の暮らしが忘れられないジェイド。
「いくら平和になってもローゼリアがいない。なんて虚しいのだろう」
そんな考えに溺れている間に、次々と異変が起き始めます。夜が訪れなくなったからです。それだけではなく、ジュリアに授かっていた治癒能力も使い物にならなくなりました。
この異変を神から聞き知った神官長より、全てを悟ったジェイドは衝撃を受けます。自分の無関心がクラヴィアを窮地に追いやったことを。それを覆い隠すように罪の責任全てをリエットにぶつけ、庇わなかったジュリアにも僅かな嫌悪感を持ちました。
結果としてリエットとは離縁。
日和見の側近達は国を見限って逃げ出しました。下手に残っていても、財産を徴収されて損をすると思ったからです。
この国に残る貴族(宰相とその寄子貴族達)を引き留める為、リエットに罰は与えませんでした。
そして国王の責任として、一人でクラヴィアを探す旅に出ると勝手に決めたのです。
ジュリアにしても表向きは、自分の後を順当に引き継ぐのですから、一応の体裁は整っていました。
国王の意図を読み取った宰相達は、贅沢をしなければ1か月ほど暮らせる旅費を渡して彼を見送ります。止めても無駄だと思ったからです。
その後に心を痛め、責務に押し潰されそうなジュリアを支えた宰相夫妻と、その様子を見て心を決めた貴族達が協力していくことになるのでした。
◇◇◇
日中はクラヴィアを探し、日が落ちれば宿に泊まり食事をする日々を続けるジェイド。歩き続けて筋肉痛になる以外は、城から解放されて気楽なくらいです。
けれど資金が底を尽いた途端に、生活は困窮しました。他国に渡れば、小国の王族には何の権限もありません。対価なしに援助を頼んでも、誰からも相手にして貰えないことを彼は漸く気付けたのでした。
宰相達がジェイドを見送る際には彼の生存を諦め、護衛を断る彼からの申し出も受諾しました。今さらながら、その意図を理解したのです。
「何を勘違いしていたのだろうな。皆が私に従っていたのは、王であったからなのに。それを蔑ろにして国を出たのだから、自分にはもう何の価値もないと言うのに……」
ローゼリアがいない世界で生きているのが辛く、おぼろ気ながら「資金が尽きれば、のたれ死ねば…………」と願っていた彼でしたが、そう簡単にはいきませんでした。
我慢しようとしても空腹には勝てず、木の実や野草、水を多量に飲んでも、当然ながらおさまることはないのです。宿にも泊まれず教会で馬屋を借りたり、大きな木の洞で眠ることもありました。外から来る者に無償で施せるほど裕福な国は、旅の途中にはありませんでした。
その後に何とか日雇いの仕事に就きましたが、重い荷運びは辛い労働です。出来高制なので少ししか運べない彼は、僅かな賃金しか得られませんでした。
それでも……。
その糧で得た食堂の定食は、何とも美味しく感じました。王宮のものとは全然違う、黒パンと薄いスープだけの夕食が。
「ああ、美味しいなぁ……」
泣きそうな顔で食べる彼に、仕事で一緒だった男が話しかけてきました。くたびれた旅装を見て、同類だと感じたのです。
「あんたも国から逃げて来たのかい? 偉い奴は税金ばかり取って贅沢して、俺達の苦しみを知らないんだよ。そうじゃなきゃ、同じ人間だと思ってないのかもな。だからみんなで、荷物もほとんど置いて逃げて来たんだ。ここは良い国だから、あんたも頑張んなよ」
屈託なく話す人懐っこい男に、ジェイドは答えました。
「私は……人を探しているんだ。悲しい思いをさせて出ていった娘に謝りたくて……」
「そうか、何か事情があるみたいだな。でもまあ、生きていれば何度でも話はできるし、謝る機会もあるだろう。迎えに行ってやりな」
「そうだな……ありがとう。こんな私に言葉をかけてくれて」
俯きながら話すジェイドの瞳からは、ポタポタと涙が落ちていました。何も持たない彼を気遣う男は「良いってことよ。お互いに辛いことは違うが、進むしかないよな」と励ましてくれたのです。
話しかけてくれた男は、ジェイドとは別の国から逃亡したと言っていました。他国には他国で、いろんな困難があるのでしょう。
(この人は全てをなくしたのに、こんなに優しい。ああ、違うか。大事な人達は一緒にいるのだもの。…………そんな生き方もあったんだな)
