第十八話「一拍のぎこちなさ」
大規模調査、初日。
まだ朝靄の残る時間帯。
夢幻洞窟の前に設けられた天幕の中には、緊張を帯びた空気が満ちていた。
中央の卓上には地図と配置図。
周囲を、勇者、支部長、班長格の冒険者たちが取り囲んでいる。
「改めて確認します。今回の調査対象は——夢幻洞窟」
レスさんは背筋を伸ばし、地図の一点に指を置いた。
「この洞窟は、本来複数の属性事象が混在する特異地帯です。火、水、風、雷、闇……確認されているだけでも多岐に渡る」
卓上の地図には、色分けされた印がいくつも記されていた。
「中を、便宜上五つの層に分けています。主な生息モンスターは薄明豚鬼、翠風蜥蜴、白牙黒狼など。ですが、奥に進むほどモンスターのランクは上がり、種類は増え、事象も複雑化する。ゆえに——」
レスさんは視線を上げ、私たちを見渡す。
「三地点の中で、ここが最も危険度が高いと判断されました」
誰もが無言で頷く。
「確認された異常は、雷鳴峡谷と同様『事象が発生していない』こと。ですが、多属性の強い魔力を黒幕がどのように使っているのかが判明していません」
それは、何が待ち受けているのかわからない——つまり、危険度を測ることすらできないことを意味する。
だが——ここにいる人は皆、そんなことは織り込み済みで立っている。
「本隊はジュジュ殿率いる千紫万紅を主軸とします。正面からの制圧と進行を担当」
ジュジュさんが軽く手を挙げる。
「了解で〜す」
気負いのないその態度に、場の緊張がほんの少しだけ緩んだ。
「リン殿は遊撃。ユーフィリア殿は、異常の兆候および黒幕に繋がる可能性のある事象の確認を優先してください」
私とリンが同時に頷く。
加え、私の周囲には常に二人以上の冒険者が待機し、護衛にあたってくれる。
記録係が倒れれば、情報は途絶える。
それは全員が理解していた。
「調査中は、通信石で密に連携を取ってください。違和感があればすぐに報告を。撤退の判断は、現場を優先します。他、質問はありますか」
誰も声を上げないことを確認し、レスさんが続ける。
「では、調査を開始します」
天幕を出ると、それぞれが持ち場へ散っていった。
◇ ◇ ◇
すでに日の光が届かない、夢幻洞窟の第一層。
光源を作り出すスキルを持つ冒険者を中心に、離れすぎない距離で調査を進める。
調査手順は安全を最優先に据えられている。
十メートル進むごとに停止し、周囲を索敵。
安全を確保できたら記録を始める。
陣形は、ジュジュさん率いる千紫万紅の精鋭が最前線を張り、側面はリンが対応する形だ。
記録員である私は中央に位置を取る。
第一層と定義されたここで発生する事象は本来でも突風くらいしかなく、モンスターのランクも低い。
とはいえ、Bランク相当の個体がうろつく場所だ。
幸いモンスターに出会わないまま少し進んだ先で、漂う魔力にわずかな異常が混ざった。
私は即座に通信石を起動する。
「レスさん」
『どうしました』
「魔力波の変動周期が不自然です。地脈とも、本来の事象発生のタイミングともズレています」
通信石越しに、レスさんが思案しているのが読み取れる。
『人為的な干渉の可能性は?』
「否定できません」
短い沈黙。
その後、レスさんは全体に指示を出す。
『戦闘員は警戒を一段上げて。記録員は記録を続けてください』
その時。
『あー、ちょい待ち』
ジュジュさんの声が聞こえた。
『前方ニ十メートルにモンスター反応』
『数は』
『三……ちょっと、動きが変かも』
張り詰めた空気の中、レスさんが即座に判断を下す。
『リン殿。一体生け取りにできますか』
『うん』
『では頼みます。残りは排除。ジュジュ殿、周囲の警戒を』
『はーい』
布陣が滑らかに変わる。
リンが前へ。
私は後方で記録書を握る。
やがて岩陰から現れたのは、三体の同じ大型のモンスター。
豚のような頭と、筋骨隆々な身体。
そして全身を覆うように張られた、半透明の薄い防御膜。
Bランク上位、薄明豚鬼。
……あれ?
