第八話「選ぶ」
「それ、じゃあ……行ってきます」
「うん。行ってらっしゃい」
リンと買い物に行ってから一夜明けた朝。
玄関でクエストに向かうリンを見送る。
途端、拠点の中に静けさが帰る。
「……よし」
一度気合を入れ直し、私も拠点を後にする。
向かう先は、冒険者ギルド本部だ。
◇ ◇ ◇
ギルドに足を踏み入れると、朝の時間帯特有の慌ただしさがあった。
依頼を確認する冒険者。受付に並ぶ人影。奥に急ぐ職員たち。
私は視線を巡らせ、目当ての人物を探す。
——メイのことだ。
だが、カウンター付近にその姿は見えない。
それを確認した、その時。
「ユーフィリアさん?」
背後から、控えめな声がかかる。
「あ、この前の……」
振り返ると、見覚えのある少女が立っていた。
先日、二人組の冒険者に絡まれていたあの少女だ。
「すみません。自己紹介がまだでした。私、ユウと申します」
そう言って、丁寧に頭を下げる。
動作は少し硬いけれど、真面目さがそのまま伝わってくる仕草だった。
「こちらこそ。ユーフィリアです」
「存じております」
ユウさんは冗談めかしてそう言って、笑みを浮かべた。
「それで、今日はどのようなご用件でしょうか。リンさんはいらっしゃらないようですけど」
ユウさんは周囲を一度見回してからそう尋ねてきた。
「今日はちょっと、メイに頼み事があって」
「メイ先輩ですか? わかりました。少々お待ちください」
そう言うと、ユウさんはすぐに奥へ向かってくれた。
少しして、ぱたぱたと足音が近づいてくる。
「先輩、おはようございます」
「おはよう、メイ」
現れたメイは、いつもより少しだけ落ち着いた雰囲気だった。
派手さはないけど、肌に馴染むナチュラルメイク。
目元と口元が柔らかく整えられていて、自然と目を引く華がある。
「ユウさん、ありがとうございます」
「いえ」
ユウさんはにこりと笑って、首を横に振った。
「それで、私に頼みって何ですか?」
メイの問いに、私は一度背筋を伸ばす。
「買い物に、付き合ってほしくて」
「買い物ですか?」
「うん。服とかメイク道具とか、色々揃えたくて——」
そこまで言った瞬間、
「行きましょう!」
メイが身を乗り出してそう言った。
「午後お休みにするので、あと少しだけ待っててください!」
「わ、わかった」
あまりの即答と勢いに、私は一瞬気圧される。
メイは「よしっ」と小さく気合を入れると、ふんすふんすと足取り強く奥へ戻っていった。
「……あの」
その背中を眺めていると、今度はユウさんが遠慮がちに声をかけてきた。
「私も着いて行ってもいいですか?」
意外な申し出に、私は目を瞬かせる。
「私は構いませんけど……」
私の答えを聞いたユウさんは、少しだけ背筋を伸ばした。
さっきまでの控えめな態度が、どこか引き締まる。
「ユーフィリアさんのためのものを、揃えに行くんですよね」
声音は柔らかいままだが、言葉の芯がはっきりしていた。
「……ユーフィリアさんは、綺麗な人です」
「……え?」
思わず、間の抜けた声が出た。
「メイ先輩に聞きました。ユーフィリアさんの、前のパーティのこと」
ユウさんは、言葉を選ぶように一拍置いてから続ける。
「その人には見る目がなかったって、証明しちゃいましょう!」
ぱっと浮かべた明るい笑顔は、年相応でまっすぐだった。
私は思わず、肩の力を抜いて微笑む。
「……心強いです」
そう口にした私に、ユウさんは少しだけ眉を寄せた。
「敬語はやめてください。メイ先輩はユーフィリアさんの後輩なんですよね? そして私は、メイ先輩の後輩です」
指折り数えながら、ユウさんはあくまで真剣な顔で続けた。
「言うなれば、『孫後輩』なわけです」
ほんの一瞬、意味を考えて——
私は、思わず吹き出しそうになるのを堪えた。
「……その理屈、初めて聞いた」
「間違ってはないですよね?」
少しだけ胸を張る彼女を見て、自然と頬が緩む。
「……わかった、ユウ」
そう呼ぶと、ユウはぱっと表情を明るくした。
◇ ◇ ◇
午後の休みを取ってくれたメイとユウと合流し、私たちは商業区画へ向かった。
「じゃあ、まずはメイクからですね」
「うん、お願い。こういうの久しぶりで、正直何から手をつけていいかわからないから」
そう言うと、メイの目が一瞬きらりと光った。
「お任せください!」
メイが張り切った様子で先に歩き始める。
「……メイ先輩、嬉しいんですよ」
そんな背中を見て、ユウが小さな声で私に囁く。
「……嬉しい?」
「メイ先輩、よくユーフィリアさんのお話されてるんです。すごくお世話になった、って」
「そうなの?」
「はい。だから、お役に立てるのが嬉しいんだと思います」
その言葉に、胸の奥が温かくなる。
「先輩? ユウ?」
少し先で振り返ったメイが、立ち止まっている私たちを呼びかける。
「……ごめん、今行く」
