第六話「帰りたいと思う場所」
王都に拠点を置く冒険者が借りる、宿屋や貸家が軒を連ねる通り。
「冒険者区画」と呼ばれる場所の一角。
その中でもひときわ目を引く建物の前で、私は一度立ち止まった。
雷鳴峡谷の依頼を終えてから一晩が明けた。
朝イチでギルドに寄って、正式に事務員派遣制度でリンの担当となった私は今、仕事を始めるためリンの活動拠点を訪れている。
期待の超新星にしてAランク冒険者のリンに相応しい、豪奢な外装の建物だ。
私は一度深呼吸をしてから、入口にある呼び鈴を鳴らす。
少し間を置いてからガチャリと鍵のあく音がし、続いて扉が開いた。
——そこから現れたのは、可憐な服を着飾った天使だった。
「……可愛い……」
いつもの装備とは違う格好をしたリンを見て、私の口から思わずそんな言葉が飛び出る。
リンは恥ずかしそうに頬を赤らめると、少し扉の陰に身を隠した。
……キュン死させるつもりなのかな?
あまりに強烈な不意打ちにより感情のオーバーフローが起きた私は、逆に冷静になる。
「……お、おはよう。リン」
「……おは、よう……ユフィ」
冷静になった頭で、私は大昔に読んだ雑誌の内容を思い出す。
そこには確か、「相手の服装を褒めろ」と書いてあったはずだ。
私はあくまで冷静に、リンの服装を観察する。
生成色のワンピースは動きやすさを重視した素朴な仕立てで、派手さはない。
だが、柔らかな布地がリンの細い体の線をやさしくなぞり、胸元で結ばれた小さなリボンが視線を自然と上へ誘う。
長い銀髪は髪の後ろで軽くまとめられていて、いつもよりも表情がよく見えた。
その顔は、次第に少し眉を寄せて——
「ユフィ……あんまり、見られると……恥ずかしい」
——しまった。
ここで、私はようやく気づく。
この格好のリンを前に、恋愛初心者である私が冷静になれるはずがなかったのだ。
途端に、バクバクと波打つ心臓の音がうるさいほど聞こえてくる。
——リンが、反応を伺うような不安げな眼差しで私を見る。
何をしてるんだ、私は。
飾った言葉なんかいらない。
思ったことを、そのまま言えばいいんだ。
「……とっても似合ってる、リン」
「……ありがとう」
不甲斐ない私に、それでもリンは嬉しそうに笑みを浮かべてくれた。
「中、入って……?」
リンが体をずらし、私を中へと招く。
「お邪魔します……」
まだ緊張を残したまま、私はその敷居を跨いだ。
◇ ◇ ◇
事務員の主な仕事は二つ。
冒険者活動を円滑にするための雑務・事務処理と、パーティへ依頼を出してもらうための広報活動だ。
リン一人だけのため、雑務関係は象牙の刃の頃よりも格段に楽だ。
私一人でも問題なくこなせる。
だが問題は、広報活動だ。
冒険者ギルドの依頼は、基本的に掲示板形式だ。
危険度や報酬、依頼主の情報が並び、冒険者はそれを見て仕事を選ぶ。
だがランクが上がると話は別で、貴族などが「この冒険者に頼みたい」と名指しで声がかかることも珍しくなくなる。
そのために必要なのが、実績や評判。
そして、それを正しく伝えるための広報だ。
リンなら当然、象牙の刃のようにルックスを前面に出しても依頼を受けられるだろうけど……
私は胸に手を当てる。
こう、胸の奥がざわつくんだよね……
それと、気になることがもう一つ。
私はぐるりとこの部屋を見渡す。
シンプルなベッドが一つと、簡素な机と椅子。
壁際には、装備をかけるための木製のラックと小さめのクローゼットが一つだけ。
生活の痕跡らしいものはほとんどなく、まるで「ここは寝て、起きて、出ていくための場所」だとでも言うようだった。
……リンらしいといえばリンらしい。
無駄がなくて、合理的で。
きっとリンにとっては、これで十分なのだろう。
それでも私は、ここにほんの少しだけ「リンが帰ってきたくなるもの」があってもいいんじゃないかと思った。
「……買い物に行こうか、リン」
「買い物……?」
リンは不思議そうにそう言った。
「そう。買い物」
「……デート……?」
「っ……」
思ってなかったけど、そうと言えばそうだ……
「……うん。行こう? デート」
リンの顔に笑顔の花が咲く。
——相変わらず心臓はうるさかった。少しは落ち着け。
◇ ◇ ◇
私たちは街に繰り出し、商店街が立ち並ぶ「商業区画」と呼ばれる通りを歩く。
今日も往来する人々が多く、リンには多くの視線が向けられている。
だがリンは、いつものように全く気にするような素振りもなく口を開く。
「……何、を……買いに行くの?」
リンの問いに、私はわずかに苦笑する。
「実は、まだ決まってないんだ」
リンが不思議そうに小首を傾げる。
「リンの部屋、今は『必要最低限』って感じでしょ? それでもいいとは思うけど……」
一拍置き、私は少し言葉を探す。
「それでも、何か『リンが帰りたいと思えるもの』を部屋に置いてあげたいの」
「……帰りたい、と……思う……?」
「そう。帰りたいっていう思いは、危険な場所に赴いた時にきっと強い支えになると思うから」
リンは少しだけ考えるような仕草をし、そして——
「……ユフィ」
一言、ぽつりと呟いた。
「……へ?」
私の喉から間の抜けた声が漏れる。
リンは私を見上げたまま、少しだけ視線を揺らした。
迷っている、というより——言葉を選んでいる顔だった。
「……それ、なら……」
リンは小さく息を吸って、続ける。
「……わたし……帰る場所、は……ユフィが、いるところ……が、いい……」
一瞬、世界が止まったかと思った。
心臓の音が、またうるさくなる。
さっきまでとは比べものにならないほどに。
「……それって……」
声が、少し掠れた。
リンは、逃げずに頷いた。
「……ユフィ、が……帰る場所、なら……わたしも……帰りたい……」
——だめだ。
今、ちゃんと返事をしないと。
私は一度、深く息を吸った。
「……リン」
視線の高さを合わせるため、私はほんの少しだけ身を屈める。
「それ、すごく……嬉しい」
リンの頬が、赤くなる。
「……でもね」
「……うん」
私はゆっくりと、確かに口にする。
「同じ場所に住むって、簡単なことじゃないよ。生活も、時間も、全部近くなる。相手の嫌なところだって、きっと見えちゃう」
リンは私の言葉一つ一つを真剣な眼差しで聞いていた。
「それでも、いい?」
一拍。
そしてリンは、はっきりと頷いた。
「……ユフィ、と……一緒なら……」
それだけで、十分だった。
私は思わず苦笑する。
リンと一緒にいるだけで、気を抜いた途端心臓を持っていかれそうになる。
「……ほんと、油断するとすぐこれだ」
「……?」
私の呟きに、リンがきょとんと目を瞬かせる。
「ううん、なんでもない」
私は高鳴っている鼓動を、そっと押さえ込んでから言った。
「じゃあ……今日の買い物は、リンの部屋のものを買うんじゃなくて……私たちの部屋に置くものを買いに行こう」
一瞬の沈黙。
それからリンは、ゆっくりと——でも、確かに笑った。
「……うん」
その一言は、いつもより少しだけはっきりしていた。