ジェイドはその夜久しぶりに、古ぼけた宿でしたが泊まることが出来ました。
(もし一時的に国民と共に国を離れて他国で暮らし、状況が落ち着いてから戻る方法があったのかも……。荒れ果てた状態ならば、他国から占領されることもなかっただろうし。たとえ国がなくなっても、ローゼリアは失わなかったかもしれない。…………彼女に頼ってばかりでなく、もっと自分で可能性を考えて話し合うべきだった。私は彼女が全て正しいと思い、任せ過ぎてしまった。あまりにも情けないことだ…………)
いろいろなことを考えながら、数日の日雇い仕事を終えて次の国へ向かうことにしました。お金がない辛さを身に染みて知り、獣を狩るナイフと皿とフォークを購入し鞄に入れます。いざとなれば、小動物を捕まえようと思ったのです。
励ましてくれた男はあの後もジェイドを気にかけ、保存食(干し肉やドライフルーツ)のことや旅のあれこれを教えてくれました。ジェイドはお礼にエールを奢り、最後の夜はお礼を言って笑顔で別れたのでした。
「頑張れよ」
「はい。貴方もお元気で」
本当に困った時に、助けてくれたことを感謝します。これは裕福でない場所ではとても稀なこと。大抵は詐欺や人買いのような目的が殆どなのですから。
彼を励ました男は、くたびれた彼を見て放って置けなかったのでしょう。神様にも好かれる善人だったことは、ジェイドにとって幸運でした。
旅を続けることで、いつの間にかローゼリアのことばかり思うことがなくなりました。大事なのは変わりないのですが、もっと他のことも考える余裕が出来たのです。
国によって、生活レベルも街の様子(発展具合)も違うこと。それは治安状態を見ることで、何となく分かるのです。他には歩く人達の笑顔が物語っていました。
国(街)が立派で大きな建物が多くても、警備が物々しく貧民街があるとか、質素な街だが橋や道路、水路が整備されて安全だとか、農地が多くて通る人の服は地味(悪く言えば着古している)だが、子供達の声が楽しそうに聞こえてくるとか。
勿論、国同士で争っている場所は、誰もが暗い顔をしていました。
長く長く歩き続け、いろんな場所を見聞きしました。クラヴィアに似ている娘がいないかと、様々な人に聞いていきます。ですが旅の男の話を聞いてくれる者は少なく、情報を得るのは中々難しいことでした。
治安部隊(警察や騎士団)がある場所で情報を得るにも、ただで相談に乗ってくれる者や賃金を要求する者と様々です。怪しまれて追い出されることさえありました。
情報を得て会いに行っても、全てが別人でした。
長い長い旅を続けました。
お金がなくなり日雇いの仕事もない場所では、森に入り小動物を狩って皮を剥ぎ取り、したこともない内臓の取り除きを吐き気を我慢して行い、なんとか火で炙って食べたのです。臭いに誘われた猛獣に襲われないように、木の上に登ることも上達しました。そこに至るには、肉を奪われ逃げ回る日々が続いたものです。
森には狩る者と狩られる者が混在しており、ジェイドも時に狩られる者として狙われました。
睡眠は木の上でしたが落ちそうで碌に眠れず、時々木や植物の毒、酷い時は毒虫や毒蛇に刺されて皮膚が腫れ、何日も苦しむこともあったのです。
安全な場所で生きるのは、とても幸せなことなのだと実感した瞬間でした。
数週間くらい会話することがないと、人恋しくてローゼリアに会いたいと泣くことが何度もありました。生きているのが辛いのも星の数です。
ですが旅をしていろんなことを知ると、ますます自死することだけは駄目だと思えたのです。
汚い格好だと意地悪な言葉をぶつけてくる者や、彼の美しい顔を見て騙して売り飛ばそうと言葉巧みに近づく者など、国王ではないただのジェイドは多くの悪意に晒されました。
そんな世界でも希望を失わず懸命に生きている人々を知り、時に親切にしてくれる人に感謝することもあったからです。
善意は当たり前のことではなく、気遣う心がなけれな出来ないことなのだと。それからはジェイドも、困っている人には出来る範囲で援助をしたのでした。
止まることなく続けた旅の先で、「その人、お婆ちゃんの若い時みたい」と微笑む女の子に会いました。
