第十五話「絢爛と静謐」
夢幻洞窟の外縁部は、昼でも薄暗かった。
山肌にぽっかりと開いた巨大な口。
内部から流れ出る冷たい空気が肌を撫でる。
「今一度お伝えします。今日は本格調査前の下見です。決して無理はなさらないよう」
レスさんの言葉に静かに頷き、リンとジュジュさん、千紫万紅の八名、そして記録係として私が洞窟の入口へと足を進めた。
今日はあくまで確認。
魔力反応の測定。
外縁の安全確認。
調査開始時の動線の想定。
リンたちが周囲を警戒しながら進む中、私は測定器を取り出し空中に漂う魔力濃度を順に記録していく。
記録が終わると、通信石を起動し入り口付近にある天幕で待機するレスさんへ報告を行う。
「現時点では、想定範囲内です」
私の言葉に、通信石から声が返る。
『よし。ではもう少し進んで——』
『あー、ちょっと待った』
その言葉を遮ったのはジュジュさんだった。
全員の視線が集まる。
『洞窟の外、周囲にモンスター反応』
一瞬で緊張が走る。
「巧」の勇者。
その称号を持つ彼女は、自らの目で見たスキルを模倣して扱うことができる。
当然、索敵系も例外ではないのだろう。
その当の本人は、まるで散歩前のような気軽さで言った。
「リンリン、そっちのでかいの二匹頼むよ」
「……ん」
リンが短く頷き、ジュジュさんが指差した方向へ一歩踏み出す。
私は自然と後方に下がり、記録用紙を握り直した。
「さてさて、あたしはこっち〜」
その瞬間。
リンの前に大型モンスターが二体が。
ジュジュさんの前には、小型モンスターの群れが岩陰から姿を現した。
ジュジュさんはそれを一瞥すると、にやりと口角を上げる。
そして一度指を鳴らした瞬間——空気が歪んだ。
赤、青、紫、金。
色とりどりの光が彼女の周囲に浮かび上がる。
幾何学模様のような魔法陣が幾重にも展開し、回転し、重なり合い——そして、弾けた。
小型モンスターの群れがいた場所に、色彩の華が一斉に咲いたかのような光景が広がった。
光が爆ぜ、音が重なり、衝撃波が岩肌を揺らす。
「ん〜、最高〜!」
ジュジュさんが軽やかな声を上げる。
それとほぼ同時——
ズン、という重い衝撃音が響いた。
振り向けば、リンの足元に巨体が二体沈んでいた。
リンは血飛沫ひとつない細剣を、静かに鞘へ収める。
いつも通り斬撃は最小限で、一切の無駄が無い。
「絢爛」と「静謐」。
対照的な二人の戦闘は、どちらも目を奪われるほど完成されていた。
『終わったよ〜』
ジュジュさんの通信石越しの声を合図に、私は前へ出て記録へ戻る。
その途中で、リンが倒したモンスターの死体の様子に違和感を覚え、手が止まる。
「何かあった〜?」
背後から、ひょいとジュジュさんが覗き込む。
その隣にはリンの姿もあった。
「……モンスターが、もう止まってるの」
「……どゆこと?」
ジュジュさんの問いに、私は言葉を整理する。
「……リンはいつも、首を一閃して瞬時に息の根を止める。でもその場合、ほんのわずかな時間、眼球や末端神経は反応を示す」
「斬首された罪人が、少しの間だけ目を動かすってあれ?」
「そう。リンの場合は、それが比較的顕著に出る」
リンの斬撃は停止した世界で行われ、文字通り一瞬。
そのため、脳が死を認識する前に切断されているのだ。
「でも、このモンスターはリンに首を切られると同時に活動を停止してる。それに……」
「まだ何かあるの?」
私は一つ頷く。
「魔力反応にも、気になる点が」
ジュジュさんに計測器を見せながら続ける。
「モンスターの体内には魔力が循環してる。だから、死体の魔力反応は体全体で感知するはず。でも……これは、心臓部にほとんどの魔力が集中してる」
「循環してないってことか」
私は首肯する。
「そう。そこで考えられるのは……」
そこまで言って、私はリンを見る。
「ねえリン。このモンスター、何か気になるところはなかった? 例えば——目線が変な方向を向いてたとか」
リンは少し考えるような仕草をし、口を開いた。
「……目線、よりは……焦点、かな」
「焦点?」
リンはこくりと頷く。
「目が……どこも、見てなかった」
その言葉に、私の脳内で点と点が線で繋がる。
「ねえ、結局どういうことなの?」
「……あくまでまだ仮説だけど……このモンスターは、操られてた可能性がある」
リンとジュジュさんが大きく目を見開く。
「……やな感じだね」
「うん。ただ、まだあくまで仮説ね。確証はない」
「あたしが模倣できないから、スキルの類じゃないね〜……念頭に置いておく必要がありそうだ」
それから洞窟の下見が終わった後、私はレスさんにも簡潔に報告した。
彼は深く頷き、
「記録しておいてください」
と、そう言った。
その声音は冷静だったが、目の奥は鋭かった。
◇ ◇ ◇
拠点へと戻った私は、記録を整理しながら先ほどの違和感を反芻していた。
操られたモンスター。
もしその仮説が正しければ……未曾有の大災害を引き起こせる最悪の技術だ。
その時、コンコンと扉がノックされた。
開けると、そこに立っていたのはクゥリだった。
「どうしたの?」
「シスターララミアから、明日帰ってくるって連絡があったの。昨日会いたがってたから、知らせてあげようと思って」
その言葉に胸が少し弾む。
孤児院で最も長く子供たちを支えてきた人。
私にとっても恩人だ。
「ありがとう。明日行くよ」
そう答えると、クゥリは少し躊躇ってから口を開いた。
「それと……できれば勇者さまも一緒に来てくれないかな。昨日来た時から、子供たちがずっとまた会いたいって言ってて。忙しいのはわかってるけど……」
私はリンを見て問いかける。
「どうする?」
「……わたし、も……会いたい」
リンが頷きながら答えた。
その言葉に、私は自然と微笑む。
「じゃあ、明日二人で行くよ」
「ありがとう、姉さん。それに勇者さま」
クゥリが頭を下げ、去っていく。
扉が閉まった後、ふと私はリンを見る。
リンはどこか穏やかな表情で、窓の外を見ていた。
洞窟の冷たい空気とは違う、あの庭の匂い。
そして、子供たちの笑い声。
それらを思い浮かべているのかもしれない。
私は、再び記録へと視線を落とした。
この時の私はまだ知らない。
明日が、静かな一日で終わらないことを。