そう言って歩き出すと、メイは満足そうに一つ頷いた。
「ではまず、こっちです」
迷いない足取りで向かった先は、商業区画の中でも少し落ち着いた通りにあるお店だった。
看板は控えめで、外観も派手ではない。
けれど、扉を開けた瞬間にわかる。
——ちゃんとした店だ。
棚に並ぶ瓶や筆は整然としていて、空気にはほのかに甘く清潔な香りが漂っている。
「おお……」
「圧倒されますよね」
思わず漏れた声に、ユウが小さく笑った。
「でも大丈夫です。全部知る必要はありませんから」
「……それ聞いて、ちょっと安心した」
こういうお店に来るのは、本当に久しぶりだ。
象牙の刃にいた五年間、私には身なりを気にする余裕なんてなかったから。
必要なのは、動きやすさと実用性だけ。
それ以外は全部後回しだった。
「先輩、こっちです!」
メイが鏡の前へ私を導く。
「まずは”足す”前に、”今”を確認します」
「今、か……」
鏡に映る自分は、いつもの私だった。
目の下の隈が減り、多少改善されてはいるものの、目つきが悪く相手に怖い印象を与える。
だが、
「問題ありませんね」
「……即断」
「肌は綺麗ですし、土台がいいです。あとは引き算です」
メイはそう言って、棚からいくつかの品を選び取る。
「ユウ、こっちの色どう思う?」
「こちらの方が自然光に合います。長時間でも崩れにくいかと」
二人の会話は早いけれど、置いていかれる感じはしなかった。
「先輩は、どんな感じにしたいですか?」
メイが振り返って尋ねる。
私は少しだけ考えてから、正直に言った。
「……ちゃんとして見える。けど、無理してない感じ」
「はい」
「それと……リンの隣に立って、変じゃないくらい」
メイは一瞬だけ目を見開いて、それからふっと柔らかく笑った。
「十分です。方向性、完璧です」
ユウも小さく頷く。
「それでしたら、やりすぎないのが一番です」
そうして始まった作業は、思っていたよりも落ち着いていた。
筆が肌に触れる感触。
鏡越しに、少しずつ変わっていく自分。
「目元は締めすぎない方がいいですね」
「うん。切れ長だから引き算で……」
そんな会話が左右で飛び交う。
メイは楽しそうに筆を動かし、ユウは成分や色味について説明を添えてくれる。
「完成です!」
そう言って、メイが一歩下がる。
……驚いた。
鏡の中の私は、確かに「知らない私」だった。
派手じゃない。でも、ぼんやりしてもいない。
変わったのは、ほんの少しのはずなのに。
「どうですか?」
「……落ち着く」
私の感想に、メイが胸を張る。
「それが一番です」
メイとユウにすすめられた品をいくつか選び、会計を済ませる。
小さな瓶や筆が紙袋に収まる音を聞きながら、私はどこか不思議な気分でそれを受け取った。
……こんなふうに、自分のために選んでもらうのはいつぶりだろう。
「では次、行きましょう」
「次は服、だよね」
「はい!」
メイの返事は即答だった。
◇ ◇ ◇
次に案内されたのは、さっきのお店よりも少しだけ賑やかな通りにある洋装店だった。
大きな窓から中が見え、色とりどりの布が目に飛び込んでくる。
「うわ……」
「圧がありますよね」
ユウが小さく頷く。
「最近の流行が、だいたいここに集約されてます」
「そうなんだ……」
入店し、店内を見渡す。
そこにはたくさんの服が並んでいる。
フリル。レース。柔らかい色合い。
どれも悪くない。でも、どれが「私」なのかがわからない。
「大丈夫です」
メイが、すっと私の前に立つ。
「全部を着る必要はありませんから」
私にそう告げると、メイは一着目を手に取った。
「まずは、可愛い系からいきましょう!」
にんまりと笑みを浮かべるメイが見せるそれは、私が今まで着たことのない系統だった。
「そ、それ?」
「そうです! さあ始めましょう!」
半ば押し切られる形で、私は試着室に押し込まれた。
◇ ◇ ◇
「……どう、ですか?」
恐る恐るカーテンを開けると、メイがぱっと目を輝かせた。
「可愛いです!!」
「似合ってます」
ユウも静かに頷いている。
鏡に映る私は、確かに「可愛い格好」をしていた。
柔らかい色合いのスカートに、軽やかなブラウス。
……悪くない。でも——
「……落ち着かない」
「……そうですよね」
メイは少し肩を落としながらも、即座に理解を示してくれた。
「じゃあ次、綺麗系いきましょう」
次に着せられたのは、線のはっきりしたワンピース。
少し背が伸びるような、洗練された印象。
「これは……」
「先輩かっこいいです!」
「大人っぽいですね」
確かに、さっきの服より落ち着いた印象を覚える。
「……でも、少し違う気がする」
私ははっきりと首を振った。
だが、メイは驚くどころがむしろ嬉しそうに笑う。
「今の否定、すごくいいです」
「え?」
「ちゃんと『自分の感覚』で見てますから」