でも確か、薄明豚鬼は単独行動が基本のはず……
直後、リンの姿が消え、同時に二体の首が飛ぶ。
残りの一体は両足の腱を切られており、そのまま体勢を崩して地面に倒れた。
いつも通りの、見事な手際。
ロープがかけられ、拘束が完了する。
私は計測器と記録書を抱え前へ出た。
——その時。
リンも、こちらへ一歩動いた。
互いに、ほんのわずかに進路が重なる。
「「あ」」
声が重なり、どちらも止まる。
「……どうぞ」
「……うん」
私たちは譲り合うように、同時に半歩ずつずれた。
視線が一瞬だけ交わる。
そして——すぐ逸らした。
……それだけ。
周囲の誰も気づかない。
でも——
普段なら、私はリンの後方に自然に回る。
リンも、私の動きを目でなぞり、無意識にその場所を空けている。
今は、それを「考えて」やっている。
その一拍が、微妙にぎこちない。
私はしゃがみ込み、拘束されたモンスターへ測定器を当てる。
……魔力が心臓部に集中している。循環が弱い。
目を覗き込めば、やはり焦点が合っていない。
「……反応、ない」
リンの小さな呟きに、私は頷く。
「うん。抵抗本能もほとんどない」
リンは、私のすぐ隣に立っていた。
……近い。
けれど、触れない距離。
昨日の夜、眠れなかったことを思い出す。
——リンの「家族」。
考えないようにしていたのに、意識が勝手に引き寄せられる。
「ユフィ」
名前を呼ばれ、私は顔を上げる。
リンはいつもの静かな目をしている。
でも、その奥はほんの少しだけ揺れていた気がした。
「……何か……わかりそう?」
「……うん。やっぱり変だ」
短い会話。
それだけなのに、言葉が慎重になる。
私は測定値を書き込み、通信石を起動する。
「レスさん。やはりモンスターに操られている兆候が見られます」
『了解です。引き続き警戒しながら、第一層の調査を進めてください』
隊列が再び整う。
リンが私の一歩前に立った。
私はその背中を見つめる。
距離は、いつもと同じ。
なのに——
ほんの少しだけ、遠く感じた。
◇ ◇ ◇
日が傾く頃。
本日の調査を終え、私たちは洞窟から帰還した。
一度本拠点へ戻り、情報の整理を行う。
私は机に向かい、今日の測定値をまとめていた。
リンはその少し後ろで、壁にもたれて立っている。
「……ユフィ」
小さな声に、私は振り返る。
「ん?」
「昨日、の……」
リンが、言葉を探すように口を開く。
その瞬間。
「ユーフィリアさーん!」
天幕の方から、ギルド職員の声が響いた。
「追加の記録、確認お願いしまーす!」
私は思わずそちらへ顔を向ける。
「あ、ごめん……なに? リン」
「……ううん。なんでも、ない」
リンは首を横に振る。
その表情は、どこか決意を飲み込んだように見えた。
「ユーフィリアさーん?」
「すぐ行きます!」
私は椅子から立ち上がる。
「すぐ戻るから」
そう言って天幕へ向かったが……私の胸には、大きな引っかかりが残っていた。
◆ ◆ ◆
その頃。
グラス公爵領、最も豪奢な建物の一室。
重厚な机の上に広げられた便箋へ、流麗な文字が連なっていく。
筆を持つのは、セイナ・グラス。
公爵夫人は最後の一文を書き終えると、ゆっくりと封蝋を押した。
窓の外には、北の都の整然とした街並み。
だが、その瞳に映っているのは、先日の孤児院での光景だった。
細剣を携えた少女。
そして、その前に立った女性。
「……冒険者」
セイナが小さく呟く。
やがて彼女は、控えていた使用人に視線を向けた。
「ユーフィリアという人物を呼びなさい」