クラヴィアと殆ど顔を合わせなかったジェイドは、彼女の顔を覚えていませんでした。
「私と妹とは姉妹なのに、笑った顔を見たことがありませんでした……。ですが乳母のリンは、私に似ているとメイドに話していたそうですわ。もしお父様が妹に会うことが出来たなら、私のことは許さなくて良いとお伝え下さい。許すことは苦しいことですから」
祖国を出る前にジュリアと話したのは、クラヴィアのことを尋ねたのが最後でした。ですがその前に彼女と話したのも何年も前だったと気づいたのは、ずいぶんと後のことでした。
「お婆ちゃんではなくて、もう少し若いと思うのだけど……」とジェイドは言いかけますが、(もしかしたらクラヴィアは早くに子を生み、その子も早く結婚したのかもしれない)と思い直すのでした。
長い時を旅していたジェイドでしたが、自分の身体が老いていないことで、どれほどの時間が経ったのか分かっていませんでした。
国により年号や日付の数え方が違う為に、祖国から出て何年経ったのか把握していなかったのです。
女の子はアルバムを持って来て、昔から順に見せてくれました。そこには黒髪で群青の瞳を持つ少女が微笑んでいます。
「ああ、ジュリアに似ている。双子だもの、そうだよな……。笑っているね、幸せそうに、うっ、ぐ、ぐずっ」
それは若い時のクラヴィアの姿でした。
次々に成長を重ねる彼女は、いつも人に囲まれて笑っています。最後の写真は白髪頭で笑いじわの刻まれた顔で、穏やかそうに赤ん坊を抱いていました。
「フフフッ。これ私なのよ、可愛いでしょ?」
母親のリンと共に花屋を営み、結婚して子供と孫もいる人生。そして当人は3年前に、老衰(98歳)で天寿を迎えたと言うのです。
ジェイドもリンの名は知っていました。
クラヴィアを育ててくれた乳母で、彼女はリンに会う為に旅に出たと聞いていたのですから。
「おじさんの会いたい人だった?」
「…………うん、この人だった。ありがとう、会わせてくれて」
俯いて泣くジェイドに、女の子は花の刺繍のついたハンカチを差し出しました。
「困っている人には親切にしなさいね。そうしたら、お婆ちゃんが嬉しいからって。変なお婆ちゃんでしょ? でも優しくて、大好きだったの」
「っ、う、ん。素敵なお婆ちゃんだね。君は幸せだ」
「うん、毎日楽しいよ。おじさんも元気だしてね。ハンカチはあげる。刺繍は下手だけど私が刺したのよ」
「……ありがとう……うっ」
そのまま女の子は走って行きます。
彼が花屋を訪ねることはありませんでした。
「そんな資格は私にはないな……」
さてどうしたものかと考えた末に、彼は祖国に帰ることにしました。
(自分が老いないのは、きっと神様のお考えなのだろう。死んで楽にするより、もっと人の苦労を知るように。重責を捨てた自分の国を目に焼き付けるように)
そして、再び彼の旅が始まりました。
当然ながら祖国には、彼を知る血縁の者はいないでしょう。
それでも……そこに戻ることにしたのです。
彼が旅をしている間に、文明は発展していました。最果てと言われたクラヴィアのいた街は、祖国と海路で1か月で行ける場所だと船員が教えてくれました。
そのことでまた、時の流れを感じたのです。
長い旅の末に辿り着いた祖国は、夜の闇も戻り豊かな作物で溢れていました。すれ違う人々の表情も、とても明るいのです。
「こんな田舎に何か用かい?」
明るく声をかけてくれる農作業帰りのおじさんに、一瞬声が詰まるジェイドが答えます。
「昔……災害のあった時に、ここに住んでたことがあるんだ。それでまた戻ってみたのだけど、すごく素敵なところになってるから驚いたんだ」
「そうなのかい。俺はずっとここにいるけど、災害なんてあったかな? 爺さんから聞いた、夜がなくなった話なんて眉唾だと思ってるよ。あんたも父さんか爺さんに騙されたくちだな。まだ30歳そこそこだろ? 俺より若くて良いなぁ」
男は聞き間違いだと受け取ったようだ。丁度良いので、ジェイドもその話に乗ることにした。
「嘘なのかぁ。でも大変だったと聞いたよ。作物も黒布で毎日覆ったとか、眠れないとか」
「さあ、分かんねえな。でもこの国の王様が、頑張って何とかしてくれたんだろ。俺達は恵まれているよ。あんたの爺さんも商人かなんかで、国を出なきゃならなかったんだろ? よく頑張ったもんだ。あんたもここに住むなら歓迎するよ。役場まで一緒に行くか?」
