第十九話「グラス公爵邸にて」
調査開始から一夜が明けた。
朝の準備を終えたタイミングで、拠点の扉が叩かれた。
「レスです」
入室を促すと、レスさんはいつも通りの無駄のない所作で中へ入ってくる。
すると、わずかに眉を寄せて口を開いた。
「ユーフィリア殿。グラス公爵家より伝言を預かっています」
胸の奥がひくりと震えた。
「……伝言、ですか」
「ええ。公爵夫人から、あなたに話があると」
私は思わず目を見開く。
「……私ですか?」
レスさんが首肯する。
「ユーフィリア殿、と名指しでした」
「……そう、ですか」
……何の話だろう。
頭ではそう考えるのに、胸の奥ではもう答えがわかっている気がした。
暗い予感が、重しのように心に沈む。
「本日の調査は午後からでも問題ありません」
「……ありがとうございます」
レスさんは深く詮索せず、静かに出ていった。
背後で、リンの気配が揺れる。
「……ユフィ」
振り向くと、リンが不安そうにこちらを見ていた。
「大丈夫。ちょっと行ってくるだけ」
できるだけ、穏やかな声で伝える。
「……うん」
けれど、その返事は小さかった。
◇ ◇ ◇
グラス公爵邸。
北の都の少し郊外にそびえるその邸宅は、遠目にも圧倒的だった。
高く整えられた門。
磨き上げられた石畳。
左右対称に広がる白亜の建物。
「ここが……」
無意識に口をつく。
孤児院にいた頃に見かけたことはあっても、足を踏み入れるのは初めてだった。
門扉まで行くと、老齢な使用人が出迎えた。
「ユーフィリア様でございますね」
「はい」
「奥方様より仰せつかっております。どうぞ中へ」
洗練された所作で中へ招く使用人に案内され、広い廊下を進む。
足音が、やけに響く。
通されたのは、静かな応接室だった。
重厚な家具。
陽光を柔らかく通すカーテン。
空気すら、整えられているように感じる。
その部屋の中央に、セイナ・グラス公爵夫人は座っていた。
「どうぞ。マナーなどは気にせずに構いません」
柔らかな声音で、そう促された。
「……ご配慮、感謝いたします」
私は一礼し、向かいの席に腰を下ろした。
一瞬の沈黙。
先に口を開いたのは、私だった。
「……それで、お話とは……リンのことでしょうか」
「その通りです」
よどみなく、セイナ夫人は即答する。
「今あなたは、保護者のような立ち位置だとか」
「……はい。正確には、リンを専属で担当する冒険者ギルドの職員です」
「冒険者ギルド……」
夫人は目を細める。
その表情から、感情は読み取れない。
「であれば、都合が良い」
静かに、しかし明確に告げられる。
「此度の王命が終わり次第、リンちゃんは我が公爵家に連れ戻すつもりです」
……やっぱり。
覚悟していたはずなのに、胸が強く締め付けられる。
「その際の手続きを、あなたに依頼します」
ドクンと、心臓が嫌な音を鳴らした。
「……リンに、冒険者を続けさせる気はないのでしょうか」
私は、気づけばそう口にしていた。
夫人の視線が、真っ直ぐに私を射抜く。
「私たち家族と一緒にいる方が、リンちゃんの将来のためになります」
迷いのない言葉が、確固たる意志と共に紡がれる。
「……家族がいなくたって、幸せになれると思います」
自分でも驚くほど、声が硬い。
「あなたがいなくても——」
そこまで言って、はっとする。
けれど、もう遅い。
夫人は静かに言う。
「それは……あなたが孤児院出身だから、そう思うのですか?」
言葉が、冷たく胸に突き刺さる。
「その考えは、あなたの希望です」
淡々と、夫人は告げる。
「リンちゃんには、そぐわない」
私は……何も言えなかった。
何か反論しなければと思うのに、喉が閉じる。
「家族」
その言葉の重みが、私の過去を押し潰す。
「話は以上です」
夫人が席を立つ。
逆光の中、その影が長く伸びた。
「お客様を送りなさい」
「かしこまりました」
控えていた使用人が、静かに一礼する。
夫人は、振り返らない。
扉の閉まる音が、やけに大きく響いた。
……私は、椅子から立ち上がることができなかった。




