第十七話「家族」
「本当に……リンちゃんなの?」
信じられないものを見るような顔で、老婦人は問いかけた。
リンは——答えなかった。
ただ私の袖を掴んだまま、俯いている。
小さな肩が、かすかに強張っていた。
老婦人はゆっくりと一歩、また一歩と近づいてくる。
周囲の空気が、目に見えない膜で隔てられたように張り詰める。
だが、その途中——老婦人の足が、ぴたりと止まった。
その視線が落ちたのは、リンの腰。
正確には、そこにある——携えられた細剣。
「……リンちゃん……それ、まさか……」
老婦人の言葉が途切れる。
リンは、何も言わない。
ただ、ぎゅっと、私の袖をさらに強く掴んだ。
「あの」
気づけば、私はリンの前に立っていた。
「……あなたは?」
老婦人の瞳が、ゆっくりと私へ向けられる。
冷たくも、熱を孕んだ視線。
「初めまして。わたくしユーフィリアと申します。冒険者ギルドの職員で、リンさんの……保護者のような立場をしております」
わずかな沈黙。
老婦人が、目を細める。
その時、奥から別の声が入った。
「セイナ公爵夫人」
シスターララミアだった。
「ユーフィリアは、この孤児院の出身なのです」
老婦人——セイナ公爵夫人は、ゆっくりと頷いた。
「……そう」
再び、視線がリンへ戻る。
その瞳には、先ほどまでの驚きとは違う深い感情が宿っていた。
「……あとで、改めてお話しましょう」
リンの喉が、かすかに動く。
「……はい」
か細い返事が落ちる。
それを確認し、セイナ公爵夫人は背を向けた。
「シスターララミア。視察を再開しましょう」
「承知しました」
歩き出す前、夫人は一瞬だけ私に視線を向けた。
その目は、値踏みでも敵意でもない。
けれど——確かに、何かを量っている目だった。
やがて二人の姿は廊下の奥へと消えていく。
空気が、ようやく動いた。
「……リン。公爵夫人って、もしかして……」
「……わたし、の……おばあちゃん」
その言葉に、私はすべて合点がいった。
最近のリンの静かな違和感も、さっきの怯えたような顔も。
リンの過去が発端だったんだ。
……私の、知らない過去が。
「……黙ってて……ごめん、なさい……」
リンの声は、ほとんど掠れていた。
「いや……びっくりしたけど、怒ってたりはしないよ」
本心だった。
ただ——胸の奥に重たいものが落ちた感覚だけが、残っている。
「……ごめん、なさい」
リンはもう一度、同じ言葉を繰り返した。
私はそれ以上、何も言えなかった。
クゥリが、遠慮がちに口を開く。
「今日は……おかえりになりますか?」
私はリンを見る。
「……そうだね。リン、帰ろう」
「……うん」
孤児院を出るまで、子供たちの声は聞こえていた。
けれど、それはもう遠い場所の音のように感じられた。
◇ ◇ ◇
拠点への帰り道。
私たちは、ほとんど言葉を交わさなかった。
何か言おうとするたびに、胸の奥がずしりと重くなる。
言葉が、喉の奥で引っかかる。
その感情がなんなのか、わからなかった。
その日の夜。
寝袋に入り、私は横になった。
隣から、規則正しい寝息が聞こえる。
遅い時間になってから、リンはようやく眠りに落ちた。
私はしばらくその呼吸を確認してから、目を閉じる。
けれど、瞼の裏に浮かぶのは、あの老婦人の姿だった。
『リンちゃん』
その呼び方。
細剣を見た時の、あの目。
リンの——家族。
思考が絡まるように巡って、止まらない。
リンには、血の繋がった家族がいる。
そして、その家族がここにいる。
その事実が、私の胸を締め付けた。
この日、私は一度も深く眠れなかった。