男の勢いに引きずられ、街にある役所に連れて行かれたジェイド。自分がここにいて良いのか、躊躇していた気持ちを押された気がします。だからこそ暮らしたいことを熱く語ったのです。
その気持ちが通じ、空き家を紹介して貰えました(取りあえず話に合わせ、祖父が商人だったことにしたのでした)。
「お祖父様がこちらにいらしたのですか? 当時の商人さんは大変だったでしょうな。混乱の時期が続いたそうですから」
「そうらしいですね。……ただ私は商人じゃないので、その辺はあまり詳しく聞いてないのです。今まで旅をして世界を見てきました。でも読み書きは出来るので、紹介して頂ければ何でもやります。事務仕事がなければ、畑仕事も頑張ります。ただ魔獣はうさぎくらいしか狩れませんが……」
役場の職員は微笑んだ。
「何でも出来る人なんていませんよ。魔獣は怖いですから、私でも狩れません。それでは事務仕事をお試しでやってみますか? 一人70歳を越えて辞めたいそうなのですが、適性がある人がなくて留まって頂いていたのです。貴方が出来そうなら、解放してあげられるのですが」
「是非、お願いします!」
ジェイドは試験期間に懸命に働き、就職することが出来たのです。そして70代の男性から、引き継ぎを受けました。
最後の挨拶をしてから、ジェイドにだけ聞こえる声で囁く男性。
「ジュリア様は頑張っていましたよ。夜のない国から、夜を取り戻したのもあの方の功績です」
男性は幼い時に見た国王のことを覚えていました。本来ならば100歳を超える今の彼を見て、本人とは思わないでしょう。けれどこの国は神様が関わった国だったので、ありえることだと思ったのです。
今さら彼は責める気はありません。
ただこの国の為に、頑張って欲しいと思うくらいで。彼も幼い時は怒っていましたが、成長することで「王妃のこともあって、いろいろ苦しんだのだろう」と許しました。国王の王妃への溺愛ぶりは、当時から有名だったのです。
「女王の守った国を愛して下さい。それが私の願いです」
「はい、頑張ります。お疲れ様でした」
それからの彼は懸命に働きました。
街の人とも仲良くなり、困ったことがあれば相談にも乗り、共に悩んだりもしました。
その後思いが整理できたジェイドは、亡き人達に思いを告げようと思いました。
けれど貴族や王族の墓は、関係者しか入れない場所にある為、ローゼリアやジュリア、リエットの墓参りには行けませんでした。その方向に向かって祈るだけです。
「ジュリア…………。私は自分が悪いことを棚に上げて、お前に八つ当たりをしたこともある愚か者だ。大変な苦労もあっただろうに、逃げずに国を守って立派に復興まで…………。覚悟も器もお前が上だ。本当にすまなかった」
どうして幼い子らを守らずに、対等に扱ってしまったのか。今考えると、愚か過ぎると分かる行為になのに……。
頭を垂れて嗚咽するジェイドは、言葉を続ました。
「ローゼリア。私は約束を守れず、たくさんの者を不幸にした。クラヴィア、ジュリア、そしてリエットも……。国民にも被害を被せて逃げ出した駄目なやつだ。だからもう、君に会う資格はない。死なないことが償いなら、私はずっと人の役に立てるように頑張ろうと思う。国を心配する君の憂いを、少しでもなくすように……」
愛した人を裏切ったのだから、二度と会えなくても仕方ないと覚悟を決めたのです。
そして……。
「いつも蔑ろにしていたことを謝りたい。すまなかった……。死んでしまってから卑怯だと思っている。もし愛した者が私でなければ幸せになれただろうに…………。こんな私を愛してくれてありがとう…………。今度生まれる時は幸せになってくれ、リエット」
(こんな自分に祈られたところで、怒りしか湧かないだろう)と思っても、それしか出来ず祈り続けているのです。自分がローゼリアにされたなら、絶望しかないことをしてしまった贖罪の意を込めて。
当然ながら、誰からも返答はありません。
彼はその後も働き続けています。
50歳くらいになると一度国を出て、20年後にジェイドの子供として(名を少しだけ変えて)、祖国に戻ることを繰り返しているのです。年をとっても老けないのは、父親譲りだねと言われ続けているそう。