「流行に合うかどうかより、ユーフィリアさん自身が納得できるかが大事です」
その言葉が、私の胸にすっと落ちる。
……ありがたい。二人に頼んで、正解だった。
◇ ◇ ◇
最後にメイが持ってきたのは、驚くほどシンプルな服だった。
淡い色のシャツに、すっきりしたラインのパンツ。
装飾はほとんどない。
でも——
着替えて鏡の前に立った瞬間、私は息を止めた。
「……あ」
そこにいたのは、背伸びしていない等身大の私だった。
素朴で、落ち着いていて、無理がない。
ふと、昨日のリンの姿が脳裏をよぎる。
生成色のワンピース。
飾り気はないけれど、でも——目を引く佇まい。
「……これだ」
思わず、声が出た。
「先輩?」
「うん。これがいい」
私は、鏡の中の自分から目を逸らさずに言った。
「ちゃんとしてる。でも、作ってない」
「……はい」
メイは、少しだけ目を潤ませて笑った。
「すごく、先輩らしいです」
「そうですね。理にもかなっています」
ユウも頷く。
「清潔感があり、動きやすく、印象も柔らかい。長く使えます」
私は深く息を吐いてから、二人の方を見る。
「……ありがとう。二人がいてくれて、本当によかった」
「いえ!」
「こちらこそです」
会計を済ませ、紙袋を受け取る。
その重みは、思ったよりも軽かった。
でも——胸の奥は、不思議と満たされていた。
私は少しだけ背筋を伸ばす。
リンの隣に立つ自分を、初めてはっきりと思い描きながら。
◆ ◆ ◆
夕刻。
依頼を終えたリンは、報告のために冒険者ギルド本部を訪れていた。
今日の依頼はユーフィリアが王都に来る前から決まっていたもので、手続き関係は全てギルドを通して行ってもらっていた。
そのため、リンは依頼をこなして即拠点に帰りたい気持ちを抑え、ギルドに足を向けたのだ。
(早く……帰り、たい)
受付で報告を行い、処理を待っている少しの間にも、リンはユーフィリアのことを考える。
温かな瞳。優しげな声。包み込んでくれるような安心感。
ユーフィリアの全てを思い出すように、リンは少しの間目を閉じた。
「……リンさん」
ギルド職員の遠慮がちな声に、リンは目を開ける。
「お休みのところすみません。手続きが終わりましたので、最後にサインをお願いします」
「……ん」
差し出された紙の署名欄に素早く名前を書く。
「はい、確認しました。お疲れ様です」
「おつかれ、さま」
言うが早いか、リンはギルドを後にする。
ギルド本部から、冒険者区画にある拠点への帰り道。
勇者の称号を発現し、冒険者になってから何度も通った道。
いつもと、変わらない景色。
だが、リンの目には全てがいつもより鮮やかに見えていた。
——帰ったら、ユフィが待っている。
その事実は、リンの足を早めるには十分だった。
足早に、まるで駆けるような速さで、リンは通りを抜ける。
(……ユフィ)
高揚する心。胸の高鳴り。そして——少しの不安。
本当に、出迎えてくれるだろうか。
——いなくなったり、していないだろうか。
(いる、よね……?)
いつかの母親のように、ふっといなくなっていないだろうか。
そんな気持ちが、リンの心で頭をもたげる。
拠点の前に着く。
リンは、扉の前で立ち止まった。
一度深呼吸をしてから、リンは初めて呼び鈴を鳴らした。
少し間を置いてからガチャリと鍵のあく音がし、続いて扉が開いた。
(——女神……さま……?)
そこから現れたのは、いつもと違うメイクをし、初めて見る服を着たユーフィリアだった。
「……おかえり、リン」
ユーフィリアはリンを見て微笑む。
「……た、だい、ま……」
言葉を返したリンだったが、その視線はユーフィリアに釘付けだった。
生成色の、素朴な仕立てのシャツ。
すっきりとしたパンツに身を包まれ、余計な飾りはないのに立ち姿だけで目を引く佇まいだった。
「……リン?」
ユーフィリアに呼ばれ、リンはハッと我に返る。
「……ユフィ」
「……なに?」
聞き返すユーフィリアの声は、ほんの少しだけ震えていた。
「とって、も……似合ってる」
その言葉に、ユーフィリアは静かな、だが確かな笑顔を浮かべる。
「……ありがとう。嬉しい」
安堵したようなその声に、きゅっとリンの胸の奥が締め付けられる。
(もしか、して……わたしの、ため……?)
そう考えると、リンは言わずにはいられなかった。
「……ユフィ。あり、がとう」
突然の言葉に、ユーフィリアは少し目を見開く。
そして、クスッと笑った。
「どうしてリンがお礼を言うの? 褒めてくれたのはリンなのに」
とくん、とリンの心臓が高く脈打つ。
ユーフィリアは体をずらし、リンを中へと招く。
「ほら、早く中入ろう?」
「……うん」
いつも跨いでいた敷居。迎えていたのは、静かな部屋。
でも、これからは違う。
——ユフィが、いる。
それだけで、リンの心には温かい気持ちが広がっていた。




