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第二十一話「逃避、そして」

 リンと話してから、数日が経った。


 私は、朝から天幕で作業に没頭していた。


 昨日調査を終えた第二層の記録を机いっぱいに広げ、魔力濃度の推移を折れ線に起こす。

 循環異常の出た個体の共通点を洗い出し、地形図と照合する。


 考えている間は、余計なことを思い出さずに済む。

 事実は、感情を挟まない。


 ——だから、ここにいれば大丈夫。


「ユーフィリア殿」


 不意に呼ばれ、私はびくりと顔を上げた。


 天幕の入口に立っていたのはレスさんだった。


「……はい」

「少しよろしいですか」


 差し出された資料を受け取る。

 その瞬間、自分の手がわずかに震えていることに気づいた。


「……どうかしましたか?」

「いえ。なんでも」


 即答する。

 考える暇を与えないよう、私はすぐに視線を落とした。


◇ ◇ ◇


 今日の調査は、第三層。

 その中の三本に分かれた道の前にある、西側壁面の精査だった。


 先遣隊が周囲の安全を確保し、私たち記録係が順に測定を行う。

 岩壁に計測器を当て、魔力の流れを読み取る。


 ……その時だった。


「これ……」


 壁の一角。

 ほんのわずかだが、魔力の流れが逆転している。


 雷鳴峡谷や夢幻洞窟で起きる事象は、地脈に逆らって流れる魔力が反発し、その際に生じるエネルギーが顕現したものだ。


 つまり、高濃度の魔力が満ちていれば、本来は反発が起こり事象が発生する。

 今この洞窟は、「高濃度の魔力が地脈に逆らっているのに事象がない」という状況だ。


 しかし、この壁の箇所のみ、魔力が地脈に沿って流れている。


「おかしい……」


 私は通信石に手をかける。


「リ——」


 名前が喉まで出かかって、詰まる。

 あの銀色の背中が、涙を隠して去っていった光景が脳裏をよぎる。


 指先が、止まった。


「……ジュジュさん、三又の付近まで来れる?」


 通信石越しに、軽い声が返る。


『お? なんかあった〜?』

「壁面に違和感があるの。壊してくれる?」

『任せなさ〜い』


 ほどなくして、ジュジュさんが現れた。


「どれどれ〜」


 指先で壁をなぞり、にやりと笑う。


「確かに。これ、フェイクだね」


 次の瞬間、色とりどりの魔法陣が展開する。

 その光は、一点へと集中し——


 ドン、と鈍い音を響かせる。


 岩壁だと思っていた場所が砂のように崩れ落ち、その奥に下へと続く縦穴が現れた。


「なあに、これ?」


 私は縦穴に計測器を当てる。


「……魔力と地脈が生むエネルギーが、穴に沿って流れてる」

「……つまり、エネルギーが下に集まってる?」


 ジュジュさんの言葉を首肯する。


「おそらく。それで考えられるのは……多量のエネルギーを備えたモンスターがいる、とか」

「ボスがいる、ってこと?」

「……可能性は」


 小さく頷いた私に、ジュジュさんはどこか嬉しそうに口角を吊り上げた。


「へえ……大発見じゃん、ユーフィリアちゃん」

「……偶然だよ」


 そう言いながらも、胸の奥が少しだけ熱くなる。


 役に、立てている。


◇ ◇ ◇


 縦穴の簡易調査を終えたところで、レスさんが判断を下した。


『それ以上は本隊を再編成してから行います。一時、調査を休止』


 天幕へ戻り、情報の整理が始まる。


 洞窟の全体像に修正が入る。

 第四層以降の危険度は再評価。


 大規模調査は、確実に進展していた。


 ……なのに。


 胸の中の重さは、少しも軽くならない。


「……何か仕事はありませんか?」


 気づけば、私はそう言っていた。

 レスさんが顔を上げる。


「記録の追加、資料整理、なんでも構いません。手が空いているなら——」

「ユーフィリア殿」


 低く、静かな声。


「寝れていますか?」

「……え?」

「食事は取れていますか? 休養は十分ですか?」


 矢継ぎ早の問いに、言葉が詰まる。


「正直に言います。顔色が悪いですよ。そんなメンバーを働かせるわけにはいきません」


 周囲のざわめきが、遠く感じる。


「休んでください。これは命令です」


 私は唇を噛みしめる。


 役に立たなきゃいけない。

 今は、余計なことを考えている場合じゃない。


 ……でも。


「……わかりました」


 声が、思ったより素直に出た。


 私は天幕を後にし、拠点へ向かう。


 ……足取りが重い。


 休めと言われても、休めるはずがない。

 頭の中で、思考が巡っては散り、散っては巡る。

 たったの短い距離なのに、その何倍にも遠く感じた。


 私の言葉。

 リンの表情。

 リンの声。


 私は……何をした?


 とうとう、拠点の入口が見える。


 ——けれど。

 足が、止まった。


 このまま部屋に戻れば、きっとまた一人で考え込む。

 そして、同じところをぐるぐる回るだけだ。


 ……自然と、私の足は別の場所へと向かっていた。


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