彼は今日も、人々の話に耳を傾けます。
時には殆ど使わずに貯まり続ける、給金を使いながら。
このまま頑張ることが出来れば、あと数百年で許されるらしい。
◇◇◇
リエットが亡くなる前のこと…………。
彼女は長い間、闇の中をさ迷っていました。
正気を失った彼女は、現実か夢かを判断できない日々の中で、いつもジェイドへと手を伸ばすのです。
「私を見て。ずっと貴方だけを見つめて来たの。私と結婚を望む者はたくさんいたけれど、目も向けなかったわ。だって貴方しかいらないのだもの…………」
夢の中にいるジェイドは、時々彼女に微笑むものの、夢から覚めて見る幻(幻視)の彼はリエットを見ることはないのです。
ジェイドの隣には亡くなったはずのローゼリアがいて、二人は幸せそうに微笑んでいました。
夢とは違う、朦朧状態のリエットのジェイドには、彼女の経験が上乗せされる為、現実の彼に近いようです。意識下でも、自分が蔑ろにされていることを自覚していたからでしょう。
「嫌よ、ジェイド。リエットになんか微笑まないで。彼女から離れて私を見て、私を見てよ!!!」
叫び疲れて気絶し、夢では気まぐれに優しくされる日々は、彼女の精神を壊していきました。もう何日も食事も出来ず、気絶して眠る間に点滴をされています。
彼女が寝静まった後、真夜中に囁く声がします。
「お母様、調子は……良くないようですね……。今、民の生活は困窮しております。今は備蓄の麦がありますが、今後は食料が高騰し、再び芋の備蓄に手をつけなければならないかもしれません」
別の日……。
「お母様、側近達が辞めていきました。政務がなかなか進みません。私はどうしたら良いのでしょう? うっ、うっ」
さらに別の日……。
「お母様、お祖父様とお祖母様が助けてくれました。何とかやれそうです」
またまた別の日……。
「農業の作物対策が立ちました。いろいろな布種類を使って、夜間の対策をしようと思います」
さらに別の日……。
「作物の異常は落ち着きました。ですが今度は人間の方が限界のようです。夜がないのは我が国だけなので、少し離れた場所に避難用の建物を建設中です。うまく体調が回復すると良いのですが」
さらにさらに別の日……。
「少しずつですが、睡眠の質があがったようです。今は民も王宮の職員も、みんなで頑張ってますよ。
ねえ、お母様。私一人ではまだまだ未熟ですが、みんなが協力してくれるので、国は何とかなるかもしれません。早く良くなって下さい。私がお母様をお支えしますから……。ねえ、お母様、私を見て下さい。もう、お父様なんて忘れて、私達と生きましょう。みんなに謝って許して貰えなくても、何回も何十回でも一緒に謝りましょう。生きて下さい、お母様…………う、うわあ~ん、っ、ぐすっ」
ジュリアは夜中の業務を終えた後、リエットに用意された客室に通います。
衰弱し自力で立てず、声も出せなくなった母親を案じたジュリアは、自分の主治医をリエットの担当にしたのです。
「私は元気だから、お母様を見てあげて欲しいの。お願いします」
本来離縁された元王妃を、王宮医が見ることはありません。ですが混迷の最中でしたので、秘密裏に応じて貰えたのでした。
「分かりました。ですがジュリア様もご無理なさらぬように……と、今は言っても難しいでしょうな。ビタミンを含む点滴くらいはできますので、休憩時間に貴女様も」
「ありがとうございます、せんせい。無理を聞いて頂き、ありがとうございます」
最近涙もろくなったジュリアに、医師が優しく声をかけます。
「……生まれた時からのご縁です。あの姿を知る私が、裏切れるはずはございません。罰を受けろと誰かが言えば、ジュリア様に庇われようともそのつもりです」
ジュリアは頷き、泣きながら頭を下げます。今の王宮にはもう、味方しかいない状態でした。
敵対していた貴族は、既に他国へ渡っていたのですから。
リエットの両親である宰相夫妻も、短時間ですが毎日見舞います。今は猫の手も借りたいほど多忙だったので、痩せ細って憔悴し死が間近の娘にも、付ききりではいられなかったのです。
「リエット……こんなに痩せてしまったのか。でも今は眠ることが多くなって、楽そうだな。寂しいかもしれないが、勘弁しておくれ」
