第二十話「亀裂」
それから、数日が経った。
夢幻洞窟の調査は今日も行われている。
すでに第一層の調査は終わり、現在は第二層に足を踏み入れている。
モンスターとの遭遇は増えているが、洞窟内での事象は引き続き沈黙を保っている。
ジュジュさん率いる先遣隊が前線で安全を確保する。
危険が排除された後、私が現地へ入り、地脈や地形、魔力濃度などの測定を行う。
リンは基本的に側面に位置し、常に警戒を続けている。
役割は明確。
流れも確立されている。
……それなのに。
記録用紙に数字を書き込みながら、ふと手が止まる。
計測器の数値を二度見して、やっと我に返る。
私は、どこか集中しきれていなかった。
頭の片隅に、あの応接室の光景が張り付いている。
『家族と一緒にいる方が、リンちゃんの将来のためになります』
あの言葉が、何度も反芻される。
私は親に捨てられて、孤児院で育った。
それでも、幸せだったと胸を張って言える。
……けれど、それは私の話だ。
リンには、血の繋がった家族がいる。
迎えに来てくれる人がいる。
守ろうとしてくれる人がいる。
……私は。
私は、何だろう。
ただの担当職員。
期限付きの、仮の保護者。
比べるまでもない。
……胸の奥に、じわりと劣等感が広がった。
「リンリン、そっちから大型一匹」
ジュジュさんが呼んだ名前に、無意識に喉が詰まる。
「了解」
短く返事をしたリンは、いつも通り音もなく前へ出る。
細剣が一閃し、モンスターは声を上げる間もなく崩れ落ちた。
……リンには、まだ公爵家での出来事を話せていない。
そのせいで、リンとの間にはぎこちなさが残ったままだ。
リンが倒したモンスターの状態を記録するため、私も前へと出る。
……本来なら。
リンの立ち位置、私の場所。
それらは、無意識でも噛み合う。
でも今は、常に考えて連携を取っている。
リンが半歩ずれる。
私も半歩遅れて位置を調整する。
目が合いそうになって、逸らす。
……私が、リンの顔を見れない。
リンもそれを感じ取っているのか、以前より話しかけてこなくなった。
その沈黙が、さらに私の自己嫌悪を深める。
……最低だ。
私のせいだ。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ。
調査隊は会議と休憩のため、一旦天幕へと戻る。
レスさんが机の上に広げた地図を見つめながら、少し重苦しく口を開いた。
「……思ったより、成果が悪いです」
低く、抑えた声。
「慎重になることは間違いではありませんが——」
「違うでしょ」
遮った声の主は、ジュジュさんだった。
場の空気が一瞬止まる。
ジュジュさんは腕を組み、こちらを見た。
「二人とも集中できてない。それが原因」
その指先が、迷いなく私とリンを指した。
心臓が強く跳ねる。
「……ごめん」
「責めてるわけじゃない。でも、そのままなら邪魔」
……その通りだ。
これは個人的な問題で、みんなには関係がない。
みんなは命を懸けている。
私は記録係として、冷静でなければならない。
……決めなきゃ。
◇ ◇ ◇
会議が終わり、休憩のため各自が拠点へ戻ろうとする。
「リン」
銀色の小さな背中を、私は呼び止めた。
「少し……話、いい?」
リンは、わずかに目を伏せてから頷く。
「……うん」
天幕の裏手。人目のない場所。
私は、意を決して口を開く。
「……この前、グラス公爵夫人に……この調査が終わったら、リンを連れ戻すって……言われた」
……言ってしまった。
薄暗いこの場所に、沈黙が落ちる。
リンの顔が見られない。
それでも、私は続ける。
「リンは……」
バクバクと心臓がうるさい。
呼吸も浅い気がする。
でも——言葉は止まらない。
「……私なんかより、家族と……一緒にいるべき……だと、思う」
……言えた。
ようやく、私は顔を上げる。その先で——
リンの傷ついた表情が、目に映った。
「……ぁ」
私が何か言うより先に、リンが口を開いた。
「……うん……わかった」
ぎゅっと、リンが自分の裾を握った。
そして俯いたまま、踵を返す。
ひらりと揺れた銀色の髪の隙間から——涙が、頬を伝っているのが見えた。
……あ。
私は、立ち尽くす。
追いかけなきゃいけないと脳が警鐘を鳴らすのに、足が動かない。
責めるような心臓の音だけが、いやに大きく耳に残った。
私はまさか……取り返しのつかないことをしてしまったんじゃ……
その答えを、確かめる勇気はなかった。