「可愛いリエット。いくら姿が変わっても、いつまでも貴女は可愛い娘なのよ。私の大事な大事な一人娘。生まれてきてくれてありがとう。私達はずっと幸せだったのよ。良くなって欲しいけれど、貴女には辛いことなのかしらね………………」
何度も何度も声をかけ、ジュリアを手伝ってからは家と王宮を往復していた宰相夫妻。今は王宮で過ごせるようになり、お互いにすぐ会える距離になっていました。
祈りは虚しく、リエットは程なく危篤に陥りました。
ですが衰弱して死に逝く間にだけ、彼女は正気に戻っていたのです。身動きは出来ませんでしたが、声は聞こえていました。
ジュリアの声も、両親の声も全て聞こえていたのです。その時にはジェイドのことは微塵も考えることもなく、心に浮かぶのはジュリアと両親のことだけでした。
そして……母親からの声を深く噛みしめるのです。
「生まれてくれただけで嬉しかった」と、言われたことに。
嬉しかった。
でも同時に思うのです。
自分はクラヴィアを、ずっと邪険にしていたことを。
『黒髪だから……。ただそれだけで八つ当たりをしていた。自分に似ているジュリアを可愛いがり、悲しむ顔をローゼリアに重ねて。なんて酷いの。こんな母親なら、捨てられて当然よね……。ジェイドを優先していたから、ジュリアにさえ適当にしか接して来なかったわ。両親からの愛は当たり前だと思っていたのに。どうして娘には、あんなに酷いことが出来たのかしら……。私、わたしは、なんてことを!!!!!』
心だけがざわめきますが、もう話す力もなく、目蓋さえ開かないのです。最期の時までクラヴィアに懺悔し、ジュリアには感謝と後悔を念じていました。両親にも先に逝く不幸に、申し訳ないと思いながら。
『クラヴィア……。きっと私が声をかけるのも嫌でしょうね。でも言わせて。こんな私が貴女を生んでごめんなさいね……。今度生まれ変わる時は、良い人を選んでね』
『ジュリア、こんな女が母親でごめんなさい。貴女は良い女王になったわ。とても……頑張ったわ。何の力になれない私を憎んで……』
『お父様、お母様、ありがとうございます。ごめんなさい…………私も愛しているわ』
誰もいない朝方の暗い部屋で、ひっそりと息を引き取ったのでした。
ジェイドのことは、何も思うことなく。
最後まで、娘達よりも両親に愛を向けていた彼女は、やっぱり母親としては未熟だったのでしょう。
そしてもう、ジェイドへの未練はキッパリ捨てられたのでした。
リエットは、その後生まれ変わりましたが、美形恐怖症になっていました。
「い、嫌。顔の良い男は、女を不幸にしかしないわ。右に曲がれ! 全力回避よ!!!!!」
冷や汗を流しながら、走っていく少女(13歳)。
いつの間にか鳥肌も出ています。
酷い目になどあったことがないはずなのに、何故か直感でそう思うのでした。
それを見ながら、「ごめんな、俺彼女いるんだ♪ またこの魅力で、女の子を不幸にしてしまった。本当に罪な男さ。フフンッ」と、満面な笑顔をしている男子学生がいました。
やっぱり顔の良い男傲慢説は、ある程度当たっているようです。
温かな両親とヤンチャな兄弟に囲まれて、穏やかな人を伴侶に選び、幸せに暮らしました。
時々戒めのように「意地悪は駄目、絶対! もう私ごときが、そんなことはしてはいけないの。二度目はないと言われたじゃない。今度こそ、真面目に生きるのよ」と、寝言を言うのです。
本人は知りませんが、家族は心配しています。
「お母さん、アニメの見すぎだね」
「可哀想に。こんなにうなされて。お母さんは幼い時から意地悪なんてしない、優しい子だったよ。二度目も何も、ずっと同じクラスだったし」
「お父さんは、ずっとお母さんが好きだったの?」
「そうだよ。けどお母さん、可愛いだろ? だからお父さんが選ばれて、奇跡だと思って神に祈ったもんだ。お母さんが誰かの悪口言ってるのも見たことないし」
「やっぱり、ドラマかアニメだね」
「そうだな、きっと」
結婚後の家庭はのんびりしていますが、幼い時から寝言でこの言葉を繰り返していることは知りません。
どうやら前世での(やらかしの)反省の日々は、強制的に続いているようです。